8話 地底湖の決着
ぴしり、ぴしり、ぴしり。
ヒカリゴケが生み出す淡い光の海に亀裂が走る。
星と星を結んで星座を描くように、壁に打ち込まれた弾丸同士を亀裂が繋ぎ合わせていく。
そして時は満ちた。
空から響くは崩壊の音。
重厚な質量を持った岩群が襲い掛かる。
(わたしは、助からないだろうな)
瞳を閉じた。
まぶたの裏に描かれるのは、己が未来。
イメージの中で、わたしは瓦礫の下敷きになっていた。
そして描いた結末は、寸秒先に迫っている。
そのはずだった。
だというのに、突然。
「……は?」
目の前の景色が、連続性を失った。
否、その表現は適切ではない。
凍り付いていた、全てが。
剥落を開始していた天蓋が、時間を切り取られたかのように虚空に静止している。
吐いた息が、白く煙る。
『グルルァァァァァァァァオォォォォォ‼』
洞窟を揺らすような雄叫びと共に、湖水から滝が天へと落ちる。
いや、滝ではない。飛沫だ。
あまりに大量の水が慣性に従って持ち上げられたために、見間違えたのだ。
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状態異常:スタン
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水の柱が砕け散る。
その先に、巨大な影が映る。
「……ははっ、ふざけないでって、マジで」
鋭い牙、獰猛な瞳。
純白のウロコはそれ自体が淡く輝き、周囲に冷気を巻き散らしている。
リザードマンジェネラルより強靭な肉体と、双翼を広げるそれは間違いなく。
・ドラゴン⁉
・ドラゴン来たーーーー!!!!
・なんぞこれwww
・バカな……やつはヨトゥン凍土の主のはず
・なぜこんなところに?
視界の隅ではそんな文字列が躍っている。
ただ、踊るだけ。
どれだけ注意を向けても、頭の中で言語が処理されない。文字列が内包する情報が入ってこない。
その日、わたしはそれに魅入られた。
・無限氷龍ノーザンクロス
白く輝く世界の中、そんなコメントだけが、鮮明に脳裏に焼きついた。
*
「環境破壊はダメ、絶対。Renちゃんとのお約束だよ?」
・はーい
・おつかれさまー!
・またねー!
・アスタ・ラ・ビスタ!
・またくるねー!
負けたー!
負ーけーたー!
「あぁぁぁぁあぁぁ! 悔しいぃぃいぃ!」
配信を切り、わたしは叫んだ。
振り返るのは、ついさっきの出来事。
(勝てるのかな、本当に、勝てるのかな)
彼我の実力差は明白だった。
これまでも類を見ない、圧倒的暴力の化身。
無限氷龍ノーザンクロス。
彼が根城とするのはヨトゥン凍土にある湖水。
ザンガの地底湖を抜けた先にある、推奨レベル46の最前線MAPらしい。
相対するわたしは……。
「レベル、23」
足りていない。レベルが、圧倒的に。
だけど、はたしてそれだけが原因だろうか。
(本当に、魅力極振りでいいのかな)
攻撃力のように物理ダメージが上がるわけではない。
生命力のように耐久値が上がるわけでもない。
知力のように魔法ダメージが増加するわけでもなければ、精神力のように魔法攻撃の耐性が上がるわけでもない。
もう、潮時なのかもしれない。
ここが魅力の限界点。
歩みを止めて、他の道に目を向ける時が来たのかもしれない。
「……なんか、デジャブ」
おかしいな。
この呪われた台地に降り立ってから、魅力に限界を感じたことなんて初めてだった。
そのはずだ。
だというのに、どうしてだろう。
魅力に限界を感じ、挫折した苦しさを知っている。
いつだろう。
この胸の奥深くに凝り固まった黒い感情は、いつからあるものなんだろう。
――あのまま活動を続けていたら。
「あ」
不意に、ある記憶が揺り起こされた。
社会人1年目の休日のことだった。
スクランブル交差点で信号待ちをしていると、向かいのビルの巨大な液晶に広告映像が流れていた。
画面の中には、よく見知った人物が映っていた。
夜見坂ユノ。
"俺"くんがかつて所属していた配信グループ『Synthe/Live』の配信者。
彼女が、パンドラシアオンラインの広告映像の中で手を差し出している。
――足りてなかった、カリスマ性が、圧倒的に。
場面が一転。
さらに過去へと意識が跳躍する。
伸び悩むチャンネル登録者数。
一緒に歩き始めたのに開く一方の差。
後から合流したメンバーに置いて行かれる焦燥感。
足手まといになっているという、嫌な自覚。
「……ははっ、馬鹿だなぁ」
笑った。ひとしきり、満足いくまで。
「未練、たらたらじゃん」
常盤望なる人物は言っていた。
――未練という字は未だ精錬されずと書く。断ち切ったつもりでも、鈍刀で過去は断ち切れない。
「そうだね」
その言葉を、わたしは全力で肯定しよう。
そしてそのもしもを実現して見せよう。
「ステ振りを考え直す? 冗談」
武器はひとつあればいい。
なにかひとつ、ただひとつ。
誰にも負けないと自信を持って言える武器がひとつあれば、茨の道でも歩いていける。
いいよ、やってあげようじゃんか。
わたしは残っていたポイントを割り振った。
上げるのは当然、不遇と呼ばれる死にステータス。
魅力である。
これがわたしの生き方だ。
「覚悟してよね、無限氷龍ノーザンクロス」
わたしは天に手の平を掲げた。
日本晴れの空が、わたしの血潮を真紅に染める。
「次はわたしが勝つ」
まばたきをひとつ、わたしは拳を固めた。
天に拳を突き上げるように。