4話 配信切り忘れ→ゴースティング
霧は奥に進むほど濃くなっていった。
紫八染のしるべも、今となっては見つけるのが難しい。
ただぼんやりと、前を歩くアルラウネさんの後をつけるので精いっぱいだ。
「Renさん?」
「はい」
「どうかしましたか?」
「それはどういう――」
言葉の意味を問おうとして、やめた。
聞く前に真意を理解したからだ。
気が付けば、Artemeres' Blessingを強く握っている自分がいる。
愕然として、足を止めた。
(無意識下で警戒している? 誰を?)
目の前のアルラウネさん?
違う。この人からは敵意を感じない。
わたしをだまそうとしているようにも思えない。
気を引き締めるだけ疲れるだけだ。
だったら、誰を警戒している?
振り返る。
背後にはただ、白い霧が広がっている。
人の影ひとつ見えやしない。
――"いるわ。男と女、二人組よ"
前触れなく脳内に声が響く。
パンドラシアの大地に降りてからたびたび聞こえる不思議な声だ。
誰なの。
「Renさん、おいていきますよ」
「ちょ、ちょっと待ってくださいよアルラウネさん! そりゃないでしょう⁉」
もう一度振り返ると、アルラウネさんの影がずいぶん遠くなってしまっていた。これ以上離されると文字通りの意味で影も形も見えなくなってしまう。
だから、わたしは慌てて駆け寄った。
視界に変化が訪れたのは、ほどなくして、不可視の境界線をまたいだ時だった。
少しだけ霧が薄く、視界がかなり広がった。
広がった光景に、思わず息をのむ。
「お、おお⁉ もしかしてここがアルラウネさんの故郷!」
木漏れ日やわらかなツリーハウスタウン。
自然を切り拓いたのではなく、自然の中で育った。
言葉にするならそんな世界が広がっていた。
「霧が薄くなった! ねえ! どうして⁉」
「これが水滴ではなく、幻影の類だからです。それより、お静かに」
アルラウネさんがそう口にするものだから、わたしは口にチャックをして直立不動の構えを取った。
自分に意識を向けるリソースが減った分だけ、周囲の様子をうかがう余裕ができた。だから気づけた。
わたしたちの目の前、村の広場。
そこに木枯らしが舞っていることに。
「ふぉっふぉ。お主が客人を連れてくるとは珍しい。のぉ、アウネや」
やがて木枯らしがやんだかと思うと、いつの間にかそこに人が立っていた。
否、人ではなかった。
よくよく見れば下半身が植物で出来ており、その老人もまたアルラウネなのだとすぐに気づけた。
「この者は野蛮な人族とは違うと判断いたしました。独断に対する処罰はいかようにも、族長」
「ふぉっふぉ。妾はお主の判断を信じる。して、何ようかな? ……うん?」
族長様らしい人物が、わたしの方を向く。
そして目を丸くした。
「驚いた……アルラウネの稚児じゃないか。わざわざ届けに来てくれたのかい?」
「はい! 人族代表のRenと申します! ルウラちゃんをよろしくお願いしに来ました!」
「元気のいい子だねぇ。ふぉっふぉ、アウネや。お主はこういう子が好みじゃったか」
族長様が、いじわるな笑みをアルラウネさんに向ける。
アルラウネさんはしかし取り乱すことなく、冷静に言葉をつづけるだけだった。
「あくまで判断基準は里に害成す者かどうかです」
「そういうことにしておくかの! ふぉっふぉっ」
族長様は楽しそうに笑うと、それからわたしに向き直った。わたしの本質を覗き込むかのように真剣なまなざしだ。どういうわけか、肺を握られたかのような感覚に陥る。
いや、陥っていた。過去形。
精神の奥深くに何かが伸びるのを察知したわたしの精神体が、外部からの接触を強く拒絶した。
真っ暗闇の精神世界に、内側から錠を下ろす。
「……ふぉっふぉ。Ren嬢や。ぜひお礼をしたい。妾の家までご足労願えるかの」
「いえいえ! そんなお礼なんていいですよ!」
愛嬌をふりまきながら、わたしは内心悪態をついた。
族長様には底知れない凄味がある。
別に悪いことをしたわけじゃないけど、クエスト報酬という下心ありきで足を運んだとバレるとよくない気がする。
だから、なくなくお礼を断った。
これじゃ骨折り損のくたびれ儲けである。
何のためにこの長い霧の中を抜けて来たのか。
「ふぉっふぉ。Ren嬢や。ぜひお礼をしたい。妾の家までご足労願えるかの」
「うん?」
さっきも聞いたぞ? そのセリフ。
「いえ、だからお断りしますって」
「ふぉっふぉ。Ren嬢や。ぜひお礼をしたい。妾の家までご足労願えるかの」
「このポンコツAIがッ!」
どうしてこのゲームのAIは会話が下手なんだ!
チクショウ!
「はい」か「いいえ」を聞いてくるのに「はい」って応えるまで無限ループするタイプの会話じゃん。
「はぁ……わかりました。では、お言葉に甘えて」
「うむ。では妾の手を掴むとよいぞ」
「はい――うぇ⁉」
言われたとおりに手を掴んだ瞬間だった。
急に重力が四方八方に広がって、世界がぐるぐると回り始めた。おもわず目をギュッとつむると、ほどなくして重力が下方に収束していく。
「うぇぷ……気持ち悪い。ここは?」
目を開くとツリーハウスの中にいた。
「妾の家じゃ。してRen嬢や、聞きたいことがあるのじゃが、これはお主が連れてきた仲間か?」
「仲間? わたしはソロですけど」
小首をかしげるのと、族長様が指弾を鳴らすのは同時だった。
パチンという乾いた音が鳴り響き、それを皮切りに、飾られていた生け花が立体映像を投影する。
何枚ものパネルがわたしと族長様の間に展開される。この世界の植物すごい。
「道中にあった紫八染はの、道しるべであると同時に監視の目でもあるのじゃ」
「あの、話が見えてこないんですが」
族長様は「ふむ」と口にすると、おとがいを指でこんこんと叩いた。わたしの顔色をじっくり見つめ、それから何か納得したように頷く。
「どうやら、本当に知らんようじゃの。ほれ」
族長様が虚空で手を左右に振ると、展開されていた立体映像パネルがそれぞれ左右にはけていく。
ただ1枚のパネルを除いて。
残された1枚のパネル。
そこに映った人物を見て、わたしはおもわず大きく反応を示してしまった。
どうして、あのふたりがここに?
「あ」
思い当たる節が、ひとつあった。
・Renちゃんゴースティングされてね?
・この配信見て付けて来てそう
・マナー悪いやつらだな
・そりゃRenちゃんをMPKしようとしたやつらだし
・MPKってなに
・モンスターを他のプレイヤーに仕向けてキルを試みる害悪プレイ
・クソじゃん
「配信切り忘れた……!」
やっべぇぇぇぇ!
アルラウネさんと会ったタイミングで切ったつもりになってた‼