幕間 夜見坂ユノは、
夜見坂ユノの意識が浮上する。
コラボ配信を終え、パンドラシアオンラインからログアウトしたため、電子の世界から現実に意識が釣り上げられたのである。
しかし彼女はVR機器を外すことなく、装着したまま別の作業を開始した。
すなわち、動画サイトのアプリ立ち上げである。
彼女は検索ボックスにフォーカスを当てると、すぐさまひとつの名前を検索した。
『姫籬Ren』
そのチャンネルはすぐさま特定できた。
姫籬という造語を他に使っているアカウントがただのひとつも存在しなかったからだ。
だから、このアカウントが先ほどまでコラボしていた相手のものだと確信できる。
「……チャンネル開設、2日前。パンドラシアオンラインのサービス開始前日、私が先輩に連絡を入れた日」
チャンネル概要ページに示された情報を、隅から隅まで目を通す。
ゲーム配信をメインで活動する旨と、好きなもの、それから無所属の個人配信者であることが記されている。
チャンネル登録者は現時点で2万人。
ユノのチャンネルから流入した人も少なからず含まれているだろうが、まったくの無名スタートでこの登録者数は驚異の伸びである。
「先輩……?」
ユノは小首をかしげた。
「声が違った。あれは、女の声。ボイチェンじゃない。先輩は、男」
女性と男性の声質の大きな違いは、空気を振動させる部分にある。男性は胸の部分で声を作り、女性は鼻腔で音を出す。その差異はエッジボイスというガラガラした成分で如実に表れる。
地声なのかボイスチェンジャーで作った声なのか、知識さえあれば判別は容易なのだ。
それに加えて彼女には、様々な配信者とコラボを行ってきた経験がある。その中にはボイスチェンジャーを使っている人も多くいた。だから、声を聞けばそれが地声かどうか判別する耳くらい養われている。
「それに、イントネーションも微妙に違う」
先ほど男性と女性で音を作る場所が違うとは言ったが、それ以外にも違う部分はある。
そのひとつが抑揚の付け方だ。
一般に、男性のしゃべりは平坦だ。
相反し、女性の場合発声の始まりが高音だったり、文末が高めになりやすい。
そして彼女が出会った姫籬Renという配信者のしゃべり方は、女性のそれだった。
(先輩が感情をオンオフするスイッチを持ってるのは知ってるけど、それだけでここまで変化するもの?)
どうにも腑に落ちない。
ここまでに上げた情報はすべて、姫籬Renと先輩が別人である裏付けであった。
それでも、ユノはふたりが同一人物である可能性を捨てきれずにいた。
「まばたきの間隔、直立時の右手の指の開き、腕を伸ばした時のひじの角度。これらがだぶつくのはどうして?」
ユノが視聴しているのは、【初配信】と銘打たれたアーカイブだった。しゃべり方や言葉選び、話運びに意図的であろう仕草に先輩らしさは皆無である。
だがその中で、ほんの一部の動作だけが脳内の先輩と驚くほどに合致するのである。
「それに……」
思い返していたのは、今日の配信のことだった。
湿地でリザードマンに囲まれ、回復薬も尽きた。
攻撃しようにも盾に阻まる、絶体絶命の状況下。
――照準……発射!
普段の扱いは乱雑なのに、いざ困っているときにはいつも駆けつけてくれた先輩。
彼はそういうとき、いつも同じ表情をしていた。
内心でふつふつと燃え上がる感情を、強制的に遮断した状態。
その顔つきと、駆けつけてくれた彼女の顔つきがぴったり重なって離れてくれないのだ。
証拠の数だけで見れば、別人と判断する材料の方が多い。圧倒的に多い。断定してもいいレベルである。
けれど残ったわずかな、いっそ言いがかりレベルの根拠が、ユノに同一人物説を提唱して引っ込まない。
だから、ユノはスマホを取り出すとメッセージアプリを立ち上げた。
それから先輩とのトークを開き、チャットを飛ばす。
『先輩って、妹さんいましたか?』
5分が経ち、10分が経過する。
返信が来る気配も、既読が付く様子もない。
昔、とはいっても1年前のことだけど、あのときはよかった。チャットを飛ばせば、配信中でもない限りすぐに返信がやってきた。あの時間が、一番のしあわせだった。
「……絶対、見つけてみせますから」
一度は失った過去を、取り返す。必ず。
決意を改めて胸に刻み、少女は一度配信を閉じるのだった。
・姫籬Ren
その名が『先輩候補リスト』の筆頭に書き記されたのは、彼女の執念が結実したからかもしれない。