2話 頭が高いわ。獣が
『』、・““ → 英語
「」 → 日本語
で喋ってます
荒城に向かって原野を行く。
霧が強いフィールドだった。
索敵が難しいのが原因だろうか、周囲一帯を探ってもプレイヤーの影はほとんどない。
それは逆説的に、魔物側からもわたしを発見するのが難しいことを意味している。
『これだけ霧が濃いと魅力特化でもゴブリンから戦闘を仕掛けられなくて快適ですね。画面映えしなくて心配です』
・"画面映えwww"
・"視聴者の悦楽を優先するストリーマーの鑑"
・"Renがいてくれるだけでどんな場所でも晴れやかな気持ちになれる"
配信開始からおよそ1時間。
日本時刻で午前6時過ぎ。
わたしは気づいたことがあった。
(なんか、英語でも母国語みたいに読めるようになってる)
相変わらずの早朝、英語配信。
ふたつの要素が重なって、コメントしてくれる人の大半は英語だ。
英語は、まあ、読めないわけじゃない。
けど、理解するのにタイムラグがある。
わたしの英語はそんなぐらいのレベルだった。
それなのに、今は知らない単語が出て来ても、一瞬で文脈から意味を類推できるようになっている。
夏目漱石ですら絶望したという微妙なニュアンスの部分も、なんなら皮肉表現すらもわかる。
これも性転換した副作用なのかな。
男女の脳構造の違い?
うーん、どうにもしっくりこないけれど。
それより、もっとこう――
(脳内に増設されたコンピュータが勝手に翻訳してくれてるって表現すればいいのかな?)
自分の意識とは別に、他者の意識が潜在している感覚と表現すればいいだろうか。
少しだけうすら寒い。
『とか言ってたら視界が赤くなりました。ターゲティングされてますね』
・"この霧の中で獲物を見つける能力――まさか!"
・"知っているのか⁉"
『わータンマタンマ! ネタバレ禁止でお願いね!』
・"難しい英語読めとるやんけwww"
・"Ren、空を飛ぶ方法教えて"
・"どうやって空を飛ぶの?"
『難しい英語わからない! それより、来るよ……!』
霧が肌に吸い付くような気がした。
皮膚呼吸能力が衰えたかのように息苦しくて、自分の呼吸音がやけに耳うるさい。
そんな中、わたしの耳はわずかなノイズを拾っていた。軽快な身のこなしで、しかし強靭なストライドで迫り来る敵の足音だ。
『狼⁉』
霧をかき分けて飛び出してきたのは、皮膚がただれて筋組織が露出した四足の獣だった。
・"腐乱ウルフ!"
・"ハッハー! 最高にイカしたデザインだぜ!"
・"この狼嫌い……!"
・"ヒットアンドアウェイを霧の中でやられるのうざいんだよな"
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【旋回】発動
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ドッジロールの無敵時間が微増します。
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よだれをだらりと巻き散らしてむきだされた牙を、前方に転がることで回避する。
起き上がりに合わせて銃を構える。
しかしその時にはすでに狼の影は霧の向こう。
音はすれども姿は見えず。
(視界は依然赤いまま。必ずもう一度襲撃に来る)
どろり、と。
意識が溶けて沈んでいく。
世界から色が抜け落ちて、時間の流れが水あめのように粘性を帯びる。
ゆったりと時が流れるセピアの世界で、わたしの目が捉えたのは視界の隅にポップアップしたコメントだった。
・"Ren、後ろ!"
考えるより先に、肩から先が動き出してアサルトライフルの銃口を後方に構える。
視界で捉えたわけではない。
だけど、まるでこの目で見ているかのように、
周囲360度を見渡す天眼でも備わっているかのように、
わたしは後方から迫りくる腐乱ウルフの姿をはっきりと知覚していた。
「頭が高いわ。獣が」
気づいた時には引き金を引いていた。
リコイルが肩に負担をかける。
わずかに減少したわたしのHPバー。
それが、腐乱ウルフがわたしに負わせたダメージの全てだった。
・"はぁぁぁ⁉ 何故後ろの敵を狙撃できる⁉"
・"ノールックヘッドショットはエグイwww"
・"Renちゃんのこと天使だ天使だとは思ってたけど、まさか本当に人間を卒業していたなんて……!"
・"へいジャパニーズ! Renは最後になんて言ったんだい⁉"
・"頭が高いわ。獣が"
・"すました顔でシビレる事言ってたwww一生推すわこんなんwww"
打ち出された弾丸は、腐乱ウルフの脳漿をぶちまけていた。残存HPはゼロ。一撃のヘッドショットだった。
『このレベル30相当のアサルトライフル、Artemeres' Blessingが手に入るのはアヤタカガさんのところだけ! みんなもアルテマで武器を購入するときは立ち寄ってみてね!』
・"わかった"
・"乗るしかねえ、このビッグウェーブに"
・"やめとけ。このゲーム狙撃めちゃくちゃむずいから。当てるだけでも地獄。ヘッドショットを簡単にしてるRenのプレイヤースキルが異常なだけだ。俺はもう購入して試したからわかる"
・"行動力の鬼がいるな"
・"じゃあマジで後ろの敵をヘッドショットするRenは何者だよw"
・"Renってどっかの特殊部隊に所属してたの?"
『特殊部隊? あはは! ナイナイ! わたし生まれも育ちも日本だよ?』
・"そういえば"
・"どゆこと"
・"日本は軍を持たない"
・"そういえば聞いたことあるな、そんな話"
『わたしからすれば兵役がある国の方がちょっと想像しづらいくらいですね』
・"平和だなー"
・"もしも日本が戦争に巻き込まれたらいつでも僕のところに避難に来ていいからね"
・"バカ野郎、俺はRenを護りに行くぜ!"
・"スケールが小さいやつらだな。自分だったら戦争のない世界を作るね"
キミら本当に団結力高いよね。
楽しくって好きだよ。
『ドロップアイテムは……感染した爪牙に、混濁した眼、腐った肉。えー、ねえやだぁ。こんなの持ち歩きたくないんだけどぉ!』
・"かわ"
・"ここすき"
・"【駄々っ子Renちゃん.mov】"
・"仕事が早いwww"
・"よくやった!"
・"助かる"
おおう、わずか数秒の間に切り抜きが……。
いや、中身確認してないけど。
たぶん切り抜き。
うちには優秀な切り抜き班がいるなぁ。
『まあ、お金が無いので拾うんですけど……うへぇ』
触らないと回収できないシステムどうにかならないのかな。うわ、眼球って意外と硬い。
というか、これ本当に買い取ってもらえるのかな……。
『もし買い取ってもらえなかったら露店に出すので誰か引き取ってくださいね』
・"ガタ"
・"Renのぷにぷにした肉を買い取れるだと⁉"
・"Renの感染した爪牙は俺が貰う!"
「……国を越えてもうちの視聴者はへんたいさんしかいないじゃないか」
まあいいや買い取ってくれるなら。
気にせず荒城を目指して進もう。
「ん?」
進もうと思った足を止める。
進行方向とは異なる方角から、金属がぶつかり合う音を聞いたから。
『PvPですかね? ちょっと野次馬しに行っていい? いいよ、ありがと』
音を頼りに、戦闘が行われている地点へ向かう。
そこに、見覚えのあるプレイヤーがいた。
……そっかぁ。
いつか再会するかもと思ったけど、いま再会するのかぁ。
「ユウくん!」
「任せろ! 【影縫い】ッ!」
「ありがと! ユウくん愛してる!」
「俺もミーシャが好きだよ」
アルテマでわたしに魅力特化天翼種ヒーラーを地雷と称したプレイヤーとその彼女。
そのカップルが、背丈6メートルは超えようかという骸骨の騎士と戦っていた。