005.君を攫うために
結婚式が終わった夜。
エアネストからの手紙をもらって安心したアリーシアは、夫婦の寝室ではなく自室の寝室でゆっくりと眠った。
不思議なことに、侍女たちの様子を見ても、そのことに対して何も思っていない様子だ。
どんなに感情を表に出さないよう教育されていたとしても、さすがに完全に隠すことは難しい。
特に、表情の裏を読むことに長けた王族のアリーシアに隠すことは。
それに、専属侍女たちはアリーシアに親身に接してくれている。
通常なら初夜に夫が訪れないことは、女主人に同情を寄せるべきことだ。
それがないのなら、侍女たちは気付いていないのだろう。
これもエアネストの魔法だろうか。
こうして、アリーシアの公爵家での生活が始まった。
王太子付き文官の仕事は忙しく、フランツはアリーシアが夕食を摂る時間にも帰ってこないことが多い。
今は王女の結婚式に参列した外国の賓客も滞在しているから尚更だろう。
王族としての公務もなくなり、結婚式直後であるためお茶会や夜会の招待もまだ少ない。
アリーシアは久しぶりのゆったりとした時間を過ごしていた。
ただ身体を休めるだけではなく、これからのことを考えて刺繍や読書に集中した。
刺繍は淑女の嗜みだが、おそらく売ることができるはずだ。
孤児院に寄付するという名目で用意してもらった、平民が使う生成りの布に、あまり高価ではない糸で刺繍を施す。
ハンカチや小物入れ、リボンやショール。
どういう物が使いやすいのか、欲しいと思う人が多い物は何か、公爵家に仕える使用人の中でも平民の下女や、出入りの商人の話を侍女に聞いてもらったりして情報を集めた。
領地の勉強をしたいと、周辺地図や領内の物価の変動をまとめた資料も読み込んだ。
公爵家の領地を知りたいというアリーシアの思いは歓迎され、執事からも色々な話を聞くことができた。
そうして何日か経った日の夜。
もう休もうと、寝台で読んでいた本を片付けようとしたときだった。
数日前と同じく、不意に目の前に小さな光が現れ、アリーシアに近づいてきた。
エアネストからの手紙だと察して光に向かって伸ばしたアリーシア手に、ふわりと落ちる。
「愛しいあなたへ」と始まるそれに、苦しいほどの想いが胸に広がる。
──明日の朝、具合が悪いと言って部屋に籠もってほしい。
──医師が向かい、疲労からの不調だと診断するだろう。
──結婚式の準備でしばらく忙しかったと知っているから、周りもそれに納得する。
──静かなところでゆっくりした方がいいと医師に進言させるから、それに従ってシュタルク領へ向かってほしい。
──俺がすべて準備するので、ひと月ほど領地でゆっくり過ごして。
──……早くあなたの側に彼がいない状況にしたくて、気が急いている。
──あなたの願いを叶える魔法使いより
差出人を、アリーシアが手紙に書いた言葉で返してくれている。
確かに受け取ったと伝えてくれる気遣いが嬉しい。
領地で過ごす期間を教えてくれてほっとした。
残りの時間が解っていれば、楽しみに待つことができる。
自らがやるべきことも、漏らさずできるだろう。
用意した刺繍のいくつかは残し、残りを持ち出しても怪しまれないように考えなくては。
服だって少しは持って行くことになる。
領地へ行くための荷物は、それを考えて用意しよう。
ああ、向こうへ行って少し経ったら、ある程度回復したからと街へ行くのもいいかもしれない。
エアネストと同じ「愛しいあなたへ」で始めて、返信を書いた。
──知らせてくれてありがとう。
──わたくしも王都より領地で過ごす方が安心できるから嬉しい。
──わたくしもわたくしなりの準備をして、あなたを待っているわ。
──あなたの光に導かれて、迷わずに進んでいきます。
淡い光となって言葉を届けてくれる魔法と。
エアネストの言葉が、アリーシアにとって光そのもの。
いくら本で学んでも、きっとエアネストに迷惑をかけてしまうだろうけれど。
それでも、未来に光を灯してくれたエアネストを信じている。
*
翌朝、不調を訴えたアリーシアのために医師が呼ばれ、疲労によるものだろうと診断した。
あまり酷くならないうちに、静かな場所で静養した方がいいだろうとも。
幸いシュタルク領は王都から馬車で一日かからない場所にある。
身近な静養地として貴族から人気の土地だ。
静養にきた人々が気兼ねしないよう、領館は貴族たちが訪れる街とは違う場所にある。
領館に滞在しても、人付き合いが必要になることはないだろう。
発熱などはないため、フランツからの許可もすぐに出た。
そうして、明日には領館へ行くことが決まったのだった。