001.君を見つけた
アリーシアはブルーメ王国の第一王女として生まれた。
尊敬できる父王の治世下では戦もなく、周辺国との関係も良好だ。
兄である王太子も優秀で、これから先の国にも不安はない。
王女として時に戦を起こさないために、顔も知らぬ敵国の王族に嫁ぐ可能性があったことを思えば、婚約者が国内貴族の嫡男で幼馴染みとも言える相手であるアリーシアは幸せだと言えるのだろう。
婚約者と、友人と言える情すら互いに抱いていないのだとしても。
叶わぬ想いに眠れぬ夜を、これからも数えるのだとしても。
*
アリーシア=フォン=ブルーメ王女と、国内でも力ある公爵家の嫡男であるフランツ=フォン=シュタルクの結婚は、二人が幼馴染みと言える間柄であろうと正しく政略結婚だった。
むしろ、政略結婚のための相手だからこそ、幼い頃から顔を合わせる機会を設けられていたと言える。
正式に婚約を公表する前から、情勢が変わらなければ二人が結婚することは決まっていた。
そのため、アリーシアの身近には、婚約者の他に家族以外の同年代の異性はいなかった。
王太子である兄にはやはり同性の近衛騎士や側近がいたが、王太子を支えるべく選ばれた優秀な彼らが、王女にむやみに近づくはずもない。
それでも。
数年前から、アリーシアは恋をしていた。
決して叶うことのない恋を。
叶えてはいけない恋を。
切っ掛けは些細なことだった。
絆を深めるためにと決められた、月に一度の婚約者とのお茶会の帰り道。
自室へ戻る途中に、同僚と話している彼を見かけた。
王太子付き近衛騎士、エアネスト=フォン=ヘルシャフト。
見たことのない、弾けるような明るい笑顔。
いつも王太子の側近く控えている時とは違う、柔らかな表情。
すれ違っただけだったのか、互いに軽く手を挙げアリーシアがいる回廊の方に身を向けた彼の、初夏の日差しを浴びて輝く、その日の空と同じ蒼い瞳に見惚れた。
あぁなんて……なんて綺麗。
気が進まない婚約者とのお茶会で見せられる、なんの感情も浮かばない氷のような薄い青とは違う。
普段見かける仕事中の彼の、鋭く濃い蒼とも違う。
その透きとおった空の蒼が、どこか懐かしく……好きだと思った。
あんな笑顔を、綺麗な蒼を、アリーシアにも向けて欲しいと思った。
思ってしまったのだ。
解っていたのに。
そんな想いを持ってしまえば、辛くなるのは自分。
誰にも打ち明けられない。
伝えることなどできるはずもない。
視線に想いが滲むことすら、許されはしない。
彼は名家ではあるが、伯爵家の三男だ。
アリーシアにもし婚約者がいなかったとしても、自身は騎士爵でしかない近衛騎士の彼に嫁ぐことなど許されない。
だからせめて、独りの夜の……あなたの髪の色のようなこの暗闇の中、あなたを想うことを許して欲しい。
あなたを見てしまった時に溢れないように、この涙に想いを溶かしてしまえるように。
*
アリーシアが成人の十六歳を迎える年の、社交シーズン半ば、過ごしやすい初夏の頃。
ブルーメ王国第一王女アリーシア=フォン=ブルーメと、二十歳になる公爵家の嫡男フランツ=フォン=シュタルクの結婚式が執り行われた。
爽やかに晴れた空に亜麻色の髪が映え、この季節を象徴する新緑の瞳が鮮やかに光る。
もとよりその愛らしさは有名だったが、アリーシアのためだけに用意されたティアラとベールがどこか浮世離れした印象を与え、まるで妖精かと思われるような美しさだった。
隣に立つ夫となるフランツの漆黒の正装も、煌めく金の髪と薄青の瞳をより豪奢に見せていた。
祭壇で誓いを立て、教会の正面で国民の前に姿を見せた美しく似合いの二人は、そこかしこから感嘆のため息を誘う。
そんな人々に微笑みを浮かべて手を振り、二人は結婚披露の舞踏会が開かれる王宮へ向かう馬車に乗り込んだ。
馬車の中で、二人の間に会話はない。
窓から見える国民へにこやかに手を振りつつも、会話ができないという状況ではないにも関わらず。
他に誰かがいれば取り繕いもするが、二人きりの時にまともな会話を交わすことは滅多にない。
アリーシアが六歳の頃から定期的に会っているが、初対面の時からフランツは口数が少なかった。
幼い無邪気さで、最初のうちはアリーシアも仲良くしようとがんばってはみたが、時間が経つにつれ改善されるどころか、ますます会話が成り立たなくなっていき……十歳になる頃にはさすがに諦めてしまった。
フランツは現在、王太子付き文官として王宮に伺候しているが、幼い頃から頭が良かった。
成人する前には、すでに文官として一人前になっていたはずだ。
アリーシアとフランツは四歳違いとはいえ、そんな彼にとって「小さい子供」の相手など時間の無駄にしか思えなかったのだろう。
まったく会話がないならともかく、少ないというだけなら、誰に何かを言われることもない。
でも、それでも。
これから夫婦となる人との、結婚式を終えてすら変わらない冷たい関係に、心が凍り付いていく。
今、自分は……微笑えているだろうか。