ABS_04(お願い)
先生の許可を得て、帰りの会で席を立ち、みんなの視線が集まるのを感じながら、どこへ向けたか困った視線を、ハンパな教室の隅に向け、「如月さんは、本当に怖い」ちっとも援護にならぬ言葉で始めた。「ごめんなさい、なんか本音が出ちゃいました」
笑い声。汗をかきかき。いくらテンパったからって、味方撃ちにも程がある。なのに、「いや、本当です。わりとあぶれ者気質だし、真顔でデコピンしてくるし」重ねて何を云っているのだ、あたし。落ち着け。何を語るか、準備したでしょ、脳内で。何度も。腹を括れ。
咳払いで仕切り直し。「今、作っているのは学級文集です。卒業文集じゃない。予備も含めてたったの四〇部程度の小冊子。
「過去の分を見た人なら知っていると思いますけど、中身は自由です。呼び名は文集だけれども、漫画もイラストも、挿し絵のついたコント台本だってある。
「年度ごとの違いはあっても、中身は本当に好き勝手。だから、あれはダメで、これはいい、ってことはないです。強いて云うなら、全員提出。これが絶対条件。罰則はないけれども、たったのひとりでも欠けたら、学級文集の根幹、屋台骨が折れたことと同じです。だって、一ページ目の前書き、先生が書いてくれるんですよ。なんだかタイムカプセルみたいだなって思いました。この一年を封じ込めたもので、たとえ同じ人たちで一年後、あるいは一年前に作ったとしても、絶対に同じものにはならない。
「原稿の出来不出来の判断。もしそれを自分に委ねられるって云うのなら、どんなに非難されるとしても、役目、降ります。辞めます。だって無理だから」
あたしは一息入れ、メモを手に取り、続ける。「憲法に、出版の自由ってあります。それは──第二十一条、集会……うんぬん、出版その他一切の表現の自由は、これを保障する。検閲は、これをしてはならない。通信の秘密は……侵してはならない?」
なんで語尾上がりで、疑問系になってしまったの。てか、これって奴さん折紙の中身、抵触するんでない? エエイ、余計なことを考えないのよ、とにかく続けなさい。
「つまり、なんでもOKです。保障されています。これが文集に当てはまらないわけがない。
「この条文は憲法第三章、国民の権利と義務にあります。いわゆる自由には責任が伴うというやつで、だから今、作っているのは学級文集なので、この屋台骨が揺らぐようなこと、すなわち責任のないこと、義務を果たせないことはNGです……だと、自分は思います」
あたしは、自然とクラス全体を見渡していた。
「では、なにが駄目なのか。なにが無責任なのか。いや、駄目でなくて、何が問題になるのか。それはさほど難しいことでないはずです。
「たとえば将来、このクラスの中から、ちょっと有名になったり、悪いことして目立っちゃったりした時。自分のページが、どこからか流れるかも、っていう観点から見れば各々で判断ができるのではと思います。
「予備を含めても四〇部。なのに卒業とか引っ越しとか、捨てたのに拾われたり、どうなるか分かりません。そう考えると、文集って先生が仕掛けた時限爆弾だなあって思いました」
みんなが笑った。先生を見たら、にやにや笑ってて、どう捉えていいのか分かりません。
「他薦されたあたしが云うのは、表現の自由の侵害だと思うし、実際そうだと思う。そもそも、誰かがダメですって判定することがおかしいはず。だから、自由の責任の所在は、自主規制と云う曖昧で良く分からない基準に委ねられるのではないでしょうか。
「出版の自由は校則と同じで、そこに所属する皆で上手にやっていくための方便で、だから、絶対的に正しいことに、直結しない。けれども、その方便をないがしろにしてよいのでしょうか。
「この原稿は適切だろうか。掲載していいだろうか。学級文集に相応しいのだろうか?
「迷ったら、自分の胸に問いかけてみてください。それでも分からなかったら、自分が信頼している人に相談するのがいいと思います。どうかな、って。
「学級文集だから、できることは幅広い。卒業文集だったら、もっと怖い先生が出てくるし、だから、たぶん、悪い云い方だけれども、誰も変なものを提出しないと思う。内申に響く真似までして表現したいことって──不適切な表現だと思うけれども──天秤に掛けて、日和るはず。なにも波風立てることもない。
「でも、学級文集は? 内容に対する明確な線引きは、やはりできないし、ありません。
「表現は自由だし、侵害できません。けれども、自主規制があります。それは日和ったことでもあるかもしれないし、自由の対価である責任の在り方なのかもしれません。
「なんでもあり、は、なんでも良いでなく、公序良俗とか公共の福祉とか、人間の善意を信じて、皆でそれなりに世界を回していこうよ、ってとじゃあないかなって思います」
あたしは続けた。立板に水というわけにはいかなかったけれども、長広舌を振るい続けた。
「自分は推薦されただけで、だから実際ぼんやりしているけれども、一緒に準備してて分かります。文集係は、真剣に取り組んでいます。目標もあります。いいものを作る。
「いいものの定義は、それぞれにあると思います。けれども学級文集なのだから、面白い方がいいに決まっている。おふざけも全然ありです、むしろ歓迎だと考えます。
「だから、権利を侵害したのでも、検閲したのでもありません。おふざけを怒ったんじゃなくて、態度、姿勢を怒ったんだと思います」
なんであたしはこんなことを話しているのだろう?
「如月さんと話した人は分かっていると思います。いつでも相談に乗ってくれるし、過去の文集もいつだって貸し出しをしているし、参考になっているはずで、とにかく熱意がすごい」
どうやら──疑いようもなく──あたしもその熱意に当てられたクチなのです。
「いくつか、原稿の下書きを見せてもらっています。面白い原稿が集まる予感がします。だから、そんなひとたちの気持ちを大切にしたいと思ったんだと思います。
「どうせやるなら、いいものを作りたい。そのことは知って欲しいと思います。これも学級文集を作るための屋台骨のひとつだと思います。いいものを作りたい。違いますか?」
あたしは、まっすぐクラスの皆の顔を見ていた。
「よくないものを作るのは、いいものを作るよりも、ずっと難しい。わざわざ悪くしてやろうって考えなきゃいけないから。それってすっごく面倒なことです。その悪意の対価は何ですか?
「だからって、いいものが作れるわけでもありません。いいものとは、結果として顕現する概念だから。
「原稿を集めて、並べて、印刷して、製本して、配布されてからやっと、いいものか悪いものか、どちらでもないか、それでも確定する保証がなくて。人によっても、良い悪いの基準は異なる。だったら、精一杯、やるしかないじゃないですか──無償の善意で。
「どうして自分が指名されたのか、未だにやっぱり分かりません。図書委員だからって理由が、文集の編集の何の役に立つのでしょうか。一度、訊ねてみました。嫌がらせだって答えられました。ひどいですよね。どうやら、こっちの逆指名は、図らずも嫌がらせの報復になったみたいです。
「互いに嫌がからせから出発した文集係ですけれども──如月さんに、いいものになるって云われました。買いかぶりかもしれないけど、応えなきゃって思っちゃって──つまり、あたしは如月さんに呪われたんです」
みんなが笑った。鏡見くんも笑ってるのが見えた。
「面倒くさいし、実際、すんごく面倒だと思う。締め切りの前には期末もあるし。だから、無理にとは云えないし、云える立場じゃないけれども、少しだけ、文集のために時間を割いて欲しいと思います」
あたしは息を吐いて、最後に、「文集係からのお願いは、それだけです」頭を下げて、締めた。
帰りの会が終わって、あたしは荷物をまとめ、保健室へと向かった。
如月さんは布団をすっぽり被ってて、さらさらの髪のてっぺんしか見えない。
「鞄、持ってきました」あたしは声をかけた。「帰りませんか」
如月さんは、小さく身じろぎしただけで、構うなオーラを発散させてた。
「たぶん、みんな分かってくれたと思います」
当て付けのような太いため息ついでに、如月さんは「何を」と訊ねた。
「今日の午後、授業をサボったこと」
「サボってない」
「そうですね」
「そう」
「帰りませんか」あたしはまた誘った。
もぞりと、如月さんは、あたしに背を向ける恰好で、起き上がった。
髪がはねてた。手櫛で直した。でも、今まで寝てましたってのが丸分かりで、なんだかおかしかった。
「なによ」如月さんはむすっとしてた。むすっとしながらベッドから下りて上履きを履いた。
「なんでも」ないです。ってあたしは如月さんの荷物を差し出した。
如月さんは制服のスカートをはたき、上着を着て、コートを着て、ボタンを留めて、鞄を持った。
「帰ろう」もういちど誘って、保健の先生に挨拶をして、あたしたちは下校した。