ABS_03(やっこさん)
「嘘なのか」
初めて聞いた、みたいなしらばっくれは、なかなか堂に入ったものでして。そこであたしは推理を披露する。
「本を読んでるときの姿勢がいい。前の席の時に、移動を申し出なかった。それに如月さんなら、コンタクトよりも眼鏡を選ぶ」そして、と、続ける。「くじ、引きたくなかったんでしょ?」
如月さんは、ほう……と、感心したようなに目を細め、「半分、当たりってところかな」
「どのあたりが?」
「くじ。変な席になりたくなかった。前列は競争ないからね。目は良いというほどでもないけれども、悪いというほどではない。ほとんど度の入っていない眼鏡は確かに持っている」
「ふうん?」
「まぁ、方便だね」さらりと云う。「前列ならたいてい希望通りになるし、くじを引く手間もない。変な席になるよりも、そっちのほうが都合が良い」
「嘘ッぱちってことですか」
「全部が嘘ってことでもない。生まれつき左の耳、よくないから。教壇を右にした左の窓際なら不便がない」
「そうだったんですか!?」
「そう」如月さんは自分の頬っぺたをちょっと掻いて、「左後ろから声をかけられても気付かないことは、まあまあ、ある。肩を叩かれて驚かされるくらいには」
ああ、それで。如月さんに声をかけたのに無視された、聞えなかったのかな、みたいな話があって、なんとなしに、誰も声をかけるようなことがなくなったのか。
「ひとに云わないでよ」如月さんが釘を刺した。
云うわけないじゃないですか。それでも、「うん」あたしはきちんと頷いた。
あたしの知らない如月さんが、形を作っていく。
「よし」如月さんは宣言した。「いいもの作ろう」熱意、すごい。
それから先も早かった。とにかく早かった。次の学級活動では、原稿の作り方の手引きを一枚にまとめ、配った。タイトルも決まった。それはこうだ。
〈航路~わたしのクラスの物語~〉
「だっせぇ」あたしは心底、思ったことを口にした。
「投票だから、曲げられない」
「民主主義って最悪ですね」
「共産主義は理想だけ」さらっと如月さんは云うけど。
「なんかいろんなところから怒られそう!」
「怒らせておけばいい、知ってるでしょ、あなたなら」
まあ、そうですけれども。そうなのか?
表紙は、もっと簡単だった。美術部の鏡見くんが選ばれ、本人も不満は疎か、積極的に協力してくれたのでした。偉いなあ、と、あたしは彼を見直した。
けれども、原稿はそう簡単にはいかなかった。
「何を書いていいのか分からない」女子が来る。如月さんは、資料という過去の遺産を貸し出す。「どう書けばいいかわからない」男子が訊ねる。如月さんは、内容だけでなく、印刷機の特性、印刷範囲、平綴じの注意点にまで至る技術面でも助言する。ますます、あたしはお飾り気分になったのだけれども、「神輿は軽い方がいいってよ」褒めてるのかくさしてるのか。でも、適材適所と、あたしは思う。みんな、如月さんを頼りにし、如月さんは、とても頼りになる。学級文集は、如月さんを中心に、まわっている。
お昼休みに、またもやクラスのお調子者が問題を持ち込んだ。なぜそれで良いと思ったのか。あたしには分からない。お調子者の論理はを理解しようとするのは、無駄なことなのだと、あたしは思う。
如月さんは、違った。
「なんだこれは」
仲村が出した原稿は、汚い/よれてる/いい加減な出来で。マジックで書いただけの一文字の「あ」。本当にバカじゃなかろうか?
「真面目にやれ」如月さんの声は硬かった。
「これでいいって云ったぞ?」
「いいとは云った。でも、なんだこれは?」
「見てのとーり」
「見ての通りだな」如月さんが立ち上がり、仲村を見下ろす。
「これを良いと思うのか、本気だというのか」
怒鳴ったわけじゃない。なのに、如月さんの声は、教室中にはっきり響いた。教室が、しんと静まり返った。
「バカにするな」
一歩踏み出した如月さんは、相手の肩を小突いた。たいした力で無かったと思う。けれども、女子から反撃を喰らうことを予期してなかったのだろう、たたらを踏んで、机にぶつかった。浮いた足が椅子に引っ掛かり、ガタンッてひときわ大きな音を立てた。
「いい加減にししろ」
如月さんはそう吐き捨てると、さぁっと潮が引くように、教室から立ち去った。
午後の授業に、如月さんの姿はなかった。
あたしの制服のポケットに、奴さんの形に折られた紙片が入ってる。鏡見くんが、そうと分からぬように、あたしに握らせたのは、奴さんだけに、誰かさんの書いた回状で。筆跡から特定できたろうけれども、問題はそこじゃあない。
──如月さん、怖くない?
わざわざ紙に書いて触れ回るほどのことだろうか。
如月さんにとって文集は何なのか、未だあたしは分からない。けれども、すごく真剣に取り組んでいるのは、誰よりも知っている。その熱意が、まるで独裁の女王陛下のごとしに思われるのは、同じ係の仲間として心外で、だから、あたしは自分の役回りを、はっきりと認識した。