ABS_02(嘘だよね)
そんな感じで、まだ実作業に入る前の助走期間という感じで。なのにあたしは図らずとも如月さんとつるむ感じになりまして。その日は図書委員の当番で、放課後の人気のない図書室で如月さんが、悪くいえば駄弁っていた。
「あのですね」と、あたし。「ご自宅にお招きする前にお訊ねしたいことがあるのですが」
「なに」過去の文集から顔も上げずに如月さん。
「改めて思うに、如月さんのこと、あたしよく知らない」
すると如月さんは、ほう……と、感心したような、視線を向けた。「確かにそうね」
例えば、如月さんの右手、人差し指と親指の間に、ちいさなホクロがある。それだけだ。
だから、「そうなのです」
「何が知りたい?」
訊かれて、あたしが考え込む。「如月さんの個人情報?」
「身長5フィート7インチ、体重121ポンド」
なにその単位? 嘘でもデタラメでも、優しさを感じない返答には、いささかイラッとさせられるものです。如月さんは続ける。「スリーサイズは上から50・50・50」
「インチなの? センチなの?」
「寸胴に見える?」
あたしの視線を如月さんの首から胸、更に下へと──、「いたっ」
デコピンを喰らった。喰らいました。「なにするんですか」
「冗談だから。真に受けないで」
「だからって、」ひどいです。あたしはおでこをさすりさすり。かなり痛い。
「他に質問は?」
「好きなものとか、血液型とか、あと──」
「好物はエビ、苦手はカニ。血液型はA。占いは信じないけど、あなたはO、もしくはBまたはBO型」
あっさり云い当てられて、なんだか悔しいのはどうしてなのか。
「本当に? 当たるものなんだな、占い」
ぐぬぬ。一所懸命考えた、とかだったらまだしも、余計に悔しいです。だから、あたしの心は諦観の域に入りかけておりまして、「分かってます」素直に信じたと思われたのでしょうか。それでも、「なぜ、うちなのでしょうか」
「こっちは開かずの間があるので、客人をお招きするようなお宅でないよ」
「家捜しなんてしませんが!?」
「入るな、といわれて素直に従う物語ってないよね」
「まぁ……そうだけれども」
青ひげとか鶴の恩返しとか。でも、開かずの間なら、どの家にも大なり小なりあるものでしょうに。うちだって似たような部屋というか納戸があります。どうせ担ぐのなら、もうちょっと面白いネタであって欲しい。
「如月さんのおうちって、大きいイメージです」
「まあ、そうなるのかな。マンションの角部屋だし」
「何階?」
「六階」
「いいところだ!」
「でもダメ。休日はパ……父親がいるし」
「いま、パパって云いかけました?」
「云ってない」
「パパさんは何をしてる人?」
「教えない」
「分かりました」素直なあたしは引き下がる。「あたしのうちで、打ち合せしましょう」
ぷ、と如月さんが吹き出した。おやあ?
「なんでもない」きりっと如月さん。「それで? さっき云いかけた、他に訊きたいことはなに?」
「……如月さんは、あたしのお友達でいいんでしょうか」
「それはお互い様。どうして、あなたはぼっちなの?」
それを語るほどに、あたしは互いに突っ込みたいのでしょうか。それがお友達の必要条件なのでしょうか。
「無理に話さないでいいよ」と、如月さん。
「うん──」どうでしょうか。話しておくべきでしょうか。そもそも、話すべきことでもないようにも思います。
以前、お父さんと、「本気の悪意」について話し合ったことがある。「相手がそうと決めたら、それを止める手だてはない」。家の鍵はもちろん、門だって窓だって無力だ。相手が本気なら、どんな手を使ってでも、破壊する──物理的にも精神的にも──ヒトをヒトとしてたらしめる尊厳さえも。話の枕は、囚人と看守に分けた「監獄実験」だった。それぞれに役目を与えた実験は看守は尊大に、囚人は卑屈に、権力の肥大と尊厳の剥奪。子供に聞かせる話じゃあない。
そして「誰もが大きな自由よりも、じつは伸縮リードのついた首輪」のほうが安心を得られる場合があるとも。
「少しの不便を受け入れ、それなりの自由に妥協する」、勝ち取るという価値観は「作られた幻想」。なぜなら、それなりの自由も「誰かに与えられた範囲」に留まる。「人間の想像力は無限だとしても、個人に見えるのは目の高さまで」、それ以上は文字通り「背伸び」になる。そして、本棚から取り出した二冊の本を引き合いにし、「暴力は多くを決着に導いた」それを否定できるだろうか?
──憲法に、武力による紛争解決を放棄する、という一文がある。そのための戦力を保持しないと続く。
「同時に、武力を保有することは、成立する」と、お父さんは続けた。「それは塀を立て、鍵をかけることや、門を作ることと変わらない」
それらが壊されてなお、紛争の解決とはなんぞや、などと云えるだろうか。「相手の土俵に乗ってはいけないとは、慣用句のようなものだが、だからって相手はしつこくちょっかいをかけてくる。ひとつを見過ごせば、ふたつは図に乗ってくる。そうしてみっつよっつと足を突っ込み、手を伸ばす。何処かの時点で折り合いをつけるしかなくなる。母屋を乗っ取られるか、全力で対抗するか」お父さんは指を組んでは解いてを繰り返し、「話し合って解決できるのなら、最初から相手の領土にちょっかいをかけるなんて真似をするだろうか?」と、娘を見て云った。
「本気の悪意と対峙して、生存や人権を侵害されなお守るべきものとは何だろうか」
あたしは黙って聞いていた。
「母さんの教えに反するが」お父さんは云う。「戦うか、逃げ切るか、鈍感になるか」しかし、「自分ではどうにもならないとき、誰かに助けを求める道があることも忘れないで欲しい」と云った。それが解決になるかどうかは分からないが、糸口になることが期待できる。「たいていの物事は、実際には単純だ」最後に、〝オッカムの剃刀〟の使い方を教えてくれた。
あたしは、あたしなりの結論を得て、実践した。小学四年の教室で。勝ち負けはないけれども、以来、クラスで起きてたあたしに対する面倒は止んだ。大切なのはそれだろう?
お父さんの話は、絶対的には正しいといいきれないところもあるけれども、相対的には正しい部分がある、と、あたしは信じている。だから、両親が揃って学校に出向いたことを、あたしは恥ずかしく思うし、申し訳なく思うし、悪いことをしたって理解しているし、反省もしている。
でも、一方で、あたしの中には、新しい価値観が生れた。
如月さんに、悪意はない。でもヒトは、自覚のない悪意を持つことがある。
*
下校の準備をして、並んで図書室を出ると、やっぱり如月さんは、何フィートとか云うだけあって背が高くて、対して自分がちんちくりんとは思いたくないけれども、頭ひとつ分も差があるのを再認識した。たいへん健康状態のよいお子さんですね。ええ、自慢の娘です。
「如月さんって、お誕生日は三月?」
如月さんは、ほう……と、感心したような、視線を向けた。「根拠は?」
「お名前がやよいさんだから」
すると如月さんは、ほほう……と、感心したような、でも、賞賛しているわけでもない、妙な視線をくれた。
「たいした推理でもないね」
「そうですね」
「当たりだけど」
「やっぱり! 何日?」
「一日。日付をまたいで生れた。二月か三月か、どちらにするか訊かれたらしくて。臍の緒が取れたのは三月だから、そうした」
「奇跡だ。その名字でその名前」
「だからって如月の弥生って、ひどくない?」
「ひどいひどい」笑った。
「ひとの名前を笑うなよ」如月さんも笑った。
「ごめんごめん」
それが余計におかしくて。今度はふたりで決壊した。笑いの防波堤はもうグズグズ。
帰宅して、早速あたしは自分の間抜け具合を目の当たりにした。ああなんで。連絡先交換という人類にとっては小さな一歩でも、個人にとっては大きな飛躍を成し遂げたというのに、時間を決めていなかったのでしょうか。如月さんは携帯電話の電源を切ってるから「繋がらない」って。「うるさいのは嫌い」とても如月さんらしいのですが。いささか困りものです。「そもそも鳴らない」誰かさん所有のものとそっくりで、ぐうの音もでません。
だから「これ」と教えられた二つ目の番号はご自宅のもので。如月さん情報を手に入れたことに喜んで、嬉しい気持ちに引っ張られ、失念したとは。
いざという時に場合に備えて、番号の交換をしたのに、そのいざが直ぐに来るにしたって。お恥ずかしいこと、この上なし。とはいえ、まあいいのです。自分のことを棚に上げて、如月さんも、同罪で、あれで実は抜け作なのです。それが少しおかしかったけれども、お家にお電話するというのは、思う以上にハードルが高いものなのです。
まず電源が入ってるに賭ける。負ける。圏外か電源が入っていないか。もちろん後者だけれども、如月さんなら、なんとなく独自のエリア内(圏外)にいるような気がします。例えばそう、「如月力場」とか。あらゆる電波を跳ね返す観測不能領域。上陸は早くても来世紀になると予測される。
しかたないとお腹を括って、自宅の番号を選択し、通話ボタンをえいやっと押す。確率は二分の一。出ないを含めれば、三分の一。本人か、お父さんことパパさんか──不在か。
「如月です」お父さん、出た。「もしもし?」
「如月さんは──」ばかっ、みんな如月さんよ。あたしは唾を飲み込んで、「やよいさんは、あたし、同じクラスの、」
「はい、代わりました」
云い終わらないうちに如月さん。「何かしら?」
「明日の時間なんだけど──」
「早く行くと迷惑でしょ。お昼過ぎで、」
了解しました。
あたしは長々と溜め息をついて(作戦完了)、部屋を出て、居間でお父さんと一緒に映画を観ていたお母さんに、「明日、友達来る」って告げたら、「男の子?」
「違いますぅー」
「男の子!?」
「違いますぅー」
なぜにわが家は両親揃ってこうなのか。
お母さんは「よいせっ」と立ち上がって、キッチンに向かいながら、「おかーさん、明日はお菓子作りたい気分なのだけれども。その子、」
「如月さん」
「如月さんは、甘いもの好き?」
さぁ、どうだろう。「たぶん」嫌いな人は、まあ少ない、と思う。
「お父さんは?」
「プラモを積み崩す。作業台の上を少し動かすけれども、そっちの邪魔はしないし、そっちも邪魔をしない。オーケー?」
「オーケー」異存などございませぬ。して、その罪は、「機械獣? 機動戦士?」
お父さんは首を振る。
「もしかして姫プラ?」
だったら強奪確定。あれは女の子のためのプラモデルで、男の子はすっこんでて頂きたい。何故なら、かわいい武装女子(魔法少女はステッキで戦う)の組立モデルだから。女子のための女子プラで、その名の通り、自分だけのお姫さま(或いは姫騎士)を作ることができる。女の子分と武装分でパーツ数も多く、他と比べてわりとお高いので、なかなか買ってくれないのです。あと、中学生は対象年齢(15歳以上)に届いていないだけあって、お値段以上に難しい。軸とかピンとか、ABS。姫さまは非常に繊細。武装はごつい。あとパンツ見えてる。ボディスーツってことになっているけど、「フィギュアスケートと一緒である」との文言に「なるほど」確かにと、一度は納得したものの、やはり少し不健全な気がしないでもないけどかわいいのでヨシ。
「はずれだ」と、お父さんは一息溜めて、おもむろに(劇的に)「ミニチュア」
「塗りかけだよ!?」
「娘の積みを横取りするかっ」お父さんは、わりと真面目に怒った。それから自慢げに、「英国輸入のレジン製」高かったんだぞって。
「何それ、黙ってたの? お母さん! お父さんがまたプラモ増やした! お父さん、買ったの見せて!」
「やらんし、レジンはプラモと違う!!」
どうせねだれば、お父さんは、あたしに組ませてくれるのです(もちろん全部というわけでないけれども)。心優しい娘としては、ゲート処理までは済ませておくのだけれども。
「お父さん?」ふと、あたしは訊ねていた。「眼鏡、変えた?」
お父さんは、うん、って感じで頷いて(子供みたいって思った)。
「今まで見えたもの、普通だと思ってたことが、ちっとも普通でなくなった」
「ルーペ、使ってなかった?」
「足りないんだよ」ってやっぱり、小さな子どもみたいに(今度は)薄く笑った。
指をぴんと広げて、手を伸ばして、「当たり前って、実は残酷な言葉だと思ったよ」
なんだかちっとも分からない。けれども、キッチンでお菓子の材料を確認しているお母さんは──聞こえているのか聞こえていないのか、聞いていないふりをしているのか──さあらぬ体でいるから、何も応えなくて良いと理解した。「大丈夫」だとか気休めの言葉よりも、沈黙の方がずっといいことって、ある。
それからあたしは、夜だというのに部屋の掃除と片づけをして、お迎えに備えた。本棚の整理もした。完成した模型だの小物もきちんと揃えて並べた。作業中のパーツ類は、箱の中に部位ごとに綺麗に並べて、背伸びをして、棚の上に置いた。ベッドのお布団は、朝、起きたらきちんと整えよう。脳内メモにきっちり書き込んだ。シーツも交換だ。それから窓を開け、空気を入れ替えようとしたけれども、夜の冷気に震えて、断念した。くさいとか思われないだろうか。それが一番の心配。
お家には、それぞれ違った匂いがあって(お婆ちゃん家とか)、住民には分からぬものです。こればっかりは定量化できませぬ。あれ? そうなのかな? もしかして(匂い測定器)ありそう。なんなら、お父さん、持っていそう(なにしろあの父である)。訊ねた。持ってなかった。でも実在した。ちょっと欲しかった。でも今の今で使用したいので諦めるのです、あたし。己の鼻を信じるしかないのです。明日は起きたら窓全開、午前中いっぱい換気せよ、と脳内メモに追加して就寝。
翌日、約束の時間ぴったりに如月さんのご来訪。通学コートの下は、グレーのパーカーに色落ちしたブラックデニム。男の子みたいな恰好はとても似合っていて、黄色いキャンバスシューズの取り合わせを可愛く思った。お母さんが顔を出し、ご挨拶。お部屋に通して、クッションをすすめて、お茶を出した。
立ったままの如月さんは、まるでそれがお作法である、みたいな感じで、まず部屋をぐりっと見て(場合によっては不躾とも取られる感じで)、本棚のプラモデルに目を留め、ああ、と何か納得したようで。
「なんですか」わざわざ訊ねてしまうのが、負けのような気がしないでもないのですが。
如月さんは腰を落とし、プラモデルのロボット(砂漠仕様の迷彩柄塗装に砂地のベース、ロングレンジのビーム小銃を盾で支え、輝き構えた情景模型)に目線を合わせ、「ときどき爪の根元がカラフルだったから、絵でも描いているのかな、と」
「うん、まあ」バレてたか。少し照れくさく思った直後、「ちょっと !?」
模型にデコピンをしようとするのをやめさせました。
「冗談よ」さらりと如月さん。
「やっていいことと、悪いことがあります」むすっとあたし。
「ごめんごめん」反省しているのか、どうにもあやしい。笑いながら、「こういうの、好きなの?」
「お父さんが好きで、いっぱいあって。不登校時代に好きにしていいぞって。アニメを見ながら作ってた」
なるほどって感じで如月さんは頷いて、「子供に自分の趣味を理解させる近道か」
「ソウデスネー」
我ながら、気のない返事をしたもんだ。
「お父さんと仲いいんだ?」
そう云って振り返った如月さんは、余計な一言を口にしてしまった、みたいな顔をしていて。あたしは慌てて、「違うよ」って云った。「大丈夫」
それでも如月さんは、バツの悪い顔のままで。
だからあたしは、「気にしないで。ちょっと、その、」
ちょうどいい言葉を見つけられなくて、だから肩をすくめて(分かるでしょ?)みたいな感じで取り繕ったついでに、「坐りませんか」と、話題を変えた。
後にして思えば、わりと雑だったとは思うけれども、それで如月さんも納得してくれたようだったので、差し引きゼロってなことだと思うのです。
──一時、お父さんは、ちょっと苛々しているみたいで、帰宅も遅くなるし、朝も殆ど顔を合わせないでいた。あたしはそんなお父さんが(好き)とは違う、それでも(嫌い)とも違う気持ちで、何処か宙に浮いたままでいた。お母さんも何も云わないし、だからあたしも何も知らない。
「大人になると色々あるものよ」お母さんは、飄々とした感じで(独り言みたいに)口にすると眼鏡をかけ直して、読みさしの漫画に戻ったそして子供にも、色々あるんだよ、お母さん──あたしは言葉を飲み込んだ。
如月さんは再び模型に目を向け、「わたしは詳しくないけれども、良くできてる」
「分かってくれる?」
ならば、冗談でもデコピンなど、しないでいただきたい。模型はとても繊細なのです。
「飾ってるくらいだから、自信あるんだろうなって。出来が悪ければ隠すでしょうに」
ごもっとも。別に自慢の子だとか、お気に入りだとか、そういうことでなくて、模型作りの楽しさを知らないひとに、魅力を伝えるのは難しい。なにしろ模型とは、どこかの神様と同じで破壊と創造が背中合わせ。楽しく作って飾ってバラして再生輪廻の輪。つまり、模型的とは宗教的行為そのものである──ダメだ。それでも模型はアート、つまり彫刻の一種であって、アニメキャラクターを模した彫刻がオークションハウスで落札された事例がある。高額で。現代アートで。
プラモデルだって組み立て代行もあるし、出来の良い完成品なら、個人売買が成立している。キャラクターモデルだけでなく、スケールモデルだって同じ。エッチングやメタルパーツを使ったり、加工や塗装、仕上げのやり方。同じキットを使っても、同じ物はふたつとない。それを表現と呼べない理由はない──やっぱりダメ。どう取り繕ったところで、しょせんは趣味の一分野。メーカーの用意した土俵の上で転がしているようなものだ。設定通りでない──横槍が入る。そんな風に汚れた機体は整備不良だ──横槍がブッさっさる。リアルじゃない。ゲート処理が甘い。合わせ目、消えてない──うるさ方は後を絶たない。
しょせんプラモデルはオモチャの一分野でしかなくて高尚? 偶像崇拝? 自分で言っても、ちっともぜんっぜん響かない。ましてや他人に伝えるだなんて。故にあたしは、如月さんに魅力を伝える努力を放棄する。でも、趣味ってそういうものでしょ? お父さん曰く、「他人の趣味に口を出しても、そのまま自分に返ってくるだけ」。本質にして金言、と、思う。
それからは雑談もなく、如月さんはクッションの上に座ると、すぐさま座卓の上に、預かった紙袋の中の資料を広げて話を始めた。「表紙。タイトル。何も決めてなかった」
「あとでいいんじゃないでしょうか」
「イの一番にやるべきところよ。誰か手伝ってくれそうなアテはある?」
「どうかなあ」
「無理そうね」と、如月さん。
「そうですね」と、素直なあたし。
すると如月さんは不思議そうな顔をして、「文集係、なんで引き受けたの?」
「あなたのご指名ですが!?」
「断ればよかったのに」
「あの流れで、できるわけないでしょ!?」
「いや、そうかな」
「断れたの!?」
「まあ……六・四、いや、七・三くらいで断るんじゃないかな……とは思ってた」
「せっかくなので如月さんも引き釣り込んでやりました」
あたしは、むすっと云ってやった。なのに如月さんは、「まったくね」やれやれとばかりに横に首を振り、「わたしもどうかしてた、引き受けるなんて」
「全否定!!」
でもまあ、「なったものはしかたない、進めよう」
「はい」分かりましたよ、如月さん。
「預かり物があるのだけれども」って如月さんが取り出したのは、「こういうの、アリかって」
「誰の原稿?」
「下書きだって。誰だったかな……」
「鏡見くんだ」名前が書いてある。「書道部だったのか」
それは物凄い勢いで書かれた「吽」の文字だった。あのお調子者への当て付けか、と思ったけれども、わりとアリだと思った。「おもしろそう」
「うん」如月さんは頷いた。「きっと、いいものになる」
あ、それ。すてきですね。
「と、なると、阿吽を前後にするしかない」如月さんは断言した。
「そうかなあ」
「このふたつで挟まない理由が出席番号順だったとしても、センスを疑われる」
「そうかなあ」
「かといって、全員の原稿が揃ってから入れ替えを考えるのは時間的に忙しい」
「そうだねぇ」
「トランプ、持ってきた」
えっ。「遊ぶの?」
「なんで?」
如月さんは、赤いイラストのケースからトランプの札を取り出し、ジョーカーと、スペードのAから3を、ダイヤのAから10をより分け、スペードにジョーカーを混ぜて、スートそれぞれをシャッフルした(とてもきれいな指使いで、なんだか見惚れた)。
「適当にするにしても、叩き台が欲しい」伏せたダイヤと、スペードにジョーカー。「ダイヤが一の位、スペードが十の位。ジョーカーと10はゼロの代わり」
準備の良さに、ほとほと関心。如月さんは、手が早いなあって思っていたら。「ほら、カードの通り、リストを作りなさい」怒られました。「名簿、ある?」
「たぶん」
デコピンが飛んできました。探せって、せっつかれました。如月さんは、人使いがひどく荒い。でも、そのお蔭で、小一時間で打ち合せとやらが終わってしまったのです。なんか、もう、如月さん、ひとりでいいんじゃないでしょうか、というような気分になりかけたところで、お母さんが焼き立ての紅茶のシフォンケーキを持ってきてくれた。そして、あたしは自分の目を疑うような光景を目の当たりにしたのでした。
添えられた白いクリームと一緒にケーキを一口、食べた如月さんは、文字通り絶句し、口に手を添えながら、なにやら念慮し、フォークを握りしめたまま俯いた。
「なにこれ!」お茶を飲んで、一息ついて、如月さんは、やっと言葉を口にした。「美味しい!」
ああ、しあわせ、おいしい、どうしよう、ぱくぱくと、あっという間に食べ終えまして。テンションの上がる如月さん、かわいい。
「おかわり、どうですか」
「いる!」いって、「いらない!」
「どっちですか」あたしは笑った。
「厚かましい真似は、しない」
「そう。じゃ、あたしだけ貰って来ますので」
「ちょ、」待って、と如月さん。
「なんですか」と、いじわるなあたし。
結局、二人分、貰ってきた。お母さんは笑ってた。もちろん、あたしも。
おかわりを食べながら、如月さんが、あたしと同じ一人っ子だという情報を手に入れた。
如月さんは、心なし触れて良いところが浅くて、時にそれが極めて個人的な領域、プライバシーの侵害のように感じる。それとも、あたしが自分で勝手に作った壁なのだろうか。これを自縄自縛というのです。もう少し知りたいと思うけれども、どこかを間違えると、今度は向こうから壁が建てられるのでないかと思う。水を向けられたら、うまく流せるように誘うのが良いのでしょうか。
ケーキがお腹におさまって、温くなった紅茶を飲みながら、ふと、如月さんは、「なんで友達、いないの?」
あたしは天を仰いだ。「何も訊いてない?」
如月さんは首を横に振った。「少しだけ」
「そう」
「あなたの口から聞いてみたかっただけ」
あたし自身の気持ちの整理は、もうずうっと前に済んでいる。だから、「良くある話だよ」隠し立てもせずに、ありのままに話した。「有り体にいえば、親の目の敵って感じ」
「それは、かなりの敵だね」
「親の敵に目の敵だった。とにかく、あたしは、まぁ……そういうこと」
すると如月さんは、ほほう……と、感心したような、でも、賞賛しているわけでもない、妙な視線をくれた。
「なによ」
「なんでも」ないわ、って如月さん。
「にゃんなのっ」噛んだ。
「よく噛むね」
「だって」だってだってさ。如月さんが笑うんだもん。それも、楽しそうにさ。
「ところで、如月さん」
「なに?」
「目が悪いっていってたけど、嘘だよね?」