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狂騒狂詩曲 Roaring Rhapsody  作者: 嘉野 令
第1の組曲 幕開け
9/14

第9番 空賊の都“リベルタリヤ”

 世界最大の湖“ハザール海”の湖上にその都市はある。

 島ではない。

 頓挫してしまったハザール海水上横断鉄道計画の橋脚を中心に、ふたつの海上油井を鉄骨で組み合わせた人工の構造物。塩湖ゆえに錆びついた鉄の大地がその都市の土台であった。

 そのため、面積は広くない。

 だが、この十年、世界が衰退する一方で、飛行船を駆る空賊たちの活動は活発になった。何処かの都市ではお尋ね者扱いされる彼ら空賊たちが燃料補給のために頼ったのが、主なき鉄の大地であった。

 バケモノに追いやられた陸の住民と、秩序ある都市には暮らせぬ空の民が集い、鉄骨を組み上げた。結果、いくつもの層が重なり縦に縦にと伸びた。さらには多くの飛行船が寄港できるように中央には巨大な鉄塔が建てられ、天へと迫る桟橋となった。

 波音に抱かれたハザール海に突き刺さる、歪な鉄塔。

 この湖上の、人工の、鋼鉄の、積層都市の名を“リベルタリヤ”という。

 この街に空賊ギルドの本部が置かれている。

「だから、よその船の連中とケンカなんかしちゃダメだからね!」

 寄港前、キリッカは念を押した。当然、エンゲルジ相手にではない。

「いーい? サムラーイ!」


「我らが“酔いどれウサギ号”の他には……」

 夕焼け空に突き出た鉄の足場へ上陸早々、掌帆長は上下左右を見渡した。リベルタリヤの空港はまさに鉄塔であり、そこへ群がるように十隻もの飛行船が停泊している。

 酔いどれウサギ号の一味は夕陽を眺め、ハザール海の潮騒を聴き、ひゅうひゅうと風に吹かれながらおんぼろ昇降機の迎えを待った。

 掌帆長は手近なところから船を識別していった。暇つぶしでもある。

「クラヒモデン商会の商船、“カストル号”に“ポリュデウケス号”か」

 魔都上海を牛耳る通商ギルドの大立者たる大企業の商船が停泊している。いつも二隻で航行していて“空”界隈では有名な兄弟船だ。

「金髭御大の“暴風暴君号”が最上階に係留してあんのはいつものこととして……」

 実質的にリベルタリヤを統治する空賊ギルド本部の長老、金髭船長の船がこの空港を離れることはあまりない。もしも、金髭船長不在の折には、ギルド次席格“慈悲なきギロチン号”の“首狩り判事”エレイミ船長が帰港する取り決めとなっている。

 力で押さえつけなければ空賊連中など相争って自滅待った無しなのだ。

「錫蘭島航路の“キング・ジョージ五世号”も予定通りに寄港か、ご苦労様だぜ」

 ドーバー海峡を渡ったバケモノどもによって本国を失ったエゲレス王立海軍だったが、さすがの世界最強艦隊。植民地であった錫蘭島の防衛には成功。現在、錫蘭島は人類最大の穀倉地であり、ユーラシヤ中との定期航路を持つ。

「んでもって、空賊船は、っと」

 このリベルタリヤにおいて街中での諍いはご法度だ。だが、自由を尊び乱痴気をなりわいとする空の賊はなにかと争いを好む。どこの一味の船が停泊しているかは、大事な情報である。

 喧嘩の度にギルド本部の金髭長老やらエレイミ判事やらに仲裁されていたら、命がいくつあっても足りはしないのだから。

「ブルブルゲンのクソ野郎の“餓えた狂犬号”に……」

 掌帆長の髭面が憎々しげに歪む。ブルブルゲン船長の船と一味は大嫌いなのだ。品がないうえに臭い。キリッカも横で「げー、狂犬いるのー」と露骨に嫌な顔。

「マダム・チャミンの“甘い甘いキッス号”、ドン・ベムラン公爵の“月夜の泥棒猫号”、プッパー兄弟の“火の玉小僧”」

 いずれも顔見知りのライバルたちだ。

「おっと、珍しい」

 塔の陰になっていて見逃すところだったが、十隻目は厳密には空賊船ではない。

「空援隊の旗艦“天翔ける伊呂波丸”までいやがる」

「じゃあ、情報にはありつける、かな?」

 東洋からやってきた“空援隊”は、リベルタリヤの空賊ギルドにも魔都上海の通商ギルドにも属さない独立独歩の武装商船団である。変なしがらみもないため事情通であり、ビジネスライクに事を運べる交渉相手でもある。

 一筋縄ではいかないが。

「そうそう!」

 人差し指を立ててキリッカ。

「空援隊の総帥ってジパング出身らしいけど、もしかして知り合いだったりしない?」

 キリッカが訊いた相手はジパングのサムライ、トラスケ……ではなかった。

 ハザール海に沈みゆく夕陽だった。

 なぜならば、トラスケはもうここにはいないからだ。

「あれ? サムラーイ?」

 いくらおんぼろぽんこつ昇降機がのそのそがたがたと遅いからといって、高い鉄塔の手すりすらない螺旋階段を使う者などいない。命知らずの空賊たちでさえ、誰一人使用しないものなのに。

「猿め」

 エンゲルジが眉間に皺を寄せている。


「嫌っ! や、やめてくださいっ!」

 鉄骨に覆われた往来で若い女の悲鳴が響き渡る。

「いいじゃねぇか! いいじゃねぇかよォ!」

「俺らと遊ぼうぜぇ、なァ? おねーちゃん♪」

「楽しいこと、たぁーっぷぅーり教えてやっからよォ?」

 にたにたげひげひ嗤う小汚い空賊たちが、ひとりの女性を取り囲んでいた。やいのやいのいう野次馬も彼女を助けるそぶりすら見せない。

 ありがち、である。

 なにせ、空賊の都とも呼ばれるリベルタリヤなのだ。いやらしい手を伸ばす彼ら空賊どもこそ、この街にふさわしい住人であった。

 対する彼女の方が場違いといえる。

 リベルタリヤの女といえば、踊り子か娼婦か、はたまた女空賊に違いない。だのに、彼女はそのいずれでもない。

 鉄骨の合間から漏れた斜陽が、怯える彼女の顔に落ちる。

「商売女じゃねぇうぶな娘っ子は珍しいけぇのォ!」

「げへへ! さァすが親分! おォ目が高ァい! いィやらしいィ!」

「そんなに褒めるな褒めるなや! ぐっふふふふ♪」

 でっぷり太った髭面“親分”の下卑た視線に、彼女は怖気を覚えた。

「ひ、ひぅ……!」

 母親譲りの長い黒髪とエキゾチックな肌の色、父親譲りの海色の瞳。女神を描いた宗教画のように清らかな顔立ちだが、女性用のスーツからこぼれてしまいそうなほど凹凸に優れた煽情的なボディライン。

 いやらしい空賊どもが放っておかないのも無理はない。

 彼女の名はアリアーミア。齢十九。錫蘭島大学で考古学を研究する学徒であり、今日入港した“キング・ジョージ五世号”に乗ってリベルタリヤへやってきたばかり。

 彼女はこの伝説にとって重要な情報の持ち主なのだが、その出番にはまだ早い。

「ほいじゃあ、美味そうなヤシの実ちゃんを……」

「ひ、ひひぅ!」

「いぃーただぁーきまぁーぎょぺぶッ!」

 アリアーミアを抱きすくめようとした髭デブ親分だったが、顔面に横一文字の二尺四寸をめり込ませていた。

「親分ン!」

「船長ォ!」

「安心しろい」

 子分たちの叫びに、謎の闖入者は一喝した。

「峰打ちでぇ!」

 鼻を打刀で潰された髭デブおっさん親分は、鼻血を吹き出しながら仰向けに倒れた。なんにも安心できない感じの峰打ちである。

「てッ、てめぇ! よくも親分をッ!」

「ブルブルゲン親分の“餓えた狂犬号”を敵に回して生きてられっと思うなよォ!」

「見ねぇ顔だなァ! てめぇ、どこの船に乗ってやがる!」

 ナイフや拳銃を抜いたブルブルゲンの子分たちは凄んでみせた。

 だが、相手は当然この男。

 ひるむどころか、夕陽を背負って見得を切る。

「てめぇらみてぇな三ン下に名乗んのも癪だけどよ! 訊かれちまっちゃあ、しょうがあるめぇ!」

 夕焼けに振るわれた刃がひゅんと鳴いた。

「俺の名はトラスケ! 酔いどれウサギ号にご厄介ンなってるジパングのサムライだぜ!」

 ご存知、トラスケである。トラブル大好きにもほどがある。

 赤いマフラーを潮風にはためかせ、斜陽がゴーグルに反射している。真っ赤な太陽を背負ってとんとんと峰で肩を叩く姿は、アリアーミアの瞳には白馬の王子に見えていた。

「どいつもこいつも、まだお天道様が見てるうちから夜這いたァ破廉恥にもほどがあらぁ!」

 トラスケにしては珍しく真っ当な説教だ。

「でぇいち、夜這いはひとりでやりやがれってんだ!」

 前言撤回。相変わらず勝手な男である。

「っと、いけねぇいけねぇ」

 猪突猛進の彼はここでやっと思い出した。

「よその船の連中と喧嘩すんなってオカシラにいわれてんだったわ」

 刀をちゃきりと構え直し、頬の刀傷を怪しげに釣り上げる。

「全員、口封じに……斬っちまう、か」

 今度はアリアーミアに代わって、ブルブルゲンの子分たちが怯える番だった。トラスケの殺気は本物である。じりじりとわらじをすべらせ、唇をぺろりと舐める。


「くぉらぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!」


 リベルタリヤ中にその怒声は轟いた。いや、もしかしたらハザール海の湖畔にまで響き渡ったかも知れない。

「街中でのぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!」

 老人の声なのだが、火山が吠えているに等しい。

「戦争はぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!」

 街が、人が、世界が、震えた。

「禁止じゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!」

 おそらく、軽く震度三は記録しただろう。

「や、やべぇ!」

「長老だ!」

「金髭だ!」

「親分担げ!」

「逃げろ!」

「殺される!」

 アリアーミア相手には間延びするほどねちねちといらやしく、トラスケ相手には鉄火に凄んでみせていたブルブルゲンの子分たちが、素早く一斉に動き出した。完全にのびてしまったブルブルゲン船長の太った巨体を数人で担ぎ上げて、一目散に逃げ出した。

「お? お? なんでい?」

 怒号の正体を知らぬトラスケがきょろきょろと辺りを見回すと、扉という扉、窓という窓が閉じられ、通行人も野次馬も隠れてしまっている。

 まるで、天災を恐るように。

「こいつぁ、俺もとんずらこくしかねぇな!」

 察しのいい男である。

「じゃあな、あばよ!」

 鋼鉄の地面にぺたんと腰を抜かしていたアリアーミアを一瞥すると、トラスケは夕陽に向かって駆け出した。

「トラスケ……様」

 なにやら胸をときめかせるアリアーミアであった。


 なお、このとき激昂して長柄の戦斧を振り回した、空賊船“暴風暴君号”の船長にして、空賊ギルド本部の長老、リベルタリヤの掟の番人、“人類史上最強のボケ老人”こと“金髭”による破壊と暴力と戦慄の夜については割愛することとしよう。

※ヌルい表現をシュっとするよう修正しました。

※脱字を修正しました。

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