第7番 紅き叛逆者“血刀イクソ”
貧民街の小さな酒場から、サムライと執事を引き連れたキリッカが街路へと出ると、そこでは例の虐めが続いていた。大統領親衛隊の将校たちが数人の貧民を取り囲んでいる。
暇な軍隊である。
「貴様ァ! なんだその目はァ!」
「恩賜の我が長靴を舐められんとは何事だァ!」
「大統領閣下の親衛隊をなんと心得るかァ!」
「えぇい! 人民よ、忠誠を示せェ!」
「炭田共和国、国歌斉唱! 歌えェい!」
痩せこけた煤だらけの少女とその一家が路面に這いつくばり、怒鳴りつけられている。
「ダメだ、オカシラ」
トラスケがぽつりとこぼす。
「やっぱ、気に入らねぇわ」
そうきっぱり言い切ると、踵を返した。
「あ、こら」
キリッカの制止も聞かず、トラスケはわらじをちゃりちゃりいわせて行ってしまった。向かう先はわかりきっている。
「いかがなさいますか、お嬢様」
トラスケと違い、キリッカの従僕となったエンゲルジは新たな主に判断を仰ぐ。船長として部下を扱うことに慣れているキリッカは決断も早い。
「実はね……」
こつんと、おでこに拳を当てて。
「私も我慢できなかったんだよね!」
進めや進め 人民よ
進めや進め 炭田へ
英雄に守られし炭田に 命を捧げよう
英雄に愛されし祖国に 石炭を捧げよう
おゝ 我が国こそ 世界の命脈 人類の希望
あゝ 採炭こそが 国家の宿命 人民の使命
勤労! 奉仕! 忠誠! 鉄血! 石炭!
勤労! 奉仕! 忠誠! 鉄血! 石炭!
「こンのド音痴どもがぁぁぁぁぁぁぁぁ!」
トラスケの盛大なツッコミとドロップキックが青年将校を吹っ飛ばした。炭田共和国大統領親衛隊というエリートであり、いままさに地面の少女の頭をブーツで踏みつけようとしていた輩である。
専制国家における体制側暴力装置に対する暴力というタブー。すなわち、叛逆。もっとも重い犯罪をトラスケは音痴を理由にやってのけた。
「ツッコミどころ、そこなんだ?」
呆れた口調だが、キリッカは笑顔だ。
「だってよ、オカシラ! 歌ってぇモンは楽しくなきゃあなんねぇだろ?」
「ものによるかな」
「漢トラスケ! たといお天道様が許したって、あんなド下手くそ音痴野郎を見逃しちゃあおけねぇやい!」
キリッカの正論も聞かず勝手な男である。というか、虐げられている少女ら貧民を助けないのか?
「きッ! 貴様ァ!」
「何をするかァ! さては叛逆者かッ!」
「我々を大統領閣下の親衛隊と知っての狼藉かァ!」
驚きから回復し、身構えながら声を荒げる大統領親衛隊たち。各々、腰の拳銃や軍刀に手を伸ばしている。
ちなみに、最初にドロップキックを食らった少尉は泡を吹き、すでに意識を失っていた。
「うるせぇぇぇぇぇ! ガタガタ歌う奴ァ片っ端から叩っ斬ってやらぁ!」
短気な大尉が拳銃を抜き、この場にいる誰よりもうるさいトラスケへと銃口を向けた。
「この叛逆者めぽぎょ」
言葉は尻切れとんぼに、手の拳銃は路面へと落ち、屈強な大尉は悶絶した。
なぜなら、
「お見事です、お嬢様」
キリッカの編み上げブーツが大尉の脇腹を、肝臓を捉えたからだ。ロングスカートをばさりとやりながら、完璧なフォームで繰り出されたミドルキック。
エンゲルジの評価は何もお世辞やよいしょではない。狙撃の苦手なキリッカだが、蹴りは神業であった。
「さっすが、オカシラ!」
「まあね!」
鉄板を仕込んであるブーツをかつかつと響かせて、キリッカはトラスケと背中を合わせた。ふたりして数名の将校を敵に回すも、今の彼らにはさらに仲間がいる。
「こ、このアマァ! 邪魔立てするなら貴様も容赦せんぞ!」
最先任の大佐がキリッカを怒鳴りつけた。だが、それは命取りとなった。
「わたくしにはこの場にアマなどと呼ばわれるレディがおられるようには見えませんが」
冷静にして冷徹にして冷厳なエンゲルジの声音。執事らしい丁寧な口調だが、白々しさもにじみ出ている。
鉄腕の歯車がぎちぎちと唸った。
エンゲルジの鋼鉄の左腕が親衛隊大佐の頭をぐわっと鷲掴みにし、軽々とその体を持ち上げる。まさに磔刑台も斯くや、大の男が吊るされている。
「我が主の御前で臭い息を吐くな、この下郎めが」
縁なし眼鏡の下から、悪鬼のような表情を覗かせるエンゲルジ。
痛いのなんのと大騒ぎする大佐は鉄腕から解放されると地面に這いつくばった。折しも、貧民の少女とその一家が恐るおそる立ち上がったところであり、空賊一味の登場によって立場は逆転した。
「へへっ! やるじゃねぇかい、鉄腕の!」
「おかしな名で呼ぶな、猿」
「誰が猿かよ! 虎だって、虎!」
「なるほどな。わかったよ、猿」
「てぃーぐり! たいがーだってぇの!」
「あれ? ふたりとももう仲良し?」
「お嬢様のご命令とあらば」
「ワをもってトートしとなせやい!」
「ちょっとなに言ってるかわかんない」
などとわいわいしている隙に、大統領親衛隊は警笛を吹き鳴らしていた。あっという間に小隊規模の増援が駆けつけ、トラスケたちの敵は数十人に増大した。
「おっと、団体さんのご到着、ってか?」
新たに現れたのもまた大統領親衛隊らしく、揃いの黒衣の軍装に金モール。だが、全員が鉄兜に防毒面という異様な出で立ちだった。
「クリュッヒ大佐、ご無事ですか?」
「ぶ、ぶ、ぶ、無事なものか! お、遅いじゃないか!」
防毒面の兵卒に助け起こされる大佐。
確かに、十年前の世界大戦では新兵器“毒ガス”が用いられ、化学戦という惨劇が繰り広げられた。その防護のためには彼らがするような防毒マスクが必要である。
しかし、今ここで必要な装備とも思えない。
「なんでぇ、どいつもこいつもお面なんざかぶりやがって」
「将校連中と違って、兵の練度は高いな」
着剣した小銃を手ににじり寄る防毒面たちを前に、トラスケとエンゲルジは眼光を鋭くした。ただただ威張っていた将校たちとは違う。精兵である。彼らを目にした貧民たちは腰を抜かさんばかりだ。
何度か炭田共和国を訪れたことのあるキリッカは防毒面の兵を知っていた。
「こいつらが大統領親衛隊の主力、だよ」
「なるへそ、こいじゃあ民草が逆らえねぇわけだぜ」
「よぉーし! こやつらは叛逆者だ! 可及的速やかに捕らえよ!」
金髪碧眼の端正な顔立ちを涙と鼻水でぐちゃぐちゃにした親衛隊大佐、クリュッヒとやらが防毒面の小隊に命じた。
キリッカが腰の改造モーゼルに手を伸ばし、エンゲルジが鉄腕を構え、トラスケが鯉口を切らんとした、まさにそのとき!
街路に響き渡ったオカリナの旋律。
あまりにも澄んだ音色に、その場にいた誰もが耳を奪われた。
大統領親衛隊は将校も防毒面も慌て慄き、周囲を警戒している。
虐げられていた貧民は、まるで雲間に陽の光を見つけたように空を見上げた。
「なんでぇなんでぃ!?」
トラスケは目を白黒させるが、キリッカには心当たりがあった。
「ま、まさか、これって!?」
「我こそが叛逆者」
けっして大声ではないのだが、低く重いその名乗りは人々の臓腑に響き届いた。
「いたぞ! あそこだッ!」
防毒面のひとりが指差したのは、三階建の屋根の上。日輪を背負っていてよくは見えないが、確かにそこにはひとりの人影。
「声なき民に代わりてオカリナを奏で」
声は男。歳の頃はわからない。小柄なようだが果たして。
「剣なき民に代わりて支配者を斬らん」
雲が陰り、姿が見える。紅いマントに紅い羽付帽子。そして、紅い眼帯。
「以って我が血刀を革命の夜明けに捧ぐべし!」
抜刀!
中世の騎士のような幅広の剣に陽の光を反射し、一同を眩ませ、男は跳んだ。紅いマントをまるで翼の如く翻し、着地。
対峙していた空賊一味と親衛隊の間に、紅装束の花を咲かせた。
「天狗か!?」
トラスケの驚きに、その男は応えるのだった。
「紅き叛逆者“血刀イクソ”、推参!」