第2番 空賊船“酔いどれウサギ号”
世界創造紀元七四三六年。
あの凄惨を極めた世界大戦の末期、最終兵器「ロバ電子爆弾」が世界に三つの大きな「穴」を空けてから十年。
または、鎖国の続く極東の島国ジパング、その事実上の首府オエドが大地震によって壊滅してから五年。
この頃、ユーラシヤ大陸では新たな時代を迎えようとしていた。
誰もが知るように、例の穴から飛び出してきた無数の妖怪変化や魑魅魍魎はこの十年で、動物を喰らい、植物を喰らい、人間を喰らい、世界中の生きとし生けるものすべてを貪り喰った。バケモノどもはまるで神話や伝承、童話やお伽噺から飛び出してきたような異形の存在であり、襲い来る奴らに人類は対抗できなかったのだ。
穴は欧羅巴、オロシャ、メリケンに空いた。
大戦中、どの国がロバ電子爆弾を投下したのかは定かではないが、主要な参戦国は軒並み壊滅した。
ともあれ、その結果、穴から這い出て来るバケモノによって文明社会は滅び、人類もまた滅亡の危機に瀕していた。
だが、この十年を生き残った人類も力を取り戻しつつあった。
国家が滅んだ代わりに防備を固めた都市を築き、各都市間を粗製濫造した飛行船の航路で繋ぎ、細々と文明社会を営んでいたのだ。
そんな時代に生まれたのが、地に足をつけずに生きる“空賊”であった。
自ら飛行船を所有、運用し、都市の束縛を受けず、自由気ままに略奪をし、交易をし、冒険をし、乱痴気に明け暮れる空の賊。
そんな空賊一味の飛行船“酔いどれウサギ号”がいま、アラビヤ半島は交易都市“ダフナのへそ”から飛び立たとうとしている。
「もやい放てぇー!」
「両翼垂直! 仰角最大!」
「機関始動、両舷微速!」
「ハムシンに乗ります……方位南東微東」
「とぉーりかーじ……いっぱい!」
「巡航高度にとぉーたーつ!」
「両翼下げぇー! 水平に固定!」
「機関両舷前進原速!」
「針路そのまま……よぉーそろー!」
船鐘のかき鳴らされる中、手際のいい船員たちによって酔いどれウサギ号はあれよあれよという間に飛び立った。
「追っ手にも時間にも追われてるから急いで例のブツ回収に行くよー」
キリッカのそんな言葉だけで空の賊たちは否やもなく動き出すのだった。
「あ、あと、そいつのことはあとで紹介するから気にしないで」
同乗したトラスケのことも軽く話して誰の了解も必要としない。まだ若い彼女が一味の船長だというのは本当のようだ。
空賊船“酔いどれウサギ号”は硬式飛行船である。ロバ電子爆弾とその穴から這い出たバケモノによって勝敗がうやむやになった世界大戦の末期、かのツェッペリン社が建造していた飛行船をどうにかこうにかしてちょろまかしたものであり、空賊たちの手によってでたらめな改造に改造を重ねられている。酔いどれウサギ号は言うなればツェッペリン伯爵の鬼子であった。
当然ながら、その十数名の乗員たちもまた曲者揃いである。
なんてったって空賊であり、この混沌とした時代に体制にも与せず、バケモノにも抗おうというのだから一癖や二癖じゃ足らないだろう。
御伽噺から飛び出してきたような海賊然とした巨漢強面の掌帆長。
はすっぱで粋で鉄火で威勢のいい赤毛の女操舵手。
欧州貴族の落胤とかいう触れ込みの美麗な少年機関士。
本当に地図が見えているのか瓶ぞこ眼鏡の女航海士。
怪しげな訛りの癖が強い色眼鏡の似合う漢人の主計長。
色っぽい黒人女性がいるかと思えば、それは単なる食客だという。
なかなかに愉快な連中だが、その一味を束ねるのが、御年二十歳の北欧人女船長キリッカなのだ。
この”酔いどれウサギ号”一味がどのようにして誕生したのかは別の機会に譲ろう。
「というわけでー! あらためてー!」
船が安定航行に入ると、船長室でどっかと座ったキリッカが仕切り直した。
「さっきはありがとね、サムラーイ!」
「うんにゃあ、こっちこそ船に乗せてもらっちまってかたじけねぇや」
ボサボサつんつんの黒髪を掻くトラスケ。キリッカにうまいこと「乗せられて」しまったことに気づいているのか、いないのか。
「私はこの飛行船“酔いどれウサギ号”の船長、キリッカ! よろしくね!」
握手の手も差し出さない不遜な姿勢だが、それを帳消しにするほどの笑顔を向けた。
「俺はトラスケ! 無宿素浪人たァいえ、ジパングのサムライだぜ!」
見るからに貧乏そうだが、なぜか自信たっぷりだ。
「短けぇ船旅だろうけどよ? いっちょよろしく頼むわ、オカシラ」
ごうんごうんとエンジンの音が響いている。
「ところでさ、サムラーイ?」
「なんでぃ?」
「私がオニに追われてた理由、気にならない?」
キリッカの問いかけに思案するトラスケ。
「……そういや、そうだな」
今の今まで気にしてすらいなかったのだ、この男は。
なにやら喧嘩している。女がオニに追われている。よし、加勢しよう!
その程度の思考であった。
「言われてみりゃあ、オニどもに追われるなんざ剣呑だぁな」
「でしょでしょ?」
キリッカの黒縁眼鏡がきらり。
「面白い話あるんだけど、聞く?」
すでにキリッカはトラスケのツボを心得ていた。
「おうおうおうおう! いいねぇいいねぇ! 聞かしてくんろ」
一ヶ月くらい前なんだけどね。
リベルタリヤの空賊ギルドを通さない依頼を受けたの。ここ最近のうちの船のお得意様で、パトロンっていうのかな?
ノイエ楼蘭の旧欧羅巴貴族のお金持ちでバーゼンデー伯爵っていうおじさんなんだけどね。これが嘘か誠か錬金術師なんだってさ!
「なんでぃ、その蓮根十四ってのは?」
え? 錬金術、知らないの? ばーか!
「へへっ、めんぼくねぇ」
んーと、魔法使いみたいなこと、かな?
で、その錬金術師の伯爵さまがね。とある品物をご所望でね。それが世界にひとつしかない宝物だっていうの。
スマラグドス碑文って呼ばれてるんだけどね。
これをどこぞの商人が仕入れたっていうからさ、こないだ納品前にさくっと横取りしたんだよね!
そしたら追いかけ回されちゃって、もう大変で大変で!
「そりゃあ難儀なこって……って単なる盗ッ人じゃねぇか!」
細かいことにこだわらない漢トラスケも盛大にツッコんだ。つまるところ、ただただ泥棒なのだから。
「そうだよ? だって、私、空賊だもん」
しれっとキリッカ。
「あ、ああ、それも、そうか、そう、だよな」
なんとなく納得してしまうトラスケ。
「でもさでもさ!」
キリッカがずずいと詰め寄った。
「追っ手にバケモノ差し向けるなんてさ、真っ当な商人のやり口じゃなくない? なくなくない? なくなくなくない?」
人間の傭兵やら用心棒やら空賊やらならば、銭金で雇うこともできるだろう。だが、穴から現れたバケモノを使役するなど、よほどの何かである。
「確かになぁ……オニを従えるなんざ、よっぽどの外道外法か、それとも」
「それとも?」
オニが東洋のバケモノであることはキリッカも知っている。ジパングのサムラーイの意見を聞きたいところだ。
「よっぽどの、陰陽師か」
「オンミョージ?」
今度はキリッカが訊く番だ。
「えぇーっと、なんだ。魔法使いみてぇなもんだ」
ふたりの知識ではそれが限界だった。
「なるほど。錬金術師に陰陽師、ね」
なにやら、各々別々のことを考えているトラスケとキリッカ。一体ふたりは何に想いを馳せているのやら。
「そいで、そのスマトラトラ子分とかいうお宝はどうしたんでぇ?」
「ん? ああ、スマラグドス碑文?」
特にボケでもないしツッコミもない。
「盗んでからこっち、めっちゃ追われるから引き渡しまで隠しといたんだよね、頭いいでしょ?」
「さっすが空賊のオカシラってとこかい」
「南の砂漠にね、ちょっとした古代の遺跡見つけたから、そこに隠してあるの。歴史浪漫あふれる貸金庫ってところかな」
ロバ電子爆弾投下の地殻変動により、または草木がバケモノどもに食い散らかされたことにより、古代や神代の遺跡が現出したなんて噂話はここ十年事欠かない。そんな遺跡から盗掘するのも空賊のなりわいのひとつである。
「いま、その遺跡に向かってるから……サムラーイも、来る?」
答えは決まっていた。