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狂騒狂詩曲 Roaring Rhapsody  作者: 嘉野 令
第1の組曲 幕開け
1/14

第1番 前奏曲

 夜陰に轟く銃声。

 散発的に続いているのだが、街は寝静まっている。

「……筒音たァ、穏やかじゃあねぇな」

 安宿で目を覚ました青年は東洋人だ。

 黒髪黒目黄色い肌の短身痩躯。顔は平べったいが鼻は強気につんと上を向いていて、眼に至っては夜だというのにぎらぎらと耀いている。

 身にまとうのは遠い極東のくたびれた半着に袴。首に巻いた赤いマフラーをひらひらさせ、おでこにゴーグル。

 左の頬には刀傷。

「よっこらせっと」

 掛け声ひとつ。

 粗末な寝台から起き上がると、男は枕元の二尺四寸を取り上げた。

「へへっ」

 何がおかしいのか、青年は悪童のように笑った。

「漢、トラスケ!」

 夜の闇に見得を切る。

「こんな面白そうなモン見逃すほど、野暮天じゃあねぇよ!」

 独り言の多い男である。


 アラビヤの砂漠のど真ん中。

 元はオアシスのほとりのキャラバンサライだったものが、数年前から商人たちの溜まり場となり、今やアラビヤ半島でも有数の市場である。どこぞの富商がおっ建てたスルタンの宮殿のような豪邸を中心に商家が軒を連ね、郊外には数隻の飛行船まで見える。

 バケモノどもですら横断の難しい過酷な砂漠地帯にあることが幸いし人口は増え、今では“ダフナのへそ”と呼ばれるちょっとした都市国家であった。

 住民は利に敏い商人ばかりで、夜中の騒動など迷惑千万と狸寝入りを決め込んだ。陽が昇れば官憲がなんとかしてくれるだろうと。

 月の綺麗な夜だった。

 夜の砂漠特有の冷えた乾いた空気を切り裂く銃弾。

「もぉ!」

 逃げながらでは弾もなかなか当たらない。再度発砲。だが、煌々と輝く月明かりもあてにはならない。

「だぁ!」

 そもそも、彼女は射撃がへたくそなのだ。しかも近眼だ。

 弾が当たらなければ追っ手は減らない。街路を西へ東へ駆け回るも、彼女は徐々に追い詰められてゆく。

「あっ!」

 曲がった先は袋小路。慌てて引き返そうとするも時すでに遅し。

「大人シクシロ」

 覆面に黒装束の大男が告げる。

「モウ逃ゲラレンゾ」

 十人ほどの大男が口々に言う。

「例ノ物ヲ返セ」

 否、それは人の声ではなかった。

 覆面から漏れ出るのは血に飢えた呼気。見え隠れするのは怪しく光るまなこに牙に角。赤い肌の手に手に構えるのは、金棒。

 知性ある怪物、オニだ。

 バケモノを追っ手に差し向けるとは、敵もなかなかまともではない。

「……あっそぉ?」

 だが、女はくるりと振り返ると怯えるでもなく、オニ相手に笑顔さえ見せた。不敵なのか、単なる開き直りなのかはちょっとわからない。

「せっかく大人しく逃げてあげようと思ったのに……」

 化粧っ気のない白い肌にニヤリと釣り上がる唇。空色の瞳には黒縁眼鏡。くすんだ長いブロンドは三つ編みに結われている。

「私のこと追い詰めちゃっていいの?」

 すらりとした長身が片手で改造モーゼルを構えたまま、もう片方の手を腰に当てる。

「なんてたって私は……」

 肩には厚手のポンチョをかけ、コルセットの上から巻きつけたベルトにはいくつもの雑嚢。ロングスカートをふわりとさせ、足元は編み上げ長靴。右手にはモーゼル銃、左手はポンチョの陰からずるりと抜き出した弾帯。頭にはヘッドバンド付きレシーバー。

 西洋人のようだが風態からはどこの人間かわからない。

 それすなわち、地に足をつけずに生きる者ども。

「泣く子も張っ倒す空賊船“酔いどれウサギ号”一味のキリッカ船長なんだけどな!」

 女は弾帯を改造モーゼルに叩き込むと銃床を脇に挟んだ。

 迫るオニたちも身構える。

 キリッカ船長の黒縁眼鏡がぎらりと光る。

 まさに一触即発。


「ちょぉぉぉぉぉっと待ったぁぁぁぁぁぁぁぁ!」


 轟いたのは銃声ではなかった。

「おいおいおいおいおい! せーっかく俺がかっちょよく登場しようとしてたっつーのによぉ? そこな空賊の姐さん、なんてぇ粋な啖呵をお切りになるんだい!」

 わらじをちゃりちゃりといわせながら、物陰から現れたのは東洋人の青年だった。

「ナニ奴?」

「ナニ者ダ?」

「あんた誰?」

 オニたちとキリッカ船長が口々に問う。なんてったって彼は一触即発の両者の間に割って入っているのだ。

「なぁに、名乗るほどのモンじゃあねぇが、訊かれちまっちゃぁしょうがあるめぇ」

 そりゃ訊きたくもなるだろう。誰一人として面識もないのだから。

 黒髪黒目黄色い肌の短身痩躯。顔は平べったいが鼻は強気につんと上を向いていて、眼に至っては夜だというのにぎらぎらと耀いている。

 身にまとうのは遠い極東のくたびれた半着に袴。首に巻いた赤いマフラーをひらひらさせ、おでこにゴーグル。

 左の頬には刀傷。

「へへっ」

 何がおかしいのか、青年は悪童のように笑った。

「俺の名は、トラスケ!」

 夜の闇に見得を切る。

「故あって無宿の素浪人だがよ、面白そうな喧嘩を見過ごすほど野暮天の下衆野郎じゃあねぇ! オニ退治とあっちゃあジパングのサムライの出番ってモンよ!」

 一本差しの無銘をぬらりと抜刀。月明かりが刃を舐める。

「空賊の姐さん、義によって助太刀致す! なんてな!」

 頬の刀傷を歪めて、いたずらっぽく微笑むトラスケ。とはいえ、突然そんなこと言われてもキリッカだって困ってしまう。彼女には「義」とやらがわからないのだから。

「邪魔立テスルナ!」

 一匹のオニがトラスケの脳天目がけて金棒を振りかぶった。トラスケの身長と金棒の全長はだいたい同じくらいあり、キリッカはその一撃で決するかと思った。

 しかし、月の光が煌めいた。

「お邪魔虫も風来坊の十八番、ってな」

 トラスケが打刀を振るうと、パッと鮮血が飛び散った。

 金棒は地に落ち、苦悶の声を残してオニの巨体が倒れ伏す。トラスケのくたびれた袴がはためく、ほんの一瞬の出来事だった。

「え? あんた、ホントに助けてくれるの?」

「モチのロンよ!」

 きょとんとするキリッカの問いにトラスケの二つ返事。

 月の綺麗な砂漠の街で、ふたりは出会った。

 このとき、キリッカはこう思った。

(こいつ、使える! 超便利そう!)

 空賊船の若き船長は脳内のソロバンをはじいている。

「本当に助けてくれるんだよね? 無料で? タダで? ロハで?」

 それこそが世界のすべてであると言わんばかりに改めて確認するキリッカ。

「お、おうよ! サムライは銭金にこだわらねぇよ」

 利害は明白だった。

「よぉーっし! それゆけ突っ込め、サムラーイ!」

「あいよォ! 合点承知の助!」

 キリッカの腰だめに構えたモーゼルが火を吹くと同時に、トラスケのわらじが砂を蹴った。オニたちを薙ぐべく連射された火線を、まるで潜るように駆けるトラスケ。

「そいやァ!」

 銃撃に怯んだオニへと駆け寄り、一閃。彼の倍はある身の丈が崩折れた。

「キサマッ!」

「死ネッ!」

 すぐさま二匹のオニから同時に襲われるもトラスケは怯まない。

「龍虎会心流、天地弐段!」

 トラスケの赤いマフラーが翻る。横薙ぎで一匹を、返す刀でもう一匹を斬り伏せた。

 電光石火の早業ですでに四匹を斬ったトラスケ。さすがの怪力を誇るオニたちも刀の間合いを恐れて遠巻きに囲った。

 睨み合う虎と鬼。

 夜風が砂塵を捲き上げると、オニたちは一斉に飛びかかった。

 構えるトラスケ。

「龍虎会心流……」

「そーれっ」

 緊張した戦場に間抜けな掛け声ひとつ。

 オニたちの真ん中に、つまりトラスケの足元に、キリッカが擲弾をふたつみっつ投げ入れた。

「へ?」

 トラスケが何かを言いかけた瞬間……


 炸裂!


 爆炎と破片がオニたちを吹っ飛ばした。トラスケも爆煙に消えた。

「ふぅ、一件落着」

 追っ手を全滅させてひと安心のキリッカ。笑顔に爽やかささえ宿して。

 砂漠の夜を煌々と照らしていた月は、今にも地平線へと沈もうとしている。夜明けを告げるひときわ冷たい風がひゅうと吹いた。

「ぷっはぁ! いっちょ上がり、っとぉ!」

 オニの死骸の下から黒焦げのトラスケが飛び出した。

「あ、生きてた?」

 酷い言い様である。

「俺じゃなかったら死んでらぁ!」

「さっすが、ジパングの戦士サムラーイ!」

「まぁな! ざっとこんなモンよ!」

 このとき、キリッカはこう思った。

(こいつ、ちょろい! 超ちょろい!)

 さすがにここまでの大立ち回りをしたせいか、街路の窓という窓から視線を感じる。また、遠くから官憲のものらしい警笛がぴいぴいと聞こえてくる。

「おっと、オニ退治とはいえ随分とやらかしちまったなぁ」

 街中で異国人がバケモノたちと大乱闘。賄賂と拷問の大好きなお役人がおいそれと見逃してくれるわけもない。

「私には船があるけど、サムラーイは逃げる当てあるの? さすがに宿はすぐ押さえられちゃうよ?」

「うーん、そうさなぁ……」

 思案顔のトラスケ。

「走って、逃げる」

 案の定の馬鹿な答えにキリッカがぴしゃり。

「ここ、砂漠のど真ん中だよ」

「なんてこったい!」

 わかりきった衝撃の事実に吐き捨てるトラスケだが、彼はすでにキリッカの術中にハマっているのだった。

「それじゃあ、“船”でズラかろっか?」

 キリッカは冗談めかして誘っている。そんなノリにトラスケは逡巡も躊躇いもなく乗っかった。

「行くよ、サムラーイ!」

「へいっ! オカシラぁ!」

 あれほど耀いていた月は沈み、東の空は白み始めている。トラスケとキリッカは朝日から逃げるように駆け出した。


 よもや、これが伝説の始まりとなろうとは……。


※「青い瞳」じゃロマンが足りないので修正しました。

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