不幸対決
ディランは不満を口にしつつ、絨毯を蹴り上げてつま先を捩じり込んでいく。
その様子に宰相ヴァ―リはため息を漏らした。
「その絨毯高いんだぞ。君のせいで何枚無駄になったと思っているんだ?」
「この~、民の血税で贅沢しやがって」
「その血税をいま君が無駄にしてるんだろ。それで、今日訪れたのは……あの話か?」
「ああ、そうだよ。俺は決めたっ。もう勇者一行から抜ける!」
「そうか、好きにしろ」
「うわっ、冷たっ!? 引き留めたりとかないんすかね?」
「引き留めて、やめるのか?」
「それは……でもよぉ、俺が抜けると戦力大幅ダウンだぞ?」
「そうだが、君はマチノミとの戦闘以外では、今まで誰にでもできることしかしてないだろ」
この言葉にディランは視線を伏せた。
彼は勇者ネストと同等の力を持ちながら、それを如何んなく発揮することなく今に至る。
つまり、彼などいなくても、人間の宿敵である魔族と呼ばれる敵と戦えているということだ。
とはいえ、彼には彼の言い分があった。
「たしかに俺は誰にもできるようなことしかしてねぇ。でもな、ネストたちみてぇな無茶をしていると、命を縮める。魔族の支配階級と対抗できる人間は少ねぇんだぞ」
「だからといって、後方でウロチョロされてもな」
「たまには前線にも立ってるしっ。前回は魔王軍四柱の一人を倒したしっ」
「ネストたちが敵の城深くに突入し、四柱と戦闘を行い、傷ついた彼女が城から逃げ出したところで止め刺しただけじゃないか」
「弱ってても、強かった。あと、おっぱいが大きかった。美人だった。すっごいもったいなかった……」
ディランは両手で顔を覆い、ナイスな胸を持つ美女を失った悲しみに肩を震わせる。
それを白けた目で見つめ、ヴァ―リは言葉を返した。
「君の性的志向なんかどうでもいいんだが……ここから飛び出て、どこに行くつもりなんだ?」
「ミズガルズからなるべく離れた場所に。東大陸タミアラの方へ」
「ん? あの周辺は魔族も少なく、主に人が支配する地域。君が行っても、力を持て余すだろ?」
「だからいいんだよ。テケトーな山賊退治や、弱っちい魔物退治。それだけで町の皆さんからは慕われる。俺は町の勇者として一生を過ごすのだっ」
「はぁ、大層な野望だな」
ヴァ―リは小さすぎる野望に大きく首を横に振った。
そこから彼は声を真面目なものに変えて、ディランを見つめながら言葉を付け加えた。
「だが、それだけじゃないんだろ?」
これを受けて、ディランもまた姿勢を正す。
「まぁな。理由は二つだ」
「二つ?」
「一つは俺の家族と故郷を奪った魔族探し。この西大陸トゥーレを探し回ったがどこにもいなかった。小さな望みだが、もしかしたら東大陸のどっかに隠れてるかもしれねぇ」
「敵討ちか、なるほど。君は幼いころに魔族たちに村を襲われていたのだったな」
「ああ、元々は勇者とか名声とかどうでもよくて、その敵討ちのために、俺は旅に出た。そして、ミズガルズの戦士になった。でも、仇は見つからなかった」
ディランは全てを奪った魔族を探し、旅をしていた。
だが、今日に至るまで、その足跡の一つさえ見つけることができなかった。
相手は何者なのか? どこに居るのか?
わかってるのは魔族ということだけ……。
ゆらりとした影を纏うディランを目にしたヴァ―リは、これ以上彼が濃い影を生み出さないように、会話を次へと移した。
もっとも、続く会話にも影は纏わりつくが……。
「それで、もう一つの理由は?」
この問いに、ディランは視線を僅かに泳がせ答えた。
「……このまま、ここにいたら良くないことが起きる」
「ネストか?」
「ああ……最初はただのやっかみだったんだけどな」
ディランは泳いでいた視線を、ヴァ―リの背後にあるガラス窓に向けた。
街の風景を望みながら、彼はネストを語る。
「ネストは領主様の息子で俺は農民の子。身分差はあるが、友達だ。あいつは性格も良いし、顔だって悪くねぇ。だから、あいつに人気が集まるのは仕方ねぇなぁと思っていた。だけどな……」
ディランは窓から差し込む光を顔に受けて、表情を歪める。
「俺とあいつの剣の腕に差はない。魔法も武術だって。それなのに注目が集まるのはいつもネスト。気にしないでいたつもりだけど、やっぱりな。どうしても……」
「嫉妬か?」
「ああ、そう。情けねぇけどな。そして、その嫉妬が粘りを帯びて、黒ずんできやがった。そんな奴があいつの隣に居てはダメだ」
寂しげな雰囲気を纏い、ディランは目を細めた。
そして、言葉を続ける。それはとても小さな言葉。
「俺はあいつと友であり続け……」
この言葉は宰相ヴァ―リの耳へ、確かに入った。
だが彼は、聞こえなかった振りをして言葉を返す。
「ともかく、彼から離れたいというわけだな?」
「まぁな。正直、出会う女が全てあいつに惚れる様を傍で見続けるのは飽きたし。ってか、これが一番ムカつくんじゃ。ったく、パン屋のジェシカちゃんまで~」
「ジェシカちゃん?」
「聞いてくれよ、宰相。クロワって村のパン屋に、胸の大きな可愛い女の子が勤めてたんだよ。毎日足げに通って、なかよくなってさ。軽いデートとかもしちゃったりして、いい感じだったのに、そこにネストォォォォ」
さっきまでの哀愁はどこに行ったのか、彼はドス黒い気焔を纏い、地獄の底から響く声を産む。
「あの野郎が一度だけ、一度だけ! パン屋に訪れただけで、ジェシカちゃんの心を盗んじまった。俺の立場は何なんだよ!? 結構本気だったのに。将来のことを考えて、パンの焼き方とか勉強してたのにィィィ」
「結構というか、本気そのものだったんだな。ご愁傷様」
「ああ、まったくだよっ! それがきっかけでネストが死ねば俺が勇者として~、なんて妄想をよくするようになっちまった。これは良くない傾向だろ」
「でも、実行する気はないのだろ?」
「そりゃね。仮に実行しても、どっかでポカやって返り討ちに遭いそうだし。ネストは人が良いから、俺の墓の前で泣くだろうね。そしたら、周りの女どもが『ネスト様、私たちが付いています』的な展開が見えるわっ。なんで死んでまであいつの引き立て役にならなきゃいけねぇんだ!」
「想像力豊かだなぁ。ま、色々思うところがあるようだから、一度彼らから離れるのも悪くない。私としても、下手な問題を抱えるよりいい」
「その言い様。俺が出ていくのに反対しないのは、それが一番の理由だな?」
「二番目だ」
「ん? じゃ、一番は?」
「ディラン、君を心配してだ。君は一見性格が軽く見えるが、意外に繊細だからな」
「う、うるさい」
「それに僕の傍にいると、どういうわけか君は甘えるからなぁ、はは」
「誰も甘えちゃいねぇよ!」
ディランは頬に熱を乗せる。
六歳年上のヴァ―リはたとえ背が低く幼く見えようとも、ディランにとって兄のような存在だった。
だから、普段はそれなりにしっかりしている彼も、ヴァ―リの前では、つい幼子のような態度を取ってしまう。
彼は熱を冷ますように頬を数度払い、言葉を返す
「とにかく、俺は行くよ」
「ネストにこのことは?」
「話してない」
「そうか。では、私から話しておくとしよう」
「ああ、頼んだ」
ディランは後ろを振り返ろうとした。
しかし、ヴァ―リは言葉で、彼の背中とその中に宿る心を突き刺した。
「ディラン。君の良さはその慎重な性格だ。覚えも良く頭もいい。仕事も丁寧で余計なことはしない。それは安全で無難な人生を望むなら申し分ないもの。だが、成功を望むならばリスクとる勇気が必要だ」
「うるせいよ……」
ディランは小さくヴァ―リの声を止めようとした。
だが、彼は止まらない。
「多くの者に認めてもらうには人と同じことをしていては意味がない。自分にしかできないことを皆に見せつける必要がある。能力を示す必要がある」
「黙れってっ」
ディランの語気が強くなる。
だが、ヴァ―リは口を閉じるなんて真似はしない。ディランを想い……。
そして、最もきつい真実を彼に突きつけた。
「いいか、いま君に伝えたこと。ここから逃げ出そうと、それを忘れるなっ」
逃げ出す――このヴァ―リの言葉はディランの心を深く抉る。
だから彼は、振り返り、感情を露わとする。
「あんたに何がわかるっ。その若さで宰相なんて役職についているあんたにっ。俺はあんたみたいなエリートとは違う。ネストみたいな領主の息子なんて肩書きもないっ。ただの平民。貧しい農民の子どもだ!」
ディランは両手で強く宰相の机を叩き、詰め寄る。
「幼いころに両親は魔族に殺された。妹も殺された。俺の目の前で! まだ、戦う力を持たなかった俺は、頭を勝ち割られた親父の隣で犯されるおふくろを息をひそめて見つめるだけしかできなかった! 泣け叫ぶ妹が嬲られ、痛めつけられ、殺される様子を怯えて見ているしかできなった!」
彼は大きく拳を振り落とし、机を二つに割る。
だが、ヴァ―リは微動だにすることなくディランを睨みつけ、静かに言葉を返す。
「痛みを知るのは君だけじゃない。誰もが痛みを知っている」
「王都の結界で守られた場所に住むあんたに庶民の痛みなんか、」
「私はこう見えてもスラム出身だっ」
「ん……へ?」
「私には弟と妹がいた。私たちは毎日のように虐待を受けていた。両親だけではなく、周りの大人たち全てからだ。その虐待が元で、弟は死んだ。妹は餓死だ」
「え、死?」
「やがて両親は金に困り、十にも満たない私を男娼に売った」
「男娼? 男娼って、宰相が男娼でお客は女性?」
ヴァ―リは静かに首を横に振る。
「私は幼くしてあらゆる苦痛と快楽を覚えさせられた。しかし、私は明日を信じ、小さな希望と可能性を積み上げて、今ここにいる」
「マジな……話ですか?」
「こんな嘘は言わない。君を信頼して、真実を話している」
「それは……その、ありがとうございます?」
ディランは言葉選びに迷い、何故かお礼を口にする。
その奇妙な返しを気にすることなく、ヴァ―リはディランに言葉を送り続けた。
「私は機会を逃さず、時に大きなリスクを背負い、歩んだ。君も苦労が多かっただろうが、望むものを得る機会は私よりも多かったと思うが?」
「え~っと……」
ディランは言葉を産めず、なんとなく真っ二つになった机を持ち上げて元に戻そうとする。
だが、もちろん戻るはずもない。
彼は両目を瞑り、沈黙を纏う。
そして……
「ふ、不幸自慢かよっ。ちきしょうっ」
彼は飛ぶように執務室から逃げ去った。
開けっ放しの扉を見つめながら、ヴァ―リはとても暖かな言葉を贈る。
「君の周りにいる者たちは眩しすぎるからな。私自身も君に弟の影を重ね合わせ、少々甘やかしてしまった……この旅路の末に、君が大きく成長し帰ってくることを願っているよ、ディラン」