臆病なマンドラゴラ
銀の髪を揺らす一糸纏わぬ少女は台座の上に立ち、青年へ挨拶をする。
「初めまして、マスター。私はあなたの如何なる命令にも従います」
マスターと呼ばれた青年は、栗色の短髪をかき上げながら視線を上へ下へと飛ばしている。
「う~ん、なんだかよくわからんが……とりあえず、服を着よっか」
これは後に、血の繋がりがなくとも、兄と妹いう関係を構築していく二人の出会い。
――半月ほど前
西大陸最大の国家、ミズガルズ皇国の宰相ヴァ―リは役職に相応しい豪壮な執務室で、低い背丈に見合わぬ高椅子に腰をかけている。
彼は夏の蒸し暑さなど一切感じさせぬ淡白な表情のまま、黙々と必要な書類にペンを走らせていた。
「ふむ、思ったより予想収穫高が低いな。備蓄を増やさねば……」
「ふかぁぁぁぁぁぁ、ふぇぇぇぇぇえ」
「こちらの書類は? ……ふむ、南方に魔族の一団か。少数のようだが、念のため人員を配置するか」
「ぴぎぃぃぃぃ、ききゃぁぁぁぁあ」
「こっちは……うん……」
「しゅびさぁぁぁぁ」
「…………はぁ~。うるさいぞっ、マンドラゴラの物真似ならどこかよそでしろ」
ヴァ―リは机の前に寝転がり悶え打つ、夏の蒸し暑さより鬱陶しい男に声を荒げた。
男は絨毯を毟りながら強く言葉を返す。
「誰がマンドラゴラだ! マンドラゴラなら、もっと劈くようにピギャァァア! って鳴きます~」
男は口を尖らせ、さらに絨毯を毟る。
その態度にヴァ―リは呆れ顔を見せる。
「何でもいいが、頼むから仕事の邪魔をしないでくれ」
「だってぇぇぇ、もう、いやだぁあぁぁぁ」
男は幼子にように手足をバタ狂わせて、じたばたと暴れる。
この男、魔族から人類を守る壁である、ミズガルズ皇国に所属する勇者一行の一人。
名は――。
「ディラン。いい年した男がみっともないぞ」
半ば慣例となったやり取りにヴァ―リは怒ることもなく、諦め混じりの言葉を口にする。
しかし、ディランと呼ばれた男は宰相の言うことに耳を貸さず、愚痴を山のように重ねていく。
「だってさぁ、俺、頑張ったんだぜ。今回の遠征。なのに、だ~れも、俺の名前すら呼んでくれねぇ。ちきしょうっ」
彼はディラン=ロールズ。十八歳の青年。
ミズガルズが誇る勇者ネストと同郷であり、幼馴染。
彼は勇者と比べても剣の腕、魔法の技術、武道の才と全てにおいて引けを取らぬ力量の持ち主。
だが、勇者としてのカリスマ性がなく、無名であった。
その無名である理由には、彼の性格が災いしていた。
その一端が、宰相の口から洩れる。
「それは君が臆病だからだろ」
「誰が臆病じゃぁあぁぁ!」
ディランはガバリと立ち上がり、ヴァ―リの机にバンと両手置く。
彼の両腕は線が細く幼顔のヴァ―リとは対照的で、戦士としての逞しさに満ち溢れ、その腕に見合うように肉体も堅固であった。
容姿もまた凡庸ではなく、黙ってさえいれば戦士としての頼もしさを感じさせてくれる青年だ。
彼は栗色のさっぱりとしたショートヘアを振り乱しながら、ヴァ―リに食ってかかろうとした。
そこに地面が揺れ、彼らの会話を一時止めた。
ディランは倒れそうになったペン立てを押さえながら声を出す。
「とと、また地震か?」
「最近、多いな。まさかとは思うが、再びマチノミが現れる前触れじゃないだろうな」
「よせよ、縁起でもねぇ。俺やネストたちが総出で何とか倒せたんだぞ。もう二度とごめんだぜ、あんな化け物と戦うのはっ」
「それはそうだ。だが、何にせよ、何か悪いことが起きる前触れのように感じるな」
「ただの地震だろ。宰相が迷信じみたこと言ってどうすんだよ。そりゃ、備えはあった方がいいだろうけどさ」
ディランは揺れが止まったことを確認するかのように床を二度踏む。
「ほら、いつも通りたいしたことなかった。それで話を戻すが、俺は慎重なんだよ。あいつらと違って」
ディランという男は戦いに万全を期する男だ。
少しでも不安要素があれば、戦いを回避する。
それは戦士として必要なことである。
だが、勇者ネストを中心とした、彼の周りにいる仲間たちは違った。
大魔術師フレイヤは絶対に不可能と言われた峡谷越えに挑戦する。
彼女は魔法で橋を生み、峡谷を越えた。
もちろん、この挑戦には大変大きな危険があった。
だが、彼女はやり遂げた。
故に、名が広がる。
弓と精霊の使い手、エルフの少女フリッグは魔族が引き起こした荒れ狂う洪水を前に、精霊の加護を祈リ、暴虐を鎮めようとする。
それは無謀な行為。
だが、退けば後方にある豊かな田畑は失われ、先に在るのは飢えという名の大勢の死。
だから彼女は踏みとどまり、暴虐たる流れを食い止める。
そして見事、洪水を鎮める。
たとえ無謀であっても、栄光をおさめれば、人々は彼女を讃える。
癒しの法術師エイルは魔族がばら撒いた病気を前に、逃げることなく立ち向かう。
それは致死率の高い病気。
自身が感染する可能性は大いにあった。
だが、彼女は感染を恐れず、多くの力なき民のために、癒しの法術を行使する。
病気は慈愛の少女の前に頭を垂れ、罪を悔やみ、祈りを前に浄化される。
自らの命を危険に晒してまで民を救った少女の姿に、多くの者たちは彼女を女神と呼ぶ。
――勇者ネスト
魔族は万の軍勢をもって、小さな町に襲いかかった。
そこに兵はなく、ただ力なき民草が怯えるのみ。
だが、彼がいた――勇者ネスト。
彼は威風堂々と、万の魔族の前に立ち、背に民を預かる。
そして、守り抜いた。
ただ一人の命を失わせることなく。
ネスト自身も血の一滴も失っていない。
絶望を前にして逃げ出さず、立ち向かい、そして奇跡を目の当たりにした民は彼を讃える。
勇者ネスト、と……。
これらの話を通して、ディランは肩を竦めながら首を左右に振る。
「いや~、無茶はせず、着実に一歩ずつ前に進まねぇと駄目だろ。ったく、なんでアイツらそんな無茶ができるんだっ? ってか、それどころか、その無茶の尻拭いをさせられてるんだが。この俺がっ!」
ディランもまた強者であり、彼らに並び立つほどの力量の持ち主である。
しかし、戦いを前に、相手の情報をしっかり手にして、且つ、慎重に事を運ぶことが彼の戦略。
そのため、ディランが戦いの準備を行っていると、いつの間にか他の仲間たちが全てを解決している。
だが、無茶を押す仲間たちのせいで、いつもディランはその後始末に駆り出されていた。
目立つのはいつもネストたち。ディランは彼らの影の存在。
もっとも、その影となる原因はディランの行動原理そのものにもある。
彼自身、危険な任務を請け負うことを避け、後方任務に重きを置きすぎていた。
故に無名。
誰も彼のことを気に掛けない。
勇者一行の一人だと思われない。
そのため、民衆はディランの名を知らず、いつも勇者のそばにいる人程度にしか見ていなかった。