四月の寒い日編
四月も中ごろに差し掛かったある日の朝、「今日は少し冷えるわねぇー」とエターナは妹の顔を見上げながら言った。
「そうだね……」
冬の時期に比べればどうという事もないのだが、ここずっと暖かい春の陽気だったのでリムもそう感じてしまう。
「冷えるって言うか……風が冷たいんですよね」
銀髪魔女の姉妹と共に歩く黒髪の少女が言う、朱鷺坂由仁というなの彼女は二人の従妹である鬼の少女だ。 なお、魔女の従妹が何故鬼なのか?と突っ込んではいけない、この小説はあくまでギャグなのである。
三人に制服の襟とスカートの色が緑と紺色、そして青と違うのは、初等部に中等部と高等部とそれぞれ違うからである。
「朝の天気予報だとこの冷え込みはしばらく続くらしいですから、エターナ姉ぇもリム姉ぇも体調には気を付けて下さいよ?」
紺色の襟の由仁が従妹姉妹を交互に見ながら言うと、青いスカートに張り付いていた桜の木の葉っぱを払っていたリムが「うん、そうだね」と頷く。
「大丈夫よ、子供は風の子って言うじゃん?」
「お姉ちゃん……それはちょっと違うような……」
「そもそも、エターナ姉ぇは二十歳じゃないですか……」
緑の襟とスカート、初等部の制服を纏った”お姉さん”を見下ろしながら、リムと由仁は苦笑したのであった。
教室で授業が始まるまではまだ時間があれば生徒達は友達と話をしたりして思い思いに過ごす、それはエターナも変わらない。
「……ほへ? メアは今日休みなの?」
エターナの後ろの席に座り金髪ポニーテールの女の子が、「うん、そうみたい」と頷く。 アリス・スカーレットという名の彼女は吸血鬼である。
「アイン先生が言うにはさ、体調を崩して熱を出したんだって」
アリスは今日は日直だったのでいつもより早く登校して、職員室に行った時に聞いたのである。 それによると、昨晩に酒を多めに飲んだメアはそのまま布団に入らず寝てしまい、今朝の急な冷え込みで熱を出してしまったらしいのだ。
なお、メアは見た目も実際の学年も小学生ではあるが三百年は生きている妖怪なので飲酒は法律上何ら問題はないと補足しておく。
逆向きで椅子に座ってアリスと向き合っているエターナは、「メアらしいっちゃーメアらしいわねぇ……」と呆れた。
「……っていうか、お化けは死なないし病気もないんじゃないの?」
「いや……それはアニメの歌だから……」
アリスはアリスで目の前の友人に呆れ顔を見せた。
その頃、メアは布団の中で「まったク……油断したのデス」と少し赤い顔で呟いていた。
古いアパートの1LDKの部屋には畳が敷かれ、まるでどこからか拾ってきたかのようなおんぼろのタンスが置かれている。 同じようなちゃぶ台が壁に立てかけられているのは、布団を敷くとスペースがなくなるからだ。
「まア……せっかくダシ、今日はゆっくりと寝かせてもらうのデス」
学園生活が嫌いではないが別にそこまで行きたいわけでもないメアは、そんな風に考えていた。
十二時を少し回った頃、魔女姉妹の祖母である朱鷺坂せつなは残り物のご飯とみそ汁を温めて昼食を摂っていた。 孫娘達のいる時はきちんとおかずも用意するものだが、一人だと時にこういう横着をせつなもするのである。
朝や夕方は三人で囲み少し狭く感じるちゃぶ台も、一人だとやや広く感じていた。
やがて空になった食器を片付けようとした時に、付けていたテレビで天気予報が始まっていた。 何気なく眺めていたせつなだったが午後から天気が下り坂だとキャスターが言ったのに「おや? そういや……」という声を漏らした。
放課後になり日直の仕事を終えて帰宅しようと廊下を歩いていたアリスはふと足を止め、「……止みそうにないかぁ……」と窓の外を見て呟く。
だいぶ前から降り出した雨は止むどころか勢いを増し、大雨と表現していいくらいだ。
ロビーまでやって来ると時間の割に生徒が集まっている、おそらくは傘を持ってこなかったのだろう。 もっともほとんどは家に電話をして親に持って来てもらうか迎えに来てもらうためロビーにいるのだとは分かる。
アリスも今日は傘は持っていないのだが、従者であるイクスが迎えに来るので心配はしていない。 そのアリスはよく知る少女達の姿を見つけて「どうしたの?」と声を掛けた。
「おりょ? アリス?」
「アリスちゃん、今帰りなの?」
長い銀髪を持ったそっくりな顔の少女達がアリスを見た。
「ひょっとして二人も傘を忘れたの?」
「うん、そうなの」
アリスからみると高等部の先輩にして同級生の妹のリムが少し恥ずかしそうに答えると、「そうなのよねぇ、それでどーしよーか困ってたのよ」とエターナ。
家に電話して傘を持って来てもらえばと言おうとして、二人の家には祖母であるせつなしかいないと思い出す。 年齢の割には足腰も丈夫な老人だとは知っているが、それでもこの雨の中を学園まで来てとは言えないのだろう。
「やっぱしダッシュで帰ろうよ?」
「でも、昨日だったらともかく、今日は寒いし……びしょ濡れになったら風邪をひいちゃうよ……」
元気の塊のようなエターナが病気になる姿というのも想像出来ないアリスではあるが、確かにそうかもと思う。
忘れてしまったのが悪いとも言えはするが、困っている友達を見捨てるわけにもいかない。 だからどうしようかと考え始めた直後に「お待たせしました、アリス様」という女性の声が聞こえ、そちらを見る。
「あ、イクス……」
ここまで差してきたのであろう畳んだ黒い傘と、そしてアリス愛用の赤い傘を持ったメイドがエターナ達に「こんにちわ」と挨拶をすれば、二人も挨拶をちゃんと返す。
「……それで、お二人は何故まだ学園に残っているのでしょうか?」
日頃よく一緒登下校するのではあるが、アリスが日直だしこの雨なのでエターナ達は先に帰っていると思っていたのである。
「あ……それなんだけどさ、イクス……」
アリスは状況を説明すると、イクスは「そうですか……」と少し困ったような表情になる。
「それでしたら私の傘をお二人にお貸しても良いのですが……それですとアリス様の傘で二人は小さすぎますので少々困った事になるかと……」
その場合、アリスの子供用の傘ではイクスと二人で使うにはサイズが小さい、エターナとリムでも同様である。 イクス自身は濡れるのは構わないのだが、アリスはそんな事をさせたくはないだろうし、魔女の姉妹も納得しないだろう。
従者としてアリスをびしょ濡れにする選択肢は当然ない。 現実的な手段としてはアリスを置いて一度帰り、二人の分の傘を用意するなり車を用意するのが妥当だろう。
そう提案するとアリスは少し困った様子だった、おそらくこの大雨の中をもう一度往復させるのを悪いと思っているのであろう。 そして、それはリム達も同じだったようで……。
「いえ……それは流石に悪いですよ」
「そうだねぇ……」
……と、言ってくる。
自分が困っていても極力ヒトに迷惑は掛けたくないのを彼女ららしいとは思うのだが、このままではいつまで経ってもみんな帰れない。 ここは多少強引にでも行くしかないか……と思ったところへ、「……あなた達、ここにいたのね?」という女性の声にイクスだけでなく少女達もそちらへと顔を向けた。
そこに立っていたのは、穏やかな笑顔の学園長ことトキハであった。
一時間後、エターナ達姉妹とトキハ、それにせつなの四人でちゃぶ台を囲んでいた。
「……まったく、ほんとにあなたの言った通りだったわよ?」
親友である老婆に苦笑しながらトキハが言うと、「この子達は変なところで遠慮するからねぇ……」と孫娘達を見やるせつな。
「でも……トキハさん達にもお仕事だってあるじゃないですか……」
あの後エターナとリムはトキハの運転する車で今で送って貰った、何でもせつなが電話で頼んでくれたらしい。 それ自体は確かにありがたいのではあるが、リムとしてはそこを気にせずにはいられない。
「そーだよねぇ……本当に良かったの?」
大雑把で細かい事は気にしないエターナでも妹と同じように思う。 学園長のトキハよりもせつなの親友という事での付き合いの方が長い二人だけに、どうしても公私混同という風に感じてしまう部分もあった。
「いいのよ。 困った生徒を助けてあげるのも先生の仕事の内だからね?」
言ってから親友である老婆を見やれば、「そういう事だよ」と孫娘達へ向かって頷く。
「うーん……おばーちゃんやししょーがそう言うならいいのかなぁ……?」
まだ納得のいっていないエターナ、昔から魔法も含めいろんな事を教えてくれた師匠と慕っているトキハの言う事だけに間違っているとも思えないが、どうにもすっきりしないのである。
エターナは考えている事がはっきりと顔に出ているのはいつもの事だが、この時はリムも姉と同じであった。 大人達二人は子供たちのそんな様子に顔を見合わせた。
それから、トキハが「そうね、今日のところはそれでいいわ」と穏やかに笑いながら言う。
「今日のところは……ですか?」
「ええ、このくらいの事はそんなに深く考えなくてもいい事だしね」
エターナもリムも信頼する大人の言葉であっても盲目的に信じない、自分達が気になる部分があればきちんと考える事が出来ているなら、今はそれでいいとトキハは考える。
「そうだねぇ……それにそろそろ夕飯の支度をしないといけないんじゃないかい?」
祖母に言われてリムは「あ! そうだった!」と立ち上がる。 基本的に家事はせつながするのだが、彼女らも手伝いはするし今日みたく食事を作る日もある。
「お姉ちゃん、行こ!」
「うん~!」
妹に促されてエターナが立ち上がると、「あ! 私の分もね?」とトキハが言うのに、「あんた仕事の方はいいのかい?」とせつなが尋ねた。
「いいのよ、後はユリナに任しちゃうから」
親友がいたずらっぽく笑いながらスマートフォンを取り出したのに、「やれやれだねぇ……」と溜息を吐く。 その孫娘姉妹も、いいのかな?という風に顔を見合わせていたのに「いいのよ?」ともう一度言ったのであった。
少し迷っていたがやがて揃って台所へと向かった二人。
「……あなた、少しあの子達を生真面目に育て過ぎたんじゃないの?」
「そうかも知れないねぇ……」
困っているようにも愉快そうにも見えるせつなの表情は、彼女がエターナらと同じような年頃からまったく変わっていないと、トキハはそんな風に見えていた。
電気の明かりもどこか心許なく感じる薄暗い学園長室に一人佇むのは、金髪に狐の耳と腰から尻尾を生やした女性である。
窓を閉め切っていても騒々しい雨音の中、ユリナという名を持つ副学園長は「うふふふふ……」と笑うのがひどく不気味なのは、部屋の雰囲気だけではない。
「トキハ……私に仕事を押し付けて自分はあの子達とご飯ですか……くっくっくくっく……」
メール画面を閉じたスマート・フォンをポケットに仕舞うと視線を窓へと向けた、その瞳に映っているのは暗く気の滅入るような外の景色ではなく、ちゃぶ台を過去だ朱鷺坂家の面々が笑い合う明るい食卓であった。
「明日会ったら……うふふふふ」
直後に窓の外がストロボめいて光り、僅かに遅れて大気を振動させんばりの轟音が鳴り響いたのは、実際ホラー映画めいていたのであった。