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カンハレ

カンハレ

作者: 花鳥 秋

挿絵(By みてみん)











────────────────────────────────


 

 白で覆い尽くされた正方形の部屋の中で、私は翔馬を待っていた。

 坦々と過ぎる同じ毎日の繰り返しの中で、翔馬に会える事だけが私の喜びだった。

 何の感情も持たない機械に囲まれながら、私の命がまだ脈を打っているという事を知らせてくれる電子音は、私の話し相手にはなってくれない。

 あまりに退屈だったから「ねぇ、たまにはピッ、ピッ以外の音も出しなさいよ」なんてフザけて問いかけてみた事もあったけれど、電子音は一定の数字を画面に表示したままで、まさか私の問いかけに反応してくれるなんて、そんな事はなかった。そんなまさか、あるはずがなかった。

 この機械は、私が喋りかける事が出来なくなってる時に限って、違う音を鳴らす。

 色んな音を出して、色んな人を呼び集めてくれる。

 この機械がそうやってたまに違う音を出した日には、お母さんもお父さんも飛んで来てくれる。

 翔馬も駆けつけてくれる。

 私の体調は決まって最悪な時なんだけれども、私はそれが嬉しかった。

 それが——それでも、嬉しかった。

 私を心配してくれてる人が居る、私は1人じゃない、大切にされてるんだな。

 そう思える時間が、体調の悪化からくる確かな苦しみと相乗りして、ゆっくり船を漕ぐ。

 私の心の中の水面を浮かぶ。

 私はその時間が好きだった——いや、やっぱり嫌い。大嫌い。好きにはなれない。でも、いつも嬉しかった。

 ——翔馬が来てくれるから。



 もう何度目か分からない発作に見舞われ、私の容態が急変したある日の事、病室で酸素マスクをして意識虚ろになりながら、点滴の落ちる音と例の電子音を朧げに聞いていた私の隣で、翔馬が泣いていた。

 私の右手を強く握り、私に言っていた。

「大丈夫だから、大丈夫だからな。

 美織……俺は美織の傍に居るから……」

 泣きそうな——と言うか、泣いてるかこれ。

 声で何となく分かる。

 翔馬の方を見るのも億劫だ。首が動かない。

 視線をゆっくり動かして見るけど、翔馬を捉えられない。

「美織? 俺は此処に居るから」

 もう、そんな情けない声出すな。

 男でしょーが。——って言うか、泣き声で言われても格好ついてないし。嬉しいけれど。

 私が今ちゃんと喋れる状態ならどんな皮肉よりも先に「ありがとう」って言っている。

 翔馬が私の顔を覗き込んできた。

 無理矢理作った笑顔で、私を見てる——見おろしている。

「な……に……?」

 辛うじて、これ位は言えた。

 酸素マスクが吐いた息で曇る。

「今日はカン晴れだぞ」

 カン晴れ。かんかん照りのカンと、晴れをくっつけて作った私と翔馬だけの共通認識の言葉、今日はカン晴れ、凄く暑い良い天気って意味。

 そんな事、今のこの状態の私に言う?

 どうしろっていうのよ、と、私は笑った。

 勿論、声には出せてないから、思いながら。

 上手に笑えてたかな?

 不安になる。

 そっか、今日はカン晴れか——外に出たかったなぁ。

 次、元気になれるのはいつだろう。


 その日は意外とすぐにやってきた。

 そうは言っても一週間程の入院生活は強いられたけれど、一週間で退院出来たのならまだ快調と言うべきだった。

 病院の出入り口を出た所で、私は「んんっ」と両手を頭の上に突き上げながら伸びをした。

 久しぶりの太陽を仰ぎながら、目を細める。

 暑い。かんかん照りの太陽。今日はカン晴れだなぁ——なんて思っていると、私の後ろの病院の自動ドアが開き、遅れながら母が出てきた。

「あ、お母さん——お医者さん、何て?」

「大丈夫よ、安静にしとくようにって、それだけ言われたわ」

 私のお母さんは嘘が下手。口調が嘘っぽくなって、笑顔が演技染みたものになって、頬が引きつる。

「そっか」と、私は短く答える。

 きっと良い事は言われてない。

 今年で19歳の私にだって——まだ10代の私にだって、それ位分かる。

 10代最後の歳だから、分かる。

 私の余命は後1年もないんだから——

 病院から家に帰るタクシーの中、私はずっと沈黙していた。

 正確には考えていた。これからの事を。

 余命が1年を切っている割には意外と元気にしている方で——体調の悪化は日に日に感じてるし、発作が起こる間隔も狭まってきてるけど、私は、私の病気に随分と気を使って生きてきた。

 醜くても、不格好でもいい。誰になんと言われてもいい。しぶとく、これ以上なく無様に、縋り付いて生きてみようと、私は決めていた。

 そのおかげあってか、最近では医者も「もしかしたら、後1年か2年位は生きられるかも知れないね」と言ってくれた。

 私の覚悟を知り、私の性格を理解してくれてる医者が、そう言ってくれた。

 これは有り難い本音だった。下手に後10年位は、なんて言われてたら、そこで気が緩んでいたかも知れない。

 私がそこまでして無様に生きようとするのは、何も私の中に確固たる美学なるものが存在しているからとか、人生観にしっかりした持論を持っているからとか、そういう訳じゃない——決してない。

 ドナーを待ってる、それだけの事。

 実は、私は自分の病気に対し、何ら詳しい事を把握している訳じゃなく、適当に聞いて、適当に危険だと言う認識だけして、適当に生き長らえる努力をしているだけ。

 身体の幾つかの臓器が——なんて説明を受けた事もあったけど、私はその説明すら苦痛で、真面目に聞いてなかった。

 聞きたくなかった——そのくせ、自分の身体の事だから、と、その場への同席を求めたのは他でもない私自身だった。

 結局、その話を聞いて私が理解したのは、その幾つかの臓器に対し、半分でも臓器を提供してくれるドナーが見つかれば“余命を増やせる”と言う事だった。

 そうして余命を増やした間の期間に、また、別の臓器のドナーを探す。

 そうして生きるしかない、生き長らえ続けるしかない、それが私の生き方だと。

 私の人生はギャンブルかよ、とか思った——その話を聞いたのは16歳の頃だった。

 回想を終えながら、私は車窓に映った自分の顔と睨めっこしていた。そこに映った私の顔は痩せこけていて、その痩せた顔に長い黒髪はあまりに不似合いで、不幸で不幸で堪らないような表情を浮かべながら、頰杖をついて映っていた。

 可哀想な子を見るような目で私と彼女は見合っていた——なんて表現をするには他人行儀もいいところだけどね。

「お母さん」

 私は車窓に映った自分から視線を離さずに、隣に座っている母に話しかけた。

「ん? どうしたの、美織」

「翔馬に会いたい」

「翔馬君? 翔馬君の家寄ってく?」

「うん、寄ってく」

 淡々とした口調の私に、母は出来る限りの優しい声で、私が言いたかった提案を口にしてくれた。流石、親子。

「今日はカン晴れだから」

 この台詞だけは母にも聞きとられないように、小さく呟いたのだった。


 突然の私の訪問に、翔馬は玄関先に出てきた所で目を丸くして固まってしまった。

「やっほー、会いにきてあげたよ」

 翔馬から言葉が出そうになかったので、私は右手をちょこんとあげて、精一杯に戯けた口調で言って見せた。

 うーん、ちょっと見ない間に髪を切ったらしい。短い髪が逆立って、ハリネズミのようになっている。金髪なのは風情が悪い気もするけど、前の黒髪長髪よりは幾分さっぱりしていて爽やか。私はこっちの方が好き。

「美織……? え、お前、なんで?」

「はぁ? 何よ、その反応。彼女がサプライズで会いにきてあげたんだからもうちょっと喜びなさいよ」

 我ながら、言ってから——うん、この台詞はないな。と、思う。どこのアニメの何キャラだよ、私は。

「お前また病院抜け出してきたのか⁈」

 おいおい、失礼な事言うなよ、バカ翔馬め。

「私がいつ病院抜け出したんだよ、この!」

 ツッコミながら、私は翔馬の頭を叩こうとしたけど、翔馬は背が高い。

 その上、サッとかわされてしまっては私の攻撃は届かない。

 背伸びしても全然届かず、諦めた。

「もういい! もう知らん! 翔馬のバカ!」

「ごめん、ごめん、でも頑張って叩こうとする美織可愛いからさ、ついつい避けちゃうんだよ」

 何言ってんだこいつは。

 なんでもかんでも可愛いって言えば女子が喜ぶと思ったら大間違いなんだからな。

 なんでもかんでも可愛いって言う男子ほど女子を——恋する女子を不安にさせる事もないんだからな、バカ翔馬。

「ねぇ、取り敢えず家入れてよ。お母さん帰しちゃったから。暑い」

「え? あー……えー……」

 煮え切らない態度がふつふつと現れる。

 煮え切っていないのに、ふつふつと。

「何? あ、浮気中だった?」

「な訳ねぇだろ! 俺は美織以外の女の事なんかこれっぽっちも恋愛対象に入れた事ねーよ」

 わぉ、今のは少し嬉しかった。

 やっぱりそういうのだよ、ちょっと臭くてもいいから、そういう特別めいた言葉が嬉しかったりするんだよ、少なからず私は、だけど。

「じゃあなんでそんなに迷うのよ」

 嬉しかったりとか言いながら、素直には喜ばない。まだ怒ってますよ、と、アピールする。

 ここで私が喜んでしまうと図に乗るからね。

 それで話が曖昧になるなんて事はさせない。

「いや、今、部屋散らかってるつーか……」

「なんだ、そんな事? 別にいいよ、気にしない」

「俺が気にするっつーの」

 強引に玄関を通ろうとして、すぐに翔馬の腕が私の行き先を封じた。

「もぉ……暑いって言ってんじゃん。ちゃんと見て、カン晴れだよ? 今日。いいから早く部屋入ろうよ」

「いやだから——あ、じゃあどっかアイスでも食べにいく? 俺奢るよ」

「やだ。部屋に入る」

「なんでそんなに頑ななんだよ」

「なんでそんなに頑ななんだよ」

 同じ言葉をそのまま返した。

 うん、だってそれ、私の台詞じゃん。

 翔馬は困惑した表情を浮かべながらも、通せんぼの腕を下ろさない。

 もう、暑い! 本当にめんどくさい! 妥協案を蹴り返しといて言うのもなんだけど、男のくせに往生際が悪いんだよ、もう!

「って言うか、一緒に片付ければいいじゃん」

「いや、それはちょっと……」

「私に見られたら困る物でも?」

「…………」

「あ、エロ本?」

「ち、違うわ!」

 分っかりやすい反応だなー。

 って言うか、エロ本かよ、男子って本当にバカ。

 そんなの部屋に散らかしておくかね?普通。

 いや、違うか。そこじゃないよね。

「ふーん、私という彼女が居ながらエロ本ですか。ふーん…」

「違うつってんじゃん!」

「じゃあ早く入れてよ! 噛むよ?」

「あーもう、分かった! 分かったよ。けど本当に散らかってるからな?」

「いいよ、寝るスペースあれば」

「あぁ?」

「後一年ないかも知れないし、そろそろしようよ」

「何を?」

 聞き返されて、次の言葉を返す前に、私は翔馬から目を逸らした。

 玄関に上がり込んで、靴を脱いで、家の中に一歩踏み込んでから、私は振り向いた。

 私のしつこさにちょっとイライラさせちゃったかな。

 翔馬は少し不機嫌そうな表情で私を見ていた。これからの二人の時間の為にもこの機嫌は直しておいてあげなくちゃ——とか上から目線になるのは私の悪い癖だけど、機嫌を直す為にこれからの事を、じゃなく、これからの事の為に機嫌を直す、は捉え間違えないで欲しいんだけど。

「私、初めてだから手取り足取り教えてよね」

「だから何がだよ」

「セックス」

 はぁ⁈ ——と、返されたのは言うまでもなかったけれど、急に落ち着きがなくなって、嫌そうにしてなかったのも確かだった。

 女子からこういう誘いをさせるって最低だよね、なんて会話をしたようなしなかったような。


 でも、これだけはね——

 これだけは、たった一回でいいから味わって起きたかった。

 大好きな人に、愛する人に、強く抱かれる感覚を、私は味わいたかった。味わってみたかった。

 そして、私の事を強く強く、記憶に残して欲しかったから。

 翔馬の記憶に。

 ほんと、嫌な性格してるよ、私は。

 でも、そうしたかったんだから仕方ないじゃん。

 死ぬ前に、ね。


 次に私と翔馬が会ったのはその日から三日後、地元の夏祭りの日だった。

 お母さんに浴衣を着せてもらい、後ろ髪をアップにして纏めて、私は胸踊らせながら、翔馬の家に向かった。

 迎えに来る、って言ってくれたけど、待ちきれずに私の方からも向かう事にした。

 早く会いたかった。

 私には一分一秒が本当に惜しいから。

 案の定、お互いがお互いの家に向かう道中を半分位まで来た所で私と翔馬は鉢合わせた。

「あ、何で来てんの?」

 甚平姿の翔馬が私に鉢合わせた時の第一声がそれだった。

「別に。早く祭り行きたかったから」

 私も素直じゃない。浴衣をまず褒めて欲しかった、って言うのもあるけど、うん、素直じゃない。

「あーそっか、ごめんね、遅くなって」

「うん、本当にね」

「ごめんごめん、でもあれだね、今年の浴衣姿も滅茶苦茶可愛いね。年々可愛くなってるよ」

 ぶはっ——吹き出しそうだった。

 なんだよ、その取ってつけたみたいな感想!

 そんなありきたりな事言われてもね、私は——滅茶苦茶嬉しかったりするんだからなこの馬鹿野郎。

 翔馬が照れずに臭い台詞を言う時は、決まって私が赤面する時だ。

 恥ずかしいとか言う感情が私にはあっても、向こうには無いらしい。

 そういうとこ、大好きだぞ! ばか野郎……

「い、いいからいくよ!」

 若干視線を落としながら、私は翔馬の横を通り過ぎる。

 翔馬が後ろについて来る。

 ここら辺は鈍い。女の子のして欲しい事が分かんないだもん。

 別に屋台についてからでもいいけどさ、気まずいじゃんこの空気。

 私は立ち止まり、視線を自分の足先に向けたまま、後ろをついて来る翔馬に手だけ伸ばした。

「女子から言わせるなんて最低だよ、手くらい繋いでよ、バカ翔馬」

 後ろで翔馬が少し笑った。

「素直じゃない彼女持つと、よく分かんねー時って沢山あんのな」

 とかなんとか——意味は分かんないけど、そう言いながら、翔馬は私の手を握ってくれた。

 その日は色んな屋台を見て回った。

 本当に、本当に楽しくて。

 いつぶりか分からない位にはしゃいで、無邪気に笑った。

 金魚すくい、的当て、くじ引き、玉子せんべいとかたこ焼きとか。

 私は食事制限の部分、気にしなきゃいけないんだけれど、翔馬が美味しそうに食べているのを見ながらちょっかい出したりして、遊んでいた。

 ヨーヨーも救った。19にもなっておいて、お面も買った。屋台を回るに連れて装備品が増えていく感覚を楽しんでいた。

 光る輪を腕に巻きつけ、ゴム付き水風船を腕に通し、袋に入った水の中で泳ぐ金魚を片手に、頭にはお面をつけている。

 的当てやくじ引きでゲットした外れ商品は一つ二つの袋に分けて、翔馬が持ってくれていた。

 どれだけ荷物や装備品が増えても、私達は繋いだ手を離さなかった。


 花火が上がる頃には私達は屋台を離れた。

 本当は花火も近くで見たいんだけど、それは私の都合で出来ないから。

 肺も弱っている私には花火が打たれた後に蔓延するあの煙はあまり良くないらしい。

 と言うか、祭りに行く事自体、医者には勧められてない。


 帰り道、背後でドォン——! っと、音がして、私は肩を竦めながら、驚いて見せた。

 振り向くとチラッとだけ見える花火。

 続けて何発も打ち上がっている。

「今年も始まったね、花火」

 私がチラッとだけしか見えない花火を見ながら、そう言った。

 翔馬も同じ方向を見る。

「そうだな」

「翔馬、あのさ、一つだけ言っといていい?」

「何?」

「忘れていいからね。私が死んだら、私の事、忘れていいからね」

「何だよ、いきなり」

「毎年毎年、花火も一緒に見られない私なんかとここまで付き合ってくれた翔馬には感謝してるよ」

「だから、何だよいきなり。やめろよ、そういうの」

「翔馬……私……死にたくないな……」

 少し本音が出た。

 涙声だったかも。

 翔馬の手を強く握り、顔を伏せた。

 最初に宣告された余命は実を言うと既に半年を切ろうとしてる。

 それにしては随分と元気に動き回ってる私だけど、それでも、だからと言って、後数年は生きられるんじゃないか、なんて医者の言葉は私の不安を完全に拭ってくれたりなんかはしなかった。

 不安で辛くて寂しい。

 翔馬と別れたくない。

 こんな私なのに。

 こんな私をまっすぐ見て愛してくれた翔馬と、別れたくない。

 本当はね、本音を言えばね——結婚したい。

「美織」

 翔馬の優しい声が聞こえる。

 私の名前を呼んでくれる。優しい声。

「俺さ、ずっと考えてたんだけど、俺の臓器を半分美織に移植するのってどうなのかな?」

 私は耳を疑った。

 こいつはまた何をバカな事言い出してるんだと、耳を疑った。

「何……言ってるの? 駄目だよ! そんなの!」

 私は顔をあげ、涙を溜めた目で、翔馬に言い返した。

 健全な翔馬から——いや、健全じゃなければいいとか、そういう事を言うつもりはないんだけれど、臓器をもらうなんて出来ない。

 だって——

「だって、翔馬の寿命も減っちゃうリスクを背負うんだよ? 1つの臓器の話じゃないんだから!」

「うん、分かってる。でもさ、俺、思うんだよ」

「何? 何が?」

「美織の居ない20年を1人で過ごす位なら、10年早く死んでもいいから美織と10年一緒に過ごせる時間を増やしたいんだ」

「う、嬉しいけど……そんな都合よくいかないよ、現実は」

「かもね、でも、ちょっと思ったんだ。だから考えてみて欲しい。俺は本気なんだ」

 私は、泣き出してしまった。

 別に翔馬のクサい台詞が感動したとか、ましてや受け入れた訳じゃなかったけど、嬉しかった。

 ただ単純に、嬉しかった。

 ありがとう、翔馬。

 でも、私はその気持ちだけで十分だから。

 翔馬には生きて欲しい。

 それは私の切なる願いだった。

 ——やっぱり大好きだぞ、翔馬。


 この日、この夏祭りの日。

 私達は自分の携帯で、2人で写真を撮った。

 チラ見する花火を背後に記念撮影。

 私の顔は泣いた後で、人に見せられたもんじゃなかったけど。


 ——この写真が私の宝物になった。



 8月が終わり、9月がスタートした頃、私はあろう事かアルバイトを始めていた。

 親の反対も医者の反対もそっちのけで、始めたアルバイト。

 週に2回から3回程度だけど、パン屋でのアルバイト。

 冬になると、翔馬の誕生日がくるから、最後くらい、私は私の稼いだお金で翔馬に何か贈りたかった。

 “最後”なんて言って、もう生きる事を諦め始めている自分がいる事に気付くのは滑稽だけど、私の身体の体調が徐々に悪くなっているのも確かだったから、もしかしたら冬まで——翔馬の誕生日まで持つのかな、なんて不安もあった。

 医者は「この調子ならまだ大丈夫だよ」と、この前の定期健診で言ってくれたんだけど、人間いつ予測出来ない自体が起こるかなんて誰にも分からないよね、って事。そういう事。だから私は出来る内に出来る事をやっておきたい。ギリギリの感覚で生きながらも、私がここに残せるものがあるとしたら、ここに残しておきたい。そう思っていた。

 因みに、ここ数週間で翔馬には何度も会っている。会って居ない日を数える方が楽になる位会っている。

 私と翔馬、2人で初体験を済ました日からはキスからセックスに流れる動作なんて段々とお互いに慣れ始めて、その度に何度もお互いの体温を確かめあった。

 そういうのって、やっぱり人から見てもわかるようで「最近女っぽくなったよね」とか「もしかして美織もやっと大人の階段上った?」とか、友達何人かにツッコまれた。

 でも慣れたっ言っても形をなぞって悦に浸るだけのそれじゃなくて、私達はお互いの気持ちを、温もりを、存在を、しっかりと確かめ合っていた。途中で泣いてしまう事もある位に、私達のセックスは他人とは質が違うものだった——そう思ってる。

 勿論、そんな事ばかりしてた訳じゃない。

 寧ろ、身体に大分負荷がかかるあの行為は私の身体でそこまで頻度多くして良いとは言えないものだから。

 一緒に映画に行って、買い物に行って、遊園地に行って。

 私自身、年金なるもののおかげで、この病気のおかげで、お金はあったから、ここぞとばかりに遊んだ。

 最後の思い出作りだって気分で、遊んでいた。

 だからこそ、私は驚いた。

 私と翔馬に用意されていた結末に、唖然とし、愕然とし、茫然とするしかなかった。

 

 バイト中の事だった。

 バイト先の電話がなり、一緒にシフトに入っていた30過ぎの男性社員さんが電話に出た。

 今日は朝からお客さんが多くて、私はヘトヘトで、その隙をついて薬を飲んだ。

 別にコソコソする必要もなく、事情は話してあるから普通に飲めばいいんだけど、仕事中という後ろめたさはあったりするんだ、私にも。

 って言うか薬を飲んでしまうと、今度はそれはそれで副作用に苦しむんだけど、あーだこーだは言ってられない。

「——はい、分かりました、はい」

 社員さんが電話を切った後、私の方に視線を向けてきた。

 なんだ? 私、何かした?

 今の電話がもしかして病院からの忠告だったとか?

 そんな心配はこれ以上なく的を外していた。

 次にその社員さん、新木雄大さんが口にした言葉はにわかには信じられない——信じたくない言葉だった。

「美織ちゃん、木下翔馬君、知ってるよね?」

「え? あ、はい、彼氏です」

「事故にあったらしい」

 え……?

「え、ほ、ほんとですか⁈ 翔馬は? 翔馬は無事なんですか⁈」

「分からない。かなり危険な状態らしい。わざわざ木下君のご家族が君に知らせようと連絡をくれたみたいだ。君、今日はもういいからあがりなさい」

「え、でも、私があがったら——」

「いいから。人の命を繋ぎ止められるのは人の想いだけだ。だったら今、君がかけつけないでどうするんだ。こっちは僕1人でなんとかする。だから、君は行ってあげなさい」

「す、すいません——!」

 私は背中を押された勢いで、エプロンを投げ出し、店を飛び出した。

 職場に恵まれたとか、良い上司に巡り会えたとか、この時はそんな事、全然考えられなかった。

 翔馬が事故。

 考えるだけで、涙が出てくる。

 苦しくなる。

 自分の身体なんて二の次で、私は病院まで走った。ただただそこまで持ってくれればそれでいい。そんな気持ちで、走った。


 病院に着いた後、案の定、私は倒れた。

 翔馬に会えないまま。

 どっちみち翔馬は手術中だったから会えはしなかったけれど、駆けつけにきといて私が倒れているようじゃ本末転倒だ。

 私の目が覚めたのは翌日のお昼前で、私は飛び起きるなり、私の病状の説明をする医者の両肩を掴んで翔馬がどうなったのかを凄い剣幕で問いただした。

 私の病状なんてどうでもいい。

 最初から他人事のように聞いて、他人事のように漠然と捉えてしかいないのだから、今更詳しく聞いたところで何が変わる訳でもない。

 そんな事より、翔馬だ。

 私は医者から翔馬の居所を聞くなり、自分の病室を飛び出して、病院内を走った。

 また走った。

 向かった先は集中治療室だ。

 この部屋にいるという事がどれほどの危険度か私は分かっている。

 少なからず、ドラマや小説でしか知らないにわか知識の他の人間よりは、私は、身を以て分かっている。理解している。

 まさか自分が面会人側として此処に自分から足を運ぶなんて思ってなかったけれどーー私は1つ目の鉄扉を開け、中で両手を消毒して、マスクをつけると、2つ目の鉄扉を開け、集中治療室の中に入った。

 翔馬のいるベッドに看護師が案内してくれる。

 カーテンを開くと、そこには衰弱したような虚ろな目を微かに開けて、私を見る翔馬の姿があった。

 いくつもの管が身体に繋がり、私と全然お話してくれなかった機械の電子音もそこにあった。

 無機質で何の感情も持たない機械が、集まっていた。

「翔馬……!」

 私はすぐに駆け寄り、翔馬の手を取る。

 翔馬の右手を両手で強く握る。

 すると、その右手が微かに反応したのが分かった。

「み……お……り……」

「喋んなくていいから……! 大丈夫、大丈夫だよ、私ちゃんと此処にいるから……!」

「みほり…きひ…て」

 滑舌が悪い、いや、事故で歯が殆んど折れたらしい。

 日本語が日本語として機能していなかった。

 でも、言ってる事は分かる。

 私の事を呼んでる事も、分かる。

「おれ……みほ……りに……そほき……」

 そほき? あぁ、臓器か。

 こんな時まで何言ってんのよ、バカ……

「私の事は良いから! 翔馬、どこか痛いとこない? 私に出来る事なんかある?」

「ほれ……もう……たへ……かもひれない」

「何? ごめん、もう一回ーー」

「かん……はれ……」

「え?」

「かんは……れ」

 カン晴れ、と、言おうとしてるのだろうか?

 でも、今日はかんかん照りでもなければ、晴れてもいない。

 さっき渡り廊下を走った時、外で雨が降っていたのを確認してきた所だから間違いない。

 そもそも、今日の天気を翔馬が確認出来る訳がない。

 じゃあ、なんて言おうとしてるの?

「ほれの……そほき、みほりに、やふかは……かんはって……いきほ」

「分かんない。私、あんたが何言ってんのか全っ然分かんない! だから、元気になったら聞いたげるから! お願いだから、それ以上喋らないで……」

「カンハレ……」


 その一言が最後だった。

 翔馬の容態が急変し、傍らで泣き崩れる私の両肩を看護師が抱きながら、翔馬は手術室に運ばれていった。

 緊急手術だった。

 その結果を言うなれば、無様に、格好悪くても、しぶとく、醜く生き延びようと、翔馬が私のように思っていたなら、成功だったかもしれない。

 そうじゃなくても、翔馬にとっては成功だったかもしれない。

 かなり酷い事故で、此処までの傷を負ったにも関わらず、翔馬は自分のその臓器の殆んどを傷つける事なくして、そして、脳死状態になってしまった。

 医者は苦虫を噛み潰したような顔で“翔馬はもう目を覚ます事はない”と。

 翔馬は脳死に至る直前に、私にこう言った。

 自分が脳死になるタイミングを計ったかのように、見透かしたように、濁音のつかない呂律の回っていない日本語で、こう言った。

『俺の臓器、美織にやるから、頑張って生きろ』

 ———カンハレ。

 それはカン晴れ、の事じゃなくて、私に向けたたった一言の応援メッセージ。


『頑張れ』


 だった。

 私は医者の無情なる宣告に、声をだして泣いた。

 泣いて、泣いて、泣き続けた。

 自分の余命宣告よりも重たい、翔馬の脳死という宣告は私の胸を、思い出を深く抉った。

 携帯の待ち受け、チラ見花火を背後にして撮った2人の写真。

 この写真の中の翔馬にもう会えないなんて。

 笑って話す事が出来ないなんて。

 祭りも、映画も、買い物も、遊園地も、互いの体温を感じる事も、唇の感触を感じる事も、もう何も出来ないなんて。

 嘘だ。

 嫌だ嫌だ嫌だ!

 こんなの嘘だ!

  こんなの嘘だ!

 私の涙は19年間という今まで生きてきた中で、一番溢れ、流れ続けた。

 どれだけ泣いても、駄々をこねても翔馬にはもう会えない。

 いつかは別れなきゃいけない。いけなかった。

 でも、まさか自分が残されるなんて、そんなまさか、想像出来た筈もなかった。


 翔馬はこの未来を想像していたのだろうか?

 そう思えるくらい、翔馬の用意は周到だった。

 私への臓器移植の同意を既に済ませており、もし、翔馬が脳死などの状態になった場合でも、翔馬の両親は既に納得し、承諾しているとの事だった。

 流石に移植手術となると、私と翔馬の体力の問題もあるため、全ての臓器の移植は不可能だったし、半分すら不可能だったけど、それでもドナーが中々現れにくいと言われる箇所を優先的に移植し、それだけでも余命は延びると言われた。

 私もすぐには快諾出来なかった。

 脳死とは言え、脈は打ってるのに、それを止めてまで、好きな人のそれを止めてまで、私は長生きなんかしたくない——したくないんだよ……


 何度も葛藤し、何度も泣いて、何度も謝った。

 結局の所、私がそれを受け入れたのは、私が長生きしたくなった訳でもなく、翔馬の両親に泣いて頼まれたからでもなく、翔馬の最後の言葉、「カンハレ」がずっと胸に残っていたからだ。

 カンハレは2人の共通認識の言葉で、2人にだけ伝わる言葉で、私にだけ向けられた応援メッセージだったから——

 私は一歩を踏み出さなきゃいけなかった。



 私が臓器移植手術を受け、数ヶ月が経ち、季節は冬になった。

 長期入院という事もあってバイトは辞める事になってしまった。新木さんは「いつでも戻っておいで」と、言ってくれたけれど、流石に無理かなぁと思う。

 それでも給料はちゃっかり頂いたので、私はその給料で翔馬の誕生日プレゼントを買った。

 お揃いのペアネックレスだ。

 片割れを翔馬のお墓に供え、もう片方は勿論、私の首にぶら下げた。

「翔馬、ごめんね——ごめん。生きてる内に渡せたら良かったんだけど……こんな私で本当にごめん。何1つ普通のカップルみたいに不自由なく付き合えた訳じゃないのに……いつも我儘ばっかり言って……本当にごめんね。こんな私と今まで付き合ってくれて、ありがとう」

 ——そして、これからも、私の中で付き合っていってください、と。

 翔馬の一部はちゃんと私の中に生きてるから。


 今までごめんね。

 今までありがとう。

 忘れないからね、翔馬の事。

 翔馬が私にくれたもの。

 翔馬が私に最後に残してくれた言葉。

 私はその一言だけで——これからも、どれだけ醜くて、格好悪くて、どうしようもない人生で、挫折だらけで、無様でも、その一言だけで……私は……強く、生きて……見せるから……。

 泣きながら言っても……説得力ないかも知れないけど、私頑張るから……

 素敵な言葉をありがとう。

 私と翔馬だけの大切な言葉「カンハレ」。




皆さん始めまして、もしくはお久しぶりです、花鳥秋です。


前作、前々作と、白夜叶愛シリーズを執筆しておいての今作ですから続編を期待して頂けてた読者様がいましたらごめんなさい。

そちらのシリーズの次回作も只今執筆中で御座います故、もう少し待って頂ければ幸いです。


さて、今作「カンハレ」ですが、ここまでご精読くださった皆様にとっていかがでしたでしょうか?

美織が死ぬと思っていたという方が少なからずいれば、いい意味で期待を裏切れたかなと思います。

なるべく感情移入しやすいように行間は縦書きで読みやすいように詰めて書いてみました。

故に縦書き読み推奨です( ´ ▽ ` )

それと恋愛小説という分野は始めての挑戦だったので、ぜひ楽しんで頂けたならば嬉しい限りです。


それではここまでのご精読ありがとうございました。

思いつきでバーっと書いたので、誤字脱字があるかも知れませんが見つけた際は教えて頂ければ幸いです。


それでは皆様にまた次回作の後書きでお会いできる事を祈りつつ…see you ( ´ ▽ ` )ノ

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― 新着の感想 ―
[良い点] 素敵な作品を読ませていただきまして、ありがとうございます。 「美織の居ない20年を1人で過ごす位なら、10年早く死んでもいいから美織と10年一緒に過ごせる時間を増やしたいんだ」 このセリフ…
2019/04/20 16:45 退会済み
管理
[一言] タイトルにもある「カンハレ」がまさかこんな形で登場するとは、最後まで予測がつきませんでした。 人の繋がりに絶対は無く、時に別れは突然訪れる。 余命が分かっていれば残された時間を大切にする…
[一言] いろいろと考えさせられるストーリーで感動しました。 素敵な話をありがとう。
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