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花の中将  作者: 六条
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綿津見の霞の浦

瑠璃の君とて、中将久しうあやめも知らずなりにける人は、とうに人の妻にてありければ、ややもせばと思してものしたまふも、なほかいなし。

「今宵こそ出でたまへ」とふ文の、並ぶれば千尋にもなりぬらむを、つゆ思さずして、

「かの方へ参らむ」とて、御車引き出でさせたまひけり。


春の夜の闇も、京にてはことさらにあやなしう(*1)思されて、常陸なる梅の、あひねびゆきたるはいかにぞと思しつつ、語らふべき人もあらずにや、一人嘆きて月ぞ見たまひぬ。


中将、物のすきまより垣間見したまひて、なまめかしき様とや思さむ、やがて歌詠みてやりたまひける。


「綿津見の霞の浦は知るるとも深瀬の海女のうらとかは知る(*2)」


ふさはしからぬことにはあるまじと思しをるに、いかがはしけむ、返り事はあらざりけり。




(*1)「春の夜の闇はあやなし梅の花色こそ見えね香やは隠るる」(凡河内躬恒)

(*2)「春がすみ霞の浦をゆく舟のよそにも見えぬ人を恋ひつつ」(藤原定家)、「ほのかにも知らせてしがな東なる霞の浦のあまのいさり火」(順徳院)


―――――



瑠璃の君という呼び名で、中将が長いこと片思いをしていた女性は、とっくに人の妻になっていたので、「ひょっとしたら」と思って手紙を送ってみても、甲斐のないことだった。

「今夜こそおいでください」という内容の手紙が、並べたらとんでもない長さにもなりそうなほどあるのに、中将はそれらのことは少しも考えないで、

「例のところへ行ってみよう」と、車を出させなさった。


(常陸の君)春の夜の闇も、京ではよりいっそうわけが分からないように思われて、常陸に別れてきた梅の木で、一緒に育ってきたものはいったいどうしただろうと思いながら、それを語り合う相手もいないのだろうか、一人ため息をつきながら月を見上げていらっしゃった。


中将は、彼女のそんな様子を塀の隙間から覗き見なさって、若々しく美しいと思ったのだろうか、その場ですぐに歌を詠んでお贈りになった。


「常陸にある霞ヶ浦はご存知でも、深い海に潜る海女のように、あなたへの深い思いに苦しんでいる私の心は、ご存知ではないのでしょうなあ」


不適切な詠みぶりでもないと中将自身は思っていたのに、どうしたことだろうか、返事はなかったのだった。

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