其ノ壱 B面 中編 『過ぎた分岐点』
長く休みが続く中、ベルクはその内の一日に洲神から誘いを受けていた。洲神が午前中に用事があるため、部屋で待っているところだ。
「ただいまー。ハピちゃんいる?」
玄関を開けて自分を呼ぶ声に、ベルクは素直にその姿を見せに向かう。
「おかえりひそらさん。バッグ預かります」
「あぁっと、このまま出ようと思うんだけと、ハピちゃん行ける?」
「そう、ですか。分かりました準備します」
「慌てなくていいよぉ?」
ベルクが外行きの支度を済ませる間、洲神は自分の財布を広げる。洲神が微かに唸っていると、奥から駆け寄ってくる少女の姿があった。
「お待たせしました。ひそらさん、大丈夫ですか?」
「え? あ、ううん! 大丈夫。じゃあ行こっか」
二人は部屋を出ると、同じユニオンシップ内のとあるエリアへと向かった。そこには娯楽施設やお食事処などの、様々な店が立ち並んでいる。
「それでひそらさん、今って」
「行くとこ? スイーツショップだよぉ。実はねぇ、遂に和菓子が並んだんだよぉ! 一緒に食べようと思ってね」
「日本のお菓子ですか?」
「そうそう。羊羹とか大福とかね」
州神の語った和菓子の名前こそ理解はできなかったが、その楽し気な話口調に、ベルクの気分も高揚していく。向かっていたエリアに入り、いくつかの店舗を通り過ぎると、目的の店がある。店内は広く、連盟に関わっている主要国の代表的なスイーツが販売されている。
州神は自分の分のスイーツを頼むと、ベルクに何が食べたいかを聞いた。彼女にオススメをと返された州神は、海外でも受け入れやすそうなものを、自分なりに注文する。待つほどでもなく待てばその品は出来上がり、州神の手に渡された。客に比べ数の多いテーブル群、その一角に陣取る州神。一方をベルクに渡して、すくったスプーンを口に運んだ。
「んん〜、これこそ甘味処って感じだよぉ」
「それ何ですか?」
「んも? 餡蜜だよぉ」
「アンミツ?」
アイスクリームやカットフルーツの盛られたそれは、とても日本のお菓子には見えない。それであっても、絵に描いたように頬張る州神に、ベルクは釘付けだった。
「食べる? はい、あーん」
「あーんむ。ん、おいひぃ」
良い意味で驚きを正直に表すベルクを見て、州神も顔がほころぶ。
「ハピちゃんのも一口ちょうだい」
「はい、どうぞ」
「お団子あーんして」
「えぇ……」
恥じらいはあれど、してもらった手前無下にはできない。そう思い、ベルクは州神に団子を差し出す。
「オダンゴ、全部串付いてますよ? はい」
「あーん、にひ。あいがほ」
自分にとって楽しい時は早く流れる。二人の和やかな時間は、彼女たちの間で同じように過ぎていった。
「あー美味しかったぁ」
「もきゅもきゅ……」
一口分先に食べ終わった州神は、串の一番奥にある団子を横からパクつく小動物を眺めていた。行儀良く串だけを皿に置き、州神に無邪気な笑顔を贈るベルク。
「ごちそうさまでした」
「どうだった?」
「とってもおいしかったです。日本のお菓子、食べやすいです」
「良かったぁ」
そうであって欲しかった感想を貰って、州神は満足な気分で微笑む。そのとき、州神の仕事用の通信機に連絡が入った。
「お? ちょっとごめんねぇ。はい、州神です。はい。はぃ、はぁ、分かりました今から向かいます。はいぃ」
先程まで包んでいた柔らかい空気は、外因により押し固められる。
「ごめんねぇハピちゃん、ちょっと呼ばれちゃったぁ」
「いえそんな! その、ありがとうでした。また来たいです」
「もちろんだよぉ。それじゃ、部屋まで行こっか」
「私、一人で行けますよ? お仕事がんばってください」
「そ、うだね。うん、じゃあ気を付けてね」
少し寂しそうな顔をつくる州神だったが、ベルクの励ましだけをピックアップして受け入れる。店を出るとキャリアーの停泊場まで駆けて行った。一人になったベルクは、州神に言った通りに自分の部屋へと足を運んぶ。その途中、ベルクにも一本の連絡が入った。
「はい」
「はい、私です。ベルクさん、今時間はありますか?」
「えっ、あ、はい。問題ありません」
「それは良かったですわ。新しい適性魔導体が確認されました。おそらくはインセクト。敵対波の測定値も、干渉レベルも低いですわ。お願いしても大丈夫ですか?」
「承知しました。今すぐ準備します」
「ありがとう。先に目的地を伝えておきます。場所は……」
ベルクはアルトからの依頼内容を耳に入れながら、腹痛を起こさない程度に走って部屋に戻って行った。
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とあるゲートの先、戦闘用の魔道具に身を包んだベルクの姿があった。
「こちらベルク、魔導体の観測地点に到着。指示をお願いします」
「こちら管司会、南南西二キロ先に敵対波を観測。士官はまずそちらへ向かってください」
「了解しました」
管制司令会、通称管司会。士官会の活動支援やゲートの観測、魔導体の分析を行う魔導士の団体である。指示を受けたベルクは、初めに低いマンションへと跳ね上がった。その後は高く足場にできる箇所を飛び移って行く。その姿は管司会のモニター室からも確認されていた。
「流石は士官、これならすぐだな」
魔導具の補助により魔力を整え、全身に満たす行為。これは魔導体に接触するために必要である。しかし、こと士官クラスの魔道士に関してはそれだけではない。己の魔導力を理解、把握している場合に限り、魔力と他のエネルギーとの変換が可能である。その対象は治癒から衝撃、運動量や質量、光、熱、冷却、電気、そして身体を動かすエネルギーであったりと多岐に渡る。ただし、これらは前提として安定した多量の魔力が必須である。ベルクにはそれをクリアするだけの才能があった。
「士官、観測地点周辺です。周囲の捜索を開始してください」
「了解しました」
ベルクは新たな指示に従い、一番近くにあった電柱の上に脚を揃えた。上半身を回し対象を探し始める。
「いた」
視線の先にいたインセクトは、地面や建造物をすり抜け漂っていた。魔導体の干渉レベルが高いと、高密度の物質と位置を重ねることはできない。逆に言えば、今回の対象の干渉レベルは情報通りとして何ら問題がないだろう。ベルクは、ほっと呼吸を整える。
「対象を視認、これより消撃を開始します」
「こちらでも捕捉しました。了解」
両手でマレットを握り直し、明智たちの前で見せたときと同様に飛び降りた。大きく振り構えはせず、身体の前で武器を対象の上空に合わせる。自由落下に身を任せ、衝撃に備えていると、落花生の割れるような音がした。直後、彼女の足は地面に着く。体育館のステージ手前から座り降りた程度の感覚が伝わる。マレットを持ち上げてインセクトの状態を確認すると、大半が青白い霧に変わって消えていることが分かった。
「消撃を実行。反応はどうですか?」
「対象魔導体、敵対波の観測値及び干渉レベルの減少、残留魔力の拡散を確認。お疲れ様でした。士官の任務は以上です。帰還してください」
「了解しました」
ベルクは安堵の表情を声にも表した。彼女は現在地に向かってきた要領で、跳ねてゲートへと戻って行く。そうして半分まで来ていたとき、ベルクの耳に管司会側の会話が不意に届いた。
「北西の別ゲートに感あり」
「観測データを」
「三番モニター、出します」
「敵対波はないか。二体? 干渉レベルは、まだ範囲が広いな。それにしてもデータが荒い。更新し次第映し出すように」
まだ通信を切っていなかったことで、ベルクは発生した問題を一通り理解した。戦闘の感覚がまだ残っていたのか、はたまた彼女の真面目さ故か。ベルクは帰りの足を止め、管司会へ善意を申し立てる。
「あの、私が向かいましょうか?」
「いけませんわ」
通信に飛び込んできた音声は、先程までの管司会員のものではなかった。
「カヤンガネル士官……」
「副会長、でも」
一瞬で張り詰めたモニター室の中、アルトの視界にはモニター越しのベルクの姿だけが鮮明にあった。
「確かに今回の件をあなたに頼んだのも、すぐに手配できる人員がいなかったからですわ。それでも、敵対波か干渉レベルが一定の数値を超えていたならば連絡はしていません。分かりますね?」
「でも……」
「ベルクさん、あなたの正義感は素晴らしく、その姿勢は連盟にとっても嬉しいことでしょう。だからこそ、回避できる危険に投げ込む訳にはいきません。私の頼みはすでに遂行されていますわ。帰っていらっしゃい」
モニターに映っていることも忘れているのか、隠さずに悔しそうな顔をしてしまっているベルク。はい、と一度深く目を瞑り、帰路に戻った。
そのベルクの姿を遠巻きに見ていた男が一人、アルトに寄ってくる。
「お優しいですね、士官会の副会長さんは。こちらにもそうしていただけると助かるのですが」
「そちらの会長には後で、プライベートなお話を用意しておきますわ」
「では、茶菓子はこちらから持参しましょう」
現在の室内で最も権力があるであろう二名が言葉を交わしたことで、場の空気が徐々に解けていく。そのとき、幸か不幸か、ベルクがゲートをくぐる前に観測データの更新が届いくこととなった。
「干渉レベルが確定、更新を表示します」
「八と、十六か。あっ」
魔導体の干渉レベルは、その他の物質に魔力がない上で、接触する度合である。完全に接触する値の最大を百とした数値で表される。アルトが明智たちに話した、かまいたちの件は、五十前後で発生する。そして、危険であるとしてベルクに自粛させている値は三十。つまりベルクに今の数値が伝わった場合、こうなる。
「こちらベルク、副会長にご相談があります」
「はぁ、分かりました。ただし、危険を感じたらすぐに帰還するように。良いですね?」
「はい」
意気揚々と進路を変えるベルク。彼女を瞳に入れるアルトは、ただ一つ、拭えずにいる不安が杞憂であることを望んでいた。
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上空を跳ね行くベルクの視界に、景観に合わない物体が入った。彼女が向かい始めてから、長針が数字の間を半分動いたときのことだ。一度足場に立ってから息を整える。普段ならそうしていた。今回ベルクがとった行動は、最後に蹴り上げた身を直接魔導体へ送るというものだった。マレットを構え、放物線に従って飛び込む。速攻であったが、マレットは魔導体を捉え確実に仕留めていった。勢いが有り余っていたベルクは、それを抑えきれずに青白い煙を引きながら転がっていく。慌てて手で突き、体を浮かせ、着地した両足でブレーキを掛ける。ようやく止まり顔を上げたときには、自身の息が切れていることに気付かなかった。
「やった! あれ? もう一体は、下に潜った?」
報告にあった片割れを探すベルク。だが、次に入った情報は目ではなく耳からであった。
「ベ、ベルクさん! 何をしていますの!」
「え、副会長?」
珍しい剣幕でまくしたてるアルトからは、焦りと表すより怒りが感じられた。
「どうしてあんな無茶をしましたの!」
「えっと、行けそうな気がしたから」
「気がしたって、そんな」
頭も舌も回らなくなり、顔を抑えるアルト。諸々押し込んで一文だけ作り上げた。
「とりあえず帰って来なさい」
「えっ! でも、まだ一体残っています」
「でもじゃありませんわ。あなた気付いてないの? 息、荒いですわよ」
「え、あ……」
才能ある魔導士は、魔力を他のエネルギーに変換できる。しかし、その逆も可能である。ベルクが飛び降りによる衝撃を緩和できているのは、その衝撃を魔力に変換しているからだ。もちろん全てではない。だが、その魔力を直接治癒のエネルギーに回すことで、ダメージのほとんどを削減可能となる。
同様に、身体を動かすエネルギーを魔力に変換することもできる。本来ならば魔力をそちらに変換して活動しているため、バイタルサインが大きく乱れることはない。アルトが指摘したベルクの現状は、魔力の枯渇、あるいは必要なエネルギーが魔力に変換されていることを表していた。冷静な判断が欠けていたのもこのためだ。
「流石にこれ以上の行動は認められないわ。話は後でします。帰還なさい」
強い言葉を受け取り、ベルクは明らかな後悔を背負って俯く。
「はい」
今にも泣き出しそうに声を震わせ、彼女は帰るだけの魔力を作り出す。そして、飛び上がろうとした。瞬間、異様な気配がその脚にしがみついた。静かに首を回すと、決壊寸前の瞳には消えたはずの魔導体が写った。
「な、んで」
同時に管司会の情報に、新しいデータが追加されていた。
「魔導体の反応、一体に減少。ですが」
「干渉レベル二十八、いや九か」
「形態情報更新。士官の消撃対象はインセクト、もう一方は」
「パラサイトか! あっちが消える前に寄生しやがった!」
今までに経験したことのない感覚で動けないベルクをよそに、魔導体の干渉レベルは三十を上回った。
「おい、あのガキ動けねぇのか? カイ、もしかしてだが、ベルゲンブルクが直に魔力感じたことは」
「ありませんわ」
「マジかよ」
魔導力を持つ者は魔力を扱うために、それを認識できる。このことに間違いはないが、正確とは言えない。干渉レベル約二十以上の魔力は触覚、より正しく表現するなら直感で認識することが可能となる。人により感知範囲は上下するが、ベルクにはその例外はなかった。今回まで最高でも十五程度の魔導体のみを相手にしてきた彼女にとって、目の前にあるのは未知の力である。そこに恐怖を抱かない理由はなかった。
「あ、あぁ、は……」
とどまりを忘れた雫は、分かったときには頬を濡らし続けていた。ベルクは、その伝う先が冷たくなったことに気付き、少しだけ正気を取り戻す。涙を一拭いで腕に移すと、彼女は急いでゲートに駆けた。振り返る余裕もなく。
「ハーピィ! 後ろ!」
「へ?」
暫く聞いていなかった呼び方を、前にも増して良く聞くようになった声から叩き込まれる。アルトの身を乗り出した叫びに、反射的に体が呼応してひねられる。その刹那だった。
「――ッ! えぐぁ……」
呻き声すらも抉り取る衝突がベルクを襲う。華奢な体はその五つ分を軽く吹き飛び、地面に鈍く叩きつけられた。管司会側のモニターに映し出されていたのは、そのベルクの姿と、数値に比例して巨大化したインセクトの全貌であった。
「干渉レベル、三十八か。こっちもデカいな」
「そんなことよりあの子を……」
「落ち着いてくださいよ、士官会副会長。普段なら五十越えてる奴相手にタイマン張れるポテンシャルだよ。データ上。それによく見ろ」
モニターの映像には変わらずに居続けるインセクトの姿、そしてマレットを杖にして立ち上がるベルクの姿があった。咄嗟に衝撃を魔力に変換し、ギリギリの状態で動き出すのに成功していた。とはいえ危機的状況は何一つ解決していない。幸いなのは、パラサイトの寄生が安定していないらしく、刺激しなければ多少の時間は危害が及ばないであろうと言うことだろう。そのとき、突如としてモニター室の扉が開かれた。
「ハー、あ? ピ、ちゃん?」
明智たちが到着するのは、一回り後になる。