其ノ壱 B面 前編 『知らない方が良かった事』
信長とアルトの質疑応答に、終わりが見えなくなった話し合いの場では、明智とベルクが別々の理由で落ち着くのを待っていた。
「二人とも、落ち着きましたか?」
明智は気が重そうに、ベルクは時折吹き出しそうになりながら、失礼しましたと返した。ある程度聞き手ができる雰囲気になったのを確認すると、信長はアルトに向けて話を再開する。
「次の質問に移る前に、一つ確認がしたい」
「どうかなさいましたか?」
「アルトよ、お主の権限はどの程度か?」
「このシップでは艦長代理を務めていますわ」
「今回以外に時間はあるか?」
アルトは信長の希望を察して、快諾の意を示す。
「そうですね。基本は問題が起きてからが私の仕事ですから、いつでも構いません。私の友人として待遇いたしますわ」
アルトの返答に腑に落ちた表情をする。すると信長は、特に明智の側を見ながら話を再開し出した。
「明智、儂はアルトへの質問を後二つで終える。多少は辛抱しろ。それと、次にする問いはお前も気に掛けていたところであろう。せめて耳は立てておけ」
「一応は最初から聞いてるよ」
明智の減らず口に溜息を吐く信長ではあったが、息と共に真剣な顔を付け、再度アルトに向き直る。
「では頼む。二つ目の質問だ」
「はい」
「お主とベルクについて、立場を述べよ」
「それは、今は詳しく語ることは難しいですわね」
「まぁ、現状は部外者であるからな。では、質問を変えよう。アルトは艦長代理で魔導士官会の副会長であったな。ベルクはその会のメンバー。偉いのか?」
「ええ、ベルクさんの階級は高い位置にあります。余程ことがない限り、ぞんざいな対応は許されませんわ」
「では何故その歳で?」
「それはベルク……」
「ベルクが単に優秀であったでは応えにはならぬぞ? 今の時代になってからは何を言われてもおかしくは無い。組織に参加している国に何処があるかは知らぬが、少なくとも技術や生活の水準が低いと言う事もあるまい。通常であれば、勉学を主として研鑽を積ませるべきであろう」
確かにこの話は自分からも聞きたかったことだと、明智の思いは一変する。しかし、どこか鬼気迫る感情を信長に見たため、対話に自身の言葉を加えはしない。
「そういうことでしたか。いえ、ごもっともですわ」
アルトは、何かを思い出すように暗然とした顔を伏せた。だが、次に顔を上げたときには心を前に向け、今の会話に赴いく。
「ですが、ベルクさんの本分は学業です。彼女には勉強を優先していただいていますわ」
「何? 事情を言え」
「信長公のおっしゃる通り、連盟にはいくつかの国が参加していますわ。大部分が技術開発に優れた先進国なのですが、魔海とは別の表向きの顔を持っています。そのほとんどが大学や高校などの教育機関、協会、研究機関を占めていますわ。ベルクさんも、そちらで授業を受けています。優秀なのはむしろ学校の成績なのですよ?」
アルトに顔を見て褒められたベルクは、とても嬉しそうに肩を縮める。
「魔導士としての仕事は、授業やご学友とのお付き合い、もちろんご自身の楽しみに時間を使い、それでも可能な場合にのみ手伝っていただいてますわ。それに、敵性が低い案件を任せていますので」
「儂等に会ったのは偶然であると」
「このところ休みが続いているようでしたので。明智さんや信長公に出会えたのは幸運でしたわ」
思考のつかえが取れた信長は今更なことを思い出し、純粋な様子で疑念を問い掛けた。
「今聞くのも何なんだが、ベルクの同居人も日本の者であったな。言葉が通じぬ事は無いのか?」
説明をしていなかったとベルクが補足に入る動きをしたが、一度流れが生まれた会話に乗じてアルトの口からつづられる。
「それは魔力の性質を語れば分かりますわ。魔力には生物の感情が移りますの。魔導体の敵対波の観測もこれに基づいていますわ。魔導力で魔力を扱う際にも、こうしたいと思うことが推奨されています。魔導具の操作もこれに当てはまりますわね。ですから、魔導士同士の会話は大方翻訳されて交わされますわ。ただし、相手の知識にない言葉は、そのままだったり分かりやすい発音になる程度ですが」
「そうか。聴こうとした事は聞けた。又頼むぞ」
ええ、とアルトの快諾を得ると、その場は一度静まり返る。次いで、信長が意味ありげな笑みをこぼすと、楽しげに問い掛けた。
「では、本題だ。最後に聴こう。貴様等の目的は何だ?」
信長に手番を渡してから初めに聞いた質問を、もう一度耳にした明智とベルクは、どうしたのかとただ視線を送る。
「そちらは一度聞かれたと覚えていますが?」
当然の反応だと頷いて、明智はアルトの顔をうかがう。ただ、そこにあった表情は不思議に思うものではなく、道楽に興じる様を表していた。
「いやぁ、済まない。言葉が足りなんだな。では、お主等が儂等を招いた理由は何だ?」
「同じ魔導力を持つ者であり、魔導体まで認識してしまったとなれば、説明をいたすのは連盟として当然のこと。発展と幸福を願う我々としては、同士に苦痛を与えて無責任に去るというのは、実に嘆かわしい行為ですわ」
「ふっ、偽りの無き所が質の悪い。アルトよ、始めに言った『折り入って話がある』の内容を述べよと言っているのだ。女子供を戦に出している以上、組織と言えど人材は知れた事よ。今更渋る事も無かろう」
アルトは少し困った顔をしたが、明智を一瞥してつぶやく。
「明智さんが話に付いて来ていませんし、乗気になってから引き込もうと思っていたのですが、食えないお方ですわ」
信長とは目で意思を確認し、アルトは明智に語り掛けた。
「明智さん、率直にお伺いしますわ」
自分の話が出ていたことで身構えていた明智であったが、直接言葉を振られたためあらためて姿勢を整えてしまう。そんな明智に掛けられた問いは、その場で明智だけが予想できていない内容だった。
「あなたの才能を、私たち、連盟に力を貸していただく気はありませんか?」
信長は確信に近い感情を持って、明智を茶化す準備をする。しかし、明智の口からは本音の行きつく先が漏れ出していた。
「え? 嫌ですけど――あっ……」
別の風が連れ帰った霞は、明智だけを包み込んでいった。
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招待先での話し合いが終わり、明智と信長はゲート付近まで来ていた。ベルクに付き添われ準備を頼み、立てるようになった空間に降りるとゲートへ歩いて行く。
「お疲れ様でした。その、大丈夫です」
「うん、なんか申し訳ないことしちゃったね」
自分が連盟の勧誘を断ったことで、場の空気が悪くなった事実に、明智本人も多少の責任を感じていた。断った後ですぐに訂正し、『今すぐには返事ができない』と伝えたが、アルトは首を横に振り『あなたの気持ちが大事ですわ』と言って、ベルクに見送りを頼んだ。
「サイン、宝物にします! また来てください」
「うむ、贔屓に頼むぞ」
ベルクはゲートに向かう途中、約束通り信長からサインを貰っていた。アーム状の魔導具を操りペンを握る姿は、敵キャラに分類するのが正しかったと言える。
「じゃあ、そろそろ。色々ありがとう」
「いえ、それでは」
頭を下げるベルクに手を振り返すと、明智たちはゲートを抜けて行った。入って来たとき同様に視界が歪み始め、元いた世界のハッキリとした景色が広がっていく。明智はそう思っていた。別の意味で歪んでいた。雨だ。
「お前が空気を読まなかったから」
「いや、こっちの空気は読めてたから早く帰ってきたんじゃん。忘れて出てったけども」
幸い携帯電話を除けば濡れても構わない軽装で来ていた。明智はそれだけ庇いつつ、後を引かれながら走って行った。
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アルトから招待を受けた日から休みを挟んで四日後、明智は研究室にいた。今回は忘れ物をした訳ではない。今考えている研究内容や方針などを、教授と個人面談する必要があったからだ。明智としては気が早い気もしていたが、大学の規則的なものであるため納得せざるおえない。教授も例年のことなのか、大した話もなく解放されて今に至る。
現在の研究室には明智を加えて五名ほどが滞在している。その中にはあの先輩も含まれていた。とは言え、他に人がいる場所で、関係なしに話しかける勇気は明智にはない。その姿だけを二度の瞬きの間に見て帰ろうとした。すると、ドアノブに触れる直前に、扉は明智から離れていく。
「お、どーも。お疲れ様ー」
明智はその女性が同じ研究室の先輩だと知っていた。咄嗟に斜め後ろにどき、入って来た女性に道を譲る明智。女性は室内に入ると、あの先輩へと直進する。
「紫音ちゃん、終わった?」
「うん? んー、もう切り上げてもいいよ」
「よーしっ! しーちゃんかーえろ」
「若葉、片付けできない。ちょっと待って」
後ろから椅子ごと抱き寄せるその姿に、明智は既視感を覚える。
「叶芽さん、おや? 緋樹さんもいますか。二人とも今いいですか?」
教授に呼ばれた二人は別室へ向かう。一連の流れを扉の横で見ていた明智は、叶芽の視線がこちらへ向いた気がして、目を逸らしながら静かに逃げ帰った。
自分の行動に頭を抱えていた明智だったが、似た状況に以前のことを思い出して出席者名簿に目を配る。先輩の名前は叶芽紫音、友人の名前は緋樹若葉であると分かる。このときの明智としては、自身が先輩の名前を知ってしまったことで話の種がなくなっていた。この数時間後には、名前を言って反応ができるとも捉えているが、今は思うようにいかない感情を詰まらせる。明智は、どうするのが正解だったかをイメージしながら、次の講義室への道のりに空き時間を消費していった。
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すでに受け慣れた講義を終え、階段を下りていた明智。講義中に確認した空が暗かったため、途中の踊り場で外を覗く。
「うわぁ」
その場所から下を見ると、まだ記憶に新しいインセクトの姿があった。以前に見たような甲虫の姿で、今回は周りに青白いものが浮遊していた。ただ、一度見たことと、その個体が前回に比べて半分に満たなかったことで、明智は一瞬だけ固まったが時間にしてわずかであった。魔海に入ったときもゲートは遠くないところにあったことを思い出した明智は、気付かなかっただけで結構いるものなのだと認識する。それ以外では所々雲の切れ目を見て、明智は建物の外へと出た。
「おい明智」
聞き慣れた声に明智が振り替えると、いつからかそこにいた信長と視線が合う。信長の最近は、アルトを含めた連盟との交流が多く、明智の周りにいないことも増えていた。
「何だよ。アンタ向こうでもハブられたのか?」
「生憎、邪険な扱いは受けた覚えがないな」
顔を合わせると、二人の間では当たり前となった言い合いへと口火を切っていく。しかし、今回は信長の方に用事があったようで、話題を切り替えた。
「つい先程、ベルクが仕事へ行った」
「今日平日だぞ?」
「次の月曜日まで休みだそうだ」
「ふぅん」
ベルクの仕事と聞いて、明智はインセクトを一撃で沈めた姿が思い浮かんだ。加えて、任される仕事が簡単な部類であったことをアルトから聞いていたため、明智が特別に気に掛ける様子もない。
「明智、来るか?」
「どこにだよ」
「ユニオンのモニター室だ。儂は魔導体らしいからな。直接伺うのは危険だそうだ」
「随分と染まりましたねぇ」
関わるまいと避けてきた世界の話題を聞かされて、明智は苛立ち始める。とは言え、言葉にして完全に断絶した訳ではない。この際はっきりと断ろう。そう思った明智は信長に聞き返す。
「仮に行くとして、俺はゲートの越え方知らないぞ」
「ゲートは魔導力があれば……」
「いや歩けねぇだろって」
ただでさえ不機嫌になっているところに、一回で意味が通じていない会話に苛々が増す。
「それなら儂が成せる。問題無かろう」
想像以上に連盟の一員になっていた信長に、明智の他の感情は驚きに変わっていった。
「いまいち信用できねぇけど」
「お前の決断力よりかは、幾分か説得力があると思うが」
最後の一言が明智の感情に怒りを添えたが、他に手もなく信長に誘われゲートへ向かうことにした。
明智たちが暫く進むと、見覚えのある場所に着いた。
「ここしかないのか?」
「点在しているとは言え、広い世界で見た話であろう。いや、四半刻も歩けば別のものがあったか」
「は?」
「徒歩三十分で他のゲートが見つかると言ったのだ」
相変わらずの食い違いで話の歯車がすり合う中、準備を済ませた信長が顎で指示を出す。片方の眉を上げると、明智はゲートへと入り、そのまま歩き始めた。多少の不安から下を向いていた明智は顔を上げると、前回との相違に下げていた眉をひそめる。
「あの、何か船みたいなのは?」
「嗚呼、お前はそうだったな。待ってろ」
明智を待機させると、信長はベルクが持っていた物に似たキューブを青白い体の中から浮かせて出した。続けてその魔導具に形を与えると、信長の顔へと添えられる。
「申し、信長だ。一人招いた。キャリアーを寄越せるか? うむ、頼んだ」
信長がインカムの左部分のような魔導具で通信をとると、程なくしてキャリアーが到着する。
「運が良いぞ。偶然近くを飛んでいたそうだ」
信長の顔はともかく、待ち時間や移動時間が短縮されたことは明智には嬉しかった。
「あれぇ? 信長さんじゃないですかぁ!」
明智たちが今まさにキャリアーへと体を向けたとき、その中からは聞き覚えのある声が伝わってきた。
「む? 乗っていたのは洲神だったか」
「スガミさんって、ベルクと一緒の?」
「はい! お久しぶりです明智さん」
明智は、偶然とは重なるものだと心底感心していた。元気な声に連れられて明智と信長が乗り込むと、三人を乗せたキャリアーはユニオンシップへと動き出す。それからさらに、ベルクに案内されたときよりも短い時間を進めると、キャリアーは前回の停泊場に着いていた。足場に降りると洲神は信長に問い掛ける。
「明智さんがいるってことは、また副会長に呼ばれたんですか?」
「いや、用事はあるが特別呼ばれた訳では無いな。これからモニター室に向かう」
「何か気になる映像とかですか?」
「ベルクだ」
「え?」
特定の単語に反応して洲神の目の色が変わる。
「信長さん、わたしもお邪魔していいですか? 行きましょう!」
信長の返事を待たず、洲神は先行してモニター室に走って行った。残された二人は歩いて後を追うと、アルトと会談した場所とは別の建物から地下へと潜って行く。例のエスカレーターがある階で止まると、信長は目の前に見える扉へと向かった。明かりの多くない道を進み扉の前に立つと、扉はひとりでに開き、液晶画面に似た巨大なスクリーンモニターのある部屋へと明智たちを誘う。
「おい、いるかアル……」
人を呼ぼうとする信長の声は、慌ただしく飛び交う指示にかき消される。そんな中で左右を見渡すと、手招きするアルトが見えた。その横で、映し出された映像を不安な様子で食い入るようにして見る洲神の姿も確認できる。アルトに声を届けられる距離まで近付いた信長は、現状の異変をアルトに問いただした。
「何があった?」
「ベルクさんが、少し危険かもしれませんわ」
慌てて洲神の見つめる先に視線を合わせる明智。そのモニターには、ハンマーを支えにして酷く息を切らしたベルクの姿が映し出されていた。