其ノ壱 A面 中編 『謎の少女と未知の誘い』
いつも通りのはずだった学校生活から帰宅した明智は、半分放心状態で信長に当たっていた。
「おいなんなんだよあれ! アンタ知ってんだろ? 応えろよ!」
「知らん。其れよりもだ」
「じゃなんであんな詳しかったんだよ! 言えよ」
「知らん! 其れより」
「答えになってねぇよ! アンタ天下人じゃねぇのかよ!」
正気を失った明智からは、会話と言う概念が欠落していた。信長にとって明智が弱気になることは望む所だ。しかし、それはあくまで敬意や圧倒によるものである。そのため、現状に意味はなく、言うなれば、獲物を横取りされた気分だ。ならば、奪い返すのみ。
「黙れ。慎め。時代のゴミが」
「――あ?」
信長の投げた針は、明智を釣り上げ、純粋な怒気を充満させる。
「落ち着いたか?」
「あ。あぁ、悪かった」
信長曰く、人は怒りに任せて動いた後は諦めや妥協をしやすく、現実逃避や不満を抱くよりも解決策の模索に移るらしい。信長のこの考えを知っていた明智は、元々の冷め易さや感情の変換もあり、自身の異常を修正した。
「明智よぉ、お前のメンタルの弱さは知ってるが」
「いや、悪かったって。流石にあの現実は認めたくなかったんだ。許せ」
苦い顔で薄ら笑い合い、明智は指を二度曲げ聞き手に回った。これに信長は一つ息を吐き、本題へと戻る。
「儂もあれについては何も知らん。霊だと考えたのはその気がした故だ。空気やオーラの様な表し方があるだろう。そんな雰囲気だ」
自分の得た情報を渡し、次に明智に対し考えを促す。
「でだ、分からんのはあの女だ。何者だ?」
「悪いけど、アンタ以上に分かることはないよ」
聞く耳もなく質問しかできなかった明智にしてみれば、考える以前に必要な情報が見当たらない。見えないものは探れない。頭を抱え、途方に暮れかける。
「まぁでも、何もなければ」
「忘れたら良いだろうな」
心持に余裕が出てきた明智は、一区切りをつけて、明日の予定を思い出そうとしていた。
「こちらベルク。“パラサイト”と思わしき魔導体を確認。これより接触、及び――」
不捨たる違和感。先程の会話では聞き得ないであろう声に、二名はとっさに振り向いた。瞬間。
「――消撃する」
明智が視界に捉えた時には、人一人分の目の先に鉄槌が迫まり来ていた。咄嗟に首を引き、両腕を曲げた明智。だが、何も感じることはない。代わりに確認したのは、自分を透けて位置を重ねている鎚。そしてそれを構える少女の姿。その光景は正しく巨虫のときのものだ。明智は侵入者の正体を理解したが、防御の姿勢で動けずにいた。
「宿主じゃない? なら」
続けて手番を奪った少女は、信長に向けて跳躍。明智は目を括り付けられたように身体を捻った。最中、あることに気付く。一切部屋が荒れていない。自分が襲撃を受けなかったのも、相手が本当に幽霊だったためだろう。そう解釈した明智は、負担の増した脈動を抑え、問題ないであろう信長の方へ向き直った。しかし、落ち着きを得るには少々時間が入り用であったかも知れない。
「ごぁ!」
「通撃を確認、これより消撃を実行する」
自分でさえ触れるに至らなかった信長が、殴り倒されている。記憶を置き去りにした現場に、明智の心臓は鞭を打つ。反面、顔は青褪めていった。信長も緊張感を増大させて、受けた感覚が思考を支配していく。ただし、そこに臆する魂の居場所は与えられなかった。
「痛、やりおる。まるで生きている気がしたぞ」
不敵な笑みで睨み放つ。途端、少女は武器を止め、眉をひそめた。
「生きている? 人の言葉を話した?」
少女は言葉の意味ではなく、話したこと自体に異質を感じ取り、敵視を細めた。その瞳は、檻を揺する虎を間近にした、少年に似た好奇心があった。その少女に虎が吠え掛ける。
「儂に触れるはこの身になって貴様が始めてか。名を申せ」
ない血が騒いだか、より一層口角が上がる信長。少女は当初と違う意識を持ちはしたが、その場で身の内を明かしはしなかった。対峙した両名の表情が険しく戻っていく。そのとき、さらに別の意識を持った少女は、手を耳に運び、明智たちを死角に入れた。
「こちらベルク。どうしました?」
「対象から敵対波は感知されなかったわ」
部屋には前者の敬語だけが聞こえていたが、その口調から何者かと通話をしていることを、明智と信長の両名は理解する。加えて、少女の表情の変化とその後の対話から、その相手が上の立場であると察していた。
「副会長! いらしたのですか」
「ええ、彼を除いて魔導体の反応はないわ。一度シップに戻っていらっしゃい」
「はっ!」
「彼らも一緒にね」
このとき他者からは、彼女が軍人を彷彿とさせる返事をした後、時間が止まっているように見えていた。その間に、一番速い針が二度位置を変えた。
「――は?」
色々まとめて吹き飛んだような一言に、明智は嫌な予感がしてならなかった。
「しかし副会長」
「一方は訓練経験もなく、機器の使用をせず魔導体を確認できる。もう一方は魔導体として反応を示し、かつ意思疎通が可能。まだ、説明がいるかしら?」
少女は暫く噛み合わせの悪い顔をしていたが、目で飲み込み、元の調子へと戻る。
「承知しました。彼らはどちらのシップに?」
「ユニオンで構わないわ。連れていらっしゃい」
「はっ! では、失礼致します」
礼の代わりに目を閉じていた少女は、手を下げ、明智らに視線を送った。
「あなた方にお伝えします。招待されました。一緒に来て下さい。詳しいことは私たちの本部にて説明致します」
言葉こそ下手に回っているが、その話し方は端的で、強要の意味を強めていた。明智からしてみれば、襲撃された上に強制連行を言い渡されたも同然である。当然ながら拒絶の意思を表す。
「ちょっと! そんな、急に無茶苦茶な――」
「良いではないか。明智、準備をしろ」
明智の心情に反し、信長は友好的な態度を示す。先刻の事件から、それが明智の理解に及びはしなかった。
「いや待て! アンタさっき殺されかけたんだぞ」
「可笑しな事を言うな。儂は既に息絶えている。加えて言えば、今この女から敵意を感じはしない」
死の恐怖から解放されている信長は、受けたダメージを先に待つ興味にくべていた。
「それにお前も知りたがっていたではないか。儂等では分からん事も、恐らくそこにある。行く価値あるとは思わんか?」
明智から恐怖心や不信感が抜けたわけではない。しかし、信長の言うように現状をまとめるだけの情報がないのも事実であった。嫌悪感を露骨にして舌を鳴らすと、信長から少女へと、順に向き直る。
「分かった。準備するから少し待ってくれ。後、明日もやることがあるから早めに帰してくれ」
翌日の予定を確認しつつ、携帯電話だけをポケットにしまい、残りのやっておくことを考え始めた。
「明智、お前明日の講義確か午後からで……」
逐一突っ込んで来るんじゃないと明智が睨み、信長が視線を返し口角を下げ奥歯を見せる。飽きなく弾ける火花に、気を張っていた少女の表情も次第に崩れていった。
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明智、信長、少女の三人はある場所に向かっていた。
「明智さん、あれ見えますか?」
「んー、ん? 何かモヤモヤしてる奴?」
「はいそれです。大丈夫そうですね」
明智は他の二人と状態が違うため、今のままでは目的地に向かうことができなかった。そこで、まずはそのための工程を踏もうとしている。
「で、えーと、そのぉ」
「ベルクです。それでは……」
ベルクと名乗る少女は明智に必要な行動のレクチャーを始める。実は、明智の部屋を出る前に、簡単な自己紹介が行われていた。
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時間は遡り出発前、明智が諸々の確認を終えて落ち着いてきたときに合わせて、少女は二人に促した。
「それでは行きましょう」
「あ、えーと、待ってくれ」
準備までして行きたくないとでも言うのか。そう感じた信長は再度煽らんと明智に近づく。しかし、信長より先に口を開いたのは明智の方だった。
「名前、教えてくれないか?」
なぜ今それを。他の二人がそう思ったが、聞き返す前に明智から理由を添え始める。
「いや、変な意味じゃない。今止めるときもそうだったけど、呼べないと話しづらいんだ。それに、三人以上いるときって誰に話してるか分かった方が良いと思うんだ。まぁ、名前知ってた方が信頼できるというか」
少女の視線か、信長の行動か、何かを察した明智はいつもより余分に舌が回る。加えて、それに信長が呆れていたからか、少女は一度外に向けた体を明智たちへ振り返した。
「確かにお客人として招かれる方に名乗らないのは失礼に当たりますね」
そう言うと少女は武器を光へと消し、自身の説明へと移る。明智たちは一瞬、消えた武器に目が向かったが、少女が言葉を続けようとしていたため聞く態勢に入った。
「私は、ヌラカ・カヤンガネル連盟士官会メンバー。名前はハウプトケルン・ベルゲンブルクです」
少女が自分の名前を出す前の段階で明智のおつむは溶けていた。
「ヌラ、えっ? れん、め? ハウ、何て?」
「えっと、私の名前だけハーピィかベルクで覚えて下さい。難しいことは副会長から説明があると思います」
「あ、ごめん。じゃあ、ベルクで」
一通りの会話を聞き終えて、信長は悶えていた。少女の突拍子もない自己紹介に不意を突かれたか、明智の間抜け面がツボに入ったか、成仏しそうな勢いで笑いこけている。
「えっと、それでですね」
今身を置いている空間に恥ずかしくなったのか、ベルクは慌てるようにこの後の説明をしだしていた。明智、信長の両名は、急ぎそれぞれの思うところを抑えて耳を傾ける。
「これから本部に向かうのですが、えっと、明智さん。あなたは魔導体ではありませんよね?」
明智にとって聞き慣れない単語があったが、自分と信長との会話で名前を憶えていたベルクに感心しつつ、自分なりの解釈を答えた。
「信長とかと同じ体質ってことなら、違うと思うよ」
「はい、分かりました。ではまず、明智さんがこちらへ来るためにゲートを通っていただきます」
「ゲート?」
「はい。本来普通の人には、仮に偶然にも一切関わることはできませんが、私たちが見えているのでしたら恐らくは問題ないかと」
「へぇ、まぁ大体わかったよ」
実際に明智が理解できた部分は、最終的な目的地に行くためにどこかに寄るといった具合だったが、残りの疑問は後々分かっていくつもりでいた。
「そのゲートまではどうやって?」
「徒歩で行けますよ? 結構点在していますので」
話を聞いている内に気が緩んできた明智は、残りの懸念を確認した。
「ところでだけど、無事に帰って来れるよね?」
「はい。その辺りは保証しますよ」
大方の不安材料を除き、明智は自ら玄関へと向かう。それじゃあよろしくと頷くと、外に出て行った。
明智は、鍵を閉めている間に二人の話を聴いていた。
「あの、確か信長さん、でしたよね?」
「ああ。そちらはベルクだったか。頼むぞ」
「はい! それであのぉ」
何か遠慮をするように目配せし、興味本位で信長に寄っていく。
「最初に話したときに、『生きている気が』って言ってましたよね? もしかしてなのですが、織田信長、様でいらしたりしますか?」
中々にへりくだった質問に、信長の機嫌は露骨に良くなる。
「如何にも儂が織田信長だが?」
してやった面構えの信長に苛立ちを覚える明智であったが、それ以上にベルクの舞い上がり方に引いていた。
「サムライ、ニンジャ、日本の武将カッコいいです! 後でサイン貰ってもいいですか?」
「ああ、しかし儂は物が持てぬぞ?」
「大丈夫です! こちらで手配します」
「む? であれば構わん」
ベルクは嬉しそうに膝で跳ねると、にんまりとした顔で明智に催促する。
「明智さん準備終わりました? 早く行きましょう」
一応毅然とした対応をしているつもりではいるが、周りから見てその高揚感は明らかだった。
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時は戻りゲート前。明智は、特に何を指示されるでもなく待機していた。ベルクは、ゲートに手をかざしたり、何かしらの道具を取り出したりと作業をしている。
「よし。明智さん、もう大丈夫です。ここをくぐって下さい」
やることを終えたベルクは、明智に行動を指示する。明智も特に疑いもなく――信長にあおられたくないので――揺れる空間へと進入していく。ゲートを過ぎる際、水中から見た空のように視界が歪むと、薄い暖色の何もない空間へと変わっていった。ふと気付き、明智は足元を見る。そこには地面がなかった。歩くことは可能であり、全く見えないガラス張りの道を連想する。
「明智さん、信長様、こちらへ」
ベルクの招く先には目的地への移動手段であろう乗り物らしきものが浮いている。クルーザーと戦闘機を足したような造形だ。
「ミリタリーキャリアーって言う、移動船です。普通はキャリアーって呼びますね」
明智達はUFOでも見た気分で近づいて行った。乗船口の前でここで待つように指示を出すと、ベルクは頭と肩を入れ誰かと話し始める。
「ベルク、戻りました。はい。それで、二名お客様が見えます。副会長直々の招待になりますので、丁重にお願いします」
要件を伝え終えたベルクは、あらためて二人をキャリアーの中へと招き入れる。
「失礼します」
「邪魔するぞ」
運転手であろう男性は、とんでもございませんと、ひと言返すと、ドアの開閉を確かめキャリアーを発進させた。
「てっきりベルクが動かすのかと思ってたよ」
「キャリアーには年齢制限がありまして、私はまだなので」
「制限とは、幾つからだ?」
「十六才以上です」
ここにきて明智と信長は今更なことに気が付いた。他に知らなければならないことを優先していて、ベルクの年を聞いていなかった。おおよそ年下だろうと思いタメ口で話していたが、まさかのこともある。ただし、実際に年下であり、仮にも招待客の待遇があるため問題はなかったであろう。むしろ想像よりさらにだった。自分たちの振る舞いを思い返し、明智らはベルクに本当のところを聴く。
「え? 今何歳?」
「今年で十五です」
指を立て見せる彼女に明智達は唖然とした。どう見てもそうは見えない。随分と大人っぽい印象がある。
「外人が大人びて見えるって本当なんだねぇ」
「日本人が特別若く見えるだけかと……」
世界で見ればそちらが一般的かと納得した明智だったが、どうにもにわかには信じられずにいた。どちらかと言えば、信じる気になれない。しかし、それはベルクの容姿ではなく、十五歳の少女が戦っている現実に対するものであった。明智は、ベルクの好意的になっていった態度に身を任せている。しかし、人道的とは思えない行為をしているであろうか、その目的地を想像するに、不安を拭い捨てるのは容易ではない。とは言え、今から帰る訳にはいかない。明智は、胃が消化されていくのを感じていた。