表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
魔王と魔導  作者: 卯の雛
其ノ壱
3/61

其ノ壱 A面 前編 『霊、恋、変』

 人々を魅了した桜も花弁に土を透かす頃、各々は新しい環境に順応し始めていた。ある者は学びより友との漫談に時間を使い、又、ある者は食い扶持貯めに精を出す。終わらない家事に追われる者も居れば、志を胸に夢を追いかけ始めた者もいる。中でも大きな環境の変化を迎える者と言えば、学生が挙げられるだろう。

 この青年もその一人である。


「あぁ、働きたくない」


 あるはずである。


====


 今日は、日は出ているのに肌寒い。そんな日だ。私は目的地に向かう道中、普段とは違う空気を感じていた。


「ハァ、超静か」


 擦った手で溜め息を受けながら、思わず呟く。それもそうだ。休日に大学に来ているのは、補講の学生か研究生、常勤の教授程度だろう。その静けさが風の存在を大きくしている。


「午後に来りゃ良かったかな」


 出る前には天気予報を見ていた。次第に暖かくなるとは言え、大差がないこともあって、用事を忘れてしまってはいけないと早めに研究室に向かっている。

 今回出された課題は量が多かった。一つ解くために手間取りはしないが、如何いかんせん設問の数が多い。それらしいことを書いて、そこそこの評価を得ると言うのも難しい。以前にあった論文の要約をA4両面も大概だったが、個人的にはそっちの方がまだ増しだ。だから研究室で少し進めておこうとしたが、これが間違いだった。慣れないことはするものではないと実感する。お陰様で、レポート用紙を仕舞い忘れ、他に用事もないのに向かう羽目になった。

 無駄に広い学内を暫く歩くと、目的の建物が見えてきた。程なくして入口の前まで足を運ぶ。ここから踊り場を二つ越えるのは億劫になるが、なんとなくエレベーターは使わない。すれ違う人もなく段を上りきると、扉から漏れる幾つかの明かりが目に入った。


「あっ、そっか。開いてっかなぁ……」


 普段の調子でここまで来たが、思えばいつもとは状況が違う。時期的にも、まだ入り浸っている学生はいないだろう。とりあえず確かめようと自身の研究室に目を向ける。他の数か所と同様に扉からは部屋の明かりが見えていた。少し得をした気持ちで歩を進め、ドアノブを回す。

 静かに回していたため、すぐには気付かなかった。途中までしか回らない。誰かがいると思っていたが、外出中かも知れない。だが、部屋の明かりを点けっ放しにしているのに鍵を閉めるだろうか。僅かに考えたが、この時間もだるく感じてしまう。潔く鍵を取りに行こう。そう思い扉に背を向ける。


「ん?」


 後ろからガチャッと音がして振り返ると、半分開いた扉から、これまた半身を出してこちらをうかがう女性の姿があった。一度合った視線を室内へと移して、促すように口を開く。


「ごめん、閉まってたね。どうぞ」


 そう言い終わる頃には、扉が動き始めていた。私が入るまで待ってくれても良くないか、そんな不満も、鍵の手間を考えればないようなものだろう。


「失礼します」


 独り言のように形だけ繕い、まだ慣れない室内にお邪魔する。長居はしないようにレポートの用紙を探したが、課題をおこなっていた机の上には別の荷物が置かれていた。


「先輩、ここに紙とか置いてませんでした?」


 自身に問われた女性は、こちらに椅子を回し思い出すように言う。


「あ、ごめんね。動かしてた。待ってて」


 寝起きのような、何かを考えながらのような口調で返すと、死角になっていた本棚の裏に腕を伸ばす。座ったままの体勢で、それを私に見える範囲まで寄せると、再び椅子を回した。


「んと、合ってるかな?」

「そ、はい。合ってます」


 少し反応が遅れた上、言葉を探しながらの返事になってしまった。できる限り平静を保ったつもりだったが、若干怪しかったと自覚はある。反面、女性の方は気に留めている様子はない。

 私は用紙を受け取ると、肩に掛けていたバッグに落とし、入って来た方へ向く。そこで一つ問い掛けた。


「先輩は、研究ですか?」


 閑散な空間を嫌ったか、探し始めに見た荷物に興味を持ったか。私は思わず、そう聞いていた。後のことになってから顔色をうかがったが、特に気分を害してはいないようだ。


「ん? んー、そうね」

「やっぱ、大変ですか?」

「そう、ね。始めたばかりだし、どうして?」


 当然の反応であったにも拘らず、言葉に詰まり目を逸らしてしまう。


「休日、って事かな?」


 逸らした視線の先にカレンダーがあったためだろう。本来こちらが付けるべき理由を、自ら解釈してくれたようだ。そして、私の顔に出た申し訳なさを不安と感じたのだろうか、女性は言葉を続けた。


「駄目だったとこが分かったから、忘れない内に、ね。他の人は来てないし、こんな時期から詰め込むことはないよ。気負わないで」


 私の研究に対する嫌悪感が伝わったか、女性は、諭すように微笑んだ。実際、次は自分の番だと、以前からあまり良くは思っていない。しかし、今、このときに、特別意識していた訳ではなかったため、多少不意を突かれる形となった。加えて、柔らかな笑みに魅せられたのかも知れない。またしても一切の音が喉を通らなかった。二度瞬く間を過ぎると、女性はあらためて空気を震わせた。


「ごめん。引き止めちゃったね。用事はその忘れ物だけだった?」


 あなたのせいではないと思い、それでも、思うに留まってしまう。ほとんど息のような肯定をして、私は扉の横に立ち会釈をする。


「失礼します」


 頭とまぶたを上げる。開けた瞳に、ふわりと頷く先輩の顔が目の前に感じた。扉を閉めると、出席者名簿に気付き引き戻される。そう言えば自分の欄に記録していなかった。しかし、その用件が忘れ物と言うのは個人的に格好が着かない。本来は休日なのだからと、一度持った鉛筆を置き、顔を離す。すると、一番新しい出席者の名前が足を止めた。


「カメ……」


 叶芽紫音。十中八九先輩の名前だろう。せっかく今年も始まったばかりなのだから、今度機会があったら聞いてみよう。ちょっとした覚悟を決めて、私は帰路に就いた。


====


 人は行きより帰りの方が早く感じるそうだ。事実、私も学外に出るまでを短く感じていた。ただ、私の場合は、午後になり日が出て来たことや、予定を終えたことなどもあるだろう。何にせよ、後は自身の(じゅう)()に向かうだけだ。

 講義や研究が忙しくなることを考えて、数か月前から一人暮らしを始めている。大学からは徒歩十五、六分ほどの場所だ。ペットも可とは聞いていたが、何か飼っていると言うこともない。しかし、淋しいと感じたこともない。元々、静かなのが好きと言うのも関係しているだろう。

 途中寄り道をすることもなく、何かあると言えば、所々ある信号に引っかかるくらいだろう。その都度、携帯で時間を確認している。画面を明るくするために、自然と戻る程度にスライドさせる。この動作を割と気に入っている。何か、らしい考え事も思い付かない内に、自室のあるマンションは目の前だった。

 私の部屋は三階の端、階段を挟んで離れている。その為、共用廊下ではあまり人に会わない。色々な手間を考えると都合が良い。私は本来の休日に戻るべく、その部屋へ向かった。向かったが、自分のポストに何か差し込まれていることに気が付く。面倒、にしても普段なら忘れることはない。疲れているのだろう。本格的に休む日にした方が良いかも知れない。大雑把な予定を組み終え、届け物を抜き取る。確認は後にして、その足を自室へと向き直した。

 三階への階段を登り切るあたりで鍵を取り出し始め、軽く前を確認しつつ左へ曲がる。幾度と繰り返した動作で帰宅する。


「疲れたぁ」


 迎えてくれる人が居る訳もない家に慣れ、帰りの挨拶も度々なくなってきている。ある意味自然の成り行きだが、自ら言わなくなった節もある。とは言え、最も落ち着く場所の内の一つであることには変わりない。

 そんなところで、腰を下ろすために、上着を掛け荷物を下ろす。仕舞わずに持ってきた届け物を片手に、片膝立てで確認。何かの用紙、チラシのようだ。それの表紙が内容の全てを語り掛けている。中でも片仮名八文字は、視界に打ち込まれ、胃で散開した。


「インターン……」


 こう言った進学や就職なんかの案内を見る度、何処で知るのだろうと感心してしまう。まぁ、大学から遠い訳でもなく、他の学生もいるため不思議はない。問題なのは先の事を意識させられた事だ。今の時期、既に行動に起こしている者もいるが多いとは思えない。意欲より嫌悪感を抱いているのが現状だ。


「あぁ、働きたくない」


 情けないことに、吐き出した言葉に納得している自分がいた。内心首を振ったがその向きも怪しい。疲労感からかやる気が出ず、後ろ向きな考えになっている。そんな気がした。せめて今を切り替えようとテレビのリモコンに手を伸ばす。


「ここまでうつけだとはな」


 発する文字の一つ一つに煽るような苦笑を被せ、その言葉が私から動力を奪う。この部屋には自分以外の人間はいない。まして、ペットも、動物からロボットさえ――仮にそうだとして喋るとは思えないが――いない。発信源には誰もいない。少なくとも、私以外にはそう見えるだろう。だが、確かにいる。いや、最初からいた。口と顎に髭を蓄えた、(まげ)を結った青白い顔の男。その顔だけが浮遊している。私は苛立ちでエネルギーを作り、それに視線と反論を向けた。


「うつけ言われてたのはアンタじゃないか」


 この男、言わずと知れた尾張の大うつけ、覇王、自ら名乗りし第六天魔王。織田信長公、その本人である。

 織田信長。豊臣秀吉や徳川家康と共に三英雄と呼ばれた戦国武将だ。日本で知らぬ者はいない。そう断言する事に違和感が場違いですらある。天下統一の礎を築いた人物であり、その最期として本能寺の変は余りにも有名だ。その信長が、私の目の前にいます。

 当然ながら、聞いてみたいことが多過ぎる人物である。私は実際に、実行に移したことがある。詳しい時代は知らないが、永いこと私の家系に憑いているらしい。そして、私以外は姿も声も確認出できていないそうだ。自身の幼少期と亡くなる数年前からの記憶は薄く、死後に耳にした事情も多くあるらしい。信長曰く、私達に憑いている事を“呪っている”、そう言っていた。霊体になってからは、認知もされなければ、物に触れることもできていなかった。そのため、一切呪いらしい事はなく、怨念は私に言葉を振るしかない。

 私は気付いたときには彼を知っていた。お陰で彼に対する驚嘆もなく、威厳も感じなかった。とは言え、怨まれて良い気分はしない。一人だけ見えていたせいで、変人扱いもされた。こっちにだって恨みはある。第一、なぜ私なのだろうか。その解を得るには、私の名を知れば早いだろう。いや、正確には名字で十分だ。


「やはり反発だけは一人前じゃないか。明智よ」


 私の氏は明智。本能寺の変にて謀反を起こした、明智光秀の子孫である。


====


 講義と言うのはどうしてこうも眠気を誘うのだろうか。講師の話し方か、内容に興味がないか。申し訳ないが、昨晩は必要以上にベッドに潜っていた。それでも睡魔は出張してくるらしい。ただ、自慢にはならないが、私は授業や講義の際に寝たことはない。寝ようものなら個人的な嫌味が掛けられるからだ。


「えー、少し早いですが、切りがいいので今回はここまでとします」


 講師が終了を告げ終わる前には、過半数はいるであろう帰り支度の雑音が広がっていた。今日はこの後、他の講義はない。一度研究室に寄るか、大人しく帰宅するか。とりあえず、次の学生に明け渡すために室外へ出た。どちらにしろ、外を通らなければならない。そう思い硝子越しに空模様を確認する。降ってはいないが、雲が暗い。今の内に帰った方が良いだろう。結論が出た私は、さらに外へと移った。異変に気付いたのはその時だった。


「え? 何あれ?」


 一言で表すなら、巨大な虫がいた。平均的な男性の身長に頭一つ足したくらいの、甲虫と言えば正しいだろうか。加えて異常さを増したのは、周りだ。誰一人気付いている様子はない。それでいて触れている。いや、透けて通っている。思考が繰り返し、頭の雲行きまで怪しくなってきた。到頭本格的に霊感が芽生えたか。認めたくない異状に混乱仕掛けていた。何せ、それを知覚出来る者がいないのだから。私と彼以外には。


「言うなれば、角無しカブトか」

「――ッ! アンタ、見えるのか?」


 普段なら意見が被ると苛立つのだが、今回ばかりは理解者を得た安堵が(まさ)った。信長は目に見える焦りもなく、続けて話す。


「普通ではないだろうが、危険なものか? まるで動かんぞ。儂と同じであれば被害も出んだろう。自分から関わる事もあるまい」


 その通りだ。今まで信長について考えなければ、一般人として過ごして来たため、理解できていなかったが、あらためて思えば彼は幽霊だ。自分以外には見えない。つまり、今見えている虫のような何かも、霊かもしれない。そうなれば、こちらへ干渉せず、触れられないのも合点がいく。珍しく感心しつつ、どちらからも目を逸らし、現状をなかったことにした。そして、そのまま大回りしながら通り過ぎようとした。その間、横目で虫の霊がいた方を確認していた。だが、すぐに顔まで向けることになる。


「え? は?」


 全身が硬直したか、むしろ脱力するような衝撃に支配され、口が開き、それ以上に目を見開いていた。潰れていた。巨大な槌で背の部分を砕かれ、踏まれたドングリを模している。破損した水槽の如く青白い液体が吹き出し、外気に触れるとただちに蒸発している様にも見える。それ以上に視界を独占したのは、その情景を作り出した人物であった。


「何だ。あの女」


 信長に動揺を悟られるのは癪に障る。私は意地で答えた。


「知らねぇよぉ……」


 駄目だ。ダメージが大き過ぎる。目前に現実味が皆無だ。呆然とする他ない。それでも、多少は頭が回り始めた。だからよく見えてしまった。大槌を握る少女が、こちらを見ていることに。私は息も止まり、ただ見返すだけ。身構えなければと言い聞かせる。だがその内、少女は私から横に目を逸らした。次に、空けた左手を耳に上げ、何か話す動作をしている。そして、再度こちらを一瞥し居なくなった。

 元々私の足を止めたはずの物体は、光の泡とも、青味がかったドライアイスとも取れる、煙となって消えて行った。一体何があったのか。いつからか寝ていたのだろうか。それを腑に落とす前に、学生達の無為な騒がしさが重なり、近づいて来る。我に返り携帯電話を取り出すと、本来の講義終了時刻を回っていた。


「なぁ? 俺さぁ」

「知らん。変人扱いは元からだろ」

「大学入ってからはそんなんじゃない! つもりでやって来た、つもりで……」


 感情のぶつけ先を得て、妙に落ち着いた為、周りを気にし出した。今更な感じは自分でも否めなかったが。


「儂も話がある。部屋に戻らんか?」


 まともな反論もなく、大人しく、早足に帰路へ向かう。道中も先刻のことが頭の中を巡っていた。いまだ緊張だか興奮だかが解けないのか、歩き方のせいか、息が整うことはない。そんな中で唯一まとまったのは、例の彼女が一番幽霊らしく感じたことだった。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ