其ノ参 A面 後編 『それぞれの空間』
そこは、暖かく涼やかな音色に満たされていた。
「……それで学校がてんてこ舞いだって。ひそらちゃん大変みたいね」
「努力家ですが、まだまだ心配ですわね……」
娘との会話をあらためて話す彼女の声は踊る。
「……だから有名人に会えったって喜んでたわ」
「何せ本人ですから……」
艦長代理を務めてから久しく顔を見せていなかったアルトにとっても、今以外を忘れた時間となっている。
「……多分後輩ができた気分なんだわ」
「明智さんは一応年上ですが。ふふ」
アルトが微笑む。それを機に、女性の優しさから憂いが晴れた。
「良かった」
「ええ、あの子が楽しそうで――」
「そうじゃなくて、あなたのこと」
「え」
何か気に掛けてしまっていたか。アルトは顔色をうかがう。目にした瞳はベルクを見るときと同じものだった。
「あの子、あなたのことも話してくれたわ。笑わなくなったって」
「いえ、そんなことは」
「作り笑いでしょ。子どもはすぐに分かるわ」
責任がある。一つだけじゃない。アルトが純粋に笑顔を表にしたのは久しく記憶にない。彼女自身がそう自覚していた。
「ご心配には及びません。ベルゲンブルクさんは安心してハーピィと――」
「こーらっ」
俯き気味に話したアルトの隣に女性の顔が迫る。慣れた動作で車輪を転がし、結構な距離まで近付いていた。
「またお仕事モード? 私のことは名前で、前にも言ったでしょ。来たときだって余所余所しかったわ」
「ですが」
たじろぐアルト。それを見据えて、女性は深く座り直し言葉を重ねる。
「あの子が普段どう呼んでいるかわ分からないけど、真面目だからちょっと違うのかしら」
まぶたを閉じ、ゆっくりと開く。アルトの視線を引き付けて。
「私と話すときね、おねぇちゃん、って言うの」
少なからず感情が生まれた。しかし、アルトは口を開けるだけ。多くの思いが一度に上がり、気持ちが喉を通らない。それでも、彼女の心持ちは伝わる。女性は応えた。
「あの子が姉と慕っているあなたを、母である私が気に掛けることに何ら不思議はないの。ねえ? アルトちゃん」
「――ありがとう、ございます」
「だから、私のことはロナって言って」
「はい。コローナさん」
アルトが愛称を避けたこと、そこに全くからかいがなかったことに彼女は不満を抱く。
「うーん。やっぱり姉妹なんだから、お母さんの方が良いかしら」
「いえ、それは……」
「ふふ、冗談よ」
アルトが困ると分かっていて、わざわざ自分が茶化す。そこに微かであれ本心があったか、他に知る人はいない。そうした喜楽を広げた一時の談話は、一本の通信に断たれた。
「すみません」
構わないよう会釈を返す相手を前に、態度をあらためるアルト。
「こちらカヤンガネル、用件を」
通信の内容を聞く姿は微動だにせず、唯、目つきが険しくなっていく。
「分かりました、すぐに戻ります。その間、現場指揮及び分隊指揮配備はヌラカ会長に、解析とサポートの指揮をコントラルト会長に。帰還次第ヌラカ会長と連絡を取ります。その旨を合わせて、ええ、お願いしますわ。では」
通信を切ると同時に慌ただしく席を立つアルト。いつもの、いやいつも以上の仕事が待っている。
「すみません。今日は失礼しますわ」
「アルトちゃん」
「はい?」
「あの子のこと、お願いね」
「――はい」
自分に囁くように、それでいて彼女にも届く力強さで、返事と彼女を残してアルトは身を急がせた。
落ち着いた話の場であれ、交わす声が去れば閑散が居座る。五感を暫し放棄して物思いにふける。故に時間の外で静かでいた。しかし、彼女が感じた静寂は刹那に幕を引く。来客が立て続いたのだ。アルトと入れ違うように姿を見せた人物を確認し、彼女は車輪に手を掛けた。
「あなたは……」
====
とあるゲートに魔導士の団体が赴いた。目標はその一部を露出させ、今もなお鈍重に徐々に外へと着実に、その全身を現さんとしている。
「こちら調査班。観測地点にて対象の敵性魔導体を確認しました。伝達を」
「了解」
テナーは現場のメンバーとの通信を切り替えて、観測データの照合を指示する。
「ブラッチェ、管司会へ伝達。前回と照らし合わせろ」
「もうやらせてる。後は?」
「解析データが知りたい」
「待て、まだだ。先に他のを」
「対象座標の周囲に人はいるか?」
「人、どころか動物、草木もないな。俗に言う沙漠か。岩盤しかない分、EDAも気にしなくていい。Dくらいか? 前のより派手にいけるな」
「大事になるぞ」
「その方が見ていて楽しい」
「そこはシネマじゃないんだが。やれと言うならお前が片付けろよ」
「冗談だよ。あ、待て。お望みのデータだ」
彼らには余裕があった。これまでの魔導体の敵対波は全てデータとして保存されており、今回の対象もおそらくは既存のものであると考えているからだ。それはおおむね当たっていた。
「干渉レベルは七十、全高三・五メートル、インセクト。波形、有効打、他は同じだな。奴さん太ったか?」
「その程度なら誤差だろう。計画は当初の通りで問題ないな。ではブラッチェ、頼んだ」
「任せな」
テナーの会話は止まり、視線が目の前のメンバーへと送られる。
「これより敵性魔導体の排除を行う。第二フィールド班及び第三班、第一討伐班は私と共に現地へ。残りはもう一方の魔導体に対応、速やかに排除せよ!」
「了解!」
魔海を進む者、停泊場で構える者、班内で連携を確認する者、管司会や待機組へ連絡を取る者、各々が自らの責務を果たそうと動く。前線メンバーは例外なく実力者である。しかし、中でも比較的実力がない者は緊張し、よりある者はさらに鼓動に縛られた。
今回は前例と違い、一度目にした状況が繰り返している。突発的ではあったが当日もテナーが相手をしていた。それを記憶しているため、同様の敵を自分たちに扱えるかと危惧する者も少なくない。だが逆に、知っているが故に気が楽な者もいる。テナーが排除に時間を必要としないと予測しているからだ。自分は時間を稼ぐだけで良い、そう考えていた。そんな中、彼らとは違う場所で別の思考を巡らす男が一人。
「つまんねぇなぁ」
せわしなく動く管司会のメンバーと代わり映えのしないモニターを眺めるブラッチェ。あくまで会長としての監視だが、気分は授業の見学だ。現状が分かり切っている彼は緊迫の二文字を一画も感じてはいない。つまり暇だ。
「こいつらに任せて寝るかぁ」
実際にはしないこともわざとらしく舌で転がし、再びモニターを見た。ようやく半分が外へ出たインセクトがなおも気だるそうに体を運んでいる。
「あいつもやる気なさそうだな」
「会長」
「んー、どした」
「ヌラカ士官がゲートに到着いたしました」
「早くね?」
「一人だけ飛んで向かったとのこと」
「ま、仕方ないか。仮に一般人がいたら、あのままじゃ見られるからな」
フィールド内は魔海と実体のある空間を干渉させ、戦闘による被害や第三者の目に留まることを防止している。主に魔導体を閉じ込め、他者の視認を回避する囲いの生成が主だが、魔海への干渉を高め外の世界と隔離する目的もある。今回のような干渉レベルの高い魔導体がその対象に含まれる。
完全に魔海と同調した空間で戦闘を行うと周囲の魔力に同化してデータが取れないため、転換により元の空間を模造する必要がある。これは《生成フィールド》と呼ばれる。
フィールドの展開ができるのは士官会の中では二十数人、得意とする者は十人前後しかいない。加えて、生成フィールドは通常、四点に一人ずつ配置した組で直方体を形作る。それを一人で可能にする人物はテナーを含め三人のみ。前線にいる内では彼だけであるため、一足先に現場へと飛んだのだ。
「ヌラカ士官、ゲートより出ました」
「了解、一応つないでくれ」
ブラッチェの指示で通信機が起動し、テナーから応答が返る。
「こちらヌラカ、用件は」
「なんか急いでんな」
「ないなら切るぞ」
「待てよ。お前がフィールド展開したら誰が虫の相手すんだよ」
「他が到着し次第交代だ。万一の場合を考慮して先に張っておく」
「周囲三キロは調べたが誰もいないぞ」
「やり過ぎと言うこともない」
「あっそ」
ふと思った疑問を解消したブラッチェが通信を終えようとする。そのとき、モニターの先、テナーの目前でインセクトの動きが早まった。どんどんと外へ動いている。動いていると言うよりは。
「押されてる?」
「ブラッチェ、観測を――」
テナーが指示するその前に、ブラッチェに情報を与えたのは今見えているインセクト、その後ろだった。押し出している。比較して五メートルほど、より大きな魔導体が、先程までのインセクトを意に介さず重戦車を模して現れた。
「同じゲートから来たか」
「ブラッチェ、他のメンバーに招集を」
戦場が一つに絞られたことで待機させていた前線メンバーを呼ぼうと判断する。だが、一瞬忘れた。それほどの衝撃があった。巨大な魔導体、その更に背後から二メートル前後の魔導体が大量にあふれ出ている。ゲートを巣としてまるで蟻の大群。三十はゆうに超えてまだ見える。
「野郎、本体なんも変わってねぇと思ったら子連れかよ。テナー!」
ブラッチェの怒鳴りか叫びか、叩きつけた声にテナーは刹那に凍りついた脳を覚まし、移った感情を漏らした。
「くそっ、【テュフォニアス】!」
己の武器を握り、その名で声を張る。テナーが鋭利な杖の先を空中に突き立てた。すると、際限なく散り行く魔導体を、その内に一体として例外なく取り囲むように、全てを隔離する生成フィールドが展開されていく。
「――はぁ」
「戦力が、減ったな」
深いため息と含みのある言葉が互いに伝わる。テナーの魔導具は明智の試験でも使用した錫杖だ。もちろん武器としての性能に不備はない。しかし、真価を発揮するのはフィールド展開能力である。使用者の限界を度外視した場合に、無限に生成フィールドを広げることが可能。欠点として、一度広げると再展開以外で縮小させるすべがないこと。最大の問題は、維持し続けるために他の行動が制限されることである。特に現状は、テナーが限度近くまでフィールドの維持に拘束される形となった。それをよく分かっているのは本人だ。
「ブラッチェ」
「おう」
「後、頼む」
「しゃーねぇわな」
ブラッチェは素直に応じた。流石にモニターに映る光景は絶望の色が濃い。だから、異様に胸が躍った。面白くなってきたと。そして何よりも――。
「マジで待機じゃ済まなくなったな」
彼はテナーに任された立場から指示を飛ばす。
「出動準備してるメンバーを出撃させろ! それと、待機組も出せ――それでいいな?」
ブラッチェの指揮が届いた場所はモニター室だけではなかった。
「他にないだろ。カイ」
「そうですわね。ヌラカ会長があなたに指揮を任せたこと以外は肯定いたしますわ」
「こっちに画面があるんだから当たり前だろ。もっと言えばお前途中から来たろ」
「会長の移動中に情報共有は済んでいますわ。あなたとも交わしましょう」
「なんならこっち来るか?」
「確かに問題ありませんわね」
艦長が現状を把握することはむしろ必要な事項である。何より、アルトはモニターを見たかった。待機組が出撃となれば当然、あの子もそこへ向かうのだから。
「お願い、されましたから」
「何か言ったか」
「いいえ。あなたには何も」
艦長室から、アルトは去った。
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キャリアー停泊場、そこにアルトはいた。モニター室に行く前に待機組の誘導を指揮するためだ。
「……となっています。つまり、一組で一体を相手してください。あくまで二、三メートル級を対象とすること。以上、行動開始!」
各班に分かれて現場へと動き出す魔導士たち。その中に彼らの姿もあった。
「それじゃあ、行きましょうか」
「はい」
「はぁ」
「明智さん、覚悟決めてくださいよ」
「初戦でこれかぁ」
総合して他の班より歩みの遅い明智たち。最後に残ってキャリアーの手前まで着く。
「明智さん」
班員の名前を呼ばれて三人が振り向けば、その主がアルトであると分かった。
「あなた一人の戦力ではありません。そのためのチームですわ」
「副会長」
アルトは明智の反応を確認して他の二人にも順に声を掛ける。
「ベルクさん」
「はい」
「無理はしないように」
「――はい」
「州神さん」
「はい!」
「二人をお願いしますわ」
「承知です!」
「では、いきなさい」
三人は返事をそろえ、戦場へと漕ぎ出した。自分たちはチームである。その意識を再確認して、明智は移動中にある考えを切り出す。
「なあ二人とも」
「どうしました? 帰っちゃだめですよぉ」
「ここまで来てそれはないよ。二人のこと、教えてくれ。魔導具とか戦い方とか、今の内に。正直俺要らないと思うから、邪魔にはならないようにしたい」
「らしくないですねぇ。でも、作戦考えるのはいいと思いますよ」
州神はベルクと目を合わせ、先にベルクから話し始めた。魔導具を生成して、見せながら説明していく。
「明智さんも知っていると思いますが、私の魔導具はこの【エンカレッジ・マレット】です。普段は高所から落下して叩きます。防御のため覆っている魔力で握っていますが、それでも力任せに振ると消耗が激しく、今回の地形では長期戦は難しいかと」
「そうなんだ」
明智はベルクが倒れた日のことを思い出した。おそらくベルクは保蔵が苦手なのだろう。しかし、落下の衝撃を問題としない辺り変換技術は申し分ないと言える。まずは納得した明智の視線が州神へと移り、彼女は魔導具に姿を与える。それは弦のない弓に見えた。
「私の武器は【アルテミシア】、見ての通り弓ですね」
「おお、遠距離か」
「あぁ、そのぉ」
パーティバランスの良さに感心した明智だったが、州神は浮かない顔で目を逸らす。
「これ、攻撃できないんですよ」
「え?」
「私、変換と転換が苦手でして、治癒ぐらいしかまともにできないんですよねぇ。だから、遠距離から回復支援がメインですかねぇ」
「そういう、なるほど」
情報は得た。後は組み立てて、自分の役割を探す。到底作戦と呼べる明確なものではないが、明智なりに提案した。
「……て感じで、どうかな」
「名案です」
「それじゃ明智さん、頑張ってくださいね」
「う、うん。善処する」
作戦の大部分がまとまったが、自分の意見であるにもかかわらず自信なさげな明智。少しでも不安を除こうと不確定要素を探す。すると、現状分からないことが一つあった。
「そう言えばなんだけど、俺たちどうやって降りるの?」
「そのままですよ」
「俺、見えなくする方法とすり抜けない方法知らないんだけど」
「本当に良く准士官になれましたね」
半ば呆れた州神だったが、現状でそんな暇もなく大人しく解説していく。
「全身に魔力を満たしてください。それだけです」
「それだけ?」
「はい。魔力は見えないので結果的に自分たちも知られません」
明智は持ち得る知識から、油にガラス入れると見えなくなる現象に近いと認識した。
「それで、すり抜けって言うのはよく分からないんですけど」
「ああ、えっと。魔導士ってもの透けるんじゃないの?」
「え? 全然そんなことないですよ」
明智が気になっているのはベルクが最初に奇襲して来たときのことである。
「ベルク」
「はい」
「初めて会ったときのこと、覚えてる?」
「あのときは、ごめんなさい」
当初は仕事を全うしていたとはいえ、今やともに戦おうとしている。仕方がないとはいえ、今から見た過去に申し訳なさを感じている様子のベルクに、明智はすぐに言葉を続けた。
「いや謝らなくてもいいよ。そのときに部屋が全く荒れてなかったから、通り抜けるものだとばかり」
「それはハピちゃんが器用なだけですよ。第一、地面すり抜けたら一生落ちますよ?」
やっぱり自分は要らないかも知れないと明智がまとめていたとき、前方から声がした。
「目的のゲートまで百秒です。皆さん、準備を」
「了解」
州神の対応を皮切りに、彼女とベルクが立ち上がりキューブを握る。魔力を流し込むとそれは光となって二人を包み、魔装衣に成り代わった。ベルクは覚えのある姿に、州神の衣装は着物のようだ。
「明智さんも装備して。フィールドがゲートぎりぎりまで広がっているみたいです。すぐ戦闘があると思ってください」
吹っ切ってキューブを握りしめる明智。魔装衣をまとい、覚悟を決めた。そして。
「ゲート前、到着しました。ご武運を」
「二人とも、行きますよ!」
州神の号令で一斉にゲートを飛び出す明智たち。荒野広がる大地のすぐ横に、彼らにだけ見える空間の歪みが揺らめいていた。
「フィールドに入ります。構えて――今!」
突っ込む明智。その目の前に広がる光景に足が止まり、見開いて固まった。
「マジか」
初めて見たときと同じくらいの魔導体がざっと四、五十。そして何より、その倍、それと三倍はある巨大な甲虫がいた。言葉を失うためにそれ以上の理由は問われないだろう。だが、このまま止まっていては失うのは言葉だけではとどまらない。
「明智さん!」
州神の大喝に気を取り戻した明智は、自分に迫りくる魔導体の存在に気付いた。その距離に数人分もない。明智はとっさに得物を振った。確かな感触、共に伝わった視覚に切り離された魔導体の脚が映る。
「――効いてる?」
攻撃によりそれた魔導体は体勢を崩して地面を滑る。速度が落ちたその体の上空に跳ね上がっていたベルクが、そしてその手に握られたハンマーが、確実に敵の背を捉えた。明智が刀を振った反動を立て直したころには、一つ脚のない魔導体が背中の大部分を失っていた。
「消撃、完了」
「よし、いける!」
魔導体群討伐戦、開始である。