其ノ弐 B面 後編 『試験開始!挑むは魔導のうつけ者』
話し終えたアルトは、冷えたカップに一杯を注ぎ入れる。人から聞いた話と、自身の思い出を語り、ひりつく喉に流し込む。
「成程。それで育てた、か。親を名乗る程で無いな」
「あら、後数か月すれば桁も変わりますが、まだ足りませんか」
茶会を始めたばかりのように見合わせる二人。その顔を先に信長が崩す。
「本人が思ってもいない事を同意させるな。第一、お主自身も昔話に語っていたであろう。代わりは出来ぬと」
波立つカップが置かれる。その音とそれを見る瞳は重く、口は軽やかに開かれた。
「全く思っていない、とも言えませんわ。どこかで保護者を務めた自分に誇りを持っているのでしょう」
「それはあるべきであろうな。伝わり不安を抱えるのはベルクの方だ」
次に目が合ったとき、くだらない談笑に見えて微笑んだ。
「いずれにせよ、親無き憂いは拭えぬか」
「ええ。ですので、最近は定期的に面会させていますわ」
不意に信長が一手遅れる。彼の聞いた話とは相違していた。
「ベルクの二親は生きておるのか?」
応じたアルトの顔は、あまり良いものではなかった。
「いえ、お父様は残念ながら。ですが、彼女のお母様はご存命ですわ。お父様が身をていしたと伺っています。それでも、意識を取り戻したのは僅かに二年前。両足が、動かせない状態でしたわ」
アルトの感情は表立って、信長から言葉を求めはしない。閑散とした席に、アルトが音色を変える。
「幸いだったのは、それ以外に問題がなかったこと。ハーピィを覚えていて、分かって、彼女と抱き合えたことですわ。私自身もあの子に構ってあげられる時間が減っていましたから、感謝しかありませんわ」
そう話すアルトの目は、思い出したものであろうか、彼女の髪のように潤んでいた。
「そうか」
信長も空気の潤沢さに浸りゆく。
「ところで、儂の前でその呼び方は良いのか?」
「あら、今更ですわ」
「そうか然すれば儂もそのように呼ぶべきか」
「信長公にはご遠慮いただきますわ」
「ふむ、連れ無き奴よ」
暫し温まった場に居座っていた両名。内、信長があらためて切り出す。
「しかし、お主の母、ソプラノについて、その話は真か?」
信長としては、その場にいなかったアルトがそれを語ったことに疑問を抱いていた。話の真偽を問われたことに、その理由を理解したアルトは、出所を述べる。
「人づてに聞いた話ではありますが、おおよそ正しいとして問題ありませんわ。長く母の事に仕えている方です。現場にも居合わせていましたようですし」
「ブラッチェ、コントラルトか」
「いいえ。もう一人の方ですわ。あの男よりは信用に足る人物でしょう」
その男について話すアルトは少し不機嫌で、どこか呆れていた。態度が落ち込んだのは言葉の後半、信用に足りない方の男を話題に出したところからだ。
「何か騙されでもしたか」
「何か、と特定するのは難しいですわね。小さな面倒を少しずつ。はっきりと事を伝えていただきたいものですわ」
信長はベルクの事件のときを振り返る。変に余裕があり外側からものを見る態度が浮かび、アルトに同情した。
「ともあれ、真であるか。とすれば、ソプラノの前では従順であるか、ある程度の権力が求められるな」
自身の考えが通っているか確かめるため、アルトを見る信長。開いてからは険しい顔が返る。
「私の立場はあくまで代理。ハーピィの地位もそうですが、目先を論ずれば明智さんですわ。私が一戦力として動くようになった時点で、最低限、上への変化が望ましい。そのためにも、来週の認定試験は絶対条件となりえますわ」
力のある目で投げ掛けるアルトに、信長は承知の意思を顔に表した。
「無論だ。儂が手を貸したのだ。収めねば真にうつけ者よ。州神も良く相手をしている」
信長は両目を真っ直ぐアルトに向け、真剣な眼差しが語る。
「だが、それらも無駄に終わっていたやも知れぬな」
「行き詰まりの報告は来ていませんが?」
「いやいや、無くとも問題では無かったと言っただけの事。何せ」
そこで信長は不敵な笑みを浮かべた。
「お主の娘が居るのだからな」
話し終えた信長の決め顔に、アルトは何とも言えず安心を得た。
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准士官認定試験。年に三度行われている。准士官と言う地位は、戦闘に関した技術に限らず、魔導士として活動する際に必要となる知識が備わっていることが前提となる。そのため、あらゆる会に所属する場合において基準となる。そして、今明智が目指している目標である。
「明智さん!」
「うん」
「いよいよ明日ですね!」
「うん」
「なんでここにいるか分かります?」
「最初に授業やってた部屋だね。なんでだろうね」
「明智さんが筆記ボロボロだからじゃないですかぁ! 何してたんですか」
試験の前日となり明智の最終確認を提案した州神。不足している部分はないかと試していると、想像以上に抜け落ちていた。
「いやでも、魔導士の定義とか組織関係とかは覚……」
「――何でよりによって配点の低いとこ覚えてるんですか! もっと面白味のあるとこあったでしょ!」
「あっ、変換とかも覚えたよ」
下手に取り繕う明智に、州神は疑念で目を細める。
「後は?」
「えっと、通撃と消撃……」
“通撃”、最もダメージになり得る攻撃方法を探るための試し打ち。限られた魔力で効率良く戦闘を行うために、魔力の状態や硬度、別エネルギーへの変換運用をする。本来の攻撃に使うものより少ない魔力で有効かを判断していく。通常、管司会がデータを取り判断する。又、基本的に複数回に分けて試す必要がある。例外として、ベルクのように一度で様々な状態の魔力を打ち込み、自分で感知できるものもいる。
“消撃”は魔導体の排除において、魔力の離散を開始させるほどの攻撃について呼ぶ。魔力の離散におよぶ魔導体は戦闘不能の状態であることがほとんどであり、最後の一撃になる場合が多い。
「……後は、えっとねぇ」
「干渉レベル。それと、EDAは?」
間抜けに口の形だけ笑っている明智に、州神は仕方なくフェルトペンを手に取った。
「いいですかぁ、干渉レベルはあっちの世界に影響するかの指数です。最大百で五十がボーダーライン、ぐらいでいいでしょう。それでEDAはぁ……、書くの面倒なんで資料見てください」
授業で使っていた教科書に似た冊子、明智はその最後の項目から数字を探す。対応したページには州神が伝えんとした内容が記されていた。
“推定被害評価”、通称EDA。干渉レベルとは別に、問題を放置、又は対処に当たった場合に予測される、実体のある世界での被害をランク付けしたものである。そのため、干渉レベルに比例して増大するが、現場の人口密度や占める施設によっても左右される。基準として、魔導体が透けて漂っている状態をF、体を付けている状態をE、干渉レベル五十前後をDとしている。
「名前と解説、後はSとAからFまでの基準を覚えておけばいいんじゃないですかねぇ」
州神は明智が読んでいた隣のページの表を指差す。下から順になぞると州神が説明していく。
「覚え方としてはぁ、Fがフォルス、Eがエラー、Dがダメージって感じです。特に被害がないのと、問題になって、稀に怪我人が出るあたりなんで。後は……」
その後約一時間、連盟の目的から詳しい用語まで、明智の頭に入るだけ詰め込まれていった。
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レギオンシップ、准士官認定試験会場。この日のために鍛錬に月日を費やした候補生たちが続々と訪れている。当然、明智もそこにいた。
「それじゃ、いい報告待ってますよぉ」
「頑張ってください!」
「少なくとも、今以上の腑抜けた面は要らん。精々尽くせ」
各々言葉を掛けたやると、明智なりに固い笑みを返した。
「行ってくる」
他の候補生に紛れ、明智の姿はその一員に変わって行った。中に入ると案内板に従い会場に向かう。すでに埋まりつつある席は大学の講義室に似ている。そこで待機することになる。そうして、時間になると数人の指導者らしき人物が前に立った。
「はい、皆さんお集りのようですね。時間になりましたので、試験の説明に移らせていただきます。まず始めに筆記試験を四十五分間。会場の移動と休憩で十五分を取ります。その後実技試験を開始します。筆記で不正行為が発覚した場合、実技試験の参加資格は剥奪となります。実技についての詳細は、そのときに追って説明します。では問題と解答用紙をお配りします」
その男性が事務的に説明を終えると、脇にいた数人が用紙の束を抱えて動き始める。
「問題や用紙に不備や質問がある場合は、手を挙げて知らせてください」
よく聞くフレーズに、明智の緊張は高まる一方となる。
「行き渡りましたか? それでは、今から四十五分、始めてください」
開始の合図で一斉にめくる音と叩く音だけが重なり始める。そして、時間は刻々と過ぎていった。
「はいでは終了です。ペンを置いて解答用紙を裏返してください。係の方が回収しますので、そのまま待機でお願いします」
このときの明智の心情を述べるのであれば、可もなく不可もなくである。選択問題は心配ではなかったが、用語の解説に不安があった。丸暗記には至らず、今から思い出しても何を書いたか覚えていない。一抹の憂いを抱え、明智は会場を後にした。
実技試験の会場は屋外である。実際の環境に近づけるためか、雨が乾き、適当に整備したグラウンドのように作られていた。候補生たちを整列させると、先程とは違う男性が、もとい、見覚えのある男性が皆の前に現れた。
「では、実技試験を始めますが、その前に注意事項をよく聞くように。制限時間は十分、こちら側からの大きな反撃はありません。ですが、試験の最中に数回の攻めをおこないます。防御に関しても審査しますので留意しておくように」
言われてみると受けの練習をしていなかった。今更なことに気付いた明智は嫌な汗が噴き出す。しかし、説明が中断することもないため、聞く態勢を作り直す。
「使用する魔導具は訓練用のワンドに限るとします。それと、悪質な妨害目的の行為が見つかれば退場とします。この試験の明確な合格の基準やするべきことを提示はしません。加えて参加者の内の順位で上層を合格とする方式でもありません。今持てる自分の力を出してください」
すると、いくつかあるフィールドの中に各一人、外に二人の組み合わせで指導者側が分かれて行く。
「それでは番号の順に、各自同意のもと、始め!」
それぞれが順にフィールド内部に入り、明智がベルクと実戦練習をした時間より短い内に姿を現す。自信あり気な者、落胆する者、始めと変わらず作業的な者。中には五分と満たさず出てくる者もいた。終わった者から会場を後にしていく中で、待機している人数が半数を切ったころ、ようやく明智に手番が回ってきた。
「次、中へ」
呼び出しに応じて中に入ろうとした明智。その姿を確認した指導者の一人は、一つのフィールドへ案内した。深呼吸をしながらさび付いた歩き方で赴く。そこには、実技試験の説明をしていた男性が待っていた。
「あなたは確か州神さんと話していた」
「私はテナー・ヌラカ。周りはヌラカ会長と呼ぶことが多いな。君たちのことはカヤンガネルから任されていてね、私が相手をしよう。ひと月で目指した地位にたどり着いたか、直々に試させてもらおうと思う」
声色こそ友好的だが、アルトとは違う空気に、明智は生唾を飲んだ。
「君の一撃を私が受けてからスタートだ。来なさい、明智君」
その言葉に、明智は魔導具を形作ることで応えた。手に収まったステッキに光が伝い、刀身が浮かぶ。包む魔力の揺らめきが消え、己の得物が安定したとき、明智は前だけを見て地面を蹴った。テナーが武器を構えると同時に、音は鋭く広がる。
「試験、開始だ!」
次に放たれた一撃、それはテナーからだった。
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目の前には黒鉄の錫杖を構えるテナー。ベルクのときのような真剣な顔つきではなく、その手の空いた扱いに明智は焦っていた。制限時間の半分が経過する少し前で、明智は攻めきれずにいる。
テナーから受けた反撃は、たった一回で相手の意識を括り付けた。辛うじて刀身を当てた明智だったが、その重さを体感してしまった。故に無駄な警戒が増え、無鉄砲な連撃で風ごと斬るに至らない。脈が早まる中、勢いを殺した戦法が明智を冷静にする。思えば初めから魔導具を狙っていたのかも知れない。
おそらくは残り五分を切っただろう。隙がない。糸口をつかめないまま環状線が巡る。早まる思考とは裏腹に、斬撃は遅く軽い。
「明智君、残り五分だ。攻めなければ落ちるぞ」
決してテナーの言葉が理解できない訳ではない。しかし、それに返す対応が見つからない。攻めねばじきに終わる。だが、攻めればその場で終わる気がした。考えれば考えるほど明智は迷走していく。分かり方が分からない。今は教えてくれる人もいない。明智は思った。このままではまた信長に嫌味を言われる。
『うつけ者』
「それは、アンタだ」
騒音でテナーには届かなかったが、明智は声に出していた。そして、それが妙に引っかかった。うつけ者――愚か者や奇妙であったりぼんやりしている人物を指す言葉。又、漢字で書けば空っぽな者だ。明智はそれを知っていた。だから、思いついた。
「おお? ラストスパートか」
明智の動作から迷いが消え、刃は風を泳ぐ。振られたその身を止めることなく、さらなる一撃へと流れ行く。ベルクとの模擬戦のときのように、いや、それ以上に早く、徐々に衝撃も増していく。無駄がない。代わりに、狙いもない。唯々打ち込む。まるで、何も考えていないかのように。
「だったら、これだ!」
テナーの錫杖は雷土を模して、斬れる雨の中を瞬く間に抜けていく。攻めに徹した明智の体勢で、その突きから身を守ることは不可能。だから明智は、前に出た。加えて、刀を振る。ずれた重心に刀身が加重し、直進する突きは空気へ落ちた。そして、大きく踏み出した一歩は体を定め、両腕を添えた得物は、その刃を確実に対象へ飛ばした。直後、鉄塊の爆破を疑う轟音が宙を占める。同時に、張り上げた声が薄く伝う。
「そこまで!」
試験の制限時間、十分が経過した。最後に明智が確認できた光景は、手紙でも受け取るかのように、魔力の刀をつかむテナーの姿だった。明智は疲れから、テナーは何か考えながら、僅かに騒音が嘘になる。
「なるほど、そうか」
明智との打ち合いに納得したか、疑問が生まれたか、テナーは独りでに口を開く。幾秒か明智と刀を眺めていたテナーは、自身の役回りを意識し、別の言葉を伝えた。
「お疲れ。試験は以上。問題なく動けるようなら、このまま帰宅になるけど、質問はあるかい?」
息を切らしながら首を横に振る明智。
「い、え。大丈夫です。はい」
「外で待つ分には試験に支障はないから、少し休憩してから帰るといい」
テナーの労いに、明智は一礼し、それでいてそのまま試験会場を後にした。
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試験終了から四日後、合否の書類が届く日である。結果は指導者を担った人へ送られ、受験者本人へ手渡される。つまり。
「明智さーん! 来ましたよぉ」
明智の場合、州神が受け取ることになっていた。早く見せろと言わんばかりに封筒を押し付ける州神。隣でぺこりとするベルク。あまり興味を示さない信長に囲まれ、そっと中身を取り出す。そこに記されていた内容は。
「明智殿、あなたは准士官認定試験に合格されましたことを、証します。だっ、て」
「明智さん!」
明智が振り向くと、思わず声を上げるベルクと、自慢げか誇らしげに破顔する州神がいた。
「まぁ、その程度は熟せねばな。話にならん」
「悔しいか?」
「以前にも言っただろう。浮かれていては見苦しいと」
「あっそ」
筆記の憂いや実技試験前半の尻込みに、いまいち自信のなかった明智には、棚ぼたに似た喜びがあった。いずれにせよ目標達成であると。
「良かったぁ。マジで」
「ほんとにです! あれ? 何か他に入ってません?」
ベルクの指摘に気付き、封筒の奥を覗く。そこには確かに別の用紙が送付されていた。
「何だろう」
明智がその紙の折り目を伸ばすと、四人はある人物からの連絡を目にした。
『合格おめでとう。早速だけど仕事をしてもらう。詳細は州神准士官を通して報告する。テナーより』
「あのぉ、これ。州神さん?」
「私知りませんけど」
明智は思わずにはいられなかった。一難去ってまた一難。