其ノ弐 B面 中編 『鳴るは鐘の音 聴くは山びこ』
少女が生まれた。太陽に恵まれた豊かな麦畑が、朝靄に包まれたような、美しい金の髪の少女だ。愛を注ぎ、名を授け、娘の両親は天使を抱きしめた。何と言う憂いもなく、愛の結晶は輝き健やかに育っていった。少女はその名の通り、皆の中心で暖かい笑みを咲かせていた。
しかし、少女が言葉を話す歳になったあたりから、異常な言動が増えていった。何もない空を指差し物を問い、時折蝶と戯れるように歩き回る。両親には娘のそれが虚言や芝居には感じなかった。だが、普通のことだとも思えなかった。幸い、人懐っこい性格が良い方向へ働き、面白い子だとして孤立することはなかった。それでも、いつまでも続くならばいずれ問題が出るだろう。何かの病かも知れない。両親は娘の診療を求めた。子どもは色々なものに興味を示すから、考えるようになったストレスから、診断の多くは、一時的な問題であり成長と共に改善されると語られる。両親も深く思い詰めはせず、今まで以上に娘を愛することに努めた。
それから一年、少女の不可解な行動は癒え、一抹の不安は杞憂に終わった。両親もその周りも、そう思っていた。そんなある日、少女の家に見知らぬ客人が訪れた。
「そちらのお嬢さんについて、少しお話がございます。お時間、よろしいですね?」
影に朱を隠した白絹の髪、人を訪ねるにしては大げさな連れ人、何よりその高圧的な振る舞い。考えるまでもなく、本来かかわるはずがないであろう女性がいた。両親は娘を二階へ上げ、下手に拒まず、招き入れた。
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連れの一人を外で待たせ、もう一人を横に置き、女性は立ったまま話を始める。
「お嬢さんが患いだそうで、お変わりありませんか?」
歳は四十に満たないか、自分たちより目上の来訪者に身構えていた両親であったが、医療に携わっている方なのだと、現状を明かした。
「ええ、おかげさまで。今ではすっかりと。何も心配ありません」
父親の言葉に、女性は困った顔を返す。
「そうですか。ええ、何よりです。しかし、本当にそうでしょうか」
「――え?」
「いえ、そもそもそれは病だったのでしょうか」
「一体何の話を……」
父親の質問に答えることも、そもそも聞く耳もなく、女性は被せるように口を止めぬまま続ける。
「何もない場所を見て、あたかも実在するかのように話した。そうですね?」
黙る父親。女性はそれを認めはしない。
「お答えください。それとも、直接会わせていただけますか」
「――だとしたら、どうだと言うのです? あの子の病気は治りました。これ以上問題はありません! 失礼ですが、お引き取り下さい」
この女性は危ない人だ。そう感じた父親は語気を強めた。対して、女性が見せたのは、混ざり気のない純粋な微笑みだった。
「そうですか。本当に良かったですわ。今回は無駄足にならずにすみました」
そう言うと、女性の雰囲気が変わる。真意へと豹変した。
「回収なさい」
二つ返事で、横に立っていた男が階段の方へ向かう。慌てて進路に立つ父親。その背から抜けて母親が駆け上がる。特別攻撃を仕掛けるでもなく、男が父親の目の前で止まっていると、女性が近づいてきた。
「あなた方、知識を持たない方に理解を求める時間はとても無意義です。追って説明いたします。これもお嬢さんのためだと、今は大人しくしていただけませんか?」
「いきなり訪れて、娘に何をするつもりだ」
「言ったでしょう。お嬢さんに必要なことだと。我々のためにも引き渡してください」
「人のすることじゃない! あなたに子どもはいないのか!」
女性は困ったか呆れたか、憐れむようにため息を吐く。
「娘がいますわ。少々出来の悪い子ですが。それで?」
「ならなぜ分からない。娘が見知らぬ人間に連れて行かれようとしているんだぞ!」
まぶたを下ろし、眉を捻る女性。面倒を嫌う表情で、何かを諦めた。
「はぁ、やはり幼過ぎましたか。直接私が足を運んだと言うのに、時間の無駄でしたね」
「副艦長、お言葉ですが、いささか強引が過ぎたかと」
父親の前に立っていた男の言葉に、女性は怪訝な顔に不快な影を落とす。
「あなたも脳がないのですね。正解が述べられないのであれば、口を慎み従ってください」
一喝して、父親、そしているはずの娘の方に目を配る。音を交ぜた呼吸をし、先程までとは一変した面を被った。
「確かに非礼がございました。お詫びいたします」
作った顔に声色を合わせ、極めて事務的に謝罪を述べる。女性は口調を変えず音を並べた。
「申し遅れました。私はソプラノ・カヤンガネル。そちらのお嬢さんと同じ、病を、いえ、力を持った者です。超能力、とでも呼びましょうか」
「超能力? 娘が?」
それまで緊張でつぐんでいた父親の口から、理解しがたい単語がオウム返しされる。反応が返ったところで、女性は再度視線を上げた。
「治った、と申されましたが、おそらくはお嬢さんが普通に振る舞っているだけでしょう。あの歳で。できたお子さんですね。ですが、自分のことです。知っておいた方が良いでしょう。続きは揃ってからお話ししましょう」
依然として信頼には至っていない。だが、本当に娘が無理をしているなら放っておく訳にもいかない。父親はここで待つよう頼むと、二階へと上って行った。
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少女、母親も合わせて、今度は席を用意しての会話が始まる。少女の病、もとい超能力の話だ。
「今回、お嬢さんがこちらの推測した状態にあるか、それを確認するために参りました。しかし、あなた方に事情を説明したとして、納得していただけるとは思ってはいません。知恵のない者が力を持つことは危険なのです」
「だからと言って」
「――条件を、もう一度お伝えした方がよろしいでしょうか?」
ついさっきまでの理不尽な振る舞いに物申したい父親。だが、唇を噛んだ。条件。それは話し合いの条件だ。何も分からないまま勝手なことをされては困る。当然の反応に、女性は次の三つの条件を提示した。
少女の家族の側から質問をしないこと。両親は答えないこと。少女は虚偽なく答えること。以上が飲めない場合、少女を連行すると。身勝手である。それでも、何らかの権力を有しているであろう目の前の女性に対し、家族は強い態度がとれずにいた。黙る父親を確認すると、女性は話を再開する。
「続けましょう。お嬢さん、あなたは今でも人には見えないものが見える。そうですね」
少女は首を縦に振る。両親はショックを隠し切れなかった。幼い我が子に要らぬ気を使わせてしまっていたのだ。気づいてやれなかったと、明らかに後悔した。女性はそれを気に留めることはない。
「では、触れたことはありますか?」
少女の首は横へ振れる。
「そう。なら、いいです。あれはまだ研究が進んでいない未知の物質です。危険性を否定できません。あなたや、周り、大きく語ればこの世界に対して、悪影響を及ぼすとも分かりません。これからも無闇に接触を図らないことです。そして、その研究のためにはそれを認識できる人材が必要です。分かりますね?」
少女は俯いてしまう。しかし、女性が構うことはない。
「あなたは運が良い。異常者扱いや幻覚、精神疾患だとして病まれる前に救われたのです。我々が手を差し伸べます。さぁ、協力していただけますね?」
少女は、首を振った。俯いたまま、横に。
「何故です? 未来ではあなたが世界のために尽力しているのですよ。素晴らしいことではありませんか」
俯いていた少女の顔が上がると、それはギリギリで泣いていない目になっていた。
「知らない。何も悪いことしてない。お父さんとお母さんがいい。行っちゃ嫌だ!」
話をしていた少女はついに呼吸を乱す。聴いている内に、両親を連れて行かれると少女は思った。母親に抱き寄せられる少女。その声は高く、女性には雑音として伝わった。
「これだから小児と無才は嫌いなのよ」
下を見た口に、それを付けた顔をにらみつけ、少女の父親は求めるように言った。
「帰ってくれ」
返事は態度に現れた。言われずともそうしただろう。そう思えるほどに速やかに席を立ち、出口までは直進だった。中にいた連れの男は、では、と一言残して女性を追って退いて行く。外へ出た女性は、待っていたもう一人の男に声を掛けた。
「行きますよ」
「あれ? ベイビーちゃん一緒じゃないんですか」
当初の予定と違ったための質問だったが、女性の癇に障った。
「黙りなさいコントラスト」
「俺はコントラルトですよ」
「あのような稚拙な子ども一人、いなかろうと問題ではありません」
「一人でも多くいるって言ってたのは副艦長ですよ。ま、若い人がいるって言ったのは艦長ですけど」
歩みを始めながら、女性は苦い顔で続ける。
「人材が安定するまでですわ。後十数人も集まれば、正式に二つのシップに分かれる。それは決定事項です。こちらの管轄に干渉され続けてはたまったものではありません。あなたはこちら側なのですから、大人しく尽くしなさい」
「そりゃまぁ、自由にさせてくれていればね。働きはしますよ、はい」
男の対応を最後に、女性は姿を消した。対応した男が、その後に続こうとしたとき、家に入った方の男がその名を呼んだ。
「なぁ、ブラッチェ」
「おん?」
「お前はこのやり方でいいと思うか?」
「何がさ」
「見つけ次第、無理やり強制してるじゃないか」
「勧誘さ。同意は得てる」
「半分以上脅しじゃないか。この前の人だって」
「あいつはそれでなくても変人だったし、メンタルはとっくに終わってたからな。定期的に実験に付き合えば生活できるんだ。むしろいいだろ」
「その前だって」
「あれはインチキ商売してたんだから自業自得だろ」
「だが」
まだ何か言いた気な男をよそに、ブラッチェは前に進む。
「そういう奴を増やさないためにやってんだよ、あの人は。ま、俺は勝手ができればそれでいいけど。お前だって優秀な部類で扱われてんだろぉ? 待遇悪くなりたくなかったら大人しくしとけよ」
それを最後にブラッチェは姿を消した。
「大人しく、か。さっきの子の方がよっぽど大人だったがな」
男は、大人しく向こう側へ移って行った。
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異様な団体の訪問から一か月。あれから、少女のもとでは平穏な時が過ぎていた。両親はいまだに気にしているが、少女は特別不安は感じていない。忠告通り、他の人に見えないものには触れないようにしているが、それ以外で負担を感じはしなかった。
そうしてこの日の今の時刻は昼過ぎ、友達の家で遊んでいたところだ。割合近くにあるため、一人で遊びに来ていた。そろそろ時間だから帰ろうと、少女はお別れの挨拶を言いに、友達の親のいる部屋に向かった。そこに近づくにつれて嫌な感じを覚える。何度か訪れたときと違い、慌ただしい音がしていたからだ。すると部屋のドアが開き、少女を確認した友達の親が駆け寄ってきた。
「ちょっとおばさん外に行ってくるから、もう少し一緒に遊んでてくれないかな」
何があったかは分からなかったが、少女は素直に返事をした。そうしてそのまま残った。残ってしまった。だから、会えなくなってしまった。それを知ったときには、けたたましく鳴り響くサイレンの中で、瓦礫に代わった家を受け入れず眺めていた。
地震だろうか、爆発だろうか、調査が進み結論が出される。外壁から何かが衝突したそうだ。痕跡が残っていないため特定は難航した。しかし、原因の究明よりも重大だったのは少女の居場所だ。当時家の中にいた両親は事故に巻き込まれた。友人の家で厄介になると言う話もあったが、少女がそれを拒んだ。帰る場所がない訳ではないと少女が話したこともあり、そのとき傍にいた女性に任せる運びとなる。少女はその女性を知っていた。だが、一緒にいるのは知り合いだからではない。女性から事故の真相を聞かされたからだ。
「あなたの家を壊したのは、私たちだけが見える、あの物質です。やはり世界には悪影響だった。このままではポルターガイストで滅びかねない。分かるわね?」
「分からない」
「今回も早期に知ることができれば、あなたの家も、そしてご両親も、助けられた可能性があるの。あなたが協力していれば、お父さんやお母さんを守れたかも知れない」
「知らない」
「あなたは知らないと言う罪を犯したの。だから知ると言う罰を受けなくてはならない。その償いに手を貸しましょう。共に世界のために」
「分からない! 知らない! 約束した。いい子でいた。私悪い子じゃない!」
「ええ、そうよ。だからもっと良い子にならなくては、あなたの力を正しく導けるのは我々だけです。分からないなら分かりなさい。知らないなら今から知りなさい。さぁ」
少女はか細い声で了承した。
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少女の日常は一変した。毎日器具を付け、ただ座っている。たまに立ち、歩き、食事と睡眠以外に楽しみはなかった。いや、それさえ欲しはしなかった。精神疲労は今の暮らしだけで溜まっていく。加えて実験の最中に疲れたり、逆に生気が戻ったり、それを繰り返すことがより負担となっていた。
幸いだったのは、入れられた施設には少女以外の人がいて、そこでは人並みに優しくされることだ。元々人の中心で笑っていた記憶を思い出し、それが両親の笑顔にもつながった。特別親身になっていたのは、たまに来る年上の女の子だ。歳は五、六歳は離れているだろうか。少女は彼女を姉のように慕い、時折母親を重ねていた。そんな生活も半年が過ぎた。そして、終わりのときが近づいていた。
その日も実験が一通り行われ、少女は慣れることない疲労で満ちていた。すると、暑い部屋から外の風に当たったような、さわやかな気持ち良さに包まれる。疲れがとれ、感覚が戻ると、そこには見知ったお姉さんの手が肩に置かれていた。
「どう? 元気出た?」
少女はコクコクと二度頷き、首を傾げた。
「びっくりしたかな。あのね、ちょっと伝えることがあって、話通して直接会いに来たの」
そう言うと、女の子は少女を抱き寄せた。
「もう、終わったよ」
女の子はより一層強く抱きしめる。
「もうこんなことしなくてもいいんだよ。お疲れ様。本当に」
感極まった女の子の思いが伝わったか、少女も静かに涙を零した。
「こんなこととは失礼ですね。これも立派な研究です。やはり出来の悪い方には理解が叶いませんか」
少女の視線の先にいたのは、自分をここへ連れてきた女性の姿だった。女の子は怒りを露わにして振り返り、普段少女には見せない剣幕を言い放った。
「非人道的ですわ! 自ら種をまいた方々ならばいざ知らず、なんの罪もない子の未来まで奪って、何が世界のためですか!」
「彼女も罪びとです。見て見ぬふりをしたのです」
「この子は本当に何も分からなかった。知るべきじゃなかった。この子の家の事故があなたのせいだとは申しませんが、それでもです。神にでもなったつもりですか!」
「力ある者が弱者を導くのです。それが責務、我々の責任です」
「同じ人間に対してなんという態度を。それに、あなたがしていることは弱者への押しつけですわ。こんなものは力じゃない。ただの呪いですわ! あなたは――」
声を荒げていたとき、後ろから軽い衝撃を受けた。それは少女が背に抱きついたものだ。僅かに冷静さを戻した彼女は、女性に言葉を掛ける。
「私にはお母様の考えは理解できませんわ」
女性は背中を見せ、去り際に言葉を捨てる。
「哀れねアルト。そこまで不出来では、神の救いもないでしょう」
離れて行く母親を見て、アルトは足元に呟いた。
「女の子一人救ってくださらない神なんて、必要ありませんわ」
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アルトは少女を連れ出した。嫌な記憶を思い出す場所では伝えたくなかったからだ。
「ここなら、いいですわ」
アルトはしゃがんで少女に視線を合わせる。さっきの今で不安を表す少女に、アルトは微笑みかける。
「実はね、実験が終わったのは保護者が変わったからなの」
少女は不思議そうに眉を動かす。
「それでね、来年から義務教育だから。早く普通の生活に戻してあげたかったから」
少女は、ようやくアルトの言わんとしていることを理解した。
「だからね、私で良かったらこのまま申請して……」
「おねぇちゃん」
少女の呼び名に、アルトの体は熱くなり、目頭まで広がる。流石に母親代わりはできないか、と若干悔しさもあった。それでも、自分を認めてくれたことが、許してくれたように思えた。
「ありがとう。ハーピィ」
その日から、二人は十年近くを共に歩んでいった。