其ノ弐 B面 前編 『ソラを漕いで クウを切る』
跳ねる少女が足を着けるときを見計らい、青年は武器を振り下ろす。少女は先に触れた片足の指の付け根を軸にして、左へ右へと背を倒す。青年の一撃が元いた位置に届くころ、少女は軸足を浮き離し、新しい重心にもう一方を立てる。
「はぁあ、代わり映えせんなぁ」
暫くは意地を見せていた明智も、両手を折り、開いて数回目の振り下ろしを最後に手を着いた。魔力の棒も飛散した姿は、金魚すくいで一匹も取れず、紙が破れた図を思わせる。
「ほーら、明智さん立ってください。もう五分過ぎましたよぉ」
「えぇ! まだ五分?」
「まだチャンスあるのに何で嫌そうなんですか」
普段動かない明智の体力は限界だった。正確には、疲労感が背に乗り活力が湧かない感覚だ。
「どうせ魔海にいるんだから、魔力で回復したらいいのに」
「そのやり方知らないんだけど」
息を切らして反論する明智。州神の言う方法について聞き返そうとするが、先に相手から疑問を掛けられた。
「て言うか、さっきまで自由に魔力使ってたのに、なんで今になってボロボロなんですか」
「動きながらだと、集中できないんだよ」
明智はこの模擬戦の前にも、準備運動と称して魔導具及び魔力を手足のように扱っていた。しかし、よくよく州神が思い返してみると、明智が魔導具を使うときに、立ち位置が変わっていなかったことに気がつく。州神は、失敗したと顔で語り、ベルクに手招きした。
「ハピちゃん、一回休憩」
「分かりました」
「でー、今から魔力の変換を教えます。この人に」
人差し指以外を握り、曲げるように明智の頭上をつつく州神。ベルクが優しく苦笑する中、明智にも言い分があった。
「今まで実戦は、最初以外なかったろぉ? やってみなきゃ分かんなかったんだからしょうがねぇじゃん」
「明智さん。准士官魔導士に最低限必要な技術、覚えてます?」
明智は州神らとの授業を振り返った。隣のベルクから聞いた重点箇所、その一つ。
「えっと、確か“変換”、“転換”、“保蔵”だっけ」
「ですよね。多分、転換しかできてないですよね?」
“変換”とは、魔力や他のエネルギーを移し替える技術である。州神がおこなった、ベルクの治療もこれに当たる。ベルクを例に出せば、着地の衝撃を魔力に変換、さらに治癒に変換していた。この魔力の経由を極限まで短時間で、漏れなく変換することが高い技術であると言える。
州神が明智に言った“転換”は、魔力の状態を変化させるものだ。変換の技術でも一度魔力にした上で運用する必要があるが、これは魔導力のあくまで魔力を扱う特性による制約と言える。転換は、その魔力自体の状態を変える技術である。基本は直接触れるか、それに隣接する魔力に硬度や形状を与える。実体に触れることはないが、魔力同士が接触する際に影響してくる。上級者であれば意識することで遠隔操作も可能となる。
“保蔵”、魔力を保有し蓄積、身の内に保持する技術。魔導士、そして魔導体は実界では変換を行わない限り、保有する魔力量を増やす手段がない。そのため、魔導士は魔海の魔力を、自身の保有できる魔力容量分蓄えてから戦闘に出向いている。これを、空間に放出しないように保つ際に必要となる。
「でもさ、何か言ってたじゃん。ほら、その。交換した魔力は使えないとか」
「あれ違いますよぉ。魔力から変換して作ったエネルギーがあっちの世界に影響しないってことです。性質が魔力に沿うとかで」
「はあ」
「間抜けな声出してないで。ほら、変換の練習。実戦で使えないとダメージもろですよぉ」
明智とベルクの試合は一時中断となり、不足が発覚した基礎の実技演習が始まった。ベルクと信長のやりようから、州神は明智の背に手を置く。そのまま魔力を流し、ある程度の体力と気力を回復させる。
「どうです? 分かりました?」
州神の問いに短く唸る明智。ペンや用紙を持たない手に、持つ方の腕の肘を乗せ、記述した内容を確認する州神。予定を整理するため、指示と共に距離をとった。
「ちょっと隣の部屋にいますね。できたら呼びに来てください」
そう言うと州神は室外へと出て行った。
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明智は気合を入れて、魔力の変換に挑んでいた。大部分が無駄に漏れ出し、霧のように離散している。それでも、体力は回復していた。変換に成功したのか、単に時間がたったからかは定かではないが。
待機に身を置いているベルクは、彼の過程を眺めていた。
「がんばってますね。明智さん」
「大方、時間がかかるであろうと思われ、癪に障ったのだろう。精神が脆い割に負けん気の強い奴だ。滑稽なものよ」
「笑うの良くないです。明智さん努力してます。信長様はそばにいるのですよね?」
「儂を見て聞いた者は彼奴だけであったからな。その成行きだ。傍に居たならどう思うと問われたならば、それこそ無様な立ち姿が浮かぶと言う物」
嘲笑うように続ける信長に、思うところありで耳を傾けていたベルク。その前を青白い光が通り過ぎ、二人の間を広げた。
「――っ! ふん、せめて掠れば褒めた物を」
「うるせぇ! 一発はたかせろ」
ラケット状にした魔力を付けたステッキで信長に迫る明智。
「何を頭に血が上る事がある? 図星か。自覚があったようで何より。底無しのうつけでは無かったらしい」
「ああ合ってる! だが、アンタに言われると、どうにもムカつく。大人しく止まれ!」
読みのない大振りを何事もなくかわす信長。さながらハエ叩きである。
「先程までの鈍器はどうした? それではまるで櫂だな。漕いで見せろ。少しは前進したか?」
すると明智は一度止まり、転換していた魔力の状態を解除した。深呼吸の後、不満気に声を整える。
「お陰様でな。やろうと思うとできるもんだ。アンタ叩くためにさっさと終わらせようとしたんだが、回復ついでに運動力のお釣りが来た」
無意識に自身の最適解を得た明智の成果は、魔力の複数のエネルギーへの変換となった。治癒を急速に行うことに集中した延長で、余分な回復力を肉体の活動エネルギーに回すことに成功。結果として、短時間での魔力変換技能の取得に至った。
「ベルク、州神さん呼んで来てくれ。それまでに、仕留める!」
語尾を捨てると同時に床を蹴り、明智は信長に追撃を繰り返していく。再び形を成した魔力は円柱状に伸びる。
「え、ちょっと明智さ……」
「構わん、結果は分かる。州神を連れて戻れ。おっと」
信長に諭され、ベルクは急ぎ足で扉を越えて行った。
「女を急かすとは、男として情け無いとは思わぬか」
「俺としてはアンタに虚仮にされたままの方が情けない!」
無駄に回復した明智と、その猛攻と戯れる信長。暫し続けた両者に、覚えのある怒声が響いた。
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構えをとる明智とベルク。一度見渡し、タイマーを握る州神。
「ルールはさっきと同じ、それじゃあよーい」
模擬戦、再開である。
「始め!」
合図に従い張り詰める空気。その一因が、先程までとは違う形状の魔導具を持ち、動きが失速しない明智にあった。魔導具を包む魔力の先端は尖り、全体は筒状に安定している。棍棒から杭へと転換していた。また、ベルクを追って反転させた体は、彼女を捉えられないながらも止まることはない。
「なんて言うか、成長早すぎません?」
「彼奴の得意とするところに、地味な対応力がある。昔から、そうだな。例えば学び舎の試験では、成績は悪くとも落とす事は無い。友と遊戯で競えば最下位には成らない。空気は読めぬが、己の位を環境に合わせる能力がある。お主の訓練の流れから、時間の無さを理解したのかも知れん」
信長は、馬鹿を見る目で思うことをつなげる。
「長期休暇の後半から課題に慌て、最後の一週間は寝て過ごせる様な男だ。暇潰しには事欠かぬぞ?」
婉曲した表現で済まし、音のなる方へ向く信長。その変えていった視線に、州神も合わせる。その先で、それまでより踏み込む形が多くなった明智が、ベルクとの間合いを狭めていた。杭を模していた魔力の形は、より薄く、振りはより早くなっている。それを移動や体勢の変化でかわし続けるベルク。しかし、新たに避けた次の一撃、叩き下ろした先端を突くように振り上げる。間髪入れず放った攻めは、ベルクが踵を浮かすより、僅かに速かった。
「お?」
期待した信長の耳にした音は、明智の得物がベルクのまとう魔力に直撃した金属音。魔力同士が削り合い消費されたエネルギーから成される音が伝わる。但し、直撃したのはベルク本人ではなく、彼女の構えたハンマーであった。
「もしかして、おしかった?」
「多少は、でも、まだ遅いかと」
武器を交えながら、一言を交わす対戦者たち。明智が後ろに跳び、床を蹴り、再び重い響きが鳴る。数十秒前とは打って変わって、騒々しくなる室内。二撃、三撃と重なる金属音は、鉄球に似た重さをなくす。代わりに、鋭く閃光を錯覚せる音色が斬り渡る――まるで剣のように。
「残り、二分!」
時刻を告げる州神の声は、轟音の中を縫い、二人に届く。ベルクは構えをあらため、明智はさらに斬撃の間隔を消す。終了までを意識し、明智の攻めは勢いを増す。最中、明智はまた殺気を覚えた。真剣に相手をするベルクの目がそれを増長させる。踏みとどまる足。だが、それを一瞬にしてもう一方を踏み込む。一泊置き、加速度を得た一振が、図らずもベルクのリズムを崩した。立て直しを許さない連撃を叩き込む明智。呼吸、体勢ともに不安定な中、ベルクの守りはその内の一撃も通さない。州神の持つタイマーが一分を切り、彼女も含めた緊張感に満たされる。そのとき、三度交わりの音が姿を変える。同時に、速さに変わった重さが新たに加わる。そして、最後の手前、ベルクの前から、彼女の魔導具が外れた。明智の一振りが役目を終える。
「どうなったか」
ベルクはその場に座り込み、明智は魔導具より先を向けている。そこにあったのは、音だけでなく見た姿も変えた魔力の塊。一方に刃を寄せ、薄く鋭く、決して軽いものではないと知らしめる、刀身が顕現されていた。
「ハピちゃん! 大丈夫? どう、どうなった?」
焦り駆け寄る州神。追って信長も寄る。
「入ったか?」
刀を下ろし、黙り込む明智。座ったままのベルクが、目を丸くして答えた。
「負けです」
「じゃあ」
州神が勝敗を述べる直前、満期となったタイマーが鳴り響く。
「わっ! わわ、わっ、と」
若干混乱状態で落ち着きなく音を止める州神。タイマーを止め時間を確認すると、別の慌てようでベルクに顔を近づけた。
「ねぇハピちゃん、怪我してない?」
「いえ。私は大丈夫です」
「良かった。ちょっと時間遅いから、今から今日の報告してくるね。ごめん。行ってくるぅ」
急ぎ駆け行く州神を見届けると、明智が口を開いた。
「どうして当たったって言ったの」
「何?」
理解と違った状況に、信長にも疑問の種が植えられる。すると、微かに敵視を思わせる上目遣いで、ベルクが問い返した。
「では何故、攻撃を止めたのですか」
感嘆の念も加わる信長。それをよそに、明智は口を重くした。
「ごめん。やっぱ無理だった」
「私、怖いですか?」
「いや、ベルクじゃなくて。その、人に武器は、抵抗あったみたい。ましてや、女の子だよ。問題ないって分かっても、思い込んでも、ちょっと無理」
「そうですか」
肩を落とし、魔導具も解除した明智に、ベルクはゆっくりと身長を近づける。
「私は、今、明智さんのサポート係です。ですので、一つ言わせてもらいます」
ハンマーを光に変え、明智が目を合わせるまで待つベルク。静まった中で明智がベルクの顔を見返すと、ベルクは息を吸い、浅く吐いた。
「試験本番は大人の男の人です。せめて、それは覚悟しておいてください」
明智はその言葉に半分逃避半分決意し、ベルクに微笑みかけた。
「そっか。はい、分かりました。また、お願いします」
「次からは、始めから魔導具ありです」
真っ直ぐな笑いなきその場に、確かに笑みを分け合う二人を、その男は静かに眺めていた。
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明智覚醒から一週間、二日空けて五日間の模擬戦が続いていた。あれ以降、一切の隙を見せないベルクに、明智からの有効打はない。元々明智が目指している地位よりさらに上にいたベルクには、ダメージが入る方が難しい。まして、魔海の魔力の中、防御に徹すればなおのことだろう。とは言え、明智の実力が州神や信長の想像を上回って伸びていることも事実であった。
「そこまで」
互いの得物が弾かれ、立ち直し一礼を交わす。両者は合図のもとへ足を運んだ。
「えー、まずは今週もお疲れ様でした」
二人はそろってそれを繰り返す。どちらとも顔が見えたところで、州神は得意になって話し始めた。
「今回私が指導に当たった試験対策ですが、ほぼ遂行されたと評価をいただきました! はい、拍手」
本人に応えてベルクが、次いで明智の手が鳴る。
「ですが、保蔵の確認と筆記の不安が解決していません。残り一週間、実技演習を一旦切り上げて、来週からはそっちの対策をします。明智さんは復習しといてくださいね」
「頼んだベルク」
秒速で振り向く明智の真顔に、ベルクは半目で目の前の人の名前をつぶやいた。
「それじゃあ、今日は解散。ハピちゃんは少し待っててねぇ」
楽しそうに支度する州神と、他の人に聞こえる程度の大きさで信長が質問をした。
「州神よ、儂は明日ユニオンに赴く。明智の監視はできぬが構わんか?」
「ここまで来てさぼりはしねぇよ」
「まぁ、問題ないんじゃないですかぁ? 大体完成してますし」
信長は頷くと扉を過ぎて行った。信長の退場を皮切りに、順にその空間から人がいなくなっていく。
試験当日まで、残り八日。
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実技対策を終えた翌日、信長はユニオンシップのよく知る部屋に向かっていた。相も変わらず冷たさのある扉が退き、信長を招き入れる。男の来訪を知っていた女性は、扉の音へ振り返り、一礼をして席に手をかざす。アルトが座ると、信長は対面に移り要件を連ねた。
「すまんな。急な取り付けであっただろう」
「いいえ。御客人のもてなしが、私の仕事ですわ」
にこやかに対応を始めるアルト。信長への配意を述べ、ことを添える。
「州神さんから聞いていますわ。順調そうで何より」
「嗚呼、お主の語った通り、明智の才は備わっていたようだ」
「州神さん、そして信長公の教授があってのことですわ」
度々開かれていたこの二名による会談と同様に、自身の分のみ注がれたティーカップに口づける。コトッとバランスを戻したカップは、アルトの手を離れ対面した者同士を写し合う。
「ベルクも中々師には向いているのではないか? 明智の理解、切っ掛けは彼奴の手助けからだと踏んでいる」
「そうですか。良いことですわ。あの子の方も問題はないようですわね」
「ふむ、やはり育て方が違うか。時折見せる勝気はお主譲りだろうな」
信長が話に花咲かせたとき、アルトの蕾が固く閉じた。
「州神さん、ですか」
「何?」
「あの子を私が育てたと、誰に聞きましたの」
「上官ならば指導する物では無いのか?」
アルトは失言に気付き表情を隠す。上の者以外で“育てる”となればと、信長は頭を捻る。
「――親か?」
彼女の持つ髪と対照的に濃くなる顔色に、信長は一人で語り掛ける。
「いや、成程。そうか。名を違えていたのでな、思うに至らなかった。しかし、ふむ。今思えばあの贔屓も道理か……」
勝手に驚嘆と納得を済ませた信長。徐々に声を落とし、ぶつくさと鳴る口に、ようやくアルトも顔を上げた。
「はぁ、笑い事ですわ」
言葉に反して笑みのないアルトは、そのまま切り出す。
「やはり、気になりますか」
「ん、むう。まあ、な」
残った紅茶を口に運び、あくまで風雅を保ったまま、また皿が鳴る。カップを僅かに濡らしたまま、息を混ぜ、アルトは身の事情を明け話した。