其ノ弐 A面 後編 『分からないから分かること』
明智は悩んでいた。先程までの苦悩が些細なことのように、悩んでいた。何を話そう、どうしてここに、名前を呼ばれた、今どんな顔をしている、帰りたい。帰りたくない。一人になれる場所を探していた明智は、真逆の展開に遭遇してしまった。その立ち姿とは裏腹に、内心の波が収まらない明智。ある意味では一人になれていた。
「今から帰り?」
「え、はい」
確かに戻ろうとしていた。しかし来たばかりだ。明確に切り替えたわけではなく、徐々に歩みを重ねるつもりでいた。明智は自分の言葉が、間違いだとは思わなかったが違和感を覚える。その明智の返事を受けて、叶芽は穏やかに彼を過ぎて行く。明智は彼女が離れるまで待つことにした。
「何かあった? 帰らないの?」
明智は叶芽の横へ誘われた。戸惑いながらもそこへ寄って行く。追うように足を揃える明智を横に見ると、叶芽は歩みを戻した。特に会話もなく学外へと向かう。道中、叶芽が話しかける。
「悩み事?」
「え、いや。まぁ」
顔に出ていたのか、ただの感か、叶芽は明智から難色が見えた。
「この時期だと、講義?」
叶芽が大学のことだと思ったからか、関係のない人の方が話しやすかったからか、明智は胸の内を述べていく。
「講義と言うか試験と言うか。まぁ、そんな感じです。できると思ってたんですけど、実際に始めたら、初っ端から行き詰って。その、何も分かってなかったんだなぁ、って」
流石に魔導に関して話せば、変人扱いを受けるに違いない。そう思い、明智は表現を薄めた。その不明瞭な言い回しに、叶芽も淡く答える。
「そっか。じゃあ、今は?」
「今、ですか」
「最初よりは分かったでしょ」
叶芽の言葉通り、明智の魔導に対する知識や理解は増えていた。とは言え、明智の心の問題は、知らなかったことではなく、知った気でいたことだった。基礎を学んでも応用につなげなければならない。進む先に明かりをともせば、奥の見えない分かれ道が待っている。知らないから知っていると語ることができた。明智はそのときの自身の姿が、滑稽だが笑いたくなかった。だから、叶芽の言葉を聞き、比べていた。その自分と今の自分を。
「でも、何が分からないか分からないと言うか。一つ解決すると問題が増えるような感じで」
明智の返しに、叶芽は我が事のように一音を伸ばした。
「そうね。私も研究始めたときはそんな感じだったかな。今も続いてるけど」
一つ微笑み息を漏らす。そこで足を止めた。
「分からないことが分かれば、後は分かるだけ。言うだけなら簡単」
「そう、ですね。そうですね?」
遅れて止まる明智、見合わせるように足を変え、一文を飲み込む。
「分かり方が分かればいいのかな」
「分かり方?」
明智をそのままに、叶芽が少し前に出る。横を向くように体をずらし、本質を眺める表情を向ける。
「元々分からなかった人なら、知ってるんじゃないかな?」
金の空は茜に染まり、微かに向き合う二人を赤く写す。雲も息をひそめる中、叶芽は調子を変えて話しかける。
「ところで、明智君は電車?」
「いえ、歩きで」
「そっか、それじゃあまた今度かな。あまり根詰めない方がいいよ」
残りの十数歩を終え学外へ、叶芽は流れようにその場を後にした。
====
叶芽の言葉は明智を再び動かした。本人たちに直接聞いたわけではないが、今教わっている三名がどうやって成功させたか。明智の知るところにその情報はなかった。州神の教え方が悪いとは思っていない。しかし、指導を受けていてできるとは感じなかった。イメージは湧かないと言うことは、つまり伝わっていないと言える。明智の考えを叶芽の助言に補足するとしたら、分かり方が合っていないのかも知れない、となる。仮説を得た明智は、不動であった足を早め、信長の後を追った。
「鍵、と。んー。あった」
道中、部屋の鍵と例のキューブを握る。現状できることはない。それでも、はやる心持ちに悪い気はしなかった。普段の道のりより幾分か短い時間で目的地に着く。そのまま鍵を回し、抜くとほぼ同時に体を捻じり込む。明智は閉まる扉と同様に、乱暴に言葉を投げつけた。
「いるか!」
「騒がしい。それと儂の名をだなぁ」
「力貸せ」
何かに追われているかのような重みに、信長が明智を視界に入れる。そこにあったのは、むしろ返り討ちにしてやったりの笑みだった。
「ほう、何があったかは知らぬが、これは。面白い、話せ」
一変した明智からの発言に期待する信長。明智は思い立った考えを口に出した。
「もっかい俺に憑け」
「付く? ん、憑依か。いや、寄生だったか」
「どうでもいい! 早く。自慢じゃないけど今忘れると多分二度とやらないから」
「何がしたい。元々避けていただろう」
明智はベルクのサポートと叶芽の言葉から、分かり方を見つけていた。
「ベルクのときみたいにアンタが魔導具を生成してくれ。できる限りいろんなやり方で」
「そんなもの一つだろう。魔力を流せば良い」
「違う。形を作りながらとか、流してから固めるとか、とりあえず魔力だけで後は魔導具の性能に任せるとか。色々だよ。どれかは俺に合ってる」
信長は明智の意図を察し、退屈そうな呼気を捨ててその身を重ねる。ベルクがおこなったように、接触している魔力に対して魔導力を行使することは分かっていた。それ以前に信長との同体行動でも、同様の動きを知っていた。明智は州神の言っていた自分の力で解決することを、彼なりに解釈し、分かり方を導き出した。それが、数を打つこと。
コップに水を注ぎ電子レンジで加熱しても、やかんで温めてからついでも、結果は変わらない。何を使い、何から手を付けるかは、人によって好みが分かれる。明智は自分にあった方法を見つけるため、意識を集中させていく。
信長はすぐに思いつく範囲で、魔導具の生成と状態の解除を繰り返した。
====
実技演習の初日から、その翌日。明智は州神の目の前で、魔導具を生成して見せていた。
「すごい。昨日までの素人っぷりが薄いですよ」
「まだ抜けてないんだ」
「そのどや顔がなかったら良かったんですけど」
明智の顔は自然とほころぶ。意識してもそれは変わらない。
「やりましたね」
「ベルク、大体の手柄は儂とお主じゃ。誇るが良い」
「正直助かったよ。ありがとうベルク」
途中信長に視線を合わせ、見なかったことにする明智。俯くベルクと、顎が出る信長、相も変わらず満足気な明智に、二泊の手が鳴る。
「だったら、昨日の続きやりましょう。それ使って魔力の操作してください」
州神の指示に従い、明智は魔導力を行使する。青白い光が、淡く炎のように揺らめき始める。
「まずは周りを包んでくださーい」
冷たく燃える魔力は、明智の持つ魔導具に絡み、揺らぎを失うと水のように覆った。
「おぉ、なるほど。じゃあ次は――」
州神がペンを用紙に当てる。そして、次の指示を出すために明智を確認した。
「あれ? あれ! できてる?」
ステッキを振り、魔力を鞭のようにしならせ、前に構えれば球状にして飛ばし、伸ばせば剣のように固める。次々とその形を変えている人物。それは明智本人だった。
「すっごーい! 一晩で何したんですかぁ」
州神の問い掛けに信長が近づいて来る。明智は得意になってベルクに見せつけているため、聞こえていない。
「ベルクの行いが最も奴に合っていたと言うことだ」
「ハピちゃんが、ですか?」
州神は明智の背に手を当てるベルクの姿を思い出していた。
「昨晩奴に頼まれてな。中に入ってやった」
「また寄生したんですか?」
「うむ。だが結果として正解であった。魔導具の生成を儂が行い、明智はその感覚を得る。幾つか試し、要するに何が必要な動きかを覚えた様だ。次いで操作の方にも手を付けたが、前者の応用か、すんなりやりおった」
話す両者はその対象に目を向ける。ベルクのおだてを真に受けるその青年は、それだけには見えなくなっている。
「アルトの語った奴の才能、あながち間違いでは無いやも知れんな」
「これなら、ほんとにひと月でいけるかも」
先の見えなかった准士官試験への訓練。試験当日まで、残り十八日。
====
明智は気分が良い。あれから日を跨ぎ、大学に向かう明智の足取りは軽い。
「はぁ、あの程度で浮かれるとは、見苦しいぞうつけ」
州神から頼まれたこちら側での監視。度々アルトらのもとへ訪れるようになっていた信長は、それ以前の生活に戻っていた。
「悪いけど、今のアンタが何言っても妬みにしか感じねぇわ」
苦い顔のまま口を閉じて付いて行く信長。
「精神的に脆いと言うより、単純なだけか」
「何か言ったか?」
隠し切れないほころびを向ける明智に、信長は視線を外す。
「いや、何も」
彼らは調子をそのままに講義室へと移動していった。
====
時刻は昼を過ぎるか三限目を控えたころ。その日、明智の講義の予定では空き時間だ。いつもなら携帯電話をいじり、それでも暇になれば、まだやる気になれる部類の簡単な課題を進めているところだろう。だったが、今日の明智には別にやりたいことがあった。
「お礼した方がいいかなぁ」
「礼?」
明智は二日前の晩の自分に、行動意欲を与えた女性について考えていた。
「そうそう、俺がアンタに魔導の試したいって言っただろ?」
「あれだけ慌ただしくされたら忘れる訳が無かろう」
「ま、それ置いといて。あれ思い付いたの先輩のおかげだからさ」
「他にも魔導士がいたのか?」
「いや普通の人。相談に乗ってくれてさ。あ、魔力とかのことは言ってないぞ」
「ほう」
「んー、よし。行こう」
そこまで話すと、明智はもたれ掛かっていた椅子を引き、戻し忘れて半回転の後、移動し始める。
「して、そのセンパイとやらはどう言った男だ」
歩を進める中、信長が珍しく他人に興味を示した。明智はそう感じた。
「先輩は女の人だよ」
「ほう、お前の知り合いに女か。ならばその女だ。お前と話すなど気が知れぬ」
朝の気分に比べて、露骨に機嫌を損ねていく明智。
「先輩はいい人だよ。会ったことねぇのに適当言うなよな」
「ふむ、まぁ良い。会すれば分かる事よ」
会話が長引くほどもなく、研究室の前に着いた。ちょっとした用事のため出席者名簿は気に留めない。扉を開き二名は中へ行く。適度に大き過ぎない音量の昼の挨拶を片手間に、中を見渡しいる人を確認する。まだ昼休憩から戻っていないのだろうか。一瞥して三名程度。その中に探していた姿もあった。目を合わせ頷く別の学生に会釈を返し、明智はそこへ向かった。
「叶芽先輩」
「ん? ああ、明智君。どうしたの」
作業の手を止め、ゆったりと微笑む叶芽。その口調と表情は信長にも伝わる。
「こいつか。なぁ、明智よ」
「この前はありがとうございました」
「ぬ、そうだったな」
明智は自分以外の人と話すとき、信長をいないものとしている。変人とされることを知っているからだ。信長も承知の上、その扱いには慣れていた。
「そうだったね、ううん。気にしないで。わざわざ来たの?」
「えっと、その、あんな感じでしたけど、解決したので一応お礼に」
「そっか。良かった」
素直に安心を見せてくる叶芽に、明智も気分が良くなる。すると彼女は、何かを思い出したようにつぶやき、一つの機器を取り出した。
「良かったら、お礼ついでに写ってくれない?」
「え、はい。もちろん」
叶芽はパソコンに線のつながった、カメラに似た装置を構えた。詳しい内容を明智は知らない。それでも、元々お礼のつもりで来ていた明智は、喜んで引き受ける。
「取るよー」
ピピっと音が鳴ると、叶芽は構えていた機器を下ろして、パソコンの画面を眺めた。暫し黙り込む叶芽。変なことをしてしまったかと、明智が声を掛けようとした。その前に叶芽が振り向き、先と同じ微笑みを返した。
「ありがと。大丈夫そう。またお願いしてもいいかな?」
頼った人に頼まれて、また調子を良くする明智。
「はい。俺で良ければ」
気前よく受けて、その場を去って行く。帰る途中、明智はふとした疑問を信長に問い掛けた。
「そう言えば、アンタってカメラ写るのかなぁ」
「ならば先程のは心霊写真と言ったところか」
明智の顔から血の気が引く。
「案ずるな。見ていたが儂はいなかった」
「ちょ、じゃあ変なこと言うなよなぁ」
「儂は乗ってやっただけだ。今更気にする事だったか? 儂は他の者には見えぬぞ」
「いやさ、鏡越しでもアンタ見えるだろう? 写真とかもそうなのかと」
「魔力も他のエネルギーの様な物なのだろう。光の反射で見える鏡なら、実際の見え方と大差ないはず。魔導力があるかないかでしか変わらぬだろう」
「ふぅん」
動かずにひと汗かいた明智は次の講義室へ足を運んだ。
====
准士官試験まで残り十五日となった実技訓練の日。明智の魔導具に対する扱いが上達したことを見計らい、州神は再度ベルクとの模擬戦を提案した。
「ルールもっかい確認しますねぇ。両者ともに魔導具を使用、ハピちゃんからの反撃はなし。明智さんが時間内に一回でも有効打を入れたら合格。時間は十五分。その間、ハピちゃんは守りと避けに徹してもらうと。いいですね?」
明智、ベルクの両者が同時に頷くと、州神が両手を広げる。そして。
「始め」
明智は、一度耳にした破裂音が響くのを聞き、今度は意識して踏み出す。ステッキを両手で握り、垂直に振り下ろす。重心をずらし小さく飛ぶベルク。そのまま床を切る、ことはなく透けて抜ける。下まで到達したのは伸ばした魔力の方だった。
「明智さん、あのスタイルで固まったんですか」
「ああ、遠いとまともに当たらん。近付けば周りが見えぬ。今の奴にはあれが一番扱い易いだろうな」
明智の持つステッキ、もとい魔力の剣は、揺らめく青い炎を何もない延長上で固めている。その形は精々楕円が良いところで、どちらかと言えば棍棒に近いものだ。模擬戦の中でもその形状を思う通りに変えようと試行錯誤しているが、明智の現状ではその棍棒の状態ですらいつ崩れるか分からない。
「くっ、そぉ! はぁ!」
空を殴打し続ける。軽やかに跳ねる少女に武器を構えさせることもなく、時間と体力、そして精神の耐久値だけが減っていく。模擬戦終了まで、残り十二分。