9 門番視点
この町は小さな小さな町で、国の辺境に位置している。
のどかで落ち着いている町。治安もすこぶる良好だ。ある一つの地区を除いて。
スラム地区。
そうそこは呼ばれている。安直なネーミングだ。
スラム地区はこの町の汚点だ。町の汚い部分をすべて集めた地区で、同じ町とは思えないほどの環境の差だ。
スラム地区は隔離されていて、出ることは決してかなわない。スラム地区に生まれた者はスラム地区で生き、スラム地区で死ぬ。そういう運命なのだ。かわいそうだとは思うが、それはしょうがないことだ。
出ることはできないが、入ることはできる。一方通行だ。町で法を犯したもの(重度な)はスラム地区に放り込まれる。いわば、監獄だ。
さて、そんなスラム地区にはバンディットなる荒くれ集団がいるらしい。そのリーダーは何年か前に他の町からやってきて、強盗を繰り返し挙句の果てに捕まった凶悪犯だとか。
そのバンディットはスラム地区を支配していたらしい。そう『していた』‐‐過去形だ。彼らは壊滅したらしい。何者かによって。
バンディットのリーダーは冒険者崩れで魔法をほんの少しであるが扱えただとか。そんな男を殺した何者かはそれなりの力を持っているのだろう。だが、スラム地区の人間にいただろうか? いやいないだろう。
だとすると、外部からやってきた新参者ということになる。
最近この地区に入ったのは一人だけだ。線の細い少年だった。少年は身分を証明できるものも持ってなければ、常識も妙に欠落していた。随分と怪しげだったので町に入ることを許可しなかったら、困った顔をした。
そこで私はスラム地区の話をしてあげた。もちろん、詳細にだ。
少年はいいねいいねと微笑みながら、スラム地区へ入ることの許可を私に求めた。
事細かに地区のことを説明してあげたというのに、スラム地区に入りたいと言ったのだ。正気の沙汰じゃない。
まあ、けれどその少年はあどけない顔の下に恐ろしい本性を隠し持っているのではないかと思わせるような怪しさを秘めていたので、ここは少年の希望通りにスラム地区に放り込んでやろうと、私は入ることを許可した。
それが今から一週間前のことだ。
私は今日も固く閉ざされた頑丈な門の前に立ち、退屈からか出てくる欠伸を噛み殺している。閉ざされた門を開けることはこちらからしかできないし、こちらからも随分と手間がかかる。少なくとも私一人では開けることはできない。
スラム地区は石を積み上げて作った高い壁にぐるりと囲まれており、壁の上には不可視の結界が張られている。結界は魔法によって構築されていて、決壊を破るには魔法が必要だ。スラム地区の教養のない人々では破ることは困難――いや不可能だ。
この結界は破られることは決してない。なので私は毎日暇で仕方がないけれど、ただ門の前に突っ立って考え事をしてるだけで給料がもらえるのだ。こんな楽な仕事はそうそうない。
私がこの仕事を手に入れるまではなかなかに大変で――
ぱき
おや、何か音がした――ような、気のせいだろうか。
ぱき、ぱきき……
そう、ガラスか何か割れるかのような小気味いい音。
ペキ、ペキペキキ
今度ははっきりと確かに聞こえた。方角はどちらだ? 北、南、東、西……。
パキン、パキパキ
いや、これは――。
上だ。音の発生は上からだ。
上を仰ぎ見る。不可視の結界に白い亀裂が走っているのが見て取れる。
それはすこしずつ大きくなって、結界の一部が完全に割れた。
穴の大きさは一メートル四方にも満たないであろう。そこから二つの人影が出てきた。それは空から降ってきた。そう、私のいる門前に向かって。
一人がもう一人を抱きかかえるようにして、華麗に着地した。
「怖かった……」
そんな感想を呟いたのは、抱きかかえられたほうの少年だった。そして、もう一人の少年には見覚えがある。ああ、一週間前見た顔だ。
相手も私の顔を見て似たような感想を抱いたのだろう。
「ああ、一週間ぶりですね」
今日はいい天気ですね、というかのような世間話をするかのようなトーンで話しかけてきた。
「君は一体……それに結界」
「あー、すまないね。破っちゃった」
平然と言い放った。
「僕たちこれからさ、町を観光するからさ、まあ見逃してよ」
なんて飄々と言い放った。
「いや――」
「ね、君は門番君は何も見なかった、そうだね」
私の肩に手を置きながら言った。それは明確な脅しであった。私は職業上見逃してはいけないのだろうが、恐怖が勝りあっさりと見なかったことにすることに決めた。
触らぬ神に祟りなしってやつだ。
「わかった。私は何も見てない。結界は何らかの不具合によって破損した」
「それでよし」
少年は私のズボンの後ろポケットに札を幾枚かいれ、もう一人の少年とともに去っていった。
それからほどなくして町の衛兵がやってきた。
「なにがあった?」
「わかりません、ただ何らかの不具合でしょう。スラム地区に結界を破れるやつがいるとも思えませんし」
衛兵はそれもそうだな、といって帰っていった。
あの少年が何者かはわからないし、わかりたくも知りたくもない。
ただ願うのは、二度とあの少年と会うことがありませんように、ということだけだ。