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物の豊かさと心の成長は反比例かも…

作者: 彦坂詩乃

「…それ、もろ昭和のにおいがする!」と娘。

 平成生まれの娘からしたら、『昭和』とはものすごく古い昔の時代のように感じるのだろう。

 自分は昭和の後期だから決して古いとは思ってないけど、確かに今はあってその頃無かった物も多い。

『3丁目の夕日』は自分の育った時代よりは少し前ではあるけど、自分の育った時代にも多少その名残や習慣は続いていたから、共感できたり懐かしさを感じることができる時代背景だ。


 自分の子供時代・・・

 ――よく夕方になると豆腐屋の笛の音に誘われるように、母から頼まれてボウルを持って百円玉を手にして買いに行った。

 手伝いの一つに鰹節をけずるという作業があった。大きな鰹節の塊を木製のけずり箱のかんなで何度もけずった。

 小学生の頃まで着ていた服は、殆どが母のリメイクやあり合わせの布でつくったいかにもダサい手作り服・・・

 髪のカットも幼少期まで母のワカメちゃんカット;;自分では嫌でしょうがなかった。


 髪を伸ばしてかわいらしくポニーテールなどにしてもらってる子を見ると羨ましかった。

 小さな駄菓子屋が一つの地域に必ず最低1件はあったし、今や懐かしのレトロを感じさせる小さな10円菓子や瓶入りジュース・ガチャポンも近所の駄菓子屋に自分の小遣いで買いに行けた。

 交通の便が少し良くない田舎に引っ越してから少し経ってからやっと母が乗用車を持てた。

 中学に上がるとやっと親のお下がりのラジカセを持つことができた。テレビはまだ白黒の時代。今みたいに深夜0時をまわっても番組をやってたりはしなかったから、夜中まで起きていたりはなかった。せいぜい受験の頃ラジオの深夜番組を聴きながら勉強していたぐらいの記憶しかない。

 まして、カラオケBOXはなかったし、カラオケ自体"おじさん"達の仕事帰りの飲み会の2次会に寄るパブやスナックの中にしか置いてなかった。


 カラオケは"おじさん"達の専売特許だったし、学生で「カラオケが好き」と言うと「お前暗いな~」とブーイングさえ出ていた時代だった気がする。

 プリクラなどなく、ゲーセンは不良のたまり場というマイナスイメージしかなかった。

 ”いじめ”などに関しては今みたいに学校や教育体制が「いじめはどこでもあるもの」などという発想は皆無で、ややもすればいじめられる側が悪者・問題児扱いを受けていた。

 学校は集団主義一色の狭い世界で、今みたいに”個性尊重””違って当たり前”などとは全く対峙していた時代だった。

 保護者に対して異常なくらいに教師達が恐れに近いものを抱いたりすることはなく、保護者も教師を信じていたから、今ほど極端にモンスターペアレントと呼ばれるようなクレーマーもいなかった。


  登校拒否は不良の始まりとされ、どんなにいじめられて辛い学校にも登校させられた。(皮肉にもそれが忍耐力を養っていた気がする)

 "不登校を支援""通信制のスクーリング""大検資格取得"など皆無。

 サラリーマン世帯の既婚女性は皆専業主婦が当たり前で、働きに出てると周りから変わった人のように見られていた。

 出来合い惣菜はなく、ハンバーグも餃子も皆素材のミンチ肉からの手作り


 今の時代を青春できる世代は色々物が選べて羨ましく思ったりもするし、中高生が部活の大会の打ち上げでカラオケBOXに行ったり、場合によってはホテルのレストランで会費制の昼食会などと聞くと贅沢に見える事もよくある。


 ――あの頃は、


  何もかも大量生産などされてなかった時代だったから、子供服も、文房具も、学校副教材も何もかも限られた中で選ぶか皆統一されて選べなかった。

 それに比べると今の学校教材は色やデザインが選べたり、服に至っては大量生産で格安で色々なバリエーションの物が選べて手軽に購入できてしまう。


 インターネットという、家にいても情報や物が手軽に手に入るから便利ではあるが、果たしてそれが本当に子供や人々の幸せにつながるのか?


  確かに、仕事で効率性を重視している者・何らかの障がいがあり普通に自分で買い物などできない人にとっては必要不可欠なツールであり、大きな役割を果たしていると思う。

 しかし、何でも安易にネットに依存してしまうのは、特に成長期の子供たちには成長の妨げになることも少なくない。

 自分が子供の頃限られた物や情報の中で不便に感じたり、物足りないと感じることは多々あった。

 しかし、そのおかげで養われた「忍耐力」や「自発性」、「根気」や「想像力」という物が今の自分を大きく支えている気がしてならない。


 自分の子供たちを見るにつけ、簡単に検索で調べられる便利さにすぐ頼り、自分で苦労して辞書や辞典で調べようという姿勢は全く無い。使ってページめくりの不要な電子辞書

 だから、簡単に調べられて得られた知識や情報は「また検索で調べればいいや」という無意識の心理で、右の耳から左の耳に流れてテスト前の付け焼刃的に、いっときしか記憶しないように知らず知らずのうちになっていっている。

 それは将来大量の知識や情報を短期間で身につけなければならない時が来たとき、あるいは突発的に人から知っていて不思議ない知識を聞かれても答えられないような時に、必ず心が壁にぶちあたる時もあると思う。

 人はどこかで苦労をしなければ成長しないようになっていると思うから、それが成長期なのか成人後なのかによって、精神力の強さ・物の捉え方の違いも大きく働いて、より精神的な成長が遅い人ほどすぐ挫折して、自信をなくして、現実逃避に走ってしまいやすいと思う。それが犯罪につながることも。。。

 挫折することも大切な経験であり、若い学生時代にそれをたくさん経験することによって、その人がその度にそれをバネにして一回り強くなっていくと思う。

 私自身も成長過程で挫折の度に自殺願望を抱いたり、世の中に失望したり恨んだりという経験はあるが、極端にいきなり強硬な行動に出たり、犯罪につながる発想をしたことはない。


 だから挫折を一度も経験せず、(又は過保護に育ちハードルを取り除かれて経験させてもらえず)大人になった人は、自分の思うように物事がいかなかったり、ちょっと理不尽な扱いを受けただけでもすぐに逆切れを起こしたり世の中を敵に回したり、自分を価値の無い人間と思って自殺願望を持ってしまいやすくなる。精神的に弱いから…


 果たしてそれが人にとっての幸せなのか?と考えた時、自分はある意味物にあまり恵まれない時代だったし、障がい・いじめなど幼少期から苦労や試練を与えられてきた代わりに、精神的に成長する上では心に大事なものを残し蓄えてもらえて恵まれていたと思える。

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