「えっと、あの、その顔の豊かな羽毛が、素敵ですね……?」
「どうぞ、宜しくお願いします」
私は、そう目の前で深々と頭を下げた彼から目が離せないでいた。
顔を上げた彼の真ん丸な目が不思議そうにきょろりと動く。
控えめな口元も、小ぶりな鼻も、黒目の大きな少しだけ鋭いその瞳も、確かに私の理想的な男性像だ。
私は、今出来る精一杯の笑顔で目の前のお見合い相手を褒める。
「えっと、あの、その顔の豊かな羽毛が、素敵ですね……?」
「ありがとうございます。自分で言うのも何ですが、触り心地も良いんですよ。そこらの梟には負けません」
そう、確かに理想的な男性像だ。
ただし、梟人間以外に限るが。
私は口元をひきつらせながら、数時間前のやり取りを思い出していた。
「エリぃぃいいいい!お前のお見合い相手が見つかったぞ!しかも金持ち!玉の輿!億万長者!」
立て付けの悪い扉を無理矢理押し開けて、父様が転がるように部屋へ入ってきた。
編み物をしていた私と母様は、さほど驚くこともなく父様を見やった。
「あなた、本音が駄々もれよ?いくら私たちが貧乏だからって」
「そうよ、父様。貧乏貴族の私たちだって精一杯生きてるんだから。例え、使用人が1人も居まいが、同じ服を着回してようが、その辺の草を食べようが、頑張って生きてきたじゃない」
私が悟ったようにそう言うと、父様は下がった眉を更に下げて、わっと顔を覆った。いちいち動作が大袈裟すぎる。
「ごめんなああああ!父様が騙されて借金なんて背負わなければ豪勢でなくとも普通の暮らしくらい出来たはずなのになあああああ!」
「もういいよ父様。私も母様もそんなに苦じゃないし」
「そうねえ。何だかんだ生きてれば何とかなるものねえ」
「うっ、だが父様は二人にいい暮らしをさせてやりたい!そこで父様はエリーにとても素晴らしいお見合い話を取り付けてきた!」
ぱっと顔を明るくして私を見る父様に、私は溜め息を吐いて編み物を再開した。
「私、結婚する気ないって言ったじゃない」
「そんな寂しいことを言うんじゃない!相手はなんと、あのクラウド・ダーヴィッツ様だぞ!こんな機会滅多にないぞ!」
父様の言葉に、母様は「まあ!」と声を上げ、膝をつく父様に駆け寄った。
「あのダーヴィッツ様?!あなた、一体どんな汚い手を使ったの?!」
「どうして正攻法でないこと前提なんだ?!実は上司の上司がダーヴィッツ様でな。偶々エリーの話になったとき、ダーヴィッツ様が通りかかったんだよ。娘のいい見合い相手を探していると言ったら、それなら是非自分がと仰ったんだ」
「不思議なこともあるものねえ。エリー、せっかくだからお見合いしてみなさいな。必ずしも結婚しなければいけない訳ではないのですから」
「うーん、母様がそう言うんなら、一度だけ会ってみようかな」
「この母様と父様の扱いの違い!」
何やら落ち込んでいる父様に「それで、いつ会うことになっているの?」とのんびりと聞くと、父様は信じられないことを告げた。
「今から」
「そう。今から………今から?!」
私があまりの衝撃すぎる言葉に思わず立ち上がると、椅子が思い切り大きな音を立てて倒れた。
すると、玄関から「何やら大きな音が聞こえましたが、大丈夫ですか?」という少し低音の落ち着いた声が聞こえてきた。
「玄関で待ってくださっているんだ」
「早く言えこの腐れ父様」
「エリーちゃんが汚い言葉を使うよ母様………!」
「エリー!あなたは客間を掃除してきなさい!母様はお茶を用意するわ!」
「分かった!」
「父様が悪かったから無視しないで………」
そうして冒頭に戻るという訳である。
何故か初めから仲介役のはずの父様は消えていた。
まあ、要らないことを言いそうだったから母様が連れていったのだろう。ナイス判断だわ母様。
いやでもちょっと待って。
やっぱり父様は必要だったかもしれない。
私は今までの人生の中で梟人間というものを見るのはこれが初めてだ。
存在自体は知っていた。
獣と番い、人間と獣とのハーフが生まれる場合、それらは獣人と呼ばれる。
目の前の男性が、その獣人だということは理解した。
だが、それを受け入れる程の余裕を持つには余りにも時間がなさすぎた。
つまり、一言で言うと。
無理。
初めてのお見合い相手が獣人だなんて私には少しばかりハードルが高かったようだ。
そう、例えその相手が、国を代表する優秀な者が集まる学園で首席を勝ち取り、就職した王宮では僅か数年で宰相にまでのぼりつめたエリートの中のエリートと言われ、更には清廉潔白、品行方正の理想の男性を絵に描いたような、そんな素晴らしい人格者、だったと、して、も……
私は目の前のお見合い相手を見つめる。
黙っている私を心配したのか、「どうかされましたか?」と尋ね、表情では分からないながらも雰囲気で憂いたものを感じる。
それでも私はじっと見つめる。
彼が戸惑っているのが雰囲気で分かる。
いやいやダメよ、エリス。ちょっと金持ちだからって揺らいではいけないわ。
彼は梟なのよ?
「……ダーヴィッツ様は、」
「クラウドでいいですよ」
「……クラウド様は、私の家が抱えている借金の存在をご存知でしょうか?」
「ええ。失礼だとは思いましたが、少しばかり調べさせていただきました。仮に家族として関わっていくことになるのであれば、これくらいなら僕から払うことも出来るとは考えていましたが」
「是非私と結婚を前提にお付き合いをしていただけないでしょうか」
やっぱりお金の存在は偉大だった。
真剣な表情で詰め寄る私に、彼は少し目を見開いて「喜んで」と答えたのだった。
翌日、勢いでお付き合いを申し込んでしまったと早くも後悔が押し寄せていた頃、父様の慌てた様子での帰宅に嫌な予感を感じながらそれを聞いた。
「エリーちゃん!父様の知らない間に結婚してたんだって?!父様初耳だよ?!」
私も初耳だ。
どこで行き違いがあったのか。
何故か「お付き合い」を申し込んだつもりが、「結婚」を申し込んだことになっていた。
そんな馬鹿な。それはないだろう。
それに籍を入れるには書類が必要だったはずだ。
………ん?待てよ。そう言えば彼の帰り際「いろいろ手続きがありますので」とか言われて数ヶ所にサインをしたような気がする。
手続きって、借金のことじゃなかったの?!
「しかも、借金も綺麗さっぱりなくなってたんだよ!何をしたのエリーちゃん!」
どうやら借金の手続きも確かにあったようだ。
それにしても、騙された感が否めないのだが、どうゆうことだろうか。
とりあえず、私は父様と隣に並ぶ母様に頭を下げて「それではエリス・カージナルス改め、本日をもってエリス・ダーヴィッツとなりました。今までありがとうございました」と挨拶を簡単に済ませる。
父様は「え、ちょっと待って父様いきなりの急展開に着いていけない」と狼狽え、母様は「これで母様も安心だわあ」と微笑んでいた。
この違いよ。母様強し。
こうなったのも何かの縁だと思って、腹を括ろうではないか。
そう、あの顔に慣れてしまえばなんてことはないのだ。
そうだそうだ。こんな有料物件はこの先絶対にない。
うん、これでよかったのだ。そうに決まっている。
タイミングを見計らったように玄関の呼び鈴が鳴る。
私は玄関へ向かい、ゆっくりと扉を開けた。
「エリスさん。迎えに来ましたよ」
そしてゆっくりと閉めた。
やっぱりちょっと無理かもしれない。
私は一度深呼吸をして、もう一度扉を開けた。
彼はやはり何を考えているか分からない無表情で「さあ、行きましょう」と手を差し出した。
私はなるべく彼の顔を見ないように「はい」と手を重ねた。
そして、この日から私に、梟な夫が出来た。
私は、今まで見たこともないような豪華な馬車に乗り込み、窓の外を遠い眼で眺めたのだった。