日陰者の戦略 3
翌日の放課後。栫井は『お客様を呼んでくるから先に行ってて』と言い残しクラスを後にした。しばらく時間を潰した後、高瀬は待ち合わせの正門へと向かった。
「もー、高瀬遅いよ!」
栫井はいつも同様ダボダボの学ランに身を包み、小さい体が着られている。もうひとりの少女に目がいった。大人しそうな格好でマフラーに顔が埋まっている。タータンチェックのミニスカートからは黒のパンストが伸び、クリーム色のインナーの上に紺のカーディガンを羽織っている。頭には帽子をかぶって栗色の前髪で目が隠れ、チラチラと高瀬に目をやる。
「遅れて悪い」
ふと、少女の髪の隙間から目が合った。
「ど、どうも」
「は、はじめまして」
今にも消えそうな声だ。お互いどう対応していいかわからず、ビクビクコミュニケーションが始まる。
「瑞穂ちゃん。高瀬は怖くないよー。ちょっと目つきがアレなだけだよー」
瑞穂と呼ばれた少女は軽く頷く。前髪が再び目を隠す。
「は、はじめまして、志渡寺と言います。同じ学校の一年です」
「どうも、はじめまして……」
とっさに言葉が出てこない。女子との会話に慣れてないからと自分に言い訳をする。沈黙が生まれた。
「とりあえずファミレス行こうか」
「お、おう」
「はい……」
栫井の声で世界は動き出した。
「ボクから紹介するね。彼女は志渡寺瑞穂ちゃん。体育の授業が一緒で友達になったんだ」
駅前のファミレスに入り改めて紹介を受ける。高瀬の正面に座る瑞穂は頭を下げる。
「で、こっちは高瀬麻大。大麻の『ま』に大麻の『たい』で『あさひろ』」
「おい」
「一年生の不良をまとめあげてるように見えるけど、実際は気弱で目付きが悪いだけの高校生。ボクとは中学が同じなんだ。」
「はあ、……ども」
瑞穂に軽く頭を下げる。しかし、まだ恐怖心を持っているようで目を逸らされる。
「栫井。なんで志渡寺さんを呼んだのか説明してくれ」
「早速だね、キミは。もう少し雑談でもしたらどうだい?」
「できそうにないから言ってんだ」
小さな声でつぶやく。
「瑞穂ちゃんはね、パソコン部なんだ」
全く理由になってなかった。もったいぶった顔がこちらを見ていた。その顔を見て栫井とはこういう奴だったと高瀬は思い出す。情報には常に対価を求める。何か対価となるものを支払わなければならない。金でも情報でもいい。必要なのは対価。
「栫井、ポテトでも頼むか」
口が再び動き出す。
「それでボクは考えたんだ。試験の問題用紙を学校から盗んでそれを高瀬の集団に与えれば、彼らはそれしか勉強しないんじゃないかって」
「そりゃ、問題用紙盗めれば、それしか勉強しないだろうな」
誰も無駄な努力はしたくない。試験の答えがわかっているならそれを覚えて終わりだ。
「それで、問題用紙は学校のサーバーに保管されてる。それを彼女にハッキングしてもらおうって話だよ」
栫井は自信満々に答える。
「話はわかるが一介のパソコン部にそこまでできるのか?」
たとえパソコン部と言っても一応のセキュリティが掛かっている学校のサーバーへ侵入できるのだろうか。痕跡を残して彼女まで巻き込んでしまうのではないか。自分が被害を受けるのはいいが誰かに迷惑をかけるのは不本意だ。
栫井が勢い良くテーブルに身を乗り出す。
「高瀬。キミは今、実行手段について尋ねたよね。計画自体には妥当性があると判断したわけだ」
「は?」
「だから、学校のサーバーに試験問題があってそれを盗むことができるってのは、話としておかしいと思わなかったってことだろ?」
「まあそうだな」
高瀬は軽く頷く。
「その時点でボクの計画はかなり成功率が高いと思うよ」
もったいつけるように栫井は間を空ける。
「さっき高瀬も信じたように学校のサーバーに試験問題が管理されているというのは考えられる話だ。でもこれはもちろん生徒には侵入できない。できたとしてもそれは問題になる。そもそもあるのかどうかもボクは知らない。しかし、彼女のパソコン部という肩書きはそれを覆せるように見せることもできる」
流暢に栫井は続ける。
「そこでだ。ボクらでダミーのサーバーを作ってそこにダミーの試験問題を用意する。後は高瀬の集団の前でそこにアクセスして問題用紙を手に入れる。すると彼らはほぼ勉強せずに試験に当たることになるんじゃないかな」
「おお!」
「そうすると計画の発案者であるキミに非難の声が上がる。彼らはキミを攻める。キミは嫌でもあの集団から引きずり降ろされる」
「おお、それいけそうじゃん!」
「そこで瑞穂ちゃんに頼みたいんだけど。そんな簡単なサーバー作れるかな? どうせボクらも素人だからちょっとしたパスワードがあるぐらいでいいから。もちろん瑞穂ちゃんには被害がいかないようにするからさ」
「うん、それぐらいならすごく簡単だけど。ひとつ質問いいかな?」
「どうぞ」
変なことですけどと志渡寺は前置きし、
「えっと、そこまでしちゃって大丈夫なんですか? 三学期ってこれしか試験ないから点数低いと留年しちゃったりとかあるんじゃないでしょうか?」
「んー、なんというか、そこまでしないと大丈夫じゃないというか……。留年とかは大丈夫だよ。先生たちは脅すためにそんな言葉を使うけど、よっぽどじゃない限り補習で何とかなるから」
「高瀬くんはどうしてその集団を壊したいんですか?」
志渡寺の目がまっすぐ高瀬へと向けられる。
「なんつーか、あいつらひとりひとりはそこまで悪いやつじゃないんだけどさ。集まるとどうしても悪ノリしちゃって。そこに俺がいるとさらにテンション上げていっちゃうから、まあ、俺がもっと統制できるか最初から大人しくしてればよかったんだけどさ」
「瑞穂ちゃん、新入生指導の時覚えてる? あまりにも上級生が脅してくるからって一番最初に異論を上げたのが高瀬だったんだ。すぐ別室に連れていかれて、みんなには殴られたってことになったんだけど、どうやらそれが彼らにはかっこよく映ったらしくてね。高瀬も高瀬でそうやって寄ってきたのを邪険にしないから、今では戸真崎の一年の番長さんだよ」
「それを終わらせるんだ。……来年からは大人しく過ごす」
高瀬は心底嫌そうな顔をし答える。やや間を置き志渡寺が言葉を出す。
「高瀬くんって優しいんだか優しくないんだかよくわかりませんね」
「優しくないよ。仮にも自分を頼ってる人間を裏切るんだから」
「でも寄ってきた人たちは断らなかったんですよね?」
「はぐれた人間なんてそんなもんだ」
「そうでしょうか……」
志渡寺は伏し目がちに高瀬を見つめる。
「ま、この計画にはひとつ致命的な問題があってだね……ボクらには問題用紙が作れない!」
栫井の言葉に沈黙が生まれる。
「おい! 肝心なところが穴じゃないか!」
「し、仕方ないだろ! ボクだってそこまで頭いい訳じゃないんだから!」
「そこの案まで考えて提案してくれ! 俺の高まった期待はどうすればいいんだ!」
「キミひとりだとなにも思い浮かばないから少しでも力になろうと思って考えたんだ! そこまで言われる覚えはないよ!」
高瀬と栫井が睨み合う。そこに志渡寺がススッと手を挙げる。
「あの、過去問で良ければ用意できるかもしれません。私兄がいるので……」
しばしの沈黙ののち、
「「ホントに」」
ステレオが返ってくる。
「でもさ、過去問って言っても、うちの学校の先生って入学時の時教師陣が三年までずっと同じで学年が上がっても先生の変更って殆ど無いよね。お兄さんに頼んでも先生たちが違ったら使えないんじゃないかな?」
「あ、大丈夫です。兄は現役で大学に入って今大学一年ですので。高校時代の担当教師陣はほとんど私たちと同じです」
「おお」
「兄とは一緒に住んでいますので、あるかないかを確かめる程度ならすぐできると思います」
「おお、いけそう!」
「ナイスだ!」
「いえ、それほどでも」
志渡寺は申し訳無さそうに身を小さくする。その姿は小動物を連想させる。
「瑞穂ちゃんなんでも食べていいよ。高瀬がおごってくれるから」
「そうだな。うん。なんでも頼んでくれ」
「は、はい」
志渡寺はメニューと格闘する。
「俺も腹減ってきたな、軽く食べるか」
「高瀬、ボクには何かおごってくれないのか? この案を考えたのはボクだよ」
「一品だけな」
栫井は志渡寺と一緒にメニューを覗きこむ。姉妹のように見えて微笑ましい。高瀬もなにか頼むかとひとりメニューを開く。
「瑞穂ちゃん決まった?」
「は、はい」
「高瀬もいいよね」
「おう」
高瀬の前にはサンドイッチとコーヒー。栫井はチーズケーキをつついている。志渡寺の前には、
「瑞穂ちゃんもしかしてお昼食べてなかった?」
「いえ、ちゃんと食べましたよ?」
きょとんとする手には丼ぶりが持たれ中には肉うどん(大盛り)が湯気をたてる。
「寒いので温まろうと思いまして」
「あはっ、そっかー」
栫井は乾いた笑いを返す。
「ところでさ瑞穂ちゃんのクラスでは高瀬の評判ってどう?」
危うくコーヒーを吹き出しそうになる。
「本人の前で聞くな。俺ここにいるから」
「キミってさ基本的にどのクラスでも怖がられてるんだけど、クラスによってちょっと違うんだよね」
栫井はすくったチーズケーキを口にする。
「五組とかは貝塚くんがいるからキミの評判はそこまで悪く言われてないみたいだよ」
「そうなのか?」
そういう解決の仕方もあったかと高瀬は考える。自分より異常な存在を作る。恐らく視線は自然とそちらに集まる。
「うちのクラスもボクがフォローしてるから他のクラスよりもマシだと思うよ」
「えっ、他のクラスはあれよりひどいのか?」
「どうなの瑞穂ちゃん?」
志渡寺は少し伏し目になる。
「みんなちょっと怖がってる、かな……クラスマッチの時も高瀬くんいるからソフトボール出るのやめた男子もいた、よ」
「マジで……」
「高瀬くんの周りの人も、こ、怖いかなって」
確かにあまり仲良くしたくない外見の人間ばかりだと高瀬は思い返す。
「えっえと、で、でも、会ってみたらそんなに怖くないというか……」
「それはあるよね。高瀬、こうやって話す時は普通なんだけど、人前とかで話すことになると緊張して言葉短くなって機械みたいなしゃべり方になるし、単語のチョイスが辛辣になりがちだもんね」
「黙れ」
「ほら」
はははっと笑いながら栫井は高瀬の睨みを流す。
「今日、話してあんまり怖くないってわかったから友達にも言っておく、ね」
「別にいいよ。あんまり気を使わせて志渡寺さんが変な目で見られるのも悪いし、この件はできるだけこっそりやりたいし」
「うまく行けば高瀬は勝手に堕ちていくから瑞穂ちゃんは気にしなくていいよ」
「そ、そうかな」
栫井は最後のひとすくいをパクっと口に入れる。志渡寺はおずおすとした口調で、
「ふたりは中学生からの知り合いだったんですよね?」
「そだよ」
「高瀬くんは中学の時は今みたいじゃなかったんですか?」
「地味だったよ。それに少しでもクラスの元気がいい人たちに憧れでもあったら今の状態を壊そうとは思わないだろうしね」
「地味とか言うなよ!」
「部活は卓球部だったよね。地味だね」
「地味じゃねえ! 部活仲間にはいやらしいカットマンとまで言われてたんだぞ!」
どれだけスマッシュ打っても返されるって。
「いやらしいんだってよ。瑞穂ちゃん気をつけてね」
「そういう意味じゃねえよ!」
「高校では卓球はやらなかったんですか?」
「まあ、そこまで真剣にやってるって訳じゃなかったからな」
「自転車通学のための部活だったもんね」
「それは否定出来ないな」
高瀬の中学では家が学校から二キロメートル以上離れているか、部活動に所属していなければ自転車登校は許されていなかった。そのため同じような理由で、目的もなく適当に部活を選ぶ生徒は多かった。
「高校では部活をやる気はないよ。それに今からだとどこに入っても迷惑だろ」
「そりゃ番長が入ってきたら困っちゃうね」
「黙れ」
高瀬はコーヒーをすする。熱い。アイスコーヒーにしておけば良かったと後悔する。
「飯食べたらちょっと暑くなってきたな」
そう言いつつ高瀬は上着を脱ぐ。中に着ていたTシャツが視線を浴びた。
「高瀬さん、そろそろそのファッションはどうにかしようよ。白のTシャツに下から黒の長袖シャツって野球部じゃないんだからさ」
「ん、だめか?」
高瀬は自分の腕を見る。おかしさは感じない。
「百歩譲ってそれはいいとして、いや、百歩どころでは足りないんだけど譲ったとして、その胸に書いてある英語は何? 『GET HAMMER』って? 昔のPCゲーム? どんなセンスだよ?」
「どうせ上着着たら見えないからいいじゃんか」
「今おもいっきり見えてるよ? ファミレスの中で見せつけちゃってるよ? どうせなら紙製のエプロンでも貰う? HAMMERが汚れるといけないんで! ぐふわっ、ぐぐ、ふっふふうーあー、やめておなか痛い」
栫井は自身で言った言葉に腹を抱えて笑う。
「おい、そんな笑うことないだろ。な、志渡寺さん?」
「え、ええ、似合ってるんじゃないかとっ、ぷふふ」
志渡寺も笑いをこらえてたのか肩を震わせる。
「はーっ、ほら、やっぱり高瀬の私服のセンスはおかしいんだって。せっかくの私服校なんだからそこんところも勉強したらどうだい?」
「そうはいってもさー。制服って楽じゃん」
そもそも高瀬はほとんど私服を持っていない。私服校とはいえ一応制服が存在し、それを毎日着ていれば私服なんて一、二着あれば済む話だ。平日は朝から晩まで制服を、休日は中学からあった私服を適当に着る。それ故高校に入っても新しく服を買おうという強い動機は起こらなかった。
「それこそいつもキミの周りにいる人間を参考にしたらどうだい? 制服着てる奴でも下にパーカー着てたりでおしゃれしてるじゃないか」
「あれはおしゃれなのか」
「キミより大分とマシだろうと思うよ」
「そうか? 下手にいじるよりシンプルな学ランでいいだろ」
「否定はしないよ。だけどキミにはそれより先に改善すべきところがあると思うよ。キミは背が低い訳ではないんだから適当なTシャツでもそこそこいけるはずなんだけどね」
「何がだめなんだろうな」
「何で気づかないんだろうね」
ふうと栫井は溜め息を吐く。志渡寺の食器が空になっているのを確認し、
「さて、そろそろお暇しようかね。あまり遅くなっても悪いだろうし」
「そうだな。志渡寺さんもいい?」
「はい、大丈夫です」
「じゃあ会計しておくから先に出ておいてくれ」
「了解ー」
高瀬は上着を羽織りレジへと向かう。予想以上の出費に財布が悲鳴を上げる。新しい服など買う余裕はなかった。
「じゃあ、兄に聞いたら連絡しますね」
「ああ、頼む」
志渡寺はコクリとマフラーに顔を埋める。
「私、あっちなのでここで失礼します」
「じゃあ気をつけて」
「またね」
志渡寺は手を振りふたりと別れる。振り返る瞬間コートの裾が揺れる。
「どうだい? 女の子の知り合いができた感想は?」
「みんながああやって素直だとありがたいな」
「キミへの印象は早々に決まっちゃったからね」
「普通科で良かったよ。クラス替えで何とかできそうだしな」
「キミのその前向きさはどこから来てるんだろうね」
「ところで、次の電車までどれくらいだ?」
栫井は携帯のスリープを解除する。
「もうすぐだけど急ぐ必要は無さそうだよ」
「そうか」
ふたりは駅構内に向けて歩を進める。辺りには学生服を着た生徒が目立つ。もちろんほとんどは戸真崎の生徒ではない他校の生徒だ。
「ねえ、変なこと聞くようだけどいいかな」
栫井は高瀬の制服の袖を掴む。
「あ、別にいいぞ」
「部活の話なんだけど、もし先輩も同期もいないような部活があったとしたら高瀬は入るかな?」
「なんだそりゃ? まあ、内容によるんじゃないか。学校に来てまでボランティアとかはやりたくないし、無駄に体を動かすのも苦手だ」
「そっか。ありがと」
高瀬は腑に落ちないといった感じで首をひねる。
「それがどうかしたのか?」
「いやなんでもないよ」
栫井は高瀬の袖を離し、子供のように駆ける。
「急がないと電車座れないよ」
「お、おい」
急ぎ足で鞄からパスケースを取り出す。ICカードが改札につかまる。辺りにいる人間の視線が高瀬に集まる。またあらぬ噂が広がる気がした。




