裁量者の戦略 1
試験後の休日が開けた日。各試験結果が返却される。クラスの人間は一喜一憂していたが、一ノ瀬にとっては慣れた作業。間違っていた箇所を目にする。教師は授業中に解説を始めるが、無視して教科書を進める。学年順位二位。一位は新しく美術部に入ってきた人間。
放課後、一ノ瀬は教師から呼び出された。進路相談室へ入るのは初めてだった。職員室横の一室。扉を叩く。
「あ、どうぞ」
中から男性教師の声がした。
「失礼します」
部屋の中ではホワイトボード前に学年主任の斎藤が腰掛けていた。
「急に呼びだしちゃって悪いね一ノ瀬さん」
後ろ手に扉を閉める。
「いえ、私は特に問題ありませんが。何の用事でしょうか?」
いやいやそれほど難しい話じゃないんだけど、と斎藤は軽く口にし、
「一ノ瀬さんさ、今回のテストの問題にいたずらしたでしょ?」
「えっと、なんのことでしょうか……」
軽くとぼける。
「そうだね。細かく言うと試験二日前に美術室で……」
唇を引き締める。まさかこのタイミングで声が掛かるとは思ってなかった。
「ああ、そんなに緊張しないでくれ。どうこうするつもりはないから、ははっ」
斎藤は言葉を止め白衣のポケットからガムを取り出す。
「食べるかい」
「遠慮しておきます」
断られちゃったよ、と小さく口にし、ガムを一枚取り出し口に加える。辺りにミントの香りが漂う。
「いやいや、本当にどうこうするつもりはないんだよ。女子生徒と男子教師が二人っきりで閉めきった部屋ってだけで僕のほうが不利なんだよ。なにせキミが声を上げれば僕の信用はなくなるからね。まあ、キミがやったこともバレるんだけどね。なにせあの時間に美術室からネットに繋げられるのはキミだけだからね」
そう言いつつ斎藤は一枚の紙切れをひらひらさせる。この美術室から職員サーバーへのアクセスログか、と一ノ瀬は考える。
「やっぱり脅しですか」
「もう、やめてくれよ。僕はただキミにちゃんとして欲しかっただけだよ」
斎藤は肩をすくめる。
「ちゃんとと言うと?」
斎藤は一瞬の間を空ける。
「ちゃんと問題を作ることだよ」
さも当然といった口調で答える。
「試験の問題を作るってのはキミが思ってる以上に繊細なんだよ。例えば平均点が著しく低い教科があったとしよう。それだけで生徒の親御さんからクレームが来る。生徒に学力差を見せつけているのかって。もちろんそんなんつもりはないし、担当教師によって平均点をどれくらいに想定するかは変わってくる。それでもできるだけその差をなくそうとしているのが、そう、僕だよ」
斎藤は笑顔で続ける。
「僕が学年主任を任されているのはそこなんだよ。全教科の平均点を一定に保つ。それぞれの教科の範囲、生徒の学力、クラスの偏り、その他を考慮して問題を差し替えるんだよ。ああ、これがもうたまらなくてね。プラスマイナス二点に抑えた時なんてもう快感だよ」
はあはあと斎藤の呼吸が乱れる。
自分の書き換えが表立って問題にならなかったのは斎藤という仕組みが以前から回っていたからか、と一ノ瀬は考える。教師にとって差し替えは存在しておかしくない行為だった。不正が起こっていたのに気付いたのは斎藤だけ。
「これはもう芸術なんだよ! 僕はね、だれでも解ける問題で平均点を稼いでその他は難しい問題で埋めるなんてのは低俗だと思うんだ。だってそうじゃないか? そんなテストで平均点を出してもそれは平均点なんかじゃない。生徒が解く前にもう点数は決定してるじゃないか! そんなの美しくない! 問題ってのは徐々に難しい問題を配置するのが美徳!」
斎藤は立ち上がり両手を肩の位置に上げ、
「しかし! せっかく僕が差し替えた問題をキミは台無しにしてしまった! 完成品を壊されたんだよ僕は‼」
一ノ瀬はあまりの勢いに一歩下がる。
「あれはないよ、あれは。英語の問題なんて酷い有様だよ! 範囲を守ってないじゃないか‼ 範囲ってのはね、その範囲だけ勉強しておけば全部解けるようにしておかなきゃダメなんだよ! それ以前の学習内容なんてどうでもいい! テストしてるのはそこじゃないんだから! そういう宣言なんだよ! ま、わからない子は前の単元の知識使ってもいいけど、スマートな答えはその範囲内に収まるべきなんだよ!!」
ふははっと笑い斎藤のメガネがずれる。
「キミも美術部なら分かるはずだろ? コンクールの直前に作品が台無しになる気持ちがさぁ‼ あー、もう間に合わない! 間に合わない! 間に合わない! 今から作っても間に合わない! そんなに早く作品なんて作れないってさ。どうしてこうなっちゃったんだろうってさ」
斎藤の瞳がギロリと一ノ瀬を射抜く。
「でもでも僕は思ったんだ、人のせいにしても何も解決しないってね。もとはといえば僕のネットワーク構築が弱かったから、作品を壊されたんだ。だったら、だったら、いっそそのまま出してしまおうってね。どうなっても知らないってね。
はあ、僕はやってやったんだあのクソ教師どもに! ろくな社会経験もないまま学校に戻ってきやがって! あいつらが僕のことを『斉藤先生』って呼んでくるのには虫酸が走る‼ 僕とあいつらの関係は上司、同僚、部下のどれかな? だから僕は毎回さん付けで返すんだよ。でも誰もそれが皮肉だって気づかない!
まったくめでたい頭しやがって、あんなのに教えられてる生徒が可哀想だよ‼ 新しいことやろうとすると、それは自分の受けてきた教育を否定することに繋がるから、今までどおりにしか動けない‼ あーまったくもっていらない人間たちだよ‼ あんな人間いらないからさ早く機械に変えてくれないかなー」
あー早く消えろ、と小さく口にする。
「でも駄目だった。あいつらには無駄だった。僕が修正した問題を当然のようにチェックもせずそのまま使う。僕は心底呆れた。そして決断できた。やっぱり学校はロクなところじゃないって。だから僕は今年で教師を辞める」
斎藤はクルリとその場で回転する。
「決断をさせてくれた一ノ瀬比奈さんに感謝を」
斎藤は手を腹に当てて小さく頭を下げる。
「じゃあ僕はこれで」
「あのっ」
部屋から出て行こうとする斎藤に一ノ瀬は声をかける。
「この件に関して私への処分は……」
「ないよ」
「でも私が書き換えを行ったのは事実で……」
「なに? 悪いことしたら償いしないと気がすまない? ま、悪いっちゃ悪いかね不正アクセスは」
次の言葉に神経を集中させる。
「うーん、そうだね、知らない。勝手にやってよそんなこと。僕はキミにはもう感謝したし、どうでもいいんだよね。ゴミ拾いでも掃除でもなんでも勝手にどうぞ」
自分の用事は終わったとでも言いたげに斎藤は一ノ瀬を見る。
「じゃあいいかい、僕は僕の用事があるんだよ」
そう言い残し斎藤は部屋から消えた。廊下からは楽しそうな足音が遠のいていく。部屋にはまだミントの香りが微かに残っていた。
「はあ」
一ノ瀬は肩の力を抜く。停学くらい覚悟していたが逆に感謝されてしまった。しかしそこに恐ろしさを感じる。
「弱みを握られたのは事実だろう」
斎藤の話が本当ならば、彼が学校を辞めるまでもうしばらく優等生を演じなければならない、と一ノ瀬は考える。
ガチャ、と扉が開かれた。
「えっと」
そこにいたのは男子学生。生真面目に制服を着ている。
「えっと、俺先生と相談があるんだけどキミも相談かな?」
「すみません。私は部外者です。失礼します」
一ノ瀬は頭を下げ進路指導室を後にする。




