狡猾者の戦略 3
試験二日目。試験日程の真ん中。今日ある分の試験問題の解答は昨日暗記した。当然前日の答案用紙は教師の目にするところであり、それでも何の問題もなく試験が行われていることから栫井の言葉を思い出す。どうやら学校から罰せられるという心配は今のところなさそうだ。
試験時間終了のチャイムが鳴り緊張の解かれた教室から解答用紙が回収される。次の時間の準備をするため廊下に出ようとする高瀬に栫井が話しかける。
「高瀬、どんな感じ?」
栫井の声は全く心配事などない様に聞こえる。
「あまり落ち着かないな」
ふたりは教室を出て廊下の目立たないところに寄りかかる。
「そう? 問題になってないんだから堂々としてればいいんだよ」
「そう言われてもな」
「あ、誰か全問正解しちゃうかもって?」
「多分それはないだろう。あいつらそういうところはずる賢いから」
「じゃあ何を心配してるんだよ」
「わからない」
「空が落ちてくる?」
「そうかも」
「そりゃ重症だね」
栫井は肩をすくめる。
「昨日も言ったけど今回の件はもうボクらのコントロール出来ないところにあるんだから見てるしかないんだよ」
「お前は達観してるな」
「諦めてるといってもいいよ」
うふふと栫井は笑みを浮かべる。ふと隣の教室の方からひとりの女子生徒が歩いてくるのを目に止める。一ノ瀬比奈だ。水色のシャツに黒のロングスカートでふらふらと歩いている。
「お、おう」
知らない仲でもないだろうと思い、ぎこちないながら高瀬は声をかける。
「あ、ああ、高瀬くんに栫井ちゃん」
「どうしたのぼーっとして?」
「あー、ちょっと徹夜気味で……」
一ノ瀬は頭を押さえる。
「そうなの? あんまり頑張りすぎるのはよくないよ」
栫井は鞄から缶コーヒーを取り出す。
「これあげるよ。眠気覚ましにでもどうぞ」
「ありがとう栫井ちゃん」
一ノ瀬は栫井から受け取ると、
「じゃあまたね」
一ノ瀬はそのまま歩を進める。
「大丈夫かな?」
「ちょっと心配だな」
「朝まで勉強してたのかな。あんな姿みちゃうとボクもちょっと悪いことしてる気がしてくるよ」
高瀬は違和感を覚える。前回話した時、一ノ瀬は家ではほとんど勉強しないと言っていた。それがあのような状態になるまで徹夜するとは考えられなかった。
「高瀬〜、せっかく女の子の知り合い増えたんだからもうちょっと気にしてあげなよ」
「あ、ああ」
「ん、一ノ瀬ちゃんのが伝染した?」
ぼーっとした返事に栫井が突っ込む。
「そうかも」
「もー、後でちゃんとメールでフォローでもしときなよ」
「え、俺アドレス知らねーよ」
さらりと答える。
「……この前交換しなかったの?」
「してない」
「二日あったのに?」
「してない」
ふうと大きな溜め息を栫井は吐く。
「高瀬。せっかく勉強する必要なくて時間もあるんだから今日は女の子の扱い方でも勉強したらどうだい」
「……」
「あれ、高瀬もしかして瑞穂ちゃんもアドレス交換してなかったりする?」
無言で首肯する。栫井の顔は見られなかった。
***
「じゃあ、号令」
教師の合図とともに生徒が号令をかける。起立、礼。三日間の試験期間が終了した。教室は試験が終わった開放感に包まれる。騒ぐ生徒からは『やべー、生物赤点かもー!』だの『この後暇ー?』などの声が飛び交う。そんな中、一ノ瀬は教師の一挙一動に目を光らせる。教師が教室を出て行こうとする。瞬間教師は振り返った。
「おい、最後のやつ窓の鍵閉め頼むぞ」
教室からはやる気のない声が返る。そのまま教師は職員室へと戻っていった。ふぅ、と一ノ瀬は深く息を吐き出す。ようやく教室の声が聞こえだした。
「やー、高瀬マジすげえな!」
「おうおう! まじナイスプレー過ぎじゃん?」
「この後ファミレスで打ち上げやるってさ!」
「テストで打ち上げとかマジパネエ?」
後ろの男子の会話が聞こえてきた。確か高瀬の集団の人間だ。少し手伝いもしたが高瀬の指導はうまくいったようだ。一ノ瀬は数名のクラスメイトに挨拶し教室を後にする。廊下でゆっくりだべっている生徒が目立つ。美術部へ顔をだすかどうか迷ったが行くことにする。学校にいることに不安はあるがひとりになる方が避けたかった。
***
美術室のドアを開ける。顧問の新開のところに鍵を借りに行ったが貸出中だった。新開は終始ニヤニヤしていたが無視した。恐らく平田が何かいたずらでも企んでいるのだと予測する。
「お疲れ様です……」
「お、一ノ瀬ちゃんお疲れー」
パーカーにジーンズというラフな格好の平田が出迎えた。しかしそこにいるもうひとりの姿を見て驚愕する。
「あの……どうしてあなたがいるのでしょうか? 貝塚」
「いやー、いいじゃないっすか。俺今日から美術部っすよー」
格好はアメカジ風だが、いつもの傲慢な態度はどこかへ飛び下っ端のような口調だ。顔が赤く上気しているようにも見える。貝塚は目を細め、しきりに一ノ瀬に頭を下げる。その顔は笑顔。
「いやー、お姉さんちょっと飲ませすぎちゃったー」
あははと平田は陽気に笑う。
「ちょっと? 先輩学校でお酒飲んでるんですか?」
「お酒なんて飲んでないよー。飲んだのはこれだよー」
平田は一本のボトルを取り出す。出てきたのは本みりんだった。
「いや、何飲んでるんですか。それ調味料ですよ」
「意外と美味しいんだよ。昨日ラジオでもやってたし」
平田は紙コップに口をつける。
「一ノ瀬ちゃんも飲む?」
「なに薦めてるんですか!」
「いやー、しかし新人君は弱いねー。最初はオラオラ系かと思ったら飲んだら急にヘコヘコしちゃってさー」
「そんなことないっすよー。先輩が先輩たらしてるから俺が後輩たらしてるっす」
元々がおかしいのにアルコール追加するともっと壊れるんだな、と一ノ瀬は冷静に分析する。
「それで、貝塚、今日から美術部ってどういうこと?」
「そのままっすよ。一ノ瀬さん」
貝塚の口から『一ノ瀬さん』などという言葉が出てきたことに悪寒が走る。
「先輩」
こいつからの説明は意味がないと判断し一ノ瀬は平田に説明を求める。
「さっき新開先生のところに入部届出しに行ったよ。書き方は私が教えて・あ・げ・た」
「ちょっと、お酒飲んで職員室行ったとか正気ですか」
平田は突拍子もないことをやるが今回には呆れ果てる。
「いやいや、行った時は飲んでないよ。私も貝塚くんも」
だとすると貝塚は自分の意志でここに来て、入部届を書き、顧問に提出したということか……。一ノ瀬はさらに混乱する。
「貝塚、なんで美術部に入ったの?」
「いやだなー。一ノ瀬さんがいるからっすよー」
「わ、私が?」
突然の言葉に驚く。告白? いや常に周りの人間を見下してきた貝塚にそんな感情があるはずがない。そうだそういう人間は往々にして恋愛は脳の勘違いと捉えるのだ。錯覚錯覚。電気信号電気信号。一ノ瀬は必死に頭で否定するがそれと同時に顔が赤くなってないか頬を隠す。
「いやー、一ノ瀬ちゃんモテモテだねー。でも、まずは私を倒してからだよ!」
平田が棒立ちの一ノ瀬に抱きつく。
「お話によると一ノ瀬さんプログラムすげー詳しいって言うじゃないですか、いやーこんな近くに質問できる人がいるとは俺超幸せっすよー、って一ノ瀬さん聞いてるっすか?」
「いや、ほ、ほら、わ、私は……」
相変わらずテンパってる一ノ瀬に貝塚は爽やかな笑顔で一言声かける。
「これから頼むっすよ」




