天才の戦略 3
放課後の空き教室。高瀬は集団の面々と向かう。彼らは教科書を広げ試験問題の解答を埋める。教卓に寄りかかる高瀬はふと考える。ここまでしてよかったのかと。思った以上に彼らは熱心に勉強している。留年の単語がちらつくからという理由もあるのだろうが、真面目な姿を見せられると良心が痛む。
高瀬の出番はもはやほとんどなく、試験問題に関する質問は集団の中で互いに教え合うことで解決していた。
「どうしたの高瀬?」
隣に小さな影が寄ってくる。栫井だ。
「なんでもない」
コーヒー缶の手触りを確認する。最近はこれが精神の安定剤となっていた。
「そう。ならいいけど」
栫井は他の生徒に交じる。栫井とはふたりきりの時はよく冗談を交わすが集団の中にいる時は積極的に会話をしない。一言二言で終了させる。
「なあ高瀬。いまさらなんだけどさ。これってホントに明日試験に出るんだよな?」
ひとりの男子生徒が声を上げる。不安になるのも仕方がないだろう。少なくとも高瀬が見たところでは、彼らはこれ以外の勉強はしていない。
「もちろんだ。お前もハッキングした瞬間を見たはずだ」
「そりゃそうだけどさ……多分信じられないってのが強いんだと思う。俺」
「俺が保証する」
「それもそうだな。疑って悪い高瀬」
自分で言って高瀬はアホらしく感じる。保証? 保証できるのはその試験問題が明日は絶対出ないことと、そのことで自分が集団から糾弾されることだ。栫井が机に伏して肩を揺らしているのが目に入るが無視する。
すべての試験問題の解答が完成した。
「じゃあ終わりだ。解答は用意できたから、試験前にはそれを覚えて当たれ」
彼らに指示をだすのはこれが最後だと考える。
「全問正解すると怪しまれるから適宜間違えろ」
まばらに返事が返ってくる。
「質問いいっすか」
ひとりの生徒が手を挙げる。
「いいぞ」
「えっと、みんな同じ答え書いて大丈夫なんすか?」
「は? テストだからそうだろ」
「えっと、暗記科目とかはそうなんすけど、記述問題がみんな同じってのは気持ち悪くないっすか?」
確かにと高瀬は思う。
「そうだな。じゃあ記述問題は多少言葉の順番とか表現の仕方を各々で考えてくれ」
高瀬は他に質問がないのを確認する。本当にいいのか……このまま彼らを放って。頭をよぎるが高瀬は言葉を吐き出す。
「じゃあ解散だ」
淡々と告げる。断絶。高瀬と彼らを分かつ境界。色のない世界に放り込まれた気持ちだ。高瀬はひとりとぼとぼと校内をさまよう。
たどり着いたのは特別教室棟の角。家庭科室の外階段。しかしそこには先客がいた。
「貝塚か」
「よーう。高瀬ちゃん」
貝塚は膝の上にノートPCを広げなにかを打ち込んでいる。
「おい、流石にノートPCはアウトだと思うぞ」
「問題ねえ問題ねえ。教師は俺を注意できねえから」
授業中に寝ていても直接貝塚に注意できる教師は少ないと聞く。全校朝礼で本を読んでいたとも聞く。
「それに最悪スマートブックだといえば携帯だ」
「いや明らかにデカイし、その機種は後になかったことにされるぞ」
いいんだよ、と貝塚は不機嫌に吐き捨てる。
「なんでここでやってんだ? 家でやればいいだろ」
言いつつ横に腰掛ける。
「俺の家電波入んねえんだよ」
「は?」
「だから携帯の電波入んねえんだって」
待て、ここら辺ってそこまで田舎だっけ。
「俺の家超山ん中だから」
「お前にメールしても返ってこないと思えばそういう理由か」
「ああ、悪い悪い」
悪びれず貝塚は謝る。
「で、何やってんだ。悪巧みか?」
先日と同じ言葉を返す。
「計算だ」
覗きこんだPCの画面は黒い背景に白の英数字が並ぶ。
「どこがだ」
「計算させてるってのが正しいかもな」
「プログラムか何かか?」
その言葉に貝塚は過剰に反応する。
「高瀬、プログラムわかるのか?」
貝塚がガバリと顔を上げ高瀬を見つめる。
「い、いや、聞いたぐらいだ……」
正直驚いた。貝塚がここまで食いついてくる分野があるとは。何事にも冷めたように接しているのかと思っていた。
「いやー、実はうまい処理が思いつかなくてな」
貝塚の膝が上下し苛立ちを表す。
「計算自体はできてるんだが他のヤツのほうが早い処理実装してんだよ」
「そういうのって大学生とか社会人もいるんだろ仕方がないんじゃないか」
「年上だから何だ? 頭いいのかよ偉えのかよ! くそがっ! 俺は俺が一位じゃねえのが納得できねえ! 一位になるためならなんだってする! 年齢関係なく頭を下げて教えを請う」
貝塚の膝の揺れが激しくなる。ふと高瀬は思い出した。同じくPCの前で『あーあー』唸っている同級生がいたことを。
「そういえば一ノ瀬も処理が何とかって同じようなこと言ってたぞ。今度本戦が試験と近くて参るとかなんとか」
「はあ? 一ノ瀬ってあの一ノ瀬か?」
「ああ、あの一ノ瀬だお前のクラスの」
高瀬は続ける。
「この間試験勉強教えてもらったんだが、その時なんて言ったっけな。いもす法? とやら処理について熱弁してたぞ」
なんとか記憶からたぐり寄せる。貝塚は無言でブラウザを立ち上げキーワードを打ち込む。
「あいつって美術部だよな?」
「どうも絵は描いてないらしいがな。毎日PCいじってるってよ」
「それは美術部なのか」
「絵描く奴が居なくなるから学年上がったら廃部かもとは言ってたな」
「へー」
気付けば貝塚の貧乏揺すりが止まっていた。代わりに浮かぶのは何かを企むいやらしい表情。
「なあ、高瀬ちゃんって帰宅部だよな」
「ああ」
「お前が学校に納めてる金が部活動に流れてることについてどう思う」
「は? どうって、別にいいじゃねえか俺たちだってどっかの部活に入る可能性はあったんだし」
「可能性の話だろ。実際入ってなくてその利益が部活動従事者にだけ流れてる現状についてどうだって話だ」
そうだな、と考える。
「授業で使わないプールを弱小水泳部のために維持してるってのはちょっとどうかと思うがな。まあ学校としては部活動の多様性を確保したいんだろうけどさ。ある程度は仕方がないんじゃないか部活動が活躍すれば学校は名前が売れて嬉しいし、明確な成績の出せないのは部費を出しませんってやっても今度はその判断は誰がするんだ、そのコストはって考えると今のままでいいと思うぞ」
高瀬は口調を変えてこう言う。
「で、そこに不満を持つ貝塚くんは生徒会長に立候補しました。しかしそれには信頼が足りませんでした」
「まあ、俺が出たとしても十中八九当選しないだろうな」
貝塚はガハハと豪快に笑う。
「だから俺は適応されることにした」
「新しい部でも作るのか? 顧問の許可が降りるか? お前に」
「問題ない既存の部を乗っ取る」
「そうか。あんまり派手にするなよ」
「情報提供感謝する」
「情報提供……ってお前今その案考えたのか?」
「そうだが」
当然といった顔でこちらを振り向く。貝塚は今情報を得て、今行動を決めたのだ。美術部を乗っ取るという構想。やはりコイツは何考えてるかわかからない、と高瀬は思う。
「やれそうと思ったら突っ込むんだよ。俺はよぉ」
「あんまり一ノ瀬に迷惑かけるなよ」
自分が言えたことじゃないな、と高瀬は考える。
「問題ねえ、あいつも誰かに迷惑かけてる。お前も誰かにかけられてるじゃねえか。そうなら思う存分誰かに迷惑かけちまえばいい。かけずに過ごすなんて面倒くさいからな」
「お前はかけ過ぎな気がしないでもないがな」
「そう言ってくれるなよー、高瀬ちゃんよー」
「あんまり邪魔するのも悪いからじゃあな」
「ホントお前はいいこだなぁ」
「悪い子とは思ってない」
そう告げて貝塚から離れる。一ノ瀬の名前を出したことは失敗だったかと考える。ポケットに入れた手が冷たかった。
帰路につこうとした高瀬の前にひとりの人影が現れる。
「試験前に余裕そうさね」
担任の新開翔子。丈の短いスカートに白衣を羽織っているため隙間から生足が覗く。
「そんなことないですよ。試験の下見です。自分緊張しやすいので」
「どの口が言うよ」
新開はメガネを押さえる。
「それより、そんなに私のスカートが気になるさね?」
「生足が綺麗だと思っただけです」
「ナチュラルにセクハラするなさ」
「先生にだけですよ。他の人間にするわけないじゃないですか」
嘘ではない。他にこんな冗談を言い合える教師は居ない。入学当初、浮いてしまった自分の世話を焼いてくれたのは新開だった。しかし、どうも面白い新入生と目をつけられたらしく。今では過剰なネタを言い合える関係だ。そのせいでまた他の生徒から距離を置かれた。
「そんなに見たければ言えばいいさね。私だって誠意を見せられたら考えるさね」
新開はスカートに手を掛ける。
「ところでゆっくりとたくし上げるのと、ストンと落とすのではどちらがいいさね?」
「裸足になる方向で」
「君の趣味はわからないな。ま、いい子は早く帰って明日の試験に備えるといいさね」
それとも、と新開は続ける。
「私とまた飲みに行きたいさね?」
「酔った先生の相手をするのは勘弁です。僕は酔ってない方の先生が好きですから」
「残念ながらそっちの私は今日は休みさね」
えっ、まさか今飲んでる? いや、対応はいつもの新開だ。そう自分に言い聞かせる。
「先生これ何に見えます?」
高瀬はピースサインを出す。
「馬鹿にするな。ハトさんに決まってるさね」
ダメだこの先生、まともに見えて勤務中に飲酒決めてやがる、と高瀬は判断する。酔っても見かけが変わらないからたちが悪い。
「いい子は早く帰るさね。お薬使って」
「それは冗談になってない‼」
「いいさねいいさね。お姉さんが送ってやるさね。大丈夫仕事は終わってる」
「先生鍵貸してください」
「どうした。お前さん免許持っとるんか? たまには送られるのも悪くないさね」
新開の投げてよこした革のキーホルダーを受け取る。車の鍵らしきものだけ抜き取り投げ返す。
「今日は歩いて帰ってください!」
高瀬は全速力で駆け抜けて校門を後にする。確か先生の家は駅の近くだったよな、と思い返しつつ。




