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トリックプレイ  作者: 赤崎優
11/21

絵描きの戦略 5

 一時間半が経過した。時折一ノ瀬はノートPCの前で『あー』と頭を抱えていたが、わからないところを質問すれば、飛ばして先に進めろだのこっちの問題で解き方覚えろなどの返答をする。しかし、もう我慢の限界だった。高瀬は声を上げる。


「あー腹減ったー」


 両手を大きく上げ伸びをしながら声に出す。


「なにか食べる? 肉まんとかあったと思うよ」


 一ノ瀬は学食のレーンの方を指す。


「マジで? 食べる!」


 高瀬は素早く鞄から財布を取り出し立ち上がる。


「じゃあ行ってくるわ!」


 食堂のレーンの方へと走っていく高瀬。


「子供みたいにはしゃぐのね」


 背後からの一ノ瀬の声は耳に届かなかった。



 食堂のレーンは大きく分けて三つあり、それぞれ定食、丼物、麺類と分かれていた。それと対面するようにサラダや惣菜のセルフコーナーがあり出口にレジという構造だった。


 高瀬はコンビニによくある保温器を見つけ駆け寄る。しかし側面には無残に『売り切れ』の四文字が紙に貼られ圧倒的存在感を放っていた。


「うぉー売り切れぇぇー」


「そう、残念ね」


 横から一ノ瀬の声が聞こえる。


「んー、なんかオススメないのか?」


「普通の食堂だからね。メニュー的には高校の食堂とも大差ないよ」


 レーンの上に掲げられた定食メニューを眺める。野菜炒め、白身フライ、唐揚げ、コロッケ。


「ほんとふつーだな」


「まあ大学の授業ある時は他の食堂も開いてるしね。ここは安いのが売りだから」


「そうだなー、俺は肉そばにするよ」


 そう言うと高瀬は麺類のレーンへと向かう。一ノ瀬も丼物のレーンに並び麻婆丼を注文する。ふたりは会計を終え席へと戻る。


「いただきます」


 手を合わせる。


「あったけー」


 器に手を当て暖かさを堪能する。


「なあ、一ノ瀬のクラスだと俺の評判ってどんな感じ?」


「えっ、そういうこと聞いちゃうの?」


 一ノ瀬は信じられないといった顔で高瀬を見つめる。


「ああ、違う違う、この前栫井に聞いたんだけど、どうも俺は悪評から怖がられてるって思ってたんだけどクラス毎にまちまちだって話でね。一ノ瀬のクラスだとどうかなと」


 そうね、と一ノ瀬は口に手をやり、


「うちのクラスだと良くも悪くも貝塚がいるからねー」


「ああ、あいつ毎回試験トップだしな」


「それでいて授業中に寝てるし課外には出ないしで、周りの生徒からの妬まれてるみたいよ。当の本人は気にしてないみたい。むしろその反応を楽しんでるみたいだけど」


「やっぱ一ノ瀬はそんなヤツがトップだと気にするのか?」


「私には……ああはなれないかな」


 一ノ瀬は遠い目をして答える。


「やっぱ、天才ってのはいるのかねー」


「あれは天才っていうか、執着というか、ゲーム感覚って方がしっくり来るかな。ノーミスクリアみたいな。私には無理。大体、上限決まってるなんて面白くないじゃない」


「上限?」


 高瀬は引っ掛かりを口にする。


「どれだけ試験勉強しても得られるのは満点が最高。集まっても上限があるってこと。私はひとつのところにとどまってるより他のことしたい人なの。気づいたら深みにハマってたものはあるけどね」


「んー、ノーミスクリア目指すよりはいろんなゲームしたいって感じか?」


「そんなところ。高瀬くんは?」


 話を振られて戸惑う。自分はどうだろうか今までに何かにこだわって本気になったことがあったか。気付くとそれ以外のことを考えられないような経験をしたか。どれも当てはまるような経験はなかった。


「どうだろ。俺は中途半端な気がするな……」


「そう」


 一ノ瀬は短く返す。


「だから、今回の試験は失敗できないんだよ!」


 強い口調で宣言する。


「よ、よくわからないけどなんだかやる気なのね」


 一ノ瀬は高瀬の気概に押される。


「ふぅ、しかし食べてると暑くなってきたな」


 そういうと高瀬は上着を脱ごうと胸のボタンを外す。


「高瀬くんストップ!」


「えっ」


「脱ぐのは禁止。そんなTシャツ見せちゃだめ。早くボタンを閉じて!」


「……はい」


「栫井ちゃんの言うとおりね。事前に通告を受けておいてよかった」


 高瀬は渋々胸のボタンを閉じる。中からは『dog place』の文字が一瞬覗いた。




 軽く食事を終わらせ勉強が再開される。


「なあ、一ノ瀬って塾とか行ったことあるか?」


「私はないわ。この辺りの塾だと学校の人間関係の延長線みたいなコミュニティになりやすいし」


 確かにクラスでは女子が『昨日塾でさー』と他の女子の話をしているのを耳にする。同じ中学だった人間の話題でコミュニケーションが行われていた。


「もし行くとすればあそこかな。大久保塾。あそこなら基本は自習で、わからない時にだけ質問するって理想的な使い方ができそう」


 大久保塾えらい高評価だなと高瀬は思う。


「そういう高瀬くんは塾とか行ってないの?」


「ああ、行ってないな。親はどこかに押し込みたいようだけど」


「学校は一番遅い人に合わせるけど塾はそれよりちょっと上の人に合わせるだけよ。平均ぐらい学力があるなら行く必要はないよ。ただ塾に行きました勉強しましたって自己満足の世界だから。手っ取り早く目に見えるフィードバックが欲しいだけよ」


 教師も親も、と一ノ瀬は小さくつぶやく。


「そんなもんかね」


 気付くと周りの人間の数が減ってきた。外も少し暗くなっている。


「高瀬くん質問いいかな?」


「ああ」


「なんでいきなり勉強しようと思ったの?」


 一瞬返答に焦る。一ノ瀬に本当のことを伝えるべきか迷う。


「えーっと」


「高瀬くんの舎弟から勉強教えてって言われるとか?」


 舎弟じゃないけど、と頭で否定するが口には出さない。


「そ、そうそれ……ほら、あいつら馬鹿だからさ。俺が解けるようになって教えたらいいかなーって」


 ははっと高瀬は乾いた笑いを浮かべる。


「い、一ノ瀬は普段どのくらい勉強してるんだ?」


 無理矢理会話をそらす。


「学校以外だとほとんどしてないよ。家では軽い復習ぐらい」


「学校だけでできるのってすごいよな」


「そうでもないよ。さっきも言ったけど学校ってどうしても遅い人に合わせて授業することになるから、授業中ってかなり暇な時間になるのよね」


「学校の必要ないじゃねーか」


「うん、それはそうなんだけどね。なにかと高校生って立場は便利でさ。私美術部だけど作品をコンクールとか出そうと思ったら、やっぱり学校に所属してたほうが出しやすかったりするしね」


「うまい使い方だな」


 映画の割引ぐらいにしか高校生という肩書を意識して活用したことはなかった。


「私思うんだけど中学も高校も同じじゃない? 学校に同じような年代の人間を集めて勉強させる。いっそのことどっちか無くして他の年代の人と一緒に活動とかしてみたらいいのに」


「そこは家庭に任せてるんじゃないか?」


「うまく機能してると思う?」


「いや」


 高瀬は即答する。家の人間経由で他の世代の人間にあったことなど親戚ぐらいしかいない。閉じたコミュニティだった。


「ま、やろうと思えばできないこともないんだけどね。高校辞めて大検とればいい。多分すぐ取れるよ。だけどおかしなことに日本だと大学に入れる年齢になるまでまたないといけない」


「外国に行けばなんとかなるんじゃないか? テレビとかでも飛び級した天才とかで特集組んでるじゃないか」


「一応選択肢にはあるけど、家の人とかの説得しないといけないから」


 どうも私の親は周りの子と同じようにさせたいらしくてね、と一ノ瀬は付け加える。


「一ノ瀬ってすげえな、俺なんて将来なんて全然考えられない。今で精一杯だ」


「すごくないよ。高瀬くんの人をまとめる力のほうがすごいと思うけど」


「あれはたまたまだ。最初の印象が強くて残ってるだけだ。まとめてるわけじゃない」


「そうかな。私には高瀬くんだから務まってる様に見えるけど」


「俺がいなければ他の誰かがやってただけだよ」


「そういう認識好きだよ。私の代わりはいくらでもいる。学校って残酷よね、勘違いオンリーワンが量産されてるんだから」


「ひどい表現だな」


「ひどくはないよ。事実を言ったまでよ」


「一ノ瀬って友達少ない?」


「友だちってどういう関係?」


「いいや、なんとなくわかった」


 高瀬はこの話はなしにしようと両手を挙げる。


「高瀬くんって意外に面白い人だね。あっこれは興味深いって意味。今までは怖いって言われてる人ってイメージだったけど、意外としっかりしてる。やっぱりそんなところに周りの男子は惹かれてるのかな?」


「さあ、男に好かれるのはあまり嬉しくない」


「栫井ちゃんがいるじゃない」


「栫井は同じ中学だったから仲がいいだけだ」


「そう?」


「というか、あいつの方が人をまとめる力ありそうだけどな。よくうちの集団内でトラブルがあるとあいつが解決策考えてくれたりするし」


「でも実行するのは高瀬くんでしょ」


「まあそうなんだけど。考えてるのは栫井だ」


「栫井ちゃんは参謀的な立ち位置がいいんじゃない? 知り合いも多いし」


 確かに栫井は他のクラスの人間と話してるのをよく目撃する。高瀬ともよく一緒にいるが怖がられているようには思えない。


「そういえば、あいつ中学時代は普通に女子の制服着てたんだぜ」


「なに、あの子の女を知ってるのは俺だけ発言?」


「な、なんでそうなる!」


 声が裏返る。コホン、と仕切り直し、


「栫井が言ってたけど、女子の制服ってそんなに着にくいもんなのか?」


「そうね。私の制服の構造を聞いてるのならセクハラだけど、一般的に言って着心地がいいとは言えないよ」


「男子も着心地がいいわけじゃないけどな」


「そうかな。冬は下にいくらでも着込める、夏はブラが透ける心配もない。相対的には男子のほうがいいよ」


「そんなもんか」


「さらにはスカートの強制。根本から学校ってセクハラ量産所よね。聖職者ってどこの方言なのかな」


「俺はスカートを穿いたことないからわからないな」


「なんでも経験よ。私のを貸してあげようか?」


 一ノ瀬は自身のスカートをつまみ上げる。白い太ももがチラリと見えてドキリとする。


「え、遠慮しとく」


「いつめくれるかわからないから毎日が刺激的よ」


「そんな刺激的な生活は求めてない」


「目覚めちゃったら困るものね」


 ふふふっと一ノ瀬は笑みをこぼす。


「目覚めるも何もやらねえよ」


「つれない」


 一ノ瀬は残念そうに微笑む。


「短いスカート履くとすれ違いざまに教師の視線が下がるから面白いらしいよ。女子はそういうので判断するよね。アイツは見たアイツは見なかったって」


「一ノ瀬ってどっかで教師をバカにしてるだろ」


「そんなことはないよ。教師は教師よ」


 一ノ瀬はきょとんと小首を傾げる。


「その教師の認識がどこかおかしいんだろうな」


「確かに独特な教師は印象に残ってるね。私の小学校五年の時の教師がクラスのいじめについてこう対策したの、クラス全員に対して『どうして彼女をいじめているか、その理由とそれをなくす方法を考えなさい』って、これってさ生徒にいじめをする正当な理由を与えてるようなもんじゃない?」


「それで一ノ瀬はなんて答えたんだ」


「『学校からいじめはなくせない、あなたみたいな教師がいるから助長される』って答えたよ」


「お前のほうがひどいよ!」


「そしたらその教師ヒステリック起こして職員室にこもっちゃって大変だったんだよ。卒業までその教師とは気まずいし」


「そこまで言われると和解できねえよ!」


「お金持ちの親が私立校に行かせたがるのもわかるよね」


「流石にそんな教師は一部の学校だけだろ」


 少なくとも高瀬はそのような教師には遭遇していない。


「そう? 中学も同じようだったけど?」


「一ノ瀬の教師運が悪いだけだ」


「高校でも同じだと思うけどね。自分の教科が良ければ他はどうでもいい。成績が良ければどうでもいい。他はご家庭でどうぞってね」


 一ノ瀬の口調が優しくなる。しかしそれは敬意を表したものではなく、


「それができないご家庭だったらどうなるのかな?」


「さあな」


「素晴らしい人材が出来るのよ。疑いもせず言うことを聞く自走型ロボット」


「言葉を考えろ!」


「あら、ふわふわ奴隷のほうが良かった?」


 一ノ瀬はいやらしく笑う。


「もういい。じゃあ一ノ瀬の考える良い教育ってなんだよ」


「そうね。できる生徒を隔離すること、自分で考えられる人間を作ることかな。あ、みんながみんなやる必要はないよ。歯車は歯車らしく歯車ってればいいのよ」


「その歯車にすらなれなかった人間はどうする?」


「さあ、新しい機械でも作ったら?」


 そういう一ノ瀬の目は色がなかった。


「ちなみに一ノ瀬はどっちなんだ?」


「どうだろう、高瀬くんが言うところの歯車になれなかった人間……かな」


 どこかぼんやりと窓を見つめる。瞳は空を反射する。色を抜いて。

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