恋の罠を仕掛けたい(後編)
どんなに朝が来てほしくないと思っていても、朝はやってくる。
私は、いつもアイツと一緒に登校していた。少しでも彼と一緒にいたくて、彼に合わせて、遅刻ぎりぎりの時間に家を出ていた。
「あら、今日は早いのね」
私が、いつもより早い時間に家を出ようとしていることに気が付き、母が首を傾げて聞いてきた。
「今日から週番なの。今週は早いんだ」
あらかじめ用意しておいた言い訳だったので、落ち着いて答えることができた。
「あ、そうなの?いってらっしゃい。気を付けてね」
いつも週番の時は早く登校するので、母はあっさりと私の嘘を信じた。
「いってきます」
――ああ、今日もいい天気だ。
朝日が、寝不足の目に痛かった。
教室に着くと、まだ誰も来ていなかった。
始業までは、まだ一時間以上もある。
私は鞄を机に置くと、窓に近付いた。そこから、グラウンドで行われている、野球部の朝練の様子が見える。
「……練習は、大事だけどさ」
昨日の会話が脳裏に浮かぶ。
『……俺が好きなのは、キスしたかったのは、本当はお前なんだ』
いつも酷いことばかり言う、意地悪な幼なじみ。
彼の態度は、幼稚園の頃から変わらない。
なんで急に、あんなことを言ったんだろうか。
「……どうすれば、よかったのかな……」
幼なじみのアイツと私は違うクラスだけれど、同じ学校だ。ずっと避けてはいられない。
「……どうしよう」
彼のことはずっと好きだった。でも、付き合うどころか、告白される前からキスを迫られるとは思わなかった。
「……『練習』なんて、いらないのに」
下手でも、つたなくても、互いに気持ちがあれば幸せを感じられたと思うのに。
「……『私が練習相手になってあげる』なんて、言うと思ったのかしら、アイツは」
『練習』なんて言い訳でキスしようとするなんて、馬鹿にしているにも程がある。
少女まんがや小説で、そのセリフを言うのは、たいていヒーローを横取りするライバルの女だ。
彼が私をそんな女だと思っていたとしたら、……腹が立つ。
「好きだったのに」
溢れてくる涙が、悲しみからくるものか、怒りからくるものなのか、私にはよく分からない。
ただひとつ分かるのは、彼に対して、昔と同じ気持ちをもう抱くことはできない、ということだ。
ガラリ
「あ、おはよう」
教室のドアが開いて、誰かが入ってきた。私は慌てて涙を拭う。朝から泣いているなんて、情緒不安定にも程がある。
「おはよう、早いね」
私がそう言うと、彼はにこりと笑った。
「僕は今週、週番なんだ」
彼は私のクラスの委員長で、端正な顔立ちと爽やかな雰囲気で、女子からかなり人気がある。
「今日は早いね、どうしたの?」
委員長に尋ねられて、言葉を詰まらせた。ダメだ、私。人前で泣くなんてみっともない。
「……いつもの幼なじみくんと、喧嘩でもしたの?」
彼の言葉に、私は内心頭を抱えた。ばれている。いつも一緒にいるから、私たちの関係は同じクラスの子ならみんな知っている。
「……けんかじゃない、よ。多分」
むしろ、それよりひどいかもしれないけれど。
「わかんなくなっちゃったんだー、私」
委員長が首を傾げる。イケメンは何をしても様になる。
教室には、他の生徒がまだ、来そうになかった。
これはチャンスかもしれない。このイケメンで真面目な委員長なら、男の子としての一般的な意見を冷静に言えるのではないか?
私は、思い切って聞いてみる。
「……ねえ、男の子ってさ、……好きな子じゃなくてもキスできるもの?」
私のぶしつけな質問を、黒板の日付を書く手も止めずに委員長は答えてくれる。
「人によるんじゃない?……僕は、まだしたことないし。もっとも、好きな子以外としたいとは思わないけど」
「え?」
私は驚いて顔を上げた。。何ていったの、今。
「え、委員長……格好良いし、もてるのに?なんで?」
私の言葉に、彼は悲しそうに目を伏せた。
「だって、僕の好きな子は、いつも僕以外を見てたからね」
なんてこった、こんな美形で成績も性格もいい人が。
「片思いなんだ〜、意外」
「そ、一途なんだ。僕は」
茶化すように言った言葉に、笑顔とともにまともに返され、言葉に詰まる。なんて言えばいいのだろうか。
「……その子のこと、奪いたいとか思わないの?」
やばい、自分で言っておいてなんだが、なんて失礼な質問をしてしまったのだろうか。
委員長が目を見開いて、私を見つめている。……居たたまれない。
「……僕がそれをしても、彼女が傷つかないなら、奪ってもいいかもね。無理そうなら時期を待つよ、……いずれチャンスが巡ってくるかもしれないからね」
イケメンなのに真面目で勉強もできて、教師にも信頼されている優等生は言うことが違う。
「真面目だね〜」
また茶化すように言ってしまって、まずいと思ったが、彼は気分を害した様子もなく、軽く微笑んだ。思わず見惚れてしまうくらい、きれいな笑顔だった。
「だって君は、真面目な人間が好きだろう」
「は?」
なんだか、変な言葉が聞こえた気がする。なんて言った、今?
「僕は、君のことが好きだ」
「えぇぇぇぇぇ!?」
「……本当は、まだ言うつもりはなかったんだけどね」
あまりのことに呆然としてしまった私に、彼は続ける。
「君と、付き合いたい。……考えてもらうことはできるかな?」
青天の霹靂とは、きっとこのようなことを言うに違いない。
「待ってるから」
……笑顔が眩しすぎる。なに、なんで私なの!?
……私は、今日まで生きてきて、悩みは上書きされるものだ、と初めて知ったのだった。
※あと2話あります。
週番は日直の一週間バージョンの意味で使っています。