(12)
慶喜は輝十の邪魔をし終えて、そのまま客室に向かっていた。ある目的の為だ。
お目当ての部屋のドア前で立ち止まるなり、小さくノックする。
「……千月慶喜です。丸穴くん、いますか?」
ドアの向こう側にいるであろう人物に問いかける。姿を見かけていない禅は恐らく客室にいるはずだ。
「…………」
しかし返事は返ってこなかった。居留守を使うであろうことは想定の範囲内だ。顔合わせの様子を見た限り、協調性があるようには思えないからである。
「丸穴くんに頼みがあるんだ」
慶喜はめげずに声をかけ続ける。
「丸穴くんにしか頼めない」
扉の向こう側に彼は絶対にいる。証拠はないが確信があった。
「……頼む」
扉に向かって頭を下げたところで中の人から見えることはない。それでも慶喜は頭を下げ続けた。
「何の用だ」
低く、威嚇するような声色で。
扉の中から聞こえた第一声は決して友好的とはいえなかった。
「占って欲しいんだ」
「断る」
禅はベットに寝転び、本を読みながら扉の向こう側へは目もくれず即答した。
「きみは人間の中でも特別な部類だ。それは僕達下級悪魔ですらわかる。きみの占いはほぼ確実に当たるんだろう? 頼む、どうしても知りたいんだ……」
慶喜は顔を伏せたまま、懇願し続ける。
「彼女を危険な目にあわせたくない」
その言葉を聞いて、禅は本を閉じて体を起こした。
「嫌な予感がするんだ……」
ぐっと拳を握り締め、更に深々と頭を下げる。
「手段は選ばない、彼女を守る為なら」
禅は静かに扉を開け、目の前で頭を下げている慶喜を見下ろした。
「悪魔が人間に頭を下げるなんてな、笑わせる」
見下ろして嘲笑しながら、わざとらしく嫌味を言う禅。
「……お願いします」
それでも慶喜は微動だにしない。頭を下げたまま頼み続けた。
「バカか、おまえ」
「好きに言ってくれて構わない」
プライドを完全に捨てきったその姿を目の当たりにして、禅は調子狂う。頭を掻きながら問い返した。
「どうしてそこまでするんだよ」
慶喜は初めて顔をあげ、力のない笑みを浮かべた。その瞳には光が灯っていない。
「それを聞く? 人間のきみなら問わないでも、もうわかってるだろうに」
禅は返す言葉が見つからなかった。もちろんおおよそ理解しているつもりだが、悪魔がそんな感情を人間に抱くことがにわかに信じがたいのだ。
「信じられないって顔してるね」
慶喜は口元に手を添えて、小さく笑ってみせた。そしてすぐに真摯な顔つきに戻す。
「悪魔とか人間とか、もうそういうのはどうだっていいんだ俺は」
それは慶喜の紛れもない本心だった。自分よりも背の高い禅を見上げ、真っ直ぐにその瞳を見据える。
「もちろん彼女が一番なのは変わらない。でも他の人達にも多大な迷惑をかけたからね。罪滅ぼし、したいんだ」
この最後の片目を失おうとも、この命果てようとも、それはあがなわなければいけない。慶喜はそう考えていた。
「―――――」
慶喜の姿が見当たらず、探し回っていた全はそれを耳にして思わず壁に隠れた。無意識に拳を強く握り締め、爪が手の平に食い込む。
思っていた以上に慶喜が責任を感じていることが辛くて、申し訳なくて、そしてなにより嬉しかった。
幼馴染みが、親友が、プライドを捨てて頭を下げているのだ。それを隠れて見ているだけでいいのか? いいわけがない。
「……お、俺からも! 頼む!」
「全!?」
全は駆け寄るなり、慶喜の横に並んで頭を深々と下げた。
「こ、この通り!」
そして自ら膝を地につけ、額を地につけ、土下座して見せた。その姿には禅だけではなく慶喜も驚愕する。
誰よりもプライドの高い全が自分を押し殺して、体を震わせながら人間に頭を下げている。
それを見た慶喜は悲しげな表情を浮かべ、自分もまたその場で屈んで土下座した。
「なんなんだよ、おまえら……」
禅は二人の悪魔に土下座までされ、どうしようもない気持ちにさせられる。
「あークソ! 同じ名前のよしみで占ってやるよ。今回だけだぜ。でも船上で神楽舞うのは勘弁な」
言って、部屋の中に入るように顎をしゃくる。
禅はベットの上で胡座をかくなり、制服の胸ポケットから二枚の式札を取り出して小さく息を吹きかけた。
息を吹きかけたと同時に何か呪文のようなものを唱える。それは言葉として発せられているのかすらわからない程の小さな声で、第三者からは口パクにしか見えない。
そしてその式札を左右に置くと、式札からら二つの影が勢いよく飛び出てきた。
その影はすぐに人の形を象り、赤く長い髪を靡かせた女性と青い髪をした青年の姿になった。二人とも一見人の子のようだが、はっきりと二本の角が頭上に生えている。
「言っとくが、俺は獣レベルとは違うからな」
自信満々で言った禅に二匹の鬼は魅了されたように抱きついた。二匹とも宙に浮いており、自由自在に動いている。
「実力は予想以上ってことか」
慶喜が独り言のように呟くと、
「マジかよ……あれってやばいやつじゃねえの?」
「鬼神だね。式神として二匹も使いこなす陰陽師はそうそういないよ」
さすがの全も呆気にとられていた。
悪魔である自分達が洋なら、鬼などの類は和となる。人間でいう外国人ぐらいの違いはあるが、凄さぐらいは重々承知していた。
久しぶりに呼び出されたらしい二匹は暴れられると思ったようで、目の前の慶喜達を睨み付ける。
『おまえ達、人の子ではないな』
ならば問題はないだろう? とでも言いたげで、慶喜達に今にも襲いかかりそうな勢いなのを禅が止めに入った。
二匹は不満げだったが、禅の言葉には従うようだ。
「悪いな、今回は占って欲しいことがあるんだ」
『……禅の頼みなら』
『ああ、禅の頼みなら』
兄妹らしい、その鬼神二匹は禅の周囲を飛んで舞い始める。禅は瞳を閉じ、印を結び始めた。
占いが始まったようで、二人はその様子を眺めながら固唾を呑んだ。
息を切らしている禅が一瞬雪崩落ちそうになり、持ちこたえ、再び印を結ぶ。手を、指を、休むことなく動かしていく。
最後の印を結び終えたのか、禅の動きが止まると鬼神二匹は禅に何やら耳打ちし、頬にキスをして消え去った。同時に式札が燃えてて跡形もなく消える。
「予め言っておく。占いは予知能力とは違う。100%じゃねえし、すべてはっきりとはわからん」
禅は肩で呼吸し、荒い息を整えながら話し出す。
「わかってる」
「それでも聞くんだな?」
慶喜は深く頷いた。もちろん禅も頷くであろうことはわかっている。わかっていて、あえて聞いているのだ。それは相手の心の準備を促す為である。
禅は小さく息を吐き、瞳を閉じる。一拍おいて、その重い口を再び開いた。
「でかい事件が起きる。それは水面下で進められ、おまえの気に入ってる女がある選択を迫られる。その選択のどちらを選んでも女は傷つく。それでも選ばなければならない。そんな女を助けられないことにおまえも苦しむことになるだろうな」
「でかい事件ってなんなんだ?」
全の質問に禅は首を横にふる。
「さあな、そこまでわかれば苦労せんだろ。ただでかい事件は確実に起こる」
禅は汗を拭いながら、疲れた様子で答えた。
「予知能力とは違う。ならば、それは変えられることは出来るのか……?」
自分が埜亞を助けられない、埜亞が確実に傷つく、それがどうしても慶喜は引っかかったのだ。その運命は覆すことが出来ないのだろうか。
「どうだかな。よく言うだろ、占いは信じるも信じないも人それぞれって。抗うのも自由じゃねえの」
禅はめんどくさそうに答えた。
“覆すことが出来ない”ではなく“覆さなくてはいけない”のだ。事件が起きる、それだけわかれば充分だろう。慶喜はそう自分に言い聞かせた。
「そうか、ありがとう。体力を使わせて悪かった」
そう言って微笑み、慶喜はお辞儀して客室を出て行く。
「おい、慶喜! ちょ、もういいのかよ!?」
全はそそくさと客室を出ていく慶喜の後を追おうとして、禅に引き止められる。
「今は一人にしてやんなって。それと……」
禅は自分の占いに絶対の自信を持っている。式神として動物を使う者が多い中でも自分は鬼が使えるからだ。
自分が特別で優れた陰陽師の卵であることも自覚している。
だからこそほぼ“覆らない”であろうこともわかっている。それでも慶喜を否定しなかったのは禅なりの優しさだった。
悪魔のくせに人間に頭を下げる、そんな奴を禅は知らない。退治側に位置する自分からしたら考えられないのだ。
そんな彼に占いを打ち破って欲しいという個人的願いでもあった。
「おまえあいつと仲良いんだろ? 一つ忠告してやる。あいつが本気になったら止めてやれ。このままだと死ぬぜ」
「!」
目を大きく見開く全に、禅は淡々と述べる。
「ついでにでかい事件の件、学年代表らに言っとけよ。どうせ学年委員とやらは面倒ごとに巻き込まれるからな」