(5)
放課後、埜亞は図書室を訪れていた。今日は調べごと目当てではなく、探し人目当てだ。
「……せ、聖花さん!」
読書している聖花の背後に立つなり、声を押し殺して名を呼んだ。聖花はびくぅと体を震わせ、驚いた様子で振り返る。
「な、なによ、あんた……話しかけるなら隣に座ればいいでしょ」
ひそひそと早口で捲し立てるなり、隣に座るように促す。
「す、すみませんっ」
「ん、ほら」
へこへこ謝る埜亞に自分が保有していた一冊の本を差し出した。
「え、えっと……?」
「ここどこだと思ってんのよ、バカ。とりあえず読んでるふりぐらいしないさいな」
溜息混じりで言うが、それも聖花の気遣いと優しさである。決して怒ってはいないし、呆れてもいない。それがわかっている埜亞は笑顔で受け取り、本を開いた。
「で? なにか用?」
「は、はいっ。その……せ、聖花さんは合宿って行ったこと、ありますか?」
「あるわよ、そんなの。中学ん時に宿泊学習があるでしょーが」
えっ、と埜亞は一瞬ショックを受けた様子で、ですよね……と呟いてそのまま本に顔を埋めた。
「なに? あんた合宿経験ないの?」
と、言ったところで、はっとして口を紡ぐ聖花。
「はい……中学の時は私だけ合宿のプリントが貰えてなくて。気付いた頃には合宿終わってたみたいです、へへ。私ったらほんとドジで……」
聖花に気を遣わせまいと明るく振る舞って言うが、それが逆に痛々しく映ってしまう。
聖花は勢いよく本を閉じるなり、
「買い物、一緒に行く? 合宿用に色々揃えた方がいいでしょ」
「い、いいんですかぁっ!?」
煌びやかな顔で大きな声を出す埜亞を聖花は閉じた本で叩いた。埜亞の声のせいで周囲から静かにしろという無言の圧力がかけられる。
「大声出すな、バカ」
「す、すみませんです……」
しゅんとしてしまった埜亞に、まるで姉のような笑みを浮かべる。
「じゃ、日曜日にでも行きましょ」
「はいっ」
今度は声を抑えて返事をした。そして埜亞ははっとしたように手の平を拳で叩く。
「あ、あの、微灯さんも誘ってみませんか?」
「ん? 別に私は構わないわよ」
もしかしたら、と埜亞は思った。彼女も自分と同じように合宿には良い思い出がなかったら……? だったらぜひ一緒に準備の段階から楽しみたい。人数は多い方がきっと楽しい、と埜亞は思ったのだった。
そんな埜亞の胸中を察し、聖花はあえてそれ以上何も問わなかった。彼女らしい、と思いながら喜ぶ姿を眺める。
一方、その頃――
「輝十、帰るよーん。今日もゲーセン寄ってくでしょ?」
「おうよ、もちろん! 今日はぜってえ負けねえからな!」
帰る支度をしている輝十を教室の入口から熱い眼差しで見つめている人物がいた。その存在に先に気付いた杏那は、
「あれ、輝十のホモ彼女じゃない?」
入口を指しながら言う。
「ホモ彼女ってなんだよ! ホモなのに彼女ってなんだよ!」
と、突っ込むなり慌てて周囲を全力で見回した。
「あっぶね……粉米さんに今の会話聞かれてたら死んでたわ」
変な汗が額を伝い、輝十はゆっくりとそれを拭う。今まで色んな腐女子に進撃されてきたが、アレは別格だ。どう足掻いても勝てる気がしない。
「つーか、誰かと思ったら一茶じゃん。どうしたんだよ」
「てるとぉ―――!」
やっと自分に気付いてくれた輝十に向かって、一直線で走って抱きつく一茶。
その愛らしく可愛らし容姿は、決して男に抱きつかれているという現実を輝十に見せない。あれ、男ってこんないい匂いしたっけ……? という錯覚さえ起こさせる。
「あ、粉米さん」
「なんだと!?」
杏那がドア側を見るなり、ぼそっと呟き、輝十は慌てて一茶をはぎ取ろうとしたが、
「いたい、いたいよ輝十……そんなに僕に触られるのいやだった?」
潤んだ上目遣いで言うその台詞には、地球最後の日を救うぐらいの威力があった。
「ち、ちがっ……嫌なわけないだろ! むしろ嬉しいぐらいだよ!」
「ほんと? よかったぁ……輝十に嫌われてたらどうしようかと思ったもん」
そんなやりとりをしている二人を横目に、
「粉米さーん、こっちこっちー」
「なんだと!?」
輝十は再び現実に引き戻されるが、
「なんちゃって、うっそー」
という、軽い杏那の一言で輝十には救いと同時に怒りが込み上げてきた。
「おまえ……冗談言うならもっと優しい冗談言えよな」
「ほら、いつでも対応出来るように鍛えておかないとぅ。今後、学年委員で一緒になること多いんだし?」
杏那の台詞には一理あるので、輝十はそれ以上何も言わなかった。粉米さん対策を今後真剣に考えねば……!
「で、どうしたんだよ。俺に何か用か?」
「うんっ! あ、あのね……実はお願いがあって……」
俯いてもじもじしながら言う一茶。
「お願い?」
どうやら杏那はそのお願いとやらを察したようで、一人で納得して机に座ってその様子を見守る。
「実は僕、合宿って行ったことがなくて……準備とかどうしたらいいのかなって……」
「え、マジ? 中学ん時とか林間学校とか宿泊学習とかなかったのか?」
一茶は弱々しい笑顔を浮かべながら、身振り手振りで語り出す。
「ううんっ、あったよ! あったんだけど、僕は行ってないんだ。いろいろ家業で訓練とかあったってのもあるんだけど、お友達もいなかったし……ほらっ、ああいうのって班決めとかあるでしょ? 奇数で僕余ったり、いろいろあって。えへへ、結局家業を理由に休んじゃったから」
明るく振る舞って言うには辛い過去だろうに、一茶は笑いながら話した。しかしその笑みにはいつもの元気さは含まれていない。そこに彼の本心が見え隠れしている。
「ごめんな、なんか……」
行って当たり前みたいな言い方をした自分を輝十は恥じる。
考えればわかることじゃないか。この学園には普通ではない生活を送ってきた訳あり生徒が多い。普通の生活を送ってきた自分の価値観で話したところで、それが相手に当てはまるとは限らない。
きっと自分を頼ってきただろうに、自分のせいで過去を抉ってしまったようで輝十は申し訳なさを感じる。
「ううん、気にしないでっ! 大丈夫だから! だからねっ、今度の合宿は本当に楽しみなんだ。輝十と一緒に行けるのすっごく嬉しい」
その笑みに嘘はなく、さっきみたいな影も見え隠れしない。本心でそう言っていることが伝わる。
「だな、俺もすっげー楽しみ! よし、じゃあ日曜日に準備を兼ねて買い物でも行くか?」
「いいのっ!?」
子供が初めてのものを見るかのように、瞳をきらきらさせて一茶は輝十を見る。
「いいも悪いもねえよ、いいに決まってんじゃねえか。行こうぜ! な、おまえも行くだろ?」
輝十は一茶の頭を撫でながら、聞き手に回っている杏那に問いかける。
「行くも行かないも、きみ達には保護者が必要でしょ」
杏那は机から軽やかにお尻を持ち上げ、バックを手にとる。
「ったく、素直じゃねえな。お供させて下さいご主人様、わん! とか言えねえのかよ」
口を尖らせて不満そうに言う輝十だったが、なんだかんだで杏那がついてくることは予想の範囲内だ。
「ありがとう、輝十。ありがとっ!」
言って、一茶は再び輝十に抱きつき、輝十は同い年ながら妹が出来たような気持ちで一茶の頭に手を添える。
そんな平穏で幸せは束の間、
「……ところで、さっき私のこと呼びました?」
静かに開け放たれたドアの先から、ぬっと顔を出した粉米の姿を発見して輝十は絶叫した。
「ほう、男の娘攻めとヘタレ受けも悪くない。大変よろしいです」
顎を撫でながら興味深そうに輝十と一茶を眺め、じゅるっと液体を啜る音が聞こえたところで輝十の絶叫は悲鳴に変わった。