(12)
「小夜千、今日の夜こっそりくるから。待ってて」
そう言い残し、聖花は一度病院を離れる。そして日が完全に沈んで月明かりが照らし出した頃に再び病院へ訪れた。
予め窓の鍵を開けおくように小夜千に伝えていたので侵入は容易く済んだ。
「小夜千?」
静かにベットに近寄り、小声で呼びかける。
「……聖花ちゃん」
小夜千は目を擦りながらゆっくりと体を起こした。
「起きて大丈夫? 無理はしなくていいわ」
「ううん、大丈夫だよ。あの後、ぐっすり寝てたからねっ」
そう言って笑って見せる小夜千の調子は悪くないようだ。
聖花は小夜千の傍らに立って見下ろし、ぐっと口を噤む。
「聖花ちゃん?」
月明かりの逆光で小夜千からは聖花の表情がいまいち見えなかったが、笑顔ではないことは確かだった。真摯な顔つきで口を閉ざしている。
「……実はね」
聖花が口を開くと小夜千は黙って耳を傾けた。
「ずっと小夜千に隠していたことがあるの」
聖花は後ろめたい気持ちになり、思わず俯いてしまった。
この事実を口にしてはいけない、その理由は両親にしつこく言われてきている。簡単には信じて貰えないこと、そしてなにより人間に気味悪がられて嫌われてしまうかもしれないこと。聖花達の年頃では特にあることだ。
小夜千にもし嫌われてしまったら……?
そう考えると口が動かなくなる。それでも言うべきだと聖花は思った。言った上で彼女の願いを叶えてあげたい、そう思ったのである。
「うん」
優しく頷き、大丈夫だよと言わんばかりに、小夜千は固く閉じられた聖花の拳を開いてぎゅっと握った。
小夜千の冷たい手が触れ、はっとして顔をあげる。迷っている暇なんて、戸惑っている暇なんてないのだ。
「私ね、人間じゃないの。スクブスっていう悪魔なんだ」
それを聞いた小夜千はきょとんとしたまま、何度も瞬きをする。
「スクブス?」
「そう。淫魔っていう種類の悪魔で、人間の精気を吸ったりするんだけど、今は吸わないでも生きられるように訓練してて、えっと……」
聖花が身振り手振りで説明しているのを聞きながら、小夜千はぷっと吹き出した。
「信じてないでしょ……」
「ううん! 違うよっ! 聖花ちゃんが大人っぽいのは人間じゃないからなのかなーとか、お人形みたいに可愛いのも悪魔だからなのかなーとか、いろいろ考えちゃって」
てへっと可愛く笑う小夜千には全く悪意が感じられず、本当にそう思っているようだった。
「じゃあ、驚かないの?」
「聖花ちゃんは聖花ちゃんでしょ? 悪魔でも聖花ちゃんは聖花ちゃん。だからあんまり驚かないかなぁ?」
逆に聖花がきょとんとしてしまった。思った以上に反応が呆気なく、しかしほっとしているのも事実だ。
「こうすれば、驚くでしょ?」
聖花は言って、手を軽く動かし、風を巻き起こして小夜千の布団をはぎ取った。
「うわぁ! すごいっ! ねぇねぇ、どうやったの!?」
「どうやったのって言われても……」
息を吐くように出来てしまうことなので、口で説明することが出来なかった。
聖花はそのまま右手に左手を添え、更に風を巻き起こして小夜千の体を包み込んでいく。
「動かないで静かにしててよ」
風が小夜千の支えにとなり、ゆっくり体を持ち上げて浮かせていく。
「え、えっ!?」
動揺する小夜千を余所に、聖花は更に風を作り出し、そのまま小夜千の足を地面に着かせる。
「聖花ちゃん! わ、私……足が……」
もちろん足に過重が一切かからないように風で覆って支えている。しかし目に見えない風の支えによって、まるで自分が一人で立っているかのように感じられるのだ。病室の冷たい床の感触が小夜千の足の裏に伝わっていく。
「足、動かして歩いてみて。私が支えてるから大丈夫」
「う、うんっ!」
言われるがままに小夜千は恐る恐る足を動かして歩いてみる。ゆっくり、のっそり、地面の冷たさを噛みしめて足を踏み出す。
「聖花ちゃん! 聖花ちゃん! わ、私! 歩いてるよっ!」
聖花は何も言わず、喜ぶ小夜千の姿を見て微笑んだ。笑みが隠しきれないほど零れてしまう。小夜千の嬉しそうな姿を見て、自分まで嬉しくなったのだ。
「せっかくだから、少し飛んでみる?」
言って、手を上に動かすと、
「きゃっ! わわわ!」
そのまま小夜千の体が浮かび、それに合わせて自分の体も浮かす。
「夜も遅いし、少しぐらいなら大丈夫だよね。うん」
聖花は小夜千の手を握り、そのまま引っ張って窓から外に出た。月明かりと星空が近くに感じられるほど上空にあがり、模型のように小さく見える街並みを二人で見下ろす。
「すごい、すごいよぉっ!」
ずっと興奮気味の小夜千に聖花はただ笑みを返した。
まるでピーターパンのように、心地の良い風を感じながら夜空を散歩する。夢のようなその一時に小夜千は酔いしれた。
「ありがとう、聖花ちゃん」
小夜千はにっこりと笑いながら隣を飛ぶ聖花に声をかける。
「小夜千が楽しそうでよかったわ」
「うん! 楽しかった。すっごくすっごく楽しかったよ。ありがとう」
小夜千は勢いに任せてそのまま聖花に抱きついた。
「いつも椅子に座ってみんなのこと見上げてた……そんな私がみんなを見下ろすぐらい空の上にいるんだもん、不思議」
「小夜千……?」
急に抱きしめる腕に力が入り、聖花は訝しむ。
「聖花ちゃんとお友達になれて、本当によかった」
いつもの優しげな瞳で真っ直ぐに自分を見つめ、そう言ってくれる小夜千と聖花は全く同じ気持ちだった。
「私も友達になれてよかったよ、小夜千」
友達というものを初めて知り、人間も悪くないと身をもって学んだ。何ものにも代え難い経験をしたのだ。
「今、あんたが見た通りよ。その翌日、彼女は死んだの。こっぴどく両親に叱られる前に小夜千の死が告げられたわ」
初めて涙というものを流し、初めて切り裂けるような胸の痛さを経験したのだ。
自分達悪魔にも“感情”というものが備わっていることを知り、それと同時に底知れぬ悲しみと失う恐怖を味わったのである。
過去を引き出され、浸ってしまったせいか、思い出してしまい聖花は思わず涙ぐんだ。
あれから何年もたっており、自分も成長している。彼女がもう帰らぬ人だという現実を受け入れ、人間を見下しながらもきっと彼女のような子だっているとどこかで信じている。
そう、きっと小夜千のような純粋な子だって人間にはいる。
「ちょっと……なんであんたまで泣くのよ」
聖花は目の前で座り込んで号泣している埜亞に声をかけた。
「だって、だって……」
あれだけの情報量を得てもなお、彼女は崩壊していない。それどころか共感してくれているのだろう。やはり彼女は芯が強く優しい子なんだろう、と聖花は思った。
埜亞はまるで自分が経験したことかのように、大粒の涙を流し、肩で呼吸していた。
「“かつて”なんて言い方しないで下さい。終わりのように言わないで。小夜千さんが死んでも一緒にいて楽しかった思い出は色褪せないし、友情だって……」
ひっくひっくいいながらも必死に言葉を紡ぐ埜亞。
「だっていなくなったらもう何も聞けないじゃない……」
「もし逆に聖花さんがいなくなって、小夜千さんは“かつて”の親友だったって言い方すると思いますか?」
聖花はその言葉にはっとする。
「私には聖花さんは小夜千さんが大好きで、小夜千さんも聖花さんが大好きに思えました。きっと最後の最後まで小夜千さんは聖花さんと一緒に過ごせて嬉しかったと思います。感謝だってきっとしてます。だから……だからっ……!」
上手く言葉に出来ない歯痒さを感じながら、埜亞は一生懸命言葉にする。それは充分に聖花にも伝わっていた。
「わかってる、わかってるのよ」
言って、聖花は埜亞の前に屈んで、その手をぎゅっと握り締めた。
「ただ確信が欲しかった……誰かにそう言って欲しかったのよ、きっと」
ずっと二人きり、二人だけの関係、それは片方がいなくなることで確かめる術がなくなってしまった。時を重ねるにつれて想いだけ募り、薄れていく記憶の中で誰かにそう言って欲しかったのだ。誰かに自分達を見て、自信を導いて欲しかったのだろう。
「だ、だったら私が……言います! 聖花さんと小夜千さんはとっても素敵な友達同士でした! ううん、今だって素敵な友達同士ですっ! 羨ましいぐらいですっ!」
握られた手を両手で握りかえして捲し立てる。
「わかったよ、ありがとう」
泣きすぎたせいか、うさぎのような赤い目をして言う埜亞に聖花は笑いながら素直に礼を述べた。そして立ち上がり、スカートを叩いてしわを伸ばす。
「悪かったわね、私情に巻き込んじゃって」
「いえっ! あ、あの……」
続いて埜亞も立ち上がり、去ろうとする聖花を呼び止める。
「なによ?」
「あ、あの……そ、その……」
埜亞は手をもじもじしながらも、息を飲み、決意を固めてソレを口にする。
「聖花さん……わ、私と、私とも友達になってくださいっ!」
埜亞は勢いよくお辞儀した。相変わらず体が柔らかすぎるのか、照れ隠しなのか、頭部が床につきそうな勢いである。
「ちょ、頭下げすぎでしょ! 顔あげなさいよバカ!」
「は、はい……!」
叱られてしまい、しゅんとして顔をあげる埜亞。
「まったくもう……」
腕組みするなり、むすっとした顔をする聖花。それを見て埜亞はやっぱりダメだったかなあ……と、内心思う。
「なにを今更なこと言ってんのよ。もうとっくに友達でしょうが」
言って、聖花は埜亞にでこぴんをくらわす。
「いたっ。え、えっ……!?」
聖花の思わぬ発言に動揺する埜亞だったが、そんな埜亞を置いて聖花は図書室を出ようとする。
「聖花さんっ!? い、今のは……?」
「一応あんた恋敵なんだから。同じこともう言わないんだからね、バーカ」
そう言いながらも笑みを浮かべていた聖花を埜亞は見逃さなかった。