(10)
「残念ながら逢守さんは今日も休みだよ」
三組の教室を覗き込んでいた聖花に三組の担任が声をかける。
「明日は来ますか?」
「うーん……どうだろう。厳しいかもしれないね」
濁すように言う担任を聖花は訝しむ。担任もまたそんな聖花に気付き、
「瞑紅さんは逢守さんと仲が良かったよね。いつも一緒にいるみたいだったし」
中腰になって視線を合わせながら問う。
「はい。友達ですから」
「今日、逢守の家までプリントや授業の資料を持っていくんだが……一緒に行くか?」
もちろん聖花は迷うことなく、二つ返事で大きく頷いた。それを見た担任が大きな手で優しく聖花の頭を覆う。
放課後、聖花は担任と共に小夜千の家に訪れることになった。
校門で待ち合わせし、担任についていくと大きな一軒家に辿り着く。入口には逢守と書かれた表札があった。
「紗夜紀? 小夜千の下にもう一つ名前がある」
インターフォンを押そうとしている担任の傍らで聖花がぽつりと呟く。
「逢守は双子の弟がいるんだよ。うちの学校にはいないみたいだけどね」
言って、担任はインターフォンを押した。
中から小夜千にそっくりな優しげな顔立ちのショートカットの女性が出てきた。ほんわかした雰囲気はきっと母親譲りなんだろう、と聖花は思う。
中に入るよう促され、聖花は担任にくっついて逢守家の敷居をまたぐ。
「もしかして小夜千のお友達の聖花ちゃん?」
「あ、はい」
リビングに通されてから急に話しかけられ、聖花は戸惑いながら頷く。
「やっぱりっ。そうだと思ったの。金髪でお人形みたいに可愛くて優しい友達がいるんだって、いっつも小夜千が楽しそうに話してたから」
はにかむように笑って言う母親が聖花には小夜千と重なって見えた。
「今はもう起きてると思うから、小夜千の部屋に案内するわね。すみません、先生。こちらで少しお待ち頂けますか?」
母親はソファーに腰掛けた担任に会釈し、聖花を二階の部屋に案内する。
「聖花ちゃん、小夜千と仲良くしてくれて本当にありがとう。よかったらこれからも仲良くしてあげてね」
階段を上り終え、振り返って言う母親。
「もちろんです」
その聖花の返事を聞いて零す母親の笑みには、何故かあまり元気が感じられなかった。
「小夜千、お友達がきてくれたよ」
ノックしてからドアを開ける。
「え……? せ、聖花ちゃんっ!?」
ベッドの中で半身起こし、本を読んでいた小夜千は聖花の姿を見つけるなり驚いて声をあげた。
「私は先生と話があるから下に降りるけど、ゆっくりしていてね」
聖花に小声でそう告げ、母親は降りていく。聖花はそのまま小夜千の部屋に入って、彼女の近くに歩み寄った。
「体調、大丈夫なの?」
「うん、今は平気だよ。でも病院の先生が言うにはあんまりよくないみたい。だから学校も休むように言われてて」
本を閉じて、母親とそっくりな笑みを浮かべながら言う。さっき見たばかりだからか、より似ているように感じられた。そして二人ともどこか覇気がない。
匂いが薄まっているような気がした。
人間の甘い匂いは大人になる儀式を終えることで無臭になると言われている。しかし薄くなるということは聞いたことがなかった。不信に思いながらも聖花は目の前の小夜千との久しぶりの会話に花を咲かせる。
なんでもない日常のこと、学校のこと、本のこと……なんてことない会話だが、それでも小夜千と話している時は不思議と楽しかった。なにより心が安らいでいるような気がした。
悪魔である自分に“安らいでいる”という感覚があるのかわからないが、あるとしたらきっと今のような気分のことだろうと聖花は思う。
そんな楽しい会話の流れが一旦終わりを迎えたところで、小夜千が薄い笑みを浮かべたまま俯く。
「どうしたの?」
俯いて、布団の上で拳を握っている小夜千を見て、聖花は心配そうに問うた。
「実は私ね、明日から病院に入院することになったんだ。だからまたしばらくは学校で会えないね……寂しいな」
布団を握りしめながら言う小夜千に、それがなんだと言わんばかりに聖花は答える。
「そっか、じゃあ私が病院まで遊びに行くよ」
「えっ!? きてくれるの……?」
「うん。だって小夜千寂しいんでしょ? 私も小夜千がいないと寂しいし」
聖花はそれを口しながら違和感を抱かずにはいられなかった。寂しいという感情はこういう気分なんだろうか? と何度も自問自答する。
小夜千が欠席の間、顔が見れないことが寂しかった。話せないことが寂しかった。一緒にいれないことが寂しかった。
寂しい、という感情を深く感じていたのは自分だ。
「小夜千が一人でいる時も寂しくならないように、図書室で本借りてきてあげるわ。なにがいい?」
「ほんとっ!? やったー! そうだなあ、なんにしようかなあ……」
口元に人差し指を添え、嬉しそうに唸り出す小夜千。そんな姿を見ているだけで、聖花は満足だった。
こんな寂しいなんて感情を小夜千には抱かせたくない。抱かせるぐらいなら、自分の出来ることをしてあげたい。
いつしか聖花は本気でそう思うようになっていた。まるで人間のように。
「逢守さん、帰るよー家まで送るから降りておいで」
一階から担任の声がし、聖花は小夜千にまた明日会う約束をして階段を降りた。
「あの、おばさん」
逢守家を出て、見送っている母親に聖花は再度近づいていく。
「どうしたの? 忘れ物?」
「ううん。また明日も小夜千に会いにきます。明後日も明明後日も、体調がよくなるまできます。だから入院する病院教えて下さい」
「……ありがとう、聖花ちゃん。ちょっと待っててね」
一旦家に戻り、病院の名前と簡単な地図を書いたメモ紙を聖花に手渡した。
「ありがとうございます。じゃあまた明日……」
と、言いかけたところで、聖花は母親の表情が歪んでいることに気付いた。
「おばさん……?」
「ううん、ごめんね、なんでもないの……ありがとう、本当にありがとう、聖花ちゃん」
母親が何故顔を両手で覆い隠しているのか、今の聖花には理解出来なかった。今の彼女にはまだ、喜んでいるのか、悲しんでいるのか、理解することが出来なかったのである。
「行くぞ、逢守」
その空気を取っ払うかのように、いつもの調子と打って変わって真摯的な低い声色で担任が聖花に声をかけた。
門を出て、もう一度振り返り、その場で屈んでしまった母親を見ても聖花は首を傾げることしか出来ない。
そういえば、どうして何度も“ありがとう”って言うのだろう。そう、疑問に思いながら聖花は担任と共に帰路についた。
それから毎日のように聖花は小夜千の入院先に通った。放課後だけではなく、休みの日も決まって小夜千の所へ行くようになっていた。
毎日通うようになって聖花にも気付いたことがある。
小夜千の匂いは日に日に薄まり、顔色も目で見てわかるぐらいよくなかった。半身起こすのもつらそうで、横たわったままになることが増えていった。
「ごめんね、聖花ちゃん。寝たままで……」
「いいよ、別に。眠かったら気にしないで寝ていいから」
それでも聖花は彼女の傍にいたかった。例え話せなくても、彼女を一目見るとほっとした気持ちになれるからだ。
そのまま瞼の重さに負け、瞳を閉じて寝息をかきはじめた頃、
「聖花ちゃん、おなかすいてない?」
小夜千の母親が入ってきて聖花に声をかけた。
食物をとらなくてもお腹は空かないので、その問いにどう答えるべきか迷っていると、
「聖花ならもう今日は起きないと思うから、なにか甘い物でも食べに行きましょう」
手招きされ、小夜千と母親を何度か見比べて、聖花は母親の元へ行く。
「一回眠るとね、起きるまでに結構かかるの。起きてるのがつらいみたいでね」
と、言ったところで母親ははっとして口を閉ざす。
「お、美味しいお店が近くにあるの。そこに行きましょう」
まるで話を逸らすかのように慌てた様子で言う。聖花は黙って母親についていった。