(5)
「なにこの温度差……なにがあったのさー?」
座覇家に戻ってきた輝十と埜亞を見るなり、怪訝な顔をする杏那。
その問いは浮遊したままで誰も答えることはなかった。その代わりに杏那の目に移ったのは、にこにこしている埜亞とげんなりしている輝十である。
「私、ちゃんと聖花さんに向き合ってもらえるまで頑張ろうと思いますっ! 聖花さんも大事なお友達ですから!」
「う、うん?」
杏那は対照的な二人を交互に見ながら、力んで宣言する埜亞の言葉に曖昧な返事をする。
「今にも死にそうだけど大丈夫?」
生気が抜けて今にも死にそうな顔をしていたので、杏那は心配そうに輝十に声をかけた。
「なぁ、杏那。俺はどうしようもない童貞だよな……」
「ちょ、輝十しっかり! まだ希望を失うな!」
口から魂的なものを吐き出しながらの自虐発言。いっそう心配になった杏那は、輝十が三途の川に逝ってしまわないように両肩を掴んで激しく揺らす。その傍らではまるで未来を見据えるようにキラキラしている埜亞がいて、なんともシュールな絵面になっている。
「ま、まあ……なにかあったのは間違いなさそうだけど」
杏那は二人を交互にじと目で見る。すっかり拗ねた輝十はベットの片隅で体育座りしてしまった。しくしく泣き出した輝十は無視することにして、杏那は埜亞に本を渡す。
「黒子ちゃん、こーれ。いつも抱きしめてるやつ。落としてったでしょ?」
「ひやぁっ!? あ、ありがとうございますっ!」
埜亞が受け取って中を確認しているのを見て問いかける。
「その本に挟まってた魔法陣の描いてある紙ってさ、もしかして瞑紅聖花に貰ったの?」
「はいっ。でもまだなんの魔法陣かわからなくて……帰ったら調べようと思ってます!」
杏那は意味深げに頷いて見せた。杏那の反応を見て首を傾げる埜亞に、
「確かに黒子ちゃんには使いこなせるかもね」
それとなく言った言葉が彼女のスイッチをオンにしてしまう。
「この魔法陣についてご存じなんですか!?」
勢いよく身を乗り出す埜亞にさすがの杏那も目を丸くした。
「まあまあ、落ち着いて」
「落ち着いてなんかいられませんよう! 見たこともない魔法陣なんですよっ!? この円盤から一体何が起こるのか想像するだけで胸が弾け飛びそうです……」
まるで恋する乙女のような顔でうっとりする埜亞。杏那は苦笑いしながら振り返って輝十の方を向くと、輝十が小汚い顔をしてこっちを見ていた。そしてすぐさま膝に顔を埋めて落ち込んでしまう。
「あはは……」
杏那は気の毒そうに乾いた笑いを零した。その間も埜亞は答えを求めて詰め寄ってくる。
彼女が一度こうなったら求める答えを提示しない限り落ち着くことはない。それは杏那もよくわかっていたので、躊躇いながらもその答えを口にすることにする。
「その魔法陣はね、シンクロナイゼーション効果がある魔法陣だよ。発動者と対象物が同期することが出来る。つまり対象物の気持ちがわかるってことかな」
「気持ちがわかるんですか……?」
埜亞も何かに気付いたらしく、杏那はそのまま説明に入る。
「うん。高等魔法陣だよ、それ。さすがの栗子学園でも教えないと思うな。物凄い情報量が一斉に発動者に流れ込むし、他人の感情を一瞬で受け止めなければならないからね。並大抵の人間のメンタルじゃ扱いきれないんだよ」
言いながら杏那は背後のいじけた人物を指す。
「例えばああいう打たれ強い人間なんかが使ったら、精神と肉体が崩壊して一瞬でBAN!」
自分が話題にされたことに気付いた輝十は振り返り、のそのそと近づいていく。
「そんな危ねーもん、なんで埜亞ちゃんが持ってんだよ」
「黒子ちゃんだから、じゃない?」
二人の視線を受け、自分を指差してきょとんとする埜亞。
「私だから、ですか……?」
はっとした様子の輝十が納得したといわんばかりの顔をした。
「あーなるほどな。確かに埜亞ちゃんなら使いこなせるかも」
「でしょー? 黒子ちゃん選んだのは間違ってないと俺も思うね」
二人で顔を見合わせて納得しているが、埜亞には自分の何が適任なのかわからずやきもきしていた。そのせいか無意識に口を尖らせてしまっている。
ちょっと拗ねた様子の埜亞も可愛いなーなんて思いながらも、輝十は思ったままのことを口にした。
「埜亞ちゃんはさ、自分が思っている以上につえーってことだよ」
「つ、つよい……? わ、私がですかっ!?」
埜亞は予想だにしなかった答えに驚き、声が上擦ってしまう。
「自分が好きなものを好きで居続ける勇気っつーの? 今まで周りになんて言われても一人でずっとやってきたわけだろ」
「人間の女の子は集団性が高いしねえ。そんな中で周りに媚びず、自分を貫くのって凄いことなんじゃない? ねー?」
杏那に同意を求められた輝十がまるで厳格な父親のごとく腕を組んで大きく頷く。
「そ、そんなこと……ないです。ただ、私が媚びるのが下手で、嫌われ者なだけで……」
「今まで学校は休んだりしてたのか?」
「い、いえっ。学校を休んだことは一度も……」
輝十は埜亞の分厚い本からはみ出てる魔法陣の紙を抜き取るなり、埜亞の顔の前に突きつける。
「媚びるのが下手で嫌われ者だって思ってても学校休まなかった。埜亞ちゃんは自分が悪いことしてるって一寸たりとも思ってなかったんだろ?」
「もちろんですっ! どんなに気持ち悪がられても、私は聖花さんや妬類くんのような悪魔が好きですし、魔法も魔術もすきです!」
「そんだけ意志が強いんだから、やっぱ強いって。自信持てよ、な!」
輝十はそっと埜亞の膝に魔法陣の描かれた紙を置く。
「そうそう。傷みを経験してる人間の方が他人の気持ちを理解出来るって言うじゃんね」
「そう、なんでしょうか……?」
もちろん自分はわからないが、二人がそう言ってくれるならそうなのかもしれない、と不思議に思えてくるのだった。
話のきりがよくなったところで、杏那がわざとらしく咳払いして見せる。
「ではでは、お二方。時計をご覧下さいましー」
言われるがままに輝十と埜亞は揃って時計を見る。
「んなっ!? もうこんな時間かよ! 埜亞ちゃん、そろそろ帰らないとやばいんじゃ……」
「えー夕食も食べてったらいいんじゃないのー? なんならお風呂もぜひぜひ!」
「なに気軽に誘ってんだよ! てめーんちじゃねえだろ!」
恒例すぎる二人の取っ組み合いを見て、
「あ、あのっ……」
埜亞はおどおどしながら声をかける。
「あ、いや、埜亞ちゃんが大丈夫っつーんだったら別に夕食食べてってもだな……」
本心ではもちろんいてくれても構わない、と輝十は思っていた。ただそれを杏那が言うと無償に苛立ってしまうだけである。
輝十は気を取り直して、もじもじしながらも小声で誘ってみる……が。
「いえっ。今日は帰って魔法陣についてじっくり考えてみようと思います」
いつもの埜亞なら照れながら悩む素振りでも見せるというのに、あまりにもきっぱり断るので輝十は拍子抜けてしまった。
がっかりしている輝十の背中を思いっきり叩いて、まるで「どんまい」とでも言いたげな顔でにっこり笑う杏那。言い返すことも出来ず、輝十は歯を食いしばって睨み返した。
わかってる、わかってんだ。埜亞ちゃんの言葉にはいつだって深い意味はない。今のだって本当に魔法陣について考えたいだけなんだからな。そうなんだからな! そうなんです……よね?
やや不安になりながらも、それでもさっき痛い目にあったばかりなので、やはり深い意味はないだろうという結論に至る。ならば仕方がないわけで、輝十は気持ちを切り替えた。
「んじゃま、送ってくよ」
「いえいえいえいえいえっ! そんな悪いです! だ、大丈夫ですから!」
輝十はカーテンを開けて外を見せる。
「んな暗い中、女の子一人で帰らせるわけにはいきませんっての」
「で、でもぉ……」
「御言葉には甘えた方がいいんじゃない? 見ず知らずの野生の狼に食べられるよりは、見知った狼の方がねー?」
「狼、さんですか?」
杏那が何を言っているか、埜亞にわかっていないのが唯一の救いだった。にやにやしながら至らぬ知識を埜亞に吹き込んでいる杏那に輝十は飛び蹴りをかます。しかし見事に避けられてしまい、二人はまるで時を経て出会ったライバル同士かのように戦闘の炎を燃え散らした。
「あ、あのっ! もしかして狼男さんの話ですかっ!?」
二人が対峙している間にそこに行き着いた埜亞は再びスイッチをオンにして目を輝かせ始めたので、輝十と杏那は揃って即座にそれを否定した。この時ばかりが誰もが認める程に意気投合した瞬間である。