(4)
杏那は輝十に目配せし、輝十は埜亞に目配せする。もちろん代弁することは簡単だが、これは埜亞の口から訊いた方がいいのでは、という配慮だ。
埜亞は輝十のアイコンタクトに気付き、頷いて見せる。
「あ、あのっ! せ、聖花さん!」
「……なによ」
なんとなく流れと雰囲気で状況を察した聖花は、あからさまにむっとした顔をした。
「きゅっ、急に呼び出してすみません。どうしても気になって……」
「なにが?」
聖花はベッドに腰掛け、紅茶に口をつけるなり、足を組み替える。視線はティーカップに向けられたままであり、埜亞と目を合わせるつもりがないと知らしめているようだった。
「聖花さんは親友さんのことをかつての友人という言い方をしました。かつての友人とはどういうことなのでしょうか……?」
一度もどもらず、真摯な瞳で聖花を見つめながら問う埜亞。
その様子を見れば、聖花はもちろんのこと、輝十と杏那も彼女がただの興味本位ではなく本当に気になって訊いているのだとわかる。
彼女にとって“友達”とは今まで存在しなかったものであり、“友情”という感情に関しては赤子のようなものなのだ。だからこそ出会えた友人が過去形になることが理解出来ない。そしてそうなりたくない、そうなるのがこわいのである。
どうして友人が過去形になってしまうのか。彼女の中では色んな感情が渦を巻いていた。
想像したくないし、そうなりたくもない。今いる初めての友達を失うなんて考えたくもない。そうなったら悲しい……だから、聖花も悲しかったのではないだろうか? そんなことが彼女の脳裏を過ぎり続けていた。
「その話、ね。そんな気がしたのよね」
言って、聖花は三人の顔を見る。そして一拍おいて小さく深呼吸をするなり、
「きゃあっ!」
「ちょ、聖花!? いきなりなにを……!」
無言で埜亞を蹴り倒す。
もちろん本気ではないし、彼女が体を痛めるような蹴り方はしていない。それは見ていた輝十も杏那もわかっていた。しかしじゃれ合うような蹴り方ではないことも同時に察する。おふざけではないのだ。
突然蹴られた埜亞は驚いて悲鳴をあげ、後ろに転がる。パンツが丸見えになり、輝十が喜びと共にあわあわしているのを杏那はじと目で見て、そっとブレザーを足下にかけて隠した。
「あんたが今まで友達いなかったのは知ってる。そういう経験が少ないのも見てて理解してるつもりよ。だから覚えておきなさいね。これはやっちゃいけないことだって。よかったわね、私が人間の女じゃなくて」
そう言って聖花は立ち上がるなり、ドアへ突き進んで背を向けたまま立ち止まり、
「帰る」
呟いて、部屋を出てった。
「ちょ、聖花! おい!」
輝十が聖花を追いかけたのを見て、杏那は放心状態の埜亞の目の前で屈んで向き合う。
「瞑紅聖花がなんで怒ったかわかるー?」
埜亞は泣きそうな顔で俯いて、首をゆっくりと横に振った。
「黒子ちゃんはさ、例えば悩み事を打ち明けてはいないけれど、悩んでるってことを輝十に伝えてたとしたら……輝十にどうして欲しい?」
「……座覇くんに悩みを聞いて欲しい、って思うと思います」
「聞いて欲しいから“悩んでる”ってことを伝えるわけでしょ?」
埜亞は小さくこくりと頷く。
「つまり「なにか悩んでるのか?」「どうしたんだ?」っていう一言が欲しいわけだねえ」
埜亞が再び頷く姿を見ながら杏那はなお続ける。
「輝十にそのたった一言を言ってもらえれば嬉しいよね。でも埜亞ちゃんがしたことが違ったでしょ?」
はっとして埜亞は勢いよく顔をあげる。
「ま、心配した輝十が先に声かけちゃったってのもあるんだけどさ。本当は俺らに相談する前に瞑紅聖花本人に向き合って問うべきだったんじゃない? 本人のいないところでこういう話をしたって答えは出ないし」
埜亞は飛び上がるように立ち上がり、
「わ、私! 聖花さんに謝ってきますっ!」
慌てた様子で部屋を出ていき、その際にいつも肌身離さず持ち歩いている分厚い本を床に落としていく。
部屋を飛び出す埜亞に杏那は手を振り、聖花が食べずにいたケーキに手をつけようとして本の隙間から何か出ていることに気付く。
「ん? 魔法陣……?」
ケーキを頬張りながら本を開き、挟んである魔法陣が描かれた紙に目を向ける。
「また複雑な術式を。なるほどねえ……」
「おい! おいってば!」
輝十は聖花の腕を掴んで、半ば無理矢理引き止めた。
「おまえ足速すぎだろ……」
聖花が立ち止まったのを確認し、膝に手を置き、息を切らして肩を揺らす輝十。一方で聖花は背を向けたまま振り返ろうとしない。
「なあ、なんで怒ってんだよ。いやまあ、きたときから怒ってたけどよ。あれは杏那が……」
「違うわ。違うのよ、だーりん」
輝十の言葉を遮る聖花。
「怒っている理由に彼女が気付かないといけない。学ばないといけないのよ。私はスクブスだもの。大して気にしてないわ」
輝十はそのままフリーズした。聖花が何を言っているのか理解出来なかったのである。
返答がないことに疑問を感じた聖花が振り返ると、案の定疑問符を頭上で飛ばした輝十が硬直していた。
「ぷっ……!」
聖花は思わず噴き出してしまう。
「な、なんで笑うんだよ!」
「言ってる意味、わかってないんでしょ? だーりん」
恥ずかしそうに頷く輝十。
「そんなとこがまた可愛いのよね、だーりん。女に無知な童貞っぽいところ」
「うっせーほっとけ!」
一日何回童貞扱いされなきゃいけねえんだよ、俺は! 童貞でもいいじゃない! だって人間だもの!
「気になるなら私に直接聞けばいいわ。聞きにくいかもしれないし、私がその問いを突き飛ばすかもしれないけどね。それでもだーりん達に問うのは向き合う相手が違うの。しかも異性よ? 異性を巻き込むのは関心しないわね。人間の女なら面倒なことにだってなりかねないわ」
輝十は見る目が変わったと言わんばかりに、関心した様子で聖花を見る。
「聖花、おまえ……絶対、人間好きだよな」
「んなっ! べ、別に好きじゃないわ! 勤勉なだけよ」
「好きじゃなきゃそんな勉強しねーだろ。俺より女に詳しいんじゃ……」
「まあ、そこは否定しないわね」
「否定しないのかよ!」
またしても噴き出す聖花。
笑われてばかりで恥ずかしさ半分情けなさ半分で調子狂いながらも、輝十は話をまとめる。
「つまりあれだろ、おまえは埜亞ちゃんに訊いて欲しかったってことだろ?」
直球で問われた聖花は面食らう。そして間をあけ、
「そう、かもね」
曖昧に返事をした。
「せ、聖花さんっ! ひやぁっ……!」
その時、後ろから追いかけてきたらしい埜亞の声がして、二人が同時に振り返った時には勢いよく転倒した後だった。
「なにやってんのよ、あんた」
聖花はその姿を見て呆れた様子で苦い顔をする。
「あ、あのっ! すみませんでした! 私、全然わかってなくて……」
埜亞はそのままその場で正座し、なんと土下座して謝罪し始めた。その様子を道行く人が不思議そうに眺めている。
「ちょ、埜亞ちゃん! ここではまずいって!」
「え……?」
事態が理解出来ていない埜亞は何故だめなのかわからず、輝十の声かけに不思議そうな顔をする。そのやりとりを見て頭を抱え、溜息をつく聖花。
「とりあえず立ちなさいよ、みっともない」
聖花は無理矢理腕を掴んで埜亞を立たせた。
「は、はいっ。すみません……」
「で。謝った理由は? 謝るからには自分が何かしたっていう自覚があるわけでしょ?」
「はい。座覇くん達に訊くよりも先に聖花さん本人に問うべきだったなって……」
「……そう」
瞳を閉じ、その言葉を噛みしめるように返事をした後、聖花は踵を返す。
「お、おい。聖花?」
そこまできいておいて歩き出す聖花が理解出来ず、輝十が声をかけるが振り返らない。
「き、気になったんですっ! 聖花さんと親友さんはどうして“かつて”の友人になってしまったのか……聖花さんはきっと今もその親友さんのことが好きなんじゃないかなって、私の勝手な憶測ですけど、でもっ、そう思ったんです。だ、だから……!」
聖花は足を止め、しかし振り返らず、
「仕様がないじゃない。どうしようもなかったんだもの」
聖花らしからぬ弱々しい蚊の鳴くような声で呟き、そのまま去って行った。
「聖花さん……」
すっかり落ち込んだ様子で肩を落としている埜亞を見て、そっと肩に手を置く輝十。
「聖花さんはまだ怒ってるんでしょうか……?」
今にも泣き出しそうな顔を見せたくないのだろう。埜亞はフードを深く被って俯いてしまった。
「いや、全く怒ってないと思うぜ。むしろ追いかけてきて嬉しかったんじゃねえかな。ほら、あいつ素直じゃないから」
輝十は少しでも気持ちを明るくしてやりたい一心で、不安そうな埜亞に微笑みかける。本当に聖花は全く怒ってはいないと思ったのだ。むしろ聖花は自分よりも埜亞のことを考えているんじゃないだろうか。
「今ここで話す気分じゃないってだけだろ。埜亞ちゃんの言いたいことはきっと伝わってるよ。なっ?」
「座覇くん……」
励ますように弾んだ声色で声をかける。それしか今の自分には出来ないからだ。
埜亞はそんな輝十の気遣いが嬉しくて、でもその嬉しさをどう表現すればいいかわからなくて、暴れ出しそうな今の気持ちをぶつけるかのように無言で輝十に抱きついた。
「んなっ!? ちょ、のっ、埜亞ちゃん!?」
驚いた輝十は受け入れることも拒否することも出来ず、ただ両手を浮遊させたままである。
「座覇くんは本当に優しいです」
きゅっと小動物のように抱きつく埜亞が可愛くて、どうしようもない気持ちにさせられる。彼女の言葉には裏がなく、真っ直ぐで、本当にそう思ってくれているんだということが深く伝わってくるのだ。
輝十はその頭を優しく包み込んで撫でた。そんな彼女が愛しく思えてしまったからだ。今、自分は何をやっているんだろう……と冷静になっている自分もいる。その反面、男たるものこの場面で男を見せないでどうする! という自分もいる。
しかしどんな自分も最後に行き着く答えは、今の彼女が可愛くて仕様がないということだった。
「私、そんな座覇くんがだいすきです」
「の、埜亞ちゃん……」
輝十は抱きしめたい衝動にかられ、いっそ強くぎゅっと抱きしめたい思いでいっぱいになる。その小さな肩をもっと自分に引き寄せて、すべてを包み込んでしまいたい気持ちにさせられた。
弾力感溢れる柔らかい膨らみが自分の体に押しつけられ、その部分だけが過敏に反応してしまう。その柔らかさ……プライスレス!
どうしよう、もう俺、我慢が……。
「だ、だから……ずっと、ずーっと、一番の友達でいてくださいっ!」
「友達……」
輝十は瞬時に抱きしめようとしていた手を引っ込めた。それはもう、高速で。
ですよねーそういう意味ですよねー深い意味なんてないに決まってますよねー。
泣いた。声に出さず、顔に出さず、心の中で魂と共に全力で泣いた。
輝十は抱きつかれたまま、複雑な思いでいっぱいだった。