(3)
埜亞もまたティーカップを手に取るがその手が震えており、カタカタと音を鳴らす。
「あちっ!」
「お、おい……大丈夫かよ」
「も、問題ないですっ!」
制服を整え、落ち着いた空気になったところで、埜亞に緊張の波が再び襲いかかったのである。友達の家に再び入れて貰えるという実感が嬉しくて、恥ずかしくて、仕様がないのだ。
「そうそう。言わずもがな、おまえはこれな」
「さすが解十さん! わかってらっしゃる!」
ベットから飛び降りて、チョコレートケーキのホールを受け取る杏那。埜亞はそれを不思議そうに見つめ、
「もしかしてっ! テレビで見かける、顔に投げるあれですか!?」
と、本気で質問を投げかける。
「なるほど。投げて欲しかったのか、杏那」
輝十はにやにやしながらホールケーキを奪い取り、投げる構えをする。
「ちがう! ちがうから! 糖分の補給に必要な量ってだけだから!」
言って、杏那は慌てて輝十からホールケーキを奪い取った。
「で、さっきの続きだけどよ」
輝十は目の前の苺のショートケーキにフォークをさしながら問いかける。
「その小夜千って奴がなんかあんのか?」
「えっ……!」
埜亞はあからさまに同様し、さした苺を皿の上に落としてしまった。
「だってよ、埜亞ちゃん微妙な反応してたじゃんか。深刻そうな顔してさ」
ここまできてそれを言わずにいるわけにはいかないだろう、と思った埜亞はそっとフォークを置き、拳を膝の上に添える。
「聖花さん、その小夜千さんのこと“かつて”の友人って言い方をしたんです」
「かつての友人? それって今はもう違うってことか?」
「わかりません……」
うーん、と唸り出す輝十。その後ろでホールケーキを半分食べ終えて女型になった杏那が頬にクリームをつけたまま、
「本人に聞けばいいじゃーん」
なんて、あっさりと言いのける。
「あのなぁ、そりゃそうだけどよ。聞きにくいことってのもあんだろーがよ。しかも俺らは聖花に直接この話を聞いたわけじゃねえんだし」
杏那はフォークで美味しそうに苺を口の中へ放り込む。
「ふーん、気遣いってわけね。でも憶測で話し合ったって真実はなにも見えないと思うよ? 結局は本人から直接聞くか、自分の目で確かめるか、しかないんだからさ」
言っていることは正しい。それがわかっている輝十は苦い顔をして二の句が告げずにいる。
「埜亞ちゃんはどうしたいの? その小夜千って子と瞑紅聖花になにがあったのか、知りたいの?」
言いながら、杏那はさりげなく埜亞の皿から苺を奪い取ろうとして、輝十に手を叩かれる。
埜亞は答えず、俯いたまま口を紡いだ。そして意を決したように顔をあげ、
「知りたい、んだと思いますっ。気になるというか……聖花さんに近づけるかなって」
「他人の過去なんて知ってどうにかなるってもんじゃないと思うけどな。でも知りたいって思う、その好奇心は女の子特有なんだろうよ」
「……と、素人童貞が申しております」
言って、杏那は輝十の皿から苺を奪い取る。
「あああっ! てめえ、人の苺とりやがったな! つーか、プロの世話にもなったことねえよ! 高校生! 俺、高校生だからな!」
勢いよく立ち上がって、苺を奪い返そうとする輝十。
いつものように繰り広げられる取っ組み合いを眺めながら、埜亞は真顔で首を傾げる。
「しろうとどうてい……って、なんですか?」
そしてそれが何かわからずに、口に出して質問してしまう。
「ほらほらぁ、黒子ちゃんが「なんですか?」って聞いてるよー? 答えてあげなくていいのかなー?」
「ぐぬぬ……」
頬を突かれ、しかし答えるわけにもいかず、輝十は歯を食いしばって杏那を睨み付ける。
「あ、そうだ! 俺、紅茶のおかわり入れてこよーっと」
「おい、こら! 杏那!」
杏那は軽やかに輝十を交わし、一気にケーキを平らげるなり、ティーカップを持って部屋を出ていく。
「あいつ……」
上手く逃げられてしまい、この場に埜亞と二人きりにされてどぎまぎする輝十。
「あ、あのっ……座覇、くん!」
「は、はい」
「しろうとどうでいって、なんなんでしょうか……?」
「え、まだ聞いちゃうのそれ……」
好奇心旺盛の埜亞にとっては、やはり聞いておきたい単語なのだろう。
「は、はいっ。気になって……童貞さんが三十歳を超えると高貴なる魔法が使えるってことはわかったんですが、素人の童貞さんは童貞さんとなにが違うんでようか?」
輝十は胸が締め付けられる思いだった。あまりの苦しさにテーブルに頭を何度も打ち付ける。
この質問に、しかも埜亞からの質問に、答えなければいけないなんて、なんという拷問か……!
「つ、つまりだな……戦場での実践をこなしていない童貞みたいなもん、かな……?」
「なるほどっ! 訓練は受けているけれど、実戦経験がないってことですねっ!」
「う、うん……」
なんだろう、この心臓を何度も串刺しにされるような拷問級の痛さ。目を輝かせて言う埜亞の姿を見るのがつらい。そんなことを言う為にその素晴らしいおっぱいを揺らしていることが切ない。せっかくなら体操服姿でランニング中に揺れ続けるおっぱいとかがよかった……。
「座覇くんは……訓練は受けているってことなんですか?」
「はああああっ!? あ、いや……受けてない受けてない受けれない! ち、知識? そうそう、独学で多少嗜んでいる程度!」
埜亞は目を輝かせたまま、
「独学なんてすごいですっ!」
輝十の手を両手でがっしりと握り締め、
「ぜひっ、私にも教えてもらえませんか……?」
曇りのない純粋で純白な瞳で見つめる。
「えっ!」
「ぜひぜひっ、一緒に知識を深めましょう!」
こういう話題になると食いつきのいい埜亞は積極的にぐいぐいと輝十を押しやり、輝十は目の前にある埜亞の顔と豊満な胸とを交互に見ながら、オーバーヒート寸前だった。制服の上からもはっきりくっきりわかる柔らかそうで弾力のある肉厚が今にも飛び出てきそうである。
「ちょ、ま、待った! 待ったあああ!」
「そうおっしゃらずっ!」
こういう話題になると埜亞は絶対にひかないのだ。身を乗り出し、輝十に詰め寄っていく。
「わーった、わーったから! ちょっと待っ……」
と、言いかけたところで、
「きゃあっ!」
埜亞が勢い余って輝十を押し倒してしまう。
「……で、これのどこが緊急事態なの?」
瞬間、部屋のドアが開け放たれ、その入口に聖花が仁王立ちしていた。
「あれー? 予想外の展開に……」
紅茶を啜りながらどうでもよさそうに杏那は言う。
「一体なんなわけ? 私はだーりんが大変なことになってるっていうから飛んできたのに!」
とりあえず部屋に入り、紅茶を運んで腰を下ろしてもらったが、聖花の機嫌は一向によくなる気配がなかった。
「まあまあ、大変なことにはなってたじゃん。もう少しで性的な意味で、ねえ?」
「ねえ? じゃねえよ! 全部てめえのせいだろーが!」
杏那が聖花を宥めようとするが逆効果で、聖花は不機嫌な様子で腕を組んだまま舌打ちする。
「用がないなら帰りなさいよ、あんた達!」
一瞬、この場にいる誰もがその発言を理解出来ずにフリーズする。
「「用がないなら帰る」じゃなくて?」
「えー? どうして? せっかく久しぶりにだーりんの家にきたんですもの。ゆっくり、まったり、しっとり、二人っきりになりたいに決まってるじゃない」
輝十の問いに猫撫で声で答えてすり寄っていく聖花。四つん這いになるその姿はさすがスクブスであり、漂う色香は人間の女子高生の比ではない。使える武器は使う主義だ。つまり目の前に迫ってきている谷間は完全に武器として、輝十を打ちのめそうとしているわけである。
「はいはーい。規制しまーす」
「ひゃあっ!?」
言って、輝十と聖花の間に無理矢理埜亞を押し込む杏那。
聖花は埜亞を横目で睨み付け、輝十は完全に楽しんでいる杏那の胸倉を掴んで今にも飛びかからんとする。
「まあまあ、落ち着いて。本題に入ろうよ。ねっ?」
「本題……?」
その意味深な台詞に聖花が反応を示す。