(24)
思い出したと同時にどうして“この記憶”だけなかったのか、と杏那は疑問に思う。
「ああ、俺もだ。でもよ、なんでだ? おまえのことだけ全く覚えてなかったぜ。入学式が初対面のつもりだったし」
同じく思い出した輝十も同じ疑問を抱いていた。
「そうか、この記憶だけ……いや、輝十の記憶だけ……」
「俺の記憶?」
杏那の呟きに輝十は欠かさず反応を示す。
「俺の記憶にはね、プロテクトのようなものがかかってたんだよ。厳重にロックされてね」
「そのロックされてた記憶が俺とのことだった、ってことか?」
「うん。間違いないと思う。この光景に……見覚えがあって、でも今まで隠されていたかのように記憶が全くなかったんだ」
「つまり、逆にいうと俺もおまえの記憶だけなかったってことか。ま、なくても別にいいけどな」
輝十の冗談には突っ込まず、じゃれ合う幼い子供二人を直視したまま動かない杏那。なんだよ、陰気くせーなーと思いながらも輝十はその視線の先を追うようにして目線を重ねた。
「杏那くんは輝十と同い年になるのか?」
「ピルプ換算ではそうなるね」
解十の問いに杏那の父が答えると、
「じゃあ、そのうち同級生になるねっ。私達の時のように」
嬉しそうに久莉夢が口を挟んだ。
「そうだね。それまで学園があればだけど」
「大丈夫よ。私が学園を維持させるからっ!」
変わらぬ幼い顔立ちの久莉夢が胸を張って言う。
「……そうなる必然的に私も協力することになるな」
きりっとした顔立ちに笑みを含ませ、リコがぼそりと呟く。
「言ったじゃん、おまえ。先駆けになろうってさ。なに急に弱きになってんだよ」
言って、ばしばし背中を叩く解十。
「ちょっと、痛いんだけど。まあ、いいや」
いつもなら冗談に付き合う彼は急に真摯な表情を造り上げる。
「ねえ、解十。保険をかけないか?」
そう言った声色には冗談など微塵も含まれていない。それは解十本人が誰よりも先に気付いていることだ。
「保険? なんだおまえ、保険会社の営業の仕事でもしてんのか?」
それでも冗談で返すのは仕様であり、不可解で不透明な嫌な何かを感じ取ったからだろう。
「違う! そうじゃなくて! 親は子供に夢を託す、って人間は言うだろう? つまりはそういうことだ」
解十と杏那の父は契約しているペア同士。それはこれを眺めている杏那には一目瞭然だった。だからこそ微妙な変化など見逃すはずがない、ということもわかっていた。
「おまえ……なにかあったのか?」
その問いがそれを明確にする。
輝十にはいつものやりとりにしか見えていなかったが、杏那には自分の父の様子がおかしいこと、そしてそれに解十が気付いていること。それらが見てとれたのである。
「そうじゃないよ。もしもの時のための保険ってこと。もし成せなかった時、あの子達に引き継いでもらうんだ」
薄く笑って流す彼に、解十は食ってかかる。
「子供の成長は早いぜ? そのうち自分達で道を見つける。俺らのひいたレール通りには走ってくれないと思うがな」
「それはそれでいいんだ。でも俺達の子供だろ? きっと同じ道を歩むよ。惹かれあうようにね」
「……俺達の子供って誤解を招くようなことを言わないでもらおうか! 俺と久莉夢ちゃんの子供だよ! 一回で出来た命中率100%の……」
と、いいかけたところでリコの手加減を知らない拳で殴られる。
「場の空気を読め」
元々冷ややかな声色なのもあって、場の空気が一喝された。それを穏やかなものにするかのように久莉夢が続ける。
「今はまだ何も知らないあの子達が大きくなって、選択の刻がきた時、互いが互いを選んだら……それってすてきよねっ」
ロマンティックだわ、ときゃっきゃしながら母親らしからぬ若さとテンションで言う久莉夢。
「なんだと……輝十はまだ嫁にはやらんぞ……!」
「輝十くんは男の子だと認識してましたが」
父親の顔をして怒り出す解十に、またしてもリコが真顔でつっこむ。
そんないつもの光景に噴き出しながら、
「選ぶのはあの子達の意志でいい。ただ気持ちとしては託しておきたいってことだよ」
無邪気に遊ぶ二人を遠目に彼は笑顔で付け加えた。
まだ何も知らない幼い二人は、そんな大人達のやりとりなど知るよしもなく走り回っている。
「なぁ」
その会話の流れを聞いて、輝十が杏那に問いかける。
「俺、思うんだけどよ。婚約者ってのはこのことで、別に本当に婚約の意味ってわけじゃないんじゃねえの」
「え? なに? ちょっとなに言ってるか聞こえな……」
しかしわざと聞こえないふりをする杏那。それに腹を立てた輝十が蹴ろうとするが、杏那は可憐に避けてしまう。
杏那は輝十の蹴りを避けながらも“保険が何の意味を成すのか”を理解していた。だが、今ここで輝十に説明しようとは思わなかった。
口で説明するものだとは思わなかったし、それよりももっと気持ちとタイミングが大事だと思ったからだ。その点においては人間で言う“結婚”と似て非なるモノだなぁ、なんて一人で納得していた。
「まあまあ落ち着いて、輝十。それよりもっと驚きべきことがあるでしょー」
「は? んだよ、驚くべきことって」
殴りかかろうとした腕を杏那に掴まれたまま強気に問い返す。
「俺達は親の言う通り、同じ道を歩んでる」
杏那は笑顔を消し、真顔で言い放った。その表情、顔つきはさっき見たばかりの彼そのものだと輝十は思った。
「確かに……そうだな。ま、俺は栗子学園に入れられた時点で誘導されたような気もするがな」
腕を開放され、手を下ろしながら言う輝十。
「でも拒否することも出来たはずだよ。本気で拒否すれば、解十さんは無理強いはしないんじゃないかな」
確かに、と思った輝十は何も言えなかった。
特にやりたいことがあったわけでも、これといって行きたい学校があったわけでもない。父の提案を拒否するだけの“何か”なんて自分は持ち合わせていなかったのだ。結果、今に至っている。
しかし輝十は散々な目にあっても、不思議と後悔はしていなかった。自然と受け入れられていることこそ、血筋なのかもな……なんて思う。
「“助ける代わりに自分の子供を許嫁に”なんて、助けた覚えないのに変だと思ったんだよねえ。でも解十さんのことはずっと昔から知ってたし、チョコレートの味だって覚えてた。微妙に記憶が改竄されてたんだね、きっと」
「つーか、なんで助けた覚えないのにそこで了承したんだよ!?」
「えー? 面白そうだしいっかなーって」
「ノリ軽すぎだろ! ノリで婚約決めんなよ!」
巻き込まれたこっちの身にもだな……とぶつぶつ文句を言っている輝十に、杏那は拳を握り締めて手の甲を向ける。
それを見て疑問符を飛ばしている輝十に、
「でも俺は結果よかったと思ってるよ」
そう言って杏那はいつもの笑顔を向け、輝十はじと目で睨み返す。そしてそっぽ向いて、
「……まあ、俺も友達としてはよかったと思ってるよ。友達としてはな」
言って、一瞬だけ手の甲をこつんとあわせた。
照れくさそうにその仕草をする輝十を見て、杏那は満足げに今度は手の平を差し出した。
今度はなんだ? と、首を傾げる輝十に告げる。
「手の甲をくっつけて、その後に手の平をくっつける。悪魔が人間に敬意を払った時にする挨拶なんだよー? 手の内を見せる、って意味でね」
「手の内、ねえ……」
めんどくさそうな顔をしながらも、輝十は杏那の手の平に軽くタッチした。
「改めて……久しぶりだね、輝十」
「つーか、今更いるか!? その挨拶!」
「いや、なんか懐かしいなーって思ってさー」
「まあ、な」
子供同士が楽しそうに遊んでいる様を見て、その時ばかりはすべてを忘れて思い出に浸った。
目の前の幼い自分達を見ることで、不思議と鮮明に思い出すことができる。込み上げてくる懐かしさと共に溢れ出す感情。
輝十は思わず頬が緩み、それを見た杏那も微笑む。そして互いに目をあわせ、呆れるように笑顔を零した。
まるで幼馴染みと偶然の再会を果たしたような嬉しさが今更ながら沸き上がってくるのだ。今までずっと一緒にいたはずの杏那がより近く感じられ、幼い頃からの友人だとわかっただけで見方は大きく変わる。
それは杏那とて同じだ。輝十をより近くに感じられるし、幼い頃に自分がもっとも親しくしていた人間なのだ。沸き上がる親近感はまるで家族に近いものだった。
瞬間――その思い出に浸る時間をすべて取り上げるかのように。
地面が揺れるのを感じ、地割れが鳴り響き、しかし目の前の幼い自分達や親達は平然としていて。そう体感しているのが自分達だけだと気付いた時には、頭痛と共に瞳を強制的に瞑らされていた。