(23)
アナログテレビの砂嵐のようなものが目の前に現れ、まるでそれは脳に直接電波を送り込まれたかのようだった。激しい頭痛に見舞われ、それが自分だけに起こっていることなのか、杏那もなのか、確認する余裕がないほどだった。
「…………いってえ」
ずきずき痛む頭を抱え、ゆっくりと瞳を開ける。気付くと見覚えのない光景がそこに広がっていた。
「どこだ、ここ」
360度見渡し、場所を把握しようとする輝十。
大木に覆われたそこでは蝉の合唱が響き渡り、暑さを際立てている。木の葉の隙間から入り込んできた日差しが地上を神秘的に照らし、まるで自然のステージのようで。蝉以外に話し声や物音がしないそこは蝉のオンステージだった。
輝十は思わず空を見上げ、あまりの眩しさに腕で顔を隠す。
季節は夏。そして輝十がいる場所はどうやら神社の境内らしかった。
「場所が変わったようだけど、時間軸も変わった気がするね」
同じく頭痛がしていたらしい杏那が傍らで頭を抱え、苦い顔をしていた。
「時間軸……ねえ。今度は一体何を見せられるのやら」
こんな時にこんなことをしていていいのか? あいつらはどうなったんだ……? 輝十はその焦りを感じずにはいられなかった。
足を小刻みに動かし、地面を踏みつける。そんな落ち着きのない仕草を横目に、
「とりあえず今は流れに身を任せるしかないんじゃない?」
そう言いながら、周囲を見渡して状況を把握しようとする。
杏那とて焦りを感じていないわけじゃない。こうしている間に向こうの時間が進んでいるのか、止まっているのか、それでも大きく状況が左右される。
ここが神社ということはわかったが、それ以上何もわからず、揃って険しい表情をしていると、
「なっ!?」
全力で走ってくるやんちゃな子供。輝十を軸にして、円状に走り回り、そして境内の方へ走っていく。慌てた輝十は尻餅ついてしまった。
「おいこらてめえ!」
驚いた輝十は子供に向かって怒鳴るが、全く聞こえていない見えていない様子だった。恐らく、また干渉出来ないようになっているのだろう。
「こら、輝十! 待ちなさーいっ!」
走って逃げる子供に向かって叫びながら、追いかける小柄な女性。
「おい、あれって……」
「うん、理事長だね。あの子供“輝十”って呼ばれてるし、間違いないと思う」
さっき見せられた場面よりも、久莉夢は成長しているように見えた。決して身長が伸びたわけでも、顔が老けたわけでもない。なんとなく雰囲気に落ち着きが感じられたのだ。
「やだー!」
輝十と呼ばれた反抗的な子供は、久莉夢のブラを持って走り回っていた。
「もう! どうにかしてよぉー!」
久莉夢が傍らにいる男に助けを求める。男の方は目で見てわかる程度に成長しており、その姿はより現在に近づいていた。なので輝十も杏那も一発でそれが誰か理解する。
「親父……」
輝十はぼそっと呟いた。同時にやはりあの小柄な女性は母親で、走り回っている子供は自分なのだと実感していく。
「うんうん、男の子はあれぐら元気じゃないとな」
「元気なのはいいことだけど、人の下着持って走り回るのはよくないでしょー!」
「うんうん、人の下着を……って、なんだと!? あれはまさか久莉夢ちゃんの美乳Cカップブラ……」
我が子が走りながらひらひらさせているモノを目にして、絶叫する解十。
「サイズまで言わなくていいでしょ! もぉー!」
顔を真っ赤にして、解十をぽかぽか殴る久莉夢。
「愛する妻の下着を盗むものは我が子でも許さん! 許すまじ……!」
などと、ぶつぶつ言いながら解十は本気を出し、あっという間に輝十との間合いをつめ、目の前に立ちはだかる。
「……輝十」
自分を覆い隠すほどの大きな人影にびくりとする幼い輝十。
「その天使のブラを返しなさい」
輝十は自分が持っているものを取り上げられることに感づき、首を左右に振る。
「やだー!」
「おまえ……それがなにかわかってるのか? それは女の子が女の子である為の神が授けし天使の証を唯一優しく包み込むことが出来る魔法の布なんだぞ!?」
物凄い剣幕で語り出す父に怯えながらも輝十は屈しない。
「や……や、やだー!」
言って、頭に被って見せる。
「お、おまっ! それを頭に被るとは……なかなかの中級者。でもな、それは被るよりも嗅ぐものなんだぞ。まず鼻先に持っていってだな……」
と、語っているところで久莉夢と契約している悪魔であるリコに後頭部を殴られる。
「いってえええええ! 人間相手に本気で殴ったよね!? 今のガチだったよね!?」
「……あなたは人間の部類には入らないでしょう。異端ですよ、異端」
その隙に輝十が下着をなお掴んだまま逃げ出す。
「あ! おい、輝十!」
彼のすばしっこさは悪魔使役士の資格を持っている父をも困らせるほどで、その人間離れした逃走力でちょこまかと避けながら走って逃げる。
その時だった。それを見た、一人の幼い男の子が解十の足下に近寄ってくる。
「おじさん、あいつを掴まえたらなにかくれる?」
「お? きみは……」
解十は男の子と一緒に現れた、その父らしき人を確認し、
「よし、掴まえたら褒美をつかわそう!」
「おっけー交渉成立だねっ」
そう言って、赤い髪の男の子は走って逃げる輝十を追いかけだす。
輝十はすぐに自分を追いかけてくる男の子に気付き、思いっきり睨み付けた。
「なんだよ」
「なんだよってあんたを捕まえるんだよ」
「はん、つかまえられるもんか!」
言って、駆け寄ってくる男の子から距離を置き、飛びつこうとしてくる男の子を可憐に避ける。
「さすが俺の子! 俺の種が久莉夢ちゃんの中で熟成しただけあ……」
と、言いかけたところで無言でリコに殴られる。
「人間らしからぬ下品な発言は控えて頂きたい。そもそも関心するところじゃないだろう……」
「そうだそうだー!」
リコの影に隠れて、久莉夢は解十に向かって舌を出して見せた。
そんなやりとりを横目に、
「ま、見てなって」
子供の父親と思われる赤い髪の男が楽しげに言う。
輝十と男の子は向かい合い、何度も睥睨しあう。
「すばしっこいなぁ、あんた。人間なのに」
「へんっ、走ったりよけたり逃げたりするのはとくいだもんね!」
「ふーん……じゃ、こっちも本気出しちゃおっかな」
と、言った瞬間に間合いをつめ、驚いた輝十はぎりぎりのところで交わす。
「なにいまの! とんだ!?」
「すごっ、今の避けた」
「うわっ、おわっ、なんなんだよもう!」
それでも必死に避け続け、走って逃げようとする輝十だったが、
「うわあああっ!」
追い詰められ、石に躓いて転倒してしまう。
「つーかまえたっ!」
と、ほぼ同時に男の子は輝十に馬乗りになって確保した。
「うわー! なにするんだよー! おりろー!」
輝十はじたばたするが、びくともしない。
「俺の勝ち、だよねっ?」
両手をあげて大人達にアピールする男の子。
「うーん、見事! 捕まえたきみの勝ちだね。褒美は……」
と、言ってチョコレートの入った袋を渡す。
「……なに? これ」
「これね、まだ試作品なんだけどおじさんが作ったチョコレート」
「ちょこれーと? なにそれ」
「まあまあ、食べてみて」
そんなやりとりをしている間も輝十は下敷きになっており、
「どけろー!」
じたばたしているが、びくともしなかった。
「おいしい……おじさん! おいしいよ、これ!」
笑顔を返す解十の傍らで、
「そのうち糖分が必要になるからね。その味、覚えておかないと」
男が笑みを刻みながら男の子の頭を撫でる。
「いいから! はやく! どけろー!」
「あ、ごめんごめん」
チョコレートに夢中になっていた男の子は慌てて退けて、手を差し伸べた。
「俺、妬類杏那。よろしく」
もちろん自分を突然追いかけ回して、挙げ句馬乗りになってきた相手だ。輝十はじと目で見るなり、その手を決して掴まなかった。それが何故なのか子供の杏那には理解出来なかったようで、
「ねえ、なんで握手してくれないの?」
ねえ? なんで? どうして? を繰り返す。
「だっておまえいきなり追いかけてきたし!」
「それはあんたを捕まえるためだから仕様がないよー」
「なんでおまえが俺をつかまえるの!」
「なんでって……なんでだっけー?」
改めて問い返されると特に理由がなかったので、杏那は父親に問いかけ、父親はチョコレートを指した。
「うーん、うん! 褒美のためかな? まあ、いいじゃん。はい」
そして自分の貰ったチョコレートを杏那に差し出す。
「……くれるの?」
「うん。おいしいよ、これ。おいしいからあげるんだよ」
「あ、ありがと」
輝十は照れくさそうにチョコレートを受け取り、口に含む。
「あ、お父さんのチョコレート」
「わかるの?」
「うん。たまに作ってくれるから。他にもクッキーとかケーキとかもあるよ」
「くっきー? けーき?」
そんな子供同士の会話を繰り広げている時、
「……思い出した」
目を大きく見開いて、その光景をずっと黙って見ていた杏那が声を漏らした。