(10)
聖花は埜亞と出会った時から感じていた。彼女に足りないものは“自信”だけで、それ以外はすべて備わっているだろう、と。
だからこそ“自分が自信を持っている事柄”においては、目を奪われてしまうほど堂々としているし、誰かの手を必要とする雰囲気を全く感じない。
それが今の埜亞だった。
魔力を得て、その力を発揮する瞬間の彼女の顔は全くの別人といってもいい。それほど凛としていて強さを感じるのだ。
「小夜千……」
聖花は無意識に唇を噛みしめ切なげな顔をして、“小夜千”という名を呟き、はっとして頭を振って現実を見据えた。
本棚に身を潜めたまま、気配の先に視線を刺す。
「……あいつ」
埜亞に力を貸した人物を見て、声を押し殺して歯がみした。
埜亞はというと目の前に石化した生徒が現れ、自分のやったことにしばらくあわあわしていた。
なんとか冷静さを取り戻したところで、
「ひやぁっ!?」
今更スカートの裾を抑えてぺたんと床に座り込む。
さっきまでスカートが浮かび上がり、白い下着が大公開状態だったのだが、埜亞は夢中でそんなこと気にも留めていなかったのだ。今になって恥ずかしさに襲われているらしい。
「見事ですね」
視界に入る、男子生徒のものと思われる足。
埜亞は座り込んだまま顔をあげ、その声のする方へと視線を向けた。
「あ、あな、あなた……はっ!」
見覚えのある男子生徒がそこにいて、埜亞は戸惑いを隠しきれずにいる。声がまたいつものようにどもっていた。
それもそのはずだろう。そこにいたのは菓汐を襲い、輝十の庭をぶち壊した一人――慶喜が立っていたのだから。
「大丈夫ですか?」
慶喜は座り込んだ埜亞に手を差し伸べるが、埜亞は頬を膨らませてその手をとろうとはせず、座ったまま動こうともしなかった。眉尻を下げ、まるで子供が大嫌いなものを見るかのような視線を送りつけている。
「どうやらすっかり嫌われてしまったみたいですね」
慶喜は苦笑しながら頬を掻いた。そしてそのまま埜亞の前で、まるで姫を迎えに来た王子様のように跪き、
「あなたの友人を傷つけてしまったこと、心よりお詫び申し上げます」
胸の前に手を添え、瞳を閉じて謝罪する。
「い、いえっ……あ、えっと、そ、そそそ、そのっ……」
それは端から見れば、やりすぎなのでは? と思うほど丁寧で、逆に埜亞が恐縮してしまう。
「許して欲しいなどとおこがましいことは言いません。ただ……」
慶喜は再び埜亞に手を差し出す。
「僕もあなたと同じ制服です。今回だけは協力、願えますか?」
瞬間、本が床に叩き付けられる音がして埜亞はびくっと体を震わせ、辺りを見回す。慶喜はというと音に全く反応を示していなかった。
「い、今、お、お、音が……」
「きっと本棚から本が落ちたんじゃないです?」
動揺している埜亞を落ち着かせるかのように優しく言い放つ慶喜。
その態度が余計に癇に障った聖花は本を握り潰す勢いだった。もちろん本を床に叩き付けたのも聖花である。
「マジ、なんなの、あの、キザ男ぉ……!」
ギリギリと歯軋りで声を必死に抑える。
慶喜のキザ加減を見ていた聖花は怒りが頂天に達していたのだ。そこで思わず感情的になって本を叩き付けてしまったのである。
床に本を叩き付けて終わっているだけ感情を抑え込んでいる方だろう。本当はこのまま出て戦闘を申し込みたいぐらいなのだ。
しかし今朝理事長に厳重注意を受けたばかりの身。聖花もそこまで感情的バカではない。
そしてなにより今の慶喜からは嫌な気配を感じないのだ。それが唯一のストッパーでもある。
「あくまで今は、だけど。なにを企んでるのかしら」
自分が悪魔である以上、悪魔なんてものは信じられない。人間以上に。
聖花は二人の様子をじっと観察し続ける。
埜亞は輝十達以外の生徒に、積極的に話しかけられるのは初めてだった。しかも手を差し出しているのだ。まるで自分を女の子のように扱ってくれているのである。
この事態はもちろんのこと、わけがわからず埜亞は混乱していた。どうすればいいか自分で答えを導き出すことも出来ない。
目の前の彼が悪い人には見えない。それだけが埜亞の中でははっきりとしてた。
「悪いようにはしません。利害は一致していますから」
言って、慶喜は迷っているであろう埜亞の手を掴み取って立ち上がらせる。
慶喜は聖花の気配にはとっくに気付いており、あえて気付かないふりをしていたのだが、埜亞を立ち上がらせた時にわざとらしく一瞥した。
「あ、あのっ……!」
埜亞は無償に照れくさくなり、掴まれている自分の手が別物のように感じながらも、勇気を振り絞って聞かずにはいられない。
「も、もうひとり……の方、は、どこ、ですか?」
埜亞は不思議そうに周囲を見渡している。
「全ですか? 彼はこの行事に乗り気ではないようなので」
「そ、そう、なんですか……」
その時、慶喜の表情が一瞬曇ったのを埜亞は見逃さなかった。他の人なら確実に見逃しているであろうレベルの変化である。
埜亞は人の顔色を窺いながら生活してきたのもあり、少しの変化も見逃さない。それが喜ばしいことではないなら尚更だ。
「お、お友達さんと、なっ、なにかっ、あった、んですか?」
「え……?」
突然の問いに困惑する慶喜。
「どういう意味、ですか?」
つい声色が強くなってしまう。
「い、今……悲しそうな顔、して、いたので……け、けん、喧嘩したのかなって、思ったんです」
自分でも気付かない変化に気付かれ、慶喜は目を見開く。
全と呼ばれる男子生徒と目の前の男子生徒が親しいであろうことは、前回の件でよくわかっている。
自分には他人行儀な話し方をしているが、あの時彼には凄く砕けた喋り方をしていたし、感情的にもなっていた。
埜亞はそんなことを思いながら余計に疑問に思う。
何故ここにいるのは彼一人なのだろう、と。
慶喜は驚きを顔に出してしまった自分に反省し、すぐに表情を取り繕う。
「お気遣い有り難うございます。大丈夫ですよ。喧嘩もしてませんし」
「そ、そう……ですか」
埜亞は慶喜の異変が気になったが、それ以上は口にしなかった。口にすることが出来なかった。
今まで友達もいなかった自分が友人関係を察することも語ることも出来ないし、なにより二人のことを知らないのに口を挟むことは出来ないからである。
「少し場所を変えましょう。このままここで待機していてもゲームになりませんから」
慶喜は図書室を出るように促し、埜亞は言われるがままついていく。
決してお姫様扱いされたから、ではない。純粋に自分に声をかけてくれた人だから、というのはあるが、それ以上に埜亞は慶喜の“なにか”が引っかかり、気になっていた。
「一緒に頑張りましょう」
そう、笑顔を向けてくる慶喜を見て、やはり気になるのだ。
笑顔がどうしても悲しげに見えてしまうこと、が。
「は、はい、ですっ」
埜亞は手を繋がれたまま身を任せ、慶喜と共に図書室を出ていく。
「ああんもう! ぜんっぜん、だーりんのところ行けないじゃないっ!」
二人が図書室を出た瞬間、声を大にして言い放つ聖花。
それでも聖花は埜亞を慶喜に預けたままにすることは出来そうになかった。
「どういうつもりなのよ、あの男」
聖花は舌打ちし、再び埜亞の尾行を続ける。