(7)
「わかっているだろうが……」
養護教諭は白衣を揺らしながらカッカッカッとヒールの音を響かせ、菓汐の腕を引っ張って歩く。
生徒達が色事に分かれている時、菓汐は壇上の下に連れてこられていた。
「おまえにはフィールド・リバーシへの参加権限が与えられない。これは精霊の儀式による結果だ。いくら私とて覆すことはできん」
一切の躊躇いも同情もない、はっきりとした言い方だ。無表情でそれを口にする養護教諭からは威厳を感じる。
そんなことわかっていたことだ。なんてことない。そう思っているのに、真っ直ぐと自分を見ている養護教諭の目を見ることが出来なかった。
そんな菓汐を見て、髪を無造作に掻き上げながら、
「私は参加権限がない、と言ったんだ。参加するなとは言っていない」
腰に手をおき、胸を張って言う養護教諭。
「どういう意味でしょうか? 分かりかねます」
養護教諭は眉尻を下げ、表情から緊張感を拭う。そして色事に分かれて動いている生徒達に目をやりながら、
「おまえには極秘で管理委員を任せるつもりだ」
再び厳しい目つきになった。
「管理委員……?」
「ああ。フィールド・リバーシで不正が行われていないか、危険行為がないか、を忍びのごとく見張ってもらう」
一歩足を前に突き出してわざとらしく、カツ、とヒールの音をさせる。
「しかし……それは教員で十分なのでは?」
「まあな。もちろん学園内はそれ相応クラスの教員が厳重態勢で見張っているし、石碑もある。だが……」
養護教諭は目を細め、一点を見つめながら声を細める。
「例外もある。いや、例外もいる、と言った方が正しいか」
菓汐はそれについて問い返さなくても、誰のことを言っているかわかっていた。ゆえに何も言わずにいる。
「その時は殺さない程度にやれ」
菓汐はぎゅっと拳を握り締めた。
自分にはそんな大役はもちろん無理だ。しかしせっかくの機会を無下に断ることも出来ない。
そんな心の揺らぎに気付いていた養護教諭は菓汐の頭にそっと手を添え、
「いたたたたたた! ちょ、ちょっとなにをするんだ!」
思いっきり髪を鷲掴みにして引っ張った。
「そんな顔をするな。もちろんこれだけじゃない。補佐役として参加出来るってことなんだぞ」
「補佐役……」
「そうだ。あくまでおまえは管理委員であり、管理委員としての参加だ。おまえがどうしたいか、どうなって欲しいか、自分の意志で管理すればいい」
養護教諭は引っ張って乱れた髪を戻すかのように、優しく頭を撫で回す。
「黒でもない、白でもない、グレーというのはそういうことの出来る特別な色だ」
養護教諭は口元に優しい笑みを刻み、そう言って再び壇上へ上がっていった。
養護教諭が壇上に上がると開始の合図説明が行われる。
開始の合図は二回に分けて行われる。一回目の合図で人間生徒が散らばり、二回目の合図で悪魔が散らばる。人間は匂いで場所を特定されてしまうので全くハンデにならないが、一斉に動き出すよりは幾分マシだろうという配慮だ。それに悪魔とペアでなければこのゲームは成り立たない。
「よし! よくわかんねえけど頑張るわ」
「えー? よくわかんないのに頑張れるのかなぁ」
「いちいちうるせえな! なんとかなるだろ、なんとか!」
輝十が前に歩み出ると背後から白い目で見る杏那。
「とりあえず適当に駆け回っておいてよ。すぐ追いつくからさ」
「おう。やるからには残るつもりだからな」
まるでマラソン直前のように、足首を回したり腕を伸ばしたりもも上げしてみたり、アップをする輝十。
「このゲームで残るってことは学年代表になるってことなんだけどねぇ……」
「あ? んだよ、なんか言ったかー?」
杏那は首を小刻みに振った。振り返って怪訝な顔をする輝十に苦笑いを送る。
「絶対わかってないよねぇ」
もちろん輝十の頭がそこまで回っているわけがなく。勝負事であるがゆえに“勝つ”つまり“残る”という短絡的思考なのだ。
そうこうしている間に養護教諭が教壇前で仁王立ちし、ホイッスルを口に咥える。同時にあれだけ騒がしかった講堂内が静まり、緊張感に包まれる。
――そしてあげた右手を振り下ろし、開始のホイッスルが講堂内を震わせた。
約半数の生徒達が一斉に全力で駆けだしていく。講堂を飛び出すまでは皆同じで、そこからは校内へ入り込む者、校庭へ出る者、様々だ。
「こうやって見ると意外にいるんだな」
輝十は走りながら周囲を見渡す。思った以上に同じ人間生徒が多いことをこの時初めて知ったのだ。淫魔の見た目は人間そのものだし、容姿端麗という以外に判断出来るものがない。関わって初めて違いに気付くのだ。
同じ方向へ走っていた生徒達も更に散らばり始め、いよいよ自分も何処へ向かうかを決めねばならない雰囲気になってきた。輝十は特に何処へ向かおうという考えはなかったので、走りながら頭を抱える。
「あいつが来るまで身を潜めるってのが一番……だな」
一人では何も出来ないゲームだし、一人でいる時に狙われても困る。
輝十はいつもの自販機の所へ行こうと思い、走っていると背後で気配がしたので思わず振り返った。それは“悪魔が追いかけてくる気配”ではなく“人間だけど何か違う気配”だ。
はっと振り返ると予想通り“何か違う”人間生徒が走っていた。
背は輝十と同じぐらいで女子生徒にしては高い方だろう。ボブヘアーで前髪をピンで留めている可愛らしい女の子だった。人形のように華奢で色が白く、日本人ながらロリータ系ファッションが似合いそうな容姿をしていた。
いかにも運動神経が悪そうな走り方をしており、今にも顔面から転んでしまうのではないかと見ているだけで不安が一層かきたてられる。
「……ちょっと待て」
前を走っていた輝十は思わず確認せずにはいられず、立ち止まってしまった。
可愛らしい女の子だなぁ、品乳(決して貧乳とは言わない)だなぁ、と見ていておかしな点に気付いてしまったのだ。
「なんで制服がズボンなんだ……?」
もちろん女子生徒はスカートの着用が校則で義務づけられている。この行事だけというなら他の生徒もズボンに着替えているはずだ。
なんだ……すげえ嫌な予感というか、懐かしい悪寒がするぜ……。
と、輝十が悩んでいると目の前で彼女はとうとう躓いて顔面から転んでしまった。期待を裏切らない盛大な転びっぷりである。
「おい、おまえ。大丈夫か?」
そのアクシデントのおかげで輝十は深く考え込まずに済んだ。すかさず目の前の彼女に声をかける。
「う、うん……ありがとう」
彼女は体を起こし、座り込んで制服についた土や草を払う。芝生部分の上で転んだのは不幸中の幸いだ。
体が華奢すぎるせいか制服がだぼだぼで袖が長く、上手いように制服が叩けていなかった。
「そんなんで大丈夫かよ……」
見るからに危うい感じが漂っており、この子を放っておいていいんだろうか? という謎の使命感に襲われる。まるで迷子になった子供が転んで怪我してしまったような二重苦感。
「へへへ、大丈夫だよ。僕、男の子だもん」
「そ、そうか」
目を細めてにっこり笑う彼女、いや彼を見て、輝十の時が止まった。
「はぁ―――――!? 男!? おまえ男なの?」
「うん。よく女の子に間違われるけど男の子だよ」
「いやいやいやいや! あれだろ? 訳ありで男装してるとか、そういうオチだろ?」
彼はむっと頬を膨らまし、
「……脱ごうか?」
ベルトに手をかけ、ズボンを脱ぐ素振りをする。
「いやいやいやいや! だめ! なんかだめ! そこは見てはいけない気がする!」
例え脱いで真実を知っても、どう見ても男の子じゃなくて女の子についてました的に見てしまうから絶対にだめ!
輝十は全身全霊で拒否し、息切れしながらその場で四つん這いになって項垂れた。
神は我に新しい課題をお与えになったのだ……この性別が行方不明すぎる子を新しい課題をしてお与えになったのだ……。
いつもならホモ対策で培った男拒否センサーが働くのだが、この子にはセンサーが作動しないというイレギュラーな展開に輝十の脳内は大パニック中だった。
「あ、あのぅ……きみ、行かなくていいの?」
ぶつぶつ言っている輝十に恐る恐る声をかける彼。
「え? あ、ああ。いや行くけどよ。目の前で転んだおまえをさすがに放っていけねえしな」
輝十の言葉を聞き、つけまつげのような長い睫毛を揺らしてぱちぱちと大きく瞬きをし、
「優しいんだね、きみ」
もはや性別なんでどうでもいいじゃないか! 可愛いという性別があってもいいじゃないか! と思わせるぐらいの破壊力抜群の笑顔を輝十に向ける。
「ど、どこが?」
一瞬、揺らいでしまった自分を後で殺そう、そしておっぱいに謝ろう、なんて思いながら問い返す。
「だってぇ……みんな転んだ僕なんか見る気もしないで走っていったよ」
既にその場には二人しかおらず、さっきまで一緒に走っていた数人は先に行ってしまったのだ。
「んまぁ、そんなもんだろ。これから何かやるみたいだしよ。俺ら所詮ただの人間だしな」
対策が練れない以上、とにかく走って身を隠すぐらいしかないわけで。他人に気を回す余裕がないのだ。
「でもきみは振り返って立ち止まってくれたよ」
「ん、まあ、放ってはおけねえだろ」
女の子だと思ったしな、という本音は言わずにおいた。
照れくさそうに頭を掻く輝十を真っ直ぐに見つめ、
「僕は胡桃一茶。よろしくね」
一茶は手を差し出した。
「おう、俺は座覇輝十。よろしく」
輝十がその手を握ったことで、新しい交流がこの場で生まれた。思えば人間生徒で男子生徒は初めてである。そう思うと急に親近感が沸いてくる輝十だったが、ある不審な点に気付いた。
「つーか、その竹刀はなんだ?」
中性的すぎる可愛い顔に気を取られて気付かなかったのだ。一茶が背中に何故か竹刀を背負っていることに。
「これ? これはね、僕のお守りみたいなものかな」
「お守り?」
「うん。これがあると強くなった気になれるんだ」
ぎゅぅ、と竹刀を抱きしめる一茶。輝十はそれ以上は深く突っ込まなかった。見た目同様、少し変わった奴なんだろう、という勝手な結論で片付けたからだ。
「心配してくれたお礼に、なにかあったら僕がきみを守ってあげるね」
「はっ、そりゃ頼りにしてるぜ」
輝十は子供の戯言のように一笑し、無邪気に笑う一茶に笑顔を返した。
――その時だ。
独特な空気を肌で感じ、嫌な気分にさせられる。決して友好的ではないこの感じを輝十は知っていた。
「……とりあえず、ここ逃げようぜ」
輝十は周囲に目を配りながら呟いた。