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俺の不幸は蜜の味  作者: NATSU
第5話 『フィールド・リバーシ 前編』
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(2)

「それでは、僕達も失礼します」

 慶喜達が理事長室を出てすぐのことである。杏那は丁寧に会釈し、それを見た聖花も膨れっ面ではあったが頭を下げ、理事長達に背を向けた。

「……妬類くん」

 静かな声で理事長は杏那だけを呼び止める。

「なんでしょうか?」

 杏那が振り返ると、

「ちょっとだけ、いいかしら」

 お決まりのように笑顔を向けた。

 一緒に振り返った聖花だったが、その場の空気を読み取り、鼻を鳴らして先に理事長室を出ていく。

 バン、というドアの閉まる音だけが理事長室に響き渡り、その場の空気は一気に緊迫したものに変化した。

 理事長が真顔で慶喜達を注意した時も凍ったような空気が流れていたが、それとはまた違う。

 怒っているわけでも、注意を促そうとしているわけでもない。

 自分だからこそ残され、何かを問うつもりなのだろう、ということが杏那には安易に想像出来た。

「聞いてもいいかしら?」

「……別に構わないですが」

 笑顔を崩さす問いかけてくる理事長に対し、杏那も務めて優しい表情を作り出す。

 相手はあくまでこの学校という組織のトップに君臨する人間なのだ。無愛想にするわけにはいかないし、ただの人間だとも杏那は思っていない。

 政府の管轄に置かれているらしいこの栗子学園を、政府の人間が管理出来るかといえばそれが違う。悪魔と契約を結んでいるか、それ相応の力を得ているか、なにかしら特殊な人間にしか出来ることではない。

 それは悪魔に属する自分がよくわかっていることだった。

「学校生活はどう? もう慣れたかしら?」

 理事長は一歩、一歩、杏那に歩み寄り、手をもじもじさせながらまるで少女のような表情で問いかける。

「突然ですね。初めてのことばかりですのですぐに慣れはしませんが、それなりに過ごせてはいます」

「……楽しいですか?」

 杏那の前で足を止め、理事長は見上げて問いかける。

「楽しいというものがどういうことなのか分かりかねますが……」

 杏那は校長にちらちらと視線を送りながら続ける。

「多分、今は楽しいという感情に分類されると思います」

「そう、それはよかったわ……」

 理事長はそれを聞いて、ほっと胸を撫で下ろす。

「しかし、なぜそんなことを聞くんです?」

 理事長は緩んだ表情を引き締め、きりっとした笑顔を向ける。

「あなただから聞くのです。その意味、わかりますね?」

「……ええ」

 なんとなく想像はついていたがやはりそういうことだったのか、と杏那は内心思う。

「では、もう一つ聞いてもいいかしら?」

 杏那は無言でその質問とやらを待ち、理事長はそれを無言の返事だと受け取って続けた。

「座覇輝十という生徒を知っているわね」

「……それが?」

 予想外の質問に杏那は返答が遅れてしまう。

「彼とは上手くやれているのかしら」

 杏那は面食らって一瞬目を見開くが、すぐに表情を取り繕いにやにやしながら答える。

「それは性的な意味ですか?」

「ち、違います!」

 本気で否定する理事長を見て笑いながら、杏那は答える。

「わかっています。上手くやれているかわかりませんが、僕個人は彼を気に入っています」

「そう、ならいいんです」

「……まるで初めて会った気がしないぐらいに」

「…………」

 理事長は杏那に背を向け、定位置に戻っていく。

 その後ろ姿をじっと見つめながら、杏那は低く落ち着いた声色で問い返した。

「なぜそんなことを聞くんです?」

「……個人的な興味、ではだめかしら」

 理事長は背を向けたまま答えるが、杏那は納得いかない様子で更に問いただす。

「なぜ一般生徒である座覇輝十に学園のトップである理事長ともあろう方が興味を持つんです? 僕にならわかりますが、彼はただの人間でしょう」

 理事長は答えず、振り返って真摯な眼差しを杏那に向ける。

「そうですね、誤解を招いたなら謝ります。私はあなたと関わっているからこそ、座覇輝十に興味を持ったのです。これで理解してもらえるかしら」

 それでも納得のいかない杏那は、睨み付けるような視線を理事長に送り、

「なにかご存じなんですよね? 僕の記憶にはプロテクトのようなものがかかってるんですよ。僕に、ですよ?」

 挑発するような言い方をする。

 すると校長が理事長を守るように前に立ちはだかり、殺気を放つ。

「大丈夫だから、落ち着いてね。ありがとう」

 言って、理事長は校長を下がらせる。

「知らないと言えば嘘になりますね。しかしここでお答えすることは出来ませんし、私ではその鍵を開けることも出来ません」

「そうですか、わかりました」

 理事長が知っている、それだけわかっただけでも杏那にとっては収穫だった。

 理事長レベルの誰かによる、故意的にかけられたもの――いや、もしかしたら理事長もグルかもしれないし、理事長本人に仕業かもしれない。

 話した印象と雰囲気でしかないが、杏那は理事長に悪い印象は抱かなかった。抱いたのは“人間”として桁外れだろう、ということ。

 この抜け落ちた記憶には、やはり何か意味があるのかもしれない。

「それでは……失礼します」

 杏那は会釈し、理事長室を後にする。

 最後の生徒が出て言った後、

「はぁ、疲れた。ほんとこういうの向いてないのよ、私って」

 やっと気を緩めることが出来てほっとしたのだろう。

 小言を漏らしながら椅子に座るなり、机に顔を突っ伏してしまう。

 校長は即座にお茶の準備をし、理事長に運ぶ。

「いいんですか? 話さなくて」

 ティーカップを理事長の傍らに置きながら、校長は控えめに問う。

「ええ。いずれ自分で思い出すことでしょうし」

「いえ、そちらではなくて……」

 砂糖を入れ、スプーンで交ぜている理事長の手元に視線を預けたまま、校長が漏らす。

 校長の言いたいことが最初からわかっていた理事長は、苦笑しながらティーカップに口をつけた。

「いいんですよ、今は話さなくて。その方がきっといいんです」



「ん……」

 輝十は寝返りを打つ。

 睡魔と戦いながら、起きるべきか二度寝に入るべきか、夢の中で自問していた。

 体が覚えている感覚的にそろそろ起きないと遅刻するだろう、とわかっていたので、輝十は仕方なく瞳を開ける。

「ふぁあぁ……あれ? あいつどこ行ったんだ?」

 あくびしながら上半身を起こし、既に杏那の姿がないことに気付く。

 そもそも自分はベットで寝ていたが、あいつはどこで寝ていたのだろう。

「ま、まさかあいつまた一緒に……」

 ゾゾゾッという寒気を感じ、自分の体を抱きしめたところで、

「!」

 異様な光景に気付いてしまった。

「……お、おい?」

 輝十は恐る恐る声をかけてみる。

「ここで……な、なにしてんだ?」

 しかし応答はない。

 部屋に杏那の姿がないと思ったら、代わりに埜亞がベットの傍らに顔を伏せるようにして眠っていたのだ。

「なんでここで寝てんだよ……いつからだ?」

 輝十には全く記憶がない。自分が眠ってから部屋に入ってきたのだろうか。

 まるで看病してくれている彼女かのように、傍らで眠っている埜亞を見て輝十はなんだか気恥ずかしくなる。

「別に俺は病人でもなんでもねえっつーの」

 言って、輝十は毛布をそっと埜亞の肩にかけてやる。

「ん、んぅ……」

 すると埜亞が声を漏らし、目を擦りだしたので、輝十は驚いて飛び上がり埜亞から距離をとる。

「……ざ、座覇、くん?」

 寝ぼけまなこで自分を見てくる埜亞に、輝十はそっと近づいて問いかけた。

「お、おう。なぁ、なんでおまえここで寝てたんだ?」

「ふぇ?」

 目を擦りながら周囲を見渡し、なかなか機動しない頭を機動させようとする埜亞。

「んーっと、えーっと、ですね……あっ! 思い出しました!」

 半開きだった目を大きく開き、手の平を叩く埜亞。

「朝方トイレに行ったんです。そしたらこの部屋のドアが少しあいてて……」

「それで?」

「座覇くんが一人で眠っていて……」

「そ、それで?」

 何故、自分はこんなわくわくしているのだろう。埜亞に限って、そんなお色気展開があるはずがないのに。

 輝十は息を飲み、その続きを待つ。

「ひ、一人は寂しいかなって、思って、それで……」

「え?」

 予想外の続編に唖然とする輝十。

「ざ、座覇くん、は、その、お友達だから……いっぱい側にいたいなって、それで、えっと……迷惑でした、か?」

「い、いや、いやいやいやいや!」

 輝十は手を振ってそれを否定する。

 もじもじしながら言う埜亞は本当に可愛らしく、まさか女の子にこんなことを言ってもらえるとは夢にも思わなかった輝十だったが、“お友達”というワードにどうしても引っかかってしまう。

 お友達の意味をぜってえはき違えてんだろ……。

「そ、その、気持ちは嬉しいんだけどよ」

「は、はいっ!」

「そ、そういうの、お友達にはしない方がいいんじゃねえの?」

「……え」

 あからさまにショックを受けている埜亞を見て、輝十は慌てて弁解しようとする。

「あ、いや、その! 俺はいいんだけど! 俺はすげえ嬉しんだけど! お友達みんなにそういうことすんのはどうなのかなーみたいな?」

「そうですか……あ、あの、でしたら、座覇くんだけだったら、いいんでしょうか……?」

「俺だけ!?」

 もちろん自分だけなんていう特別な感じは甘美で捨てがたい。しかしそれを選択してしまうと、なにかが違う気がする。むしろお友達じゃないだろ、それって……。

「その、なんっつーか……俺はいいんだけど、いいんだけどよ。それをやり続けると男の子のお友達は、狼になってしまうわけで……」

「ええっ!? 人間が狼に……そんな特異変化みたいなことがあるんですかっ!?」

 輝十は「しまった」と内心思う。完全に埜亞の違うスイッチを押してしまったからだ。 

「なるほど、それはすごく興味深いですっ! また次の機会もよろしくお願いしますっ!」

「は、はぁ……」

 勢いに圧された輝十は返事をせざるを得なかった。

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