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俺の不幸は蜜の味  作者: NATSU
第5話 『フィールド・リバーシ 前編』
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(1)

「来たわね、遅いじゃないの」

 早朝、まだほとんどの生徒が登校していない物静かな栗子学園廊下にて。

 遅れて現れた杏那に悪びれた様子は一切なく、腕を組み仏頂面で突っ立っている聖花の元へ歩み寄る。

「やっぱりくるとは思ってたけど、こんな朝早く呼び出されるとはねぇ」

「誰のせいだと思ってるのよ」

「えー? あんたのせいじゃないの?」

「はぁ!? 元はといえば、あいつらぐぁっ……!」

 杏那は怒鳴り声をあげる聖花の口元を手の平で覆い隠し、強制的に静まらせる。

 そして何もない壁を手の平でぺたぺた触り始めた。

「この辺り、かな?」

 聖花はそっぽ向いたまま人差し指に毛先を巻き付けて弄び、杏那の発言をわざとらしく無視する。

 屋上に設置された石碑を介し、彼らの意識に直接届けられた脳内放送により、杏那と聖花は理事長室へときていた。前日の件で呼び出しをくらったのである。

 杏那は扉も何もないただの壁を三回ノックし、一拍おいて、再び二回ノックする。聖花はそれを背後から涼しげに見ていた。

 一般的にはおかしな光景だが、二人にとってはなんら不思議ではない光景だからだ。

 ノックを受けた壁は光の線を描き、まるで内側から壁に穴が開けられているかのように扉を象っていく。

「理事長室って常に移動してるって聞いたけど、本当だったのね」

 聖花が言ったと同時に、教室の扉とは造りの違う大きな扉が壁に現れる。

 今度は開く為ではなく人間のように礼儀として杏那が再びノックをし、中から声が聞こえてから扉を開いた。

「失礼します」

 理事長室に入り、杏那が一礼すると隣に並び立った聖花も小さく会釈した。

「おはようございます」

 そう声をかけてきたのは、この場の雰囲気から察するに栗子学園の理事長なのだろう、と杏那は思った。

 色が白くて柔らかい雰囲気の女性で、顔立ちは決して幼いわけでも老けているわけでもない。綺麗と可愛いを足して二で割ったような人だった。

 理事長の傍らに立っている、パンツスタイルのスーツに身を包んだ女性。切れ長の瞳をしたこのボーイッシュな女性に、杏那は見覚えがあった。この学園の校長である。

「……そういうことね」

 聖花が独り言のように小声で喋る。

 その言葉の意味を杏那も理解していた。

 校長は人間ではない。同じ淫魔でもない、他の悪魔だ。つまり理事長と契約を結んでいる悪魔なのだろう。

「朝早くから呼び出して悪かったわね」

 理事長は優しげな笑みを浮かべる。決して怒っているようにも、これから叱るようにも見えなかった。しかしだからといって杏那が気を緩めることはなく、いつもの調子の中に緊迫感が存在している。

「妬類くんと瞑紅さん、でしたね」

「おはようございます。はい、そうです」

 杏那が答えると、先に理事長室にきていたらしい二人が瞬時に振り返った。

「妬類……杏那……」

 前日に邪魔されたことを根に持っているらしい、彼。水を操っていた方、家森全いえもりぜんは憎々しげにその名を呟き、杏那を睥睨する。

「ああっ! あんた達! ああ、そう。そうなの。そうよね。あんた達の方が悪いんだから先に呼び出されて当たり前よね。マジ迷惑なんだけど。学校辞めてくんない?」

「はぁ!? うっせーブスてめえは黙ってろ」

「ブッ……!?」

 聖花がいつもの調子で憎まれ口を叩くと、それと同じレベルで反論する全。

「ちょっと! 聞いた? 聞いた!? こいつスクブスに向かってブスって言ったわよ? スクブスによ? 人間が平伏し、懇願してでも抱きたくなるようなわがままボディと魅力を纏った美貌の持ち主に向かって、ブスって言ったのよ!? 世の男のほとんどが飛んで食いつくロリ巨乳の私によ? ねえ、どうなの!」

 服を掴んで上下に揺さぶり、目を血眼にして必死に杏那に訴える聖花。

「わかった、わかったってば。あれでしょ、スクブスを略してブスって言っただけでしょ。だから落ち着きなって」

 もちろんそんなはずはなかったのだが、面倒なので適当にあしらう杏那。

 聖花と全は火花が飛び散ってきそうなぐらい強烈な睨み合いを始め、それを傍らで呆れながらに見ていた杏那は全の隣にいる彼と目があった。

 二人とも笑い合うわけでも、声をかけあうわけでもない。

 そんな二人が互いを意識したと同時に、

「退けよ、ブス。てめえ邪魔なんだよ」

 全は聖花を突き飛ばし、明らかに穏やかではない状態で杏那の目の前に向かっていったので、彼は慌ててそれを制した。

「なにすんだよ、慶喜!」

「少し落ち着け。おまえ、ここがどこかわかってるのか?」

 まるで子供を叱りつけるような物言いである。しかしそれが全には有効的だったようで、振り返って理事長と校長の姿を見るなり冷静を取り戻した。

「すみません。こいつ短気なもので……」

 全の代わりに彼は杏那に頭を下げ、

「俺は千月慶喜ちづきけいきっていいます。こいつは家森全です。今回はお二人に多大なご迷惑をおかけしてすみませんでした」

 丁寧に謝罪を述べる。その仕草は決して悪魔とは思えないほど、きちんとしたものだった。

 片目が隠れるほどに長い前髪と真っ黒な髪が特徴的な慶喜は、その前髪を揺らしながら顔をあげる。

「あと……彼らにも悪いことをしました」

「そう思うなら直接謝りなよ。そう思うなら、だけど」

 杏那が嫌味を含んだ言い方をするが、全と違って慶喜はそれに反発するようなことはせず、苦笑しながら大人の対応をやってのけた。

 そしてここにきて、理事長が手を叩いて注目を集める。

「はい、そこまで。いいですか、お二人の行為は決して許されるものではありません。これは厳重注意に値します。いいですね? 今後の行動については身を慎んで下さい」

 全と慶喜に対し、笑みを消して発する理事長。声色は優しげだが、表情から笑みが消えただけで相当な圧力が加わっている。

「そしてお二人。今回は一部やむを得ない場合ではありますが、瞑紅さんの行動は感情的な暴走ともとれます。学園敷地内以外での能力の発動は謹んで下さいね」

 口を尖らせて納得いかない様子の聖花の代わりに、杏那が返事をした。

「うん、よろしい」

 四人の顔を見比べ、理事長はまた母性ですべてを包み込んでしまうような柔らかい笑顔を浮かべた。

「それでは……お先に失礼します」

 慶喜は杏那達に一礼し、その後理事長達一礼してから理事長室を後にする。それに仕方なくついていくかのように、全は理事長達にのみ雑に頭を下げて一緒に出ていった。


「なぁ、慶喜。なんでまた止めるんだよ。いやさ、わかってるわかってるよ? 妬類杏那がどういう奴かってことぐらいさ。でもムカツクじゃん。俺あいつ嫌いなんだよ。マジ嫌い。すっげー嫌い」

 理事長室を出てすぐ、子供のように駄々をこね始める全。

 こういう流れには恐らく慣れているのだろう。慶喜はこれといった反応を示さず、完全にスルーしている。

「……人間は普段からこういうことをするんだから尊敬するよ」

 誰かに話しかけているわけではなく、ただ一人でぼそっと呟いた。

「はぁ? なんだよそれ。どういう意味?」

 それを聞いていたらしい全が問い返す。

「全にわかるように言うと、好きな人に“嫌い”嫌いな人に“好き”って言えることは凄いってことだよ」

「なんだよそれ。ただの嘘つきじゃねえか」

 慶喜は前髪で隠れていない右目を細め、力なく微笑んだ。

「そう。人間は仮面を被って嘘をつく。俺達悪魔に負けて劣らぬ、その演技力には学び取るものがあるなーって関心してるんだ」

「人間みたいなこと言うなよ、気持ち悪い!」

「そうだね、悪い」

 きっと言っていることのほとんどを全が理解していないことぐらい、慶喜にはよくわかっていた。なのでそれ以上何も言わず、黙っていたのだが……、

「あっ! ちょ、おい、慶喜! 慶喜ってば!」

 子供が新しいおもちゃを見つけたかのようなテンションで、全は慶喜の腕を引っ張る。

 全の視線の先に何があるのか――慶喜は見ずともそのテンションですぐに理解した。それと同時にどういう表情を取り繕えばいいのか悩まされる。

「か、華灯さん! おはようございますっ!」

 向かい側の廊下から歩いてきた一人の女子生徒。華灯かとうと呼ばれた彼女は全に声をかけられて足を止める。

「家森くんと千月くん? おはよう。二人とも随分早いのね」

 長い髪をハーフアップにしており、涼しげな凛とした顔立ちからはクールビューティーという言葉がよく似合う。知的な美人といったところだ。

「こんな朝早くに、なにか用事でも?」

 彼女は慶喜に視線を送るが、何故か答えたのは全で、

「い、いやぁ! たまには早起きもいいかなって! な、なっ? そうだよな、慶喜!」

「……ええ、そうです」

 慶喜は一瞬だが間を開けてしまったことを後悔しながら取り繕う。

「全の奴が早く起きてしまったので、いつものより早い時間に登校したんです。校内を見て回るのも悪くないかなって。全の奴、悪魔のくせに方向音痴なんで教えておかないといけませんから」

 笑みを零しながら、ごく普通の会話の一環として話を進める慶喜。

「ちょ、悪魔に方向音痴も何も関係ないだろ! そもそも俺らは淫魔なんだからヤれればいいんだよヤれれば」

 そこまで言って、全ははっとした顔をして自らの口を覆い隠した。

 何も言わずに笑って見せる彼女。

「い、いや今のは……」

 事実なので訂正の仕様がないのだが、全は彼女の前でそういう発言は控えたかったのだろう。

「二人は本当に仲がいいのね」

「はいっ! 親の代からの仲ですから!」

 話が変わって安心したのか、勢いよく食いつく全。

 彼女は胸元にかかる毛先を摘んで背中に避けながら、口端を吊り上げた。

「羨ましいわ。私には自分を犠牲にしてまで守ってくれるような親しい友人はいないから……」

「なに言ってるんですか! お、俺なら、華灯さんのこと……守りますよ!」

「それは頼もしいわ。ありがとう」

「な、なっ?」

 黙って突っ立っている慶喜に全が同意を求め、慶喜は笑顔を返す。

 彼女はそんな二人にまるで女神のように神々しい笑みを送り、決して触れられぬような高貴なオーラを纏いながら去って行った。

「ほんっと綺麗だよな、華灯さん……俺、見てるだけでもマジで幸せ」

 去っていく彼女の後ろ姿をうっとりした瞳で眺め続ける全。それは彼女の姿が見えなくなるまでずっと続く。

「……仮面、か」

 そんな全を横目に、慶喜は消えそうな声で呟いた。

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