(12)
「んなわけねえだろ」
輝十は即答し、ばつが悪そうに後頭部を掻く。
「ふーん……」
意味深に杏那が視線をくれると、
「ま、まあ、寝れないってことにおいては事実だけどな」
輝十は顔を逸らしたまま強気に言い返した。
「年頃の女の子が三人も部屋にいるんだもんねぇ。童貞には刺激が強すぎるんじゃないかなぁとは思ってたけど、逃げ出してくるなんて本当に童貞の鏡みたいな童貞だね、輝十って。ほんとマジ童貞だよ、すごい童貞」
「童貞童貞うるせえよ! 連呼すんなバカ!」
顔を真っ赤にして怒る輝十を前に、声を押し殺して笑い出す杏那。
「いいよ、座ったら? どうせ寝れないんでしょ? 俺もまだ寝ないし」
「ふん、まあ座ってやらんこともな……あ、ちょっと待ってろ」
頭上に疑問符を飛ばす杏那を無視し、輝十はその言葉を残して一旦部屋を出た。
そして真っ白な湯気の立つマグカップを二つ手にして戻ってくる。
「ん」
自分の分に注いだ紅茶を口にしながら、もう一方のマグカップを杏那に差し出す輝十。
杏那は目を見開き、面くらいながらもそのマグカップを受け取った。
「ホットチョコレートにしといた」
杏那はマグカップを両手で包み込み、思わず笑みを零した。
「マシュマロつけてくれたらよかったのにー」
「贅沢言うな。持ってきてやっただけでも感謝しやがれ」
「あはは、ありがとう」
杏那がマグカップに口をつけたのを見て、輝十はその場に座り込み、独り言のように口にする。
「……今日は悪かったな」
決して大きな声ではなかったが、皆が寝静まった真夜中ならば十分聞き取ることが出来た。
「ん? なにが?」
杏那は月から視線を輝十に移し、問い返す。
「校則。破らせちまったみたいでよ」
「ああ。いいよ、別に。あれはやむを得ない場合だと俺は思ってるし。ま、それを判断するのは学校側なんだけどねぇ」
戯けて言う杏那に、申し訳なさそうな顔を浮かべて紅茶を口に含む輝十。それに気付いていた杏那は、
「使命感っていうのかな? 自分でもよくわかないんだけど」
語りかけるように話し出す。
「使命感?」
輝十が首を傾げたので、杏那は笑みを顔に刻んで、
「お姫様をお守りする王子様の役目、みたいなもんかな?」
わかりやすく言ってやるが、
「お姫様、ねぇ」
輝十は恐らくそれが自分のことだろうと察し、いやぁな顔をした。そしてそれを見た杏那は苦笑いを浮かべる。
「つまり婚約者ってそういうことなんだろ」
輝十はマグカップを置き、握ったまま断言する。
埜亞の話を聞いた時からきっとそういう間側を指すのだろう、と輝十は思っていた。人間と悪魔で組む、つまりペアになる。そこにはもしかしたら愛情が存在するかもしれないが、異なる生き物同士を結びつける“情”が愛情だけだとは限らない。
まして男同士なのだから愛情では困る。しかし愛情以外の情ならば、ありえることだ。
輝十は杏那に対していいイメージは持っていない。勝手に部屋に忍び寄るし、添い寝を迫るし、常に余裕そうで飄々とした感じ、もっとも許すまじ童貞の俺バカにしたその態度! しかしそれでもわかっている事実。
彼は悪い奴ではない。
結果として二度も助けられているし、いけ好かない奴だとは思うが根はきっといい奴なんだろう、ということぐらい輝十にはわかっていた。
「さぁ? 本当にただの婚約者かもよ?」
杏那が茶化すように言うと、
「俺は男と付き合う趣味はねえ」
冷静に、そして真剣に、返答する。
「女の子にだってなれちゃうけど?」
「ない。絶対にない。だが……」
輝十は飲み干したマグカップを両手で握ったまま、窓際に座っている杏那を見上げた。
「と、友達になら……なってやってもいいぜ」
輝十なりの誠意の見せ方だった。
助けられっぱなしの自分なりの、素直になった瞬間である。
いけ好かない、でも悪い奴じゃない。だったらもっとこいつを知るべきなのかもしれない。
杏那は輝十のその言葉が意外すぎたようで、二の句が継げずにいた。
「なんか言えよ! は、恥ずかしいだろーが!」
輝十ががばっと立ち上がり、目線が同じになって視線が交差する。
「いやだって……」
杏那は目をぱちくりさせながら、
「ひどくない? 今まで友達じゃなかったわけぇ?」
その一言を言いはなった瞬間、輝十の方が言葉に詰まった。
「そ、そりゃぁそうだろ。俺おまえ嫌いだしな」
「ふーん、じゃ今は好きになってくれたってこと?」
「……おまえなぁ、そういうのを嬉しそうな顔で言うの辞めろ。展開がホモくさくなるだろーが!」
輝十が怒り出すと杏那は再び声を押し殺して笑い出した。
せっかく自らのプライドをへし折り、勇気を出して言ったというのにこの笑いよう……やっぱり俺はこいつが嫌いだ! と、目を細めていると、
「今日みたいなことはきっと今後も起こりうる」
マグカップを傍らに置き、急に真剣な顔をして静かに呟く。
一瞬で空気を凍らせるようなオーラと表情。それが本気で本当であること、そして普段見せる戯けた調子の杏那からは想像し難い冷徹な表情から、いかにそれが真剣な話かを思い知らす。
「輝十はもちろん黒子ちゃんも傷つけたくない。俺は出来る限りを尽くすつもりだよ」
その瞳にたった一瞬ではあったが、狂気じみたものが滲んでいるように感じ、彼はやはり悪魔なのだと輝十は実感する。
「どうしてそう思うのかよくわからないんだけどね、自分でも」
杏那が微笑すると、輝十は杏那がいつもの調子に戻ったのを確信し、
「はっ、悪魔が言う台詞とは思えねえな」
小馬鹿にするように言い返した。
「あはは、そうかな。そうだね、そうかも」
杏那はマグカップを片手に窓際から降り、もう一方で空になった輝十のマグカップを手にとって部屋を出ようとする。
「人間が好きな悪魔だっているんじゃない? 黒子ちゃんみたいに悪魔が好きな人間がいるんだからさ」
振り返って言うなり、杏那は部屋を出ていった。
それが自分のことだとはあえて言わずに。